※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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【 概要 】
 ルチャブルに片想いをしていたキルリアの話


第一話*派生Ⅰ

 当時、私(わたくし)も、姫様と共に見ていたのです。

 彼は煌びやかな鳥籠の扉をくぐり、まるで十二単みたいに豪奢な多色の羽をはためかせ、畳の上に真っ直ぐと立っておられて――その様は、華麗の一言。その誇り高い眼差しが、心の在り様が、私を魅了してやみませんでした。

 

 鳥の君が異国の地より連れてこられたことを、私は知っていました。彼からは、どこか遠くの森の、青い草木の香りがします。大海を知らず、代々人間に仕えて暮らしてきた温室育ちの私とは雲泥の差。きっと、厳しい野生の世界で雄々しく生きてこられた御方に違いないのです。

 なればこそ、慣れ親しんだ場所から引き離されようと、見知らぬ人間たちに取り囲まれようと、怯えもせずに背筋を伸ばしている。なんと凛々しい殿方なのでしょう。うっとりと目が蕩けてしまった自分を、私は、確かに感じていました。瞬時に憧憬が湧き起ころうとも何ら不思議ではない、そんな、他者を惹きつける何かが彼の身から放たれており、私はその光へと素直に惹かれる一匹のガーメイルのようなものでした。

 

 

***

 

 

 姫様の側仕えであった私は、すぐに、彼の元へと近寄りました。

 両者の背丈は同じほど。よって、視線の高さもほとんど差がなく、私は、蜂蜜の色をした甘やかな双眸をじっと見つめることが叶いました。私の目が持つくすんだ赤い色を恥じて隠してしまいたくなるほどに、彼の瞳は美しく澄んでいて、さながら宝石のようでした。

 

『お初にお目にかかります。私は、キルリア。あなた様のことは何とお呼びいたしましょう』

『…ルチャブルでいい』

 

 彼の声を初めて聞いたのは、他ならぬ、私でした。姫様よりも先んじて私が一番乗りです。それだけのことなのに、なぜだか無性に嬉しかったことを覚えています。

 

 私は、殿方が苦手です。出会えば、その多くは品のない視線を投げかけてくるので、いつしか関わり合うことを避けるようになっていました。

 だけど、ルチャブル様は違います。

 温かな声音は窓辺の陽だまりを思わせました。私を見てくる目の奥に、不穏なものは何一つ含まれていませんでした。

 

 安心できたのです。

 会ったばかりの御方なのに。

 

『それでは、…ルチャブル様。私は長らくこの城に仕えている身の上です。ここでの生活の基本は、お伝えできるかと思います。差し出がましいようですが、…どんなに些細なことでも構いません。遠慮なくお尋ねくださいませ』

『わかった』

 ――ありがとう。

 この一言を聞いたとき、私は心底驚きました。殿方でも御礼を言えるのだと、そんな衝撃が、私の中を矢のように飛び去っていきました。

 殿方を立て、その前を歩かず、黙ってかしずく。私は下の者として控える。これが常でした。よもや殿方から感謝の言葉をたまわる日がこようとは想像だにしません。

 私の心が安寧としていられるのは、姫様の側と、同性の仕事仲間の中だけだと、そう思っていたのです。しかし今このときを以て、私の胸中に、ぬくとい未知の喜びが芽生えたのでした。

 

 

***

 

 

 ルチャブル様は肩肘を張ったりすることなく、率直に、何でも訊いてくださいました。教えを乞うに躊躇いはなく、無知こそ恥だということをご存知でした。そんなところもやはり、「雌になぞ頼れるか」と居丈高に振舞う殿方とは、違うのでした。

 

 粗相を見せないその一方で、彼は、新しい環境に馴染もうとすることで精一杯の御様子。それも当然といえましょう。文化の違いは元より、ここは貴族の方々が住まう場所。何もかもが、そう、…語弊を恐れず言わせていただけるのなら、「一般」とはかけ離れているのです。疲弊も致し方ありません。

 加えて、身を置くこの場は「北の対」。女の香りが染みついた空間。他の殿方がいないというのも、さぞやお辛いことでしょう。私が彼の立場なら、殿方の中に私ひとりだけが放り込まれたなら、怖くて泣いてしまいますもの。

 

