①気楽な野良の弥次喜多道中
②ふたりで桜を見る話
明日ありと 思う心の
――明日もまだ桜は咲いていると思うかもしれぬが、果たして、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえるだろうか。世は無常である。
***
目的地などない渡り者だ。強いて言うなら「温暖な土地を巡りたい」というおざなりな理由だけを提げて、西へ西へと旅をしている。
元御庭番として各地を訪れたことがあるゲッコウガも、さすがに山を越えた先にある城都以西は未踏になる。情報だけならいくらか持っているが、さて、それはどこまで役に立つのやら。
隣では、ルチャブルが『互いに何も知らない方が楽しいかもな』と相変わらず大らかに構えて不安げな顔の一つも見せず、周囲の景色へ目を細めるばかり。小鳥の穏やかな表情を見ていると、結局、ゲッコウガとて『なるようになるか』と早々に開き直り、今となっては先々のことなどどうでもよくなっている。そもそも、この蛙は「現状こそ最適解」くらいに考えており、もはや誰に気兼ねするでもなく何でもふたりで決めていける状況に満足していた。『ルチャブルさえ傍に居てくれるならそれでいい』『最愛以外は烏合の衆』と本気で思っているため、何なら、ゲッコウガにとっての幸福は現時点でほぼ完成していると言ってもいい。
本日の空は、クサギの青い実を煮出して染めたような色を見せ、美しく晴れていた。爽やかな陽気のもとで朝から歩を進めていたが、そろそろ日も南中にさしかかろうという折に、水を飲もうと
細流や葉擦れの音がするばかりの、深山幽谷。奥まった場所であるためか、周囲は春らしい若葉に満ちていても肌寒さがうすらに残っていた。
身を屈めて水を掬うルチャブルの額に、はらりと降りかかったものがある。その一枚の薄紅を、ゲッコウガはそっと摘まみ上げた。
『花びらでござるな』
ふたりして、どこから舞ってきたのかと見回した。探す手間などほとんどなかった。何のことはない、対岸からの桜の便りだ。ただし、目を凝らさねば見落とすような咲き方をしている。もう少し間近で眺めてみようと、狭い川幅のほとんどを埋めるような苔むした岩石をつたって、向こう岸に近寄った。
里山では我こそが主役とばかりに咲き誇る桜なのに、この場で発見したものは未だ若木で、周りの新緑の勢いに押され、ともすればのみこまれ、遠慮がちにひっそりと花弁を開いていた。
『…おまえから初めて貰った花と同じだな』
感慨深そうなルチャブルの声音。無論、ゲッコウガも覚えている。当時、まさか自分が「花を贈る」という発想をするとは思えなかったので、自身の意外な一面を発見した気がして驚いた。花を見るたびに己のことを思い出してもらおうと、そうした紐付けを狙ってルチャブルの記憶や心に残ろうとした思惑は否定しない。しかし同時に、喜ぶ顔を見たいと思ったことも偽りのない事実で――そう、喜ばせたいと思うほど他者に入れ込むのは、この恋が、最初で最後だ。
一般に知られる品種とは違い、牡丹のように花弁を重ねて咲かせる八重桜は、花と共に赤みがかった新芽も芽吹かせるので、また一味違う風情を漂わせている。
ここ一、二年でようやく花が咲くようになったという具合の細い木だ。丈もない。つける花の数だってたかが知れている。お偉方の身辺警護のために行楽先までついていくことが多かったふたりは、もっと絢爛豪華に、匂うように咲いては虚空に吹雪く花景色を目の当たりにしたことがある。着物の柄がそのまま外へと描かれたような、これほど心を震わせる眺めが世の中にあったのかと感動する桜並木も知っている。音に聞く名所には、幾度となく足を運んできた。
だが、今は、そうした見応えを求めているのではない。美麗な景観を欲したわけでもない。偶然の景色から不意に美しいものを見つけ出した、そんな気分だった。
ふたりきりで野に出て、花を見る。そのことに関して、互いの心に通い合うものがあった。
ゲッコウガは、それとなくルチャブルの方へ視線を戻す。綺麗なものをそのまま素直に受け取り胸の内を温める彼の姿の方が余程好ましく、見惚れる一方だった。もうこれ以上はないと何度も思っているのに、心は容易く更なる深みに踏み込んでいき、この一羽に果てなく惹かれていく。
鳥の双眸は、桜を映したままだ。次に目が合ったとき、彼の目がこちらへ向けられたとき、何を告げよう。
もう二度とひとりにさせないから、おまえもオレをひとりにするな。ずっと一緒にいてほしい。春が巡ってくるたびに、こうして共に
この場で愛を囁けば、どんな表情を見せるだろう。照れて黙すだろうか。いつもながら唐突だなと呆れるだろうか。
それとも、想いに応じて、優しく微笑んでくれるだろうか。
ふたりの間を抜けて、また一枚、飛花がひらりと踊って着水する。
水の流れに身を任せて
【 了 】