 何らかの労働に従事すれば、少なくとも働いているうちは物思いを忘れることができたかもしれません。

 でも、…あまりこんなことは言いたくないのですが、ルチャブル様はあくまで姫様への「献上品」であったがために、愛でる対象として留め置かれたのです。彼の見目麗しさと相まって、まさしく「飾り」と呼ぶのが相応しい。

 ただ私は、この現状に、首を傾げるほかありませんでした。

 何をせずとも衣食住が保障されているこの暮らしが、何だか、…彼には似合わないのです。そして、どうやら私が言うまでもなく、ルチャブル様御自身が懐疑的でいらっしゃるようでした。

 彼がこの城に来てから二週間ほどが経った頃でしょうか。

 おもむろに口を開いて、言葉をこぼされたのです。『何か役に立てたら』と。

『…今の生活は、お気に召しませんか?』

『気に入らないわけじゃない。大事にされているのは分かるし、感謝してるんだ。

 …もっとも、俺には贅沢に過ぎるが』

 自ら動かねば死に直結する生活が当たり前だったからこそ、一方的に与えられるばかりでは身を持ち崩しそうだと危機感を募らせている――そうしたことを、とつとつ、話してくださいました。

 

 ルチャブル様のあたりが穏やかで優しいことは、すぐに北の対でも評判になり、姐さん方も相好を崩すことしきりでした。気の早い御方などは、秋波を送ることもあったようです。困ったように照れるルチャブル様の仕草が、その不器用さがいいのだとおっしゃっていましたが、…はて。

 さておき、あまり自覚がない御様子でしたが、彼の気取らぬ態度は好かれていましたし、何より姫様も気に入っていらっしゃいました。女の生活空間とはいえ日常的に力仕事が必要で、その際は「飾り」の立場を脱して度々手助けしてくださいました。男手一つが加わるだけでこんなにも楽になるのかと、本当に頼もしくて、…しかしながら、ルチャブル様のおっしゃる「役に立つ」とは、そういうことではないのでしょう。

 私を信用して打ち明けてくださったことが嬉しかったのに、私は、…彼へ提示するに足る言葉を、持ち合わせてはいないのでした。

 

『ルチャブル様。…私は美しいでしょう?』

 

 代わりに放った出し抜けのセリフに、彼は面食らったようでしたが、それでも『そうだな』と同意してくださいました。

『私は感情ポケモン。周囲の感情に触れて成長を遂げる性質を持ちます。

 姫様の側仕えである私が美しいということは、つまり、姫様の心の美しさを反映してのことなのです』

 だから、私はルチャブル様の感情をも読み取っていました。

 今の彼は、秋の心と書いて「愁」となるように、…この物寂しい季節に似た、こっくりとした哀色の感情を湛えています。

 少しでも晴らせたらとは思うものの、こんなときに空回りをするのが、愚鈍な私なのです。

『美しくあることが私の存在意義です。もし私が変調をきたしたら、それは周囲に不穏な異変が紛れ込んでいるということ。あるいは、姫様の御心に陰りが差しているということ。

 そのようにして、私は日々、「現在の状態をさし示す目印」として機能しています。…私ならではの役割です。

 そして、この立場は、時をかけて築いてきました。一朝一夕とはいかず、周りの信頼を獲得しないことには何も始まりません。

 ですから、…焦る必要はないかと存じます。きっと、ルチャブル様だからこそ成し得る役割が必ず見つかりますよ』

 そう言いながらも、私は無力でした。

 もどかしかった。慰めでも励ましでもない、いかにも抽象的な言い方でした。彼が求めていたであろう具体的な解決策ではないのです。

 見当違いなことを言った自覚はあります。ですが、ルチャブル様は変わらず優しい御方なので、『参考になった』と微笑んでくださるのでした。

 

 

***

 

 

 ルチャブル様の口の端からぽたりと漏れ出た弱気が乾こうかという数日後のことでした。

 

 姫様を亡き者にしようとたくらむ、敵の凶刃。

 それが、まさか城内にまで入り込んでくるとは思いもよりませんでした。

 

 賊の侵入を阻止できなかった原因は、警備の隙を衝かれたことはもとより、御庭番の方々が遠方任務についていたがゆえ戦力不足だったのだと聞きました。後の話です。

 当時は只々守られることに慣れきっていた所為で、北の対は混乱を極めていました。

 

 障子が蹴破られたことで風が通り、表の騒音がなだれ込み、そして――屈強な悪漢が徒党を組んでやってきた、あの瞬間。

 鋭利な切っ先を向けられて、私は、身体が竦んでしまったのです。

 

 姫様が、着物の袖で隠すように私を覆って抱きしめてくださいました。

 嗚呼、…違います。違います、姫様。本当は、私が、あなたをお守りするべきなのに。

 身を挺して姫様を庇うこともできず、戦うことを知らぬために技をふるうこともできず、震えるばかりの矮小な私。

 

 こんな有様でしたから、涙で歪んでいく視界を紅い翼がよぎったとき、…このとき感じた安心を、どのように言い表せばよいものか、私には見当がつきません。

 

 それはそれは鮮やかな身のこなしでした。

 武器を恐れず、その軌道をも看破して、勇猛果敢なルチャブル様の攻撃が閃きます。

 敵は次々と突かれ蹴られ投げられ宙を舞い、それはまるで、不要なものを焚火へとくべていくような軽やかさ。

 彼はたった一羽で、全ての荒事をいなしてみせたのです。 

 

『以前、おまえが言っていた通り…』

 振り向きざまに、ルチャブル様は笑いかけてくださいました。

『…今回は俺だからこそできることで、役立てた気がする』

 呼吸ひとつ乱すことなく、そんなことを、おっしゃるものだから。

 私の心は見事に射貫かれました。

 後にも先にも、私をこんなにも心酔させたのは、この御方だけでした。

 

 

***

 

 

 以降、姫様の護衛という立場を自ら確立なさったルチャブル様です。彼と共に主君に仕えることのできる喜びは、この上ないものでした。

 いつまでも、いつまでも、こうして温かな時間が紡がれていくのだと信じていました。

 

 でも、現実は。

 この世は諸行無常と申します。

 

 彼と出会った秋が遠のき、散りゆく枯れ葉に代わって山茶花が色付き、寒さが深まる夜でした。

 厠へと起きて部屋を出たことがきっかけで偶然にも知った、縁側での、真夜中の談笑――私は、通路を進むことができませんでした。目的の場所へ向かうにはそのまま廊下を右に曲がる必要があったのですが、ここから目視はできなくても、曲がった先に誰かがいることは明白でした。

 このときの私は、二つ分、感情の揺らぎがあることを事前に察知していたのです。一つは、日頃より身に染みて承知しているルチャブル様の感情。もう一つの心の持ち主は、…とんと覚えのない御方でした。

 

 夜更けに、私の知らぬ誰かが、彼の隣にいるという事実。不可解でした。私が知らないのですから、相手は、北の対で寝食を共にしている仲間ではありません。別の部署で働いている御方が忍び込んできたのだと考えるのが妥当でしょう。

 

 ルチャブル様の感情は、いつになく安らかでいらっしゃいました。いかにも親しく、隣の御方に心を許していることが、ありありと知れました。異性の前では出てこなかった心の動き…きっと、このお話し相手もまた、殿方なのです。いったい、いつの間に知り合ったのでしょう。いつから、密やかな夜のひとときが始まっていたのでしょう。直接彼に訊くことは憚られ、それでも気になることが、沢山ありました。

 同時に、背筋が冷える思いでした。もちろん気温の所為ではなく、…さて、何と形容したら適切なのか…。私だからこそ知り得た見知らぬ殿方の心が、そこにありました。ルチャブル様はお気付きでない、しかし間違いなく彼に向けられた、どろりと粘着質な感情。

 

 …執念…とでも申し上げましょうか。

 

 途端に、私は恐ろしくなって、踵を返しました。

 部屋を出てきた理由は、もう、すっかりどうでもよくなってしまっていて、急いで戻った後はすっぽりと頭から布団をかぶるほかありませんでした。

 

 私の勘違いだったのかもしれない。

 努めて、そう思うことにしました。

 

 何にせよ、ルチャブル様の心を軽くするために必要な時間なら、私が水を差すのは筋違いだと。

 そうした屁理屈をこねて、私は、未知との遭遇から逃げ出したのでした。何より、…私には見せてくださらないルチャブル様の表情があるのかもしれないと思うと、その可能性から目をそむけたくなるほどに、悲しかったのです。

 

 

***

 

 

『主から賜ったものだが、これは俺よりお前の方があつらえ向きだ』

 そうおっしゃるルチャブル様が私に手渡したのは、小さな友禅缶です。

 側面に貼られたくす玉柄の和紙が可愛らしく、素敵な小物をいただけたことに舞い上がってしまって、私はつい御礼の言葉を言いそびれるところでした。

『…あの、…何か中身が』

 微かに、音がします。空筒ではない様子でした。

 見遣ると、彼は、優しい表情を浮かべています。

『中身ごとやる。開けてみるといい』

 促されるままに蓋を取った瞬間、私の口から出てくるのは感嘆の溜息ばかりでした。

 色とりどりの金平糖です。作るには大変な手間と時間がかかる代物と聞きます。それだけの価値と輝きが、平たい丸筒の中に敷き詰められていました。星のかけら、…あるいは花畑。雪がちらつくような季節にあって、この場にだけ、どこよりも早く春が訪れたような彩に溢れていました。

『なんて愛らしい…。ですが、…全部というわけには』

『それでいい。菓子も、名花の口に入るなら本望だろ』

 さらりと出てきた称賛でした。名花、だなんて。ルチャブル様は、褒めることを惜しむ御方ではありません。ごく自然に、心に浮かんだことを粉飾せぬまま言ってくださっているのだと分かるから、嬉しくなります。

 

 こうして、また一段と強まっていく、私の秘めたる慕情です。

 

 同部屋で、仲良しのアママイコと、こっそり甘味を分かち合いました。砂糖菓子は贅沢品です。少しずつ少しずつ、味わって食べました。

『ねえ、キルリア。あなた、愛しの君には何も告げないの?』

 こんな贈り物までして。向こうだって思わせぶりじゃない。

 アママイコはそんなことを言うのですが、…違います。むしろ、思わせぶりなものとして受け取ることができたなら、どんなによかったことでしょう。

 貰った金平糖に込められているのは、清々しいほどに、無色透明な親切心でした。

 より相応しい相手に。普段から世話になっているから。ただ、それだけのことなのです。

 対等な同僚として接してくださることは光栄です。言うならば、それ以上でもそれ以下でもない、私たちの現状でした。

 しかし、アママイコの言葉によって背を押されたことも確かなのです。私は、いつぞや、ルチャブル様に向けられていた誰かの濁った感情を思い出していました。当時の私がいささか傲慢だったことは否定しませんが、それでも、私ならもっと清らかなもので彼を包むことができるはずだと信じたのです。

『春になったら、…きっと』

 私は、同室の友だちに、そのように答えました。

 冬は生き物の心身が縮こまり、こごってしまいます。春になって、暖かくなって、柔らかくなって、明るい気持ちになって、…そんなときにこそ――好意の言葉は相手の奥まで届くはず。

 

 好き、という一言。

 この金平糖のようです。小さく、甘く、だけど、それを口にする心の準備が整うまで手間も時間もかかるのですから。

 

 

***

 

 

 この城では、よく、宴会や茶会が催されます。

 城主の一族は風流を好むのです。四季折々の変化を愛で、行事を楽しんで、その後に酒宴が開かれるのでした。

 

 実は少し、私は、催事を物憂げなものとして捉えています。

 

 庭園が満開の桜で飾られたときなどは、壮観です。美しさの中に儚さを潜ませ、幽遠の趣すらありました。しかし、人々の心を騒がせてやまない艶やかな桜の花でさえ、私の胸の内を晴らしてはくれませんでした。

 

 特別の場で、私は、来賓を前に舞を披露するよう仰せつかることが恒例となっています。

 舞うことは好きです。

 でも、私が舞うと、どうしても視線を集めてしまう。そこには、こちらを称えてくださる以上の、…欲が。下卑た感情が。私を、私として見るのではない、都合のいい性の玩具として品定めする意図が、あって。

 それらを一身に浴びているうちに、どうしようもなく、吐き気がこみ上げてくるのです。

 

 今春も、憂鬱でした。果たして、予期していた通りの展開となりました。

 私は、爛漫な日差しの中で、桜と共に戯れていたいだけなのに。

 舞い手としての思いを踏みにじられ、汚された気がして、…私は舞台から降りるや否や逃げ出しました。居ても立ってもいられませんでした。震える手では、お酌もできません。以前、身体を無遠慮に撫でまわされたことがあるので、酒盛りに駆り出されることも大変な恐怖でした。

 

 恐れを振り払いたくて、会場から離れたい一心で、私は城内の端に位置する薬園まで足を延ばしていました。ここは私の背丈を具合よく隠してくれる低木の植え込みが多いので、気に入っています。嫌なことがあったら、落ち着きたいときがあったら、よく訪れている秘密基地なのでした。

 花も実も目に楽しく、薬用にもなる花梨の木。その根元に座り込みます。

 静かでした。

 静かである、はずでした。『キルリア』と私を呼んでくださるルチャブル様の声が届くまでは。

 

『…どうして、』

 

 見開く私の疑問を受けた彼は、何と言ったものか言葉を探すように、目を伏せていらっしゃいました。

『おまえ、今日は香油を塗られていたろう。残り香を辿るのは案外容易かったぞ。

 …それに、アママイコから聞いた。こうした催しの後でおまえが不調になると。主も、舞が終わった途端におまえの姿が見えなくなったことを心配していた』

 だから探しにきたのだ、と。

 そして。

『…俺は、おまえに近寄ってもいいのか』

 私がなぜこんな所で人目を避けているのか、その理由を察してくださっているからこその確認でした。

 どこからか、沈丁花が香ります。

 その匂いに誘われるように、私はたまらなくなって、思わず手を伸ばしてしまうのでした。

『今は、あなたからの心配が何よりの薬です。…どうか、側に』

 彼は、そっと私の手を取りました。

 片膝をつき、視線を合わせて、『歩けるか』と尋ねてくるその気遣い。心が洗われるようです。ルチャブル様は、弱りきった私に対して、どこまでも親身になってくださったのでした。

『ッ、…おい、』

 珍しく、動揺した声音。

 でも、この機会でなくて、一体いつ彼の胸元にすがりつけばよいのでしょう。

 私は思いきって、彼の柔らかな羽毛に身を寄せたのです。浅ましくも、恋い慕う御方の腕の中にいる幸せを噛みしめてしまいます。

『…お願いです。私を助けると思って、もう少しだけ、…このままで…』

 すぐ耳元で、呆れたような溜息が聞こえました。

 叱られるかしら。そう思ったのは杞憂で、それどころか、私は両翼の帳(とばり)にすっぽりと覆われてしまうのです。

 翼の表は秋の紅葉を思わせるのに、内側の羽は春らしい若葉色をしていました。美しい柳緑が、私の四方を包み込みます。

『泣くなら今のうちだぞ』

 囁かれた声の、なんと優しいこと。

 彼の声と一緒に、私は、鼓動を聞いていました。

 とくん、とくん、とくん――鍛え抜かれた逞しい胸筋の向こう側では、世界で一番温かな音色が奏でられていました。

『俺は何も見てない。聞いてない。誰かに言ったりもしない。だから。

 …泣く場所くらいは貸してやる』

 その慈愛に、胸がつかれる思いです。

 そして、ここまでしても尚、彼の心臓は早鐘を打ったりはしません。頬を赤らめたりもしません。女としては意識されていないことの表れでもあり、自らしなだれかかっておきながら、哀しくもあるのでした。

 

 私は、私のあらゆる感情を全て押し流すために、涙をこぼしました。彼は、わざわざ、私の泣き顔が外に漏れぬよう隠してくださっているのです。遠慮はありませんでした。白い羽毛がどれだけ湿ろうと、ルチャブル様は何も言いませんでした。

 

 目が腫れることも気にせず、泣いて、泣いて、泣いて。

 いつしか私は、好いた御方の温もりに甘えて、瞳を閉ざします。このまま目覚めなければいいのにと、そんなことを願いながら、まどろみに身を託すのでした。

 

 

+++++

 

 

 やはり気配に敏く、彼は、すぐに顔を上げてきた。

 音もなく近付いたはずなのに、毎度のことながら感心してしまう。

 

『邪魔したか』

 

 ルチャブルの腕の中で眠る雌の、その細首を絞めてしまいたいという思いをこらえて、声をかける。

 彼は心底くだらないものを見る目つきで、こちらを見遣ってきた。

 

『そんな色っぽいもんじゃない』

『どう見ても逢引きでござろう』

『…落ち着くまで側にいてやっただけだ。寝落ちは俺も想定外だが』

『落ち着くまで?…御令嬢の目元が赤いな、泣かせたのか』

『人聞きの悪いことを言うな!』

『御主のことだ、つれなく袖にしたんだろう?にくい奴め』

『だから!違う!さっきから何だ、わざと言ってるだろ』

 

 からかいに頬を膨らませつつ、北の対に戻るつもりか、ルチャブルはキルリアを抱きかかえて歩き出す。

 いかにも大切なものを扱う彼の仕草を見て、胸の奥が、どす黒く焦がれていく。

 忍のくせに悪意がうっかり外へと滲み出そうになったので、軽口をたたいて咄嗟に誤魔化した。

『御主も隅に置けんでござるな。キルリアから信頼を寄せられるとは…』

 

 これまでにルチャブルの口から彼女の話題が出たことはなかったので、彼がまったく意識していないことは明らかだったが、どうもキルリアの方は違うらしい。

 こいつは、雄を怖がることで有名だったはずだが。

 自分の泣き顔を見せるほどには心を許し、弱さをさらすことに抵抗のない相手としてルチャブルにすがり、すっかり身を委ねているその可憐な様が、こちらの憎悪を否応なく煽ってくる。

 

『…やけに含んだ言い方をするな?』

『舞姫キルリアと聞けば、領内でその名を知らぬ者を探す方が難しい。絶世との呼び声も高いからこそ、…この城での宴に招待されたなら、人間の男も含めまず断らん』

 

 こっちはこっちで、庇護欲を焚きつけておこうか。

『時には媚びて、事あるごとに周りの機嫌をとらねばならない彼女は可哀想だ』と、そんなことを言っておいた。『心労心痛はいかほどか』…なんて、心にもないことを平気な顔で言えるのが己の長所だと思っている。

 

 こうしておけば、ルチャブルは性格上、「せめて自分だけは味方でいてやりたい」と思うはずだ。「キルリアを傷つけないために」「異性として決して意識することなく」振舞わねばならないと、固く決意するだろう。実際、そうした誠意が、彼の中にはあった。間違っても「自分のものにして他の雄に牽制をかけよう」などという発想は持たない、そんな、安定した安心感のある漢だ。

 いっそ己とは相容れないほどに潔く、気高く――いずれその心を、こちらだけに傾けてほしい。

 世間知らずの小娘に譲る気など、毛頭ない。

 

『…彼女が信用してくれているというのなら、応えないとな』

 呟くルチャブルの横顔は、雌に頼られて喜ぶ安上がりな雄のそれではない。

 純粋に、キルリアを案じているだけの、それ以外の余計なものが取り払われている回答。 

 

 見込んだ通りだ。

 御主なら、そう答える。

 

 だから、好きだ。

 

 

+++++

 

 

 せっかくまんまるに肥えておきながら、もったいなく光を霞ませる朧月の夜でした。

 母屋の屋根に佇んでいると、果たして、闇の中から声がしたのです。『こんなところに著名な舞姫がひとりとは、刺客に狙われるぞ』と。

 

『皆が寝静まった頃に抜け出すのは、心楽しいことでもあるのですね』

 ルチャブル様に会いに来るときは、いつもこんな気持ちでいらっしゃるのですか。

 そう尋ねると、薄紅の瞳がきゅうと細くなりました。矢をつがえたままに引き絞られる、弓の弦を思わせます。

 

『初めまして。あなたの顔も名前も存じません。ですが、私は感情を読みます。あなたが私に向けてくる、その視線の意味さえも』

 私は美しい。私の容姿は姫様の心を映すのだから、美しくなくてはおかしい。そう信じています。美しくあることに誇りを持っていますが、人目を惹くがゆえ、妬み嫉みを向けられることだって数えきれないくらいにありました。

 私に言い寄ってくる殿方は掃いて捨てるほど。正直、いい迷惑です。それをお高くとまっていると女性陣からやっかまれたことだって、度々。

 放っておいてほしいのに、三角関係のもつれに巻き込まれてうんざりし続けてきた私です。ゆえに、目の前の彼が容赦なく突き刺してくる眼差しは、とても馴染み深いものでした。

 

 学習済みです。それは、恋敵に対する、明らかな敵意ですもの。

 

『あなた、…ルチャブル様のことがお好きなんですね。

 私もそうです。あの御方の温かさには、もう、何度も救われている』

『…何が言いたい』

『待っていたんです。あなたと話してみたかった。私がひとりでいるところを見かけたら、来てくださるのではないかと思って』

『釣られてしまったか、…拙者としたことが』

 その台詞の割に、彼からは動揺が見えません。不敵な笑みが深まるばかりです。

『来ますよ。あなたも、敵情視察くらいはなさるのでしょうから』

『…おまえなど歯牙に掛けるまでもないと捨て置きたいところだが、この現状ではな。説得力も失せてしまう』

『私、知ってます。一対一の喧嘩を、タイマン、というのでしょう。言いたいこともありますし、受けてくださいな』

 ふっと小さな息が抜ける音がしました。

 何やら鼻先であしらわれた気がします。

『随分と乱暴な言葉を使う。見た目の通りに芯もなよやかなものと思っていたが、なかなかどうして、強気でござるな』

 彼は、一定の距離を保ったまま、近付いてこようとはしません。

 この場から去るわけでもありません。

 話を聞いてくれるつもりなのだろうと解釈して、私は、口を開きました。

『あなたがルチャブル様を想うとき、その胸にはどろりとした感情が渦巻いているでしょう?…斯様に毒のような想いを寄せられては、相手は苦しかろうと思います。ですから、』

『身を引けと』

 

 彼は、相変わらず笑っています。それなのに、声だけは、聞く者が凍りついてしまいそうなほどに冷たいものでした。

 わななく脚を叱咤しなければなりませんでした。ここで膝を折るわけにはいきません。私をいつも助けてくださるルチャブル様は、今は、いないのです。

 去年の、冬の夜。

 あのとき、私はこの殿方から逃げ出したのだと、今なら分かります。今度こそ立ち向かわねばならないと、そう思いました。

 ルチャブル様をお慕いする気持ちで、負けたくはありませんでした。

 

『あなたの恋は、あの御方の持つ孤独に寄り添うのではなくて、破壊する類のものに思えます』

『彼を苛むものを消し去ることこそ最善手だ。欠けたものがあると言うなら拙者で満たす。埋まらぬ空白があると言うなら塗り潰す。…忘れさせてみせる』

『…なりません。孤独を抱えるのは、ひとえに、この城に来る前の関係や思い出を大切になさっているという何よりの証。

 私は、彼が慈しむ思い出を消すことは避けたい。そこから積み上げていきたい。共に新しい道を歩んでいきながら、思い出の数こそ増やして差し上げなければ』

『さすがは生粋の北の対育ち。

 純粋培養の善意というわけか、やけに美しい答えを紡ぐ』

 言葉だけを見れば称賛で、感心かと思いきや、単なる揶揄。疑いようのないことでした。

 一応遣り取りが成立しているけれど、まともに取り合ってはくれない。そんな印象です。

 彼は、己のやり方こそが正しいと信じきって、それ以外を排除しようとしているのでしょう。同じ空間にいるのに、私は、同じ土俵には立っていないのだということを思い知らされます。

『なんだか、余裕…ですね』

『純粋なものが常に正しく、不純なものが常に間違っているのだと、そう思っているうちは――おまえは勝てない』

『それに』と追加して、彼は、針のような言葉を残していきました。

『所詮、おまえはルチャブルにとって、大勢の中のひとりでしかないからな』

『…あなたは、違うとおっしゃるの』

『無論』

 喧嘩は引き分け…とは、いかなかったようです。

 激しい言い争いでこそありませんでしたが、それでも私は、一方的に打ちのめされたように感じました。

 彼の毒気に満ちた笑みは片時も揺らがず、言い返せなかった私に一瞥をくれて、そのまま――夜の漆黒に溶けるようにしていなくなってしまうのでした。

 

 

***

 

 

 名乗ることさえなかった、蛙の殿方。

 あの御方は、どうして、確信を持てるのでしょうか。私は、『春になったらきっと言おう』と決めていた告白さえ未だ口にできていません。そのくせ、今にも誰かが、ルチャブル様とわりない仲になってしまうのではないかと毎日が気が気でないというのに。

 周りの者など端から眼中にないかのような言動。もしや、誰が群がろうと堂々と押しのけて、決定打を寄こすのが、先ほどの彼だとでもいうのでしょうか。

 それだけは、我慢がなりませんでした。

 深夜の屋根に取り残された私は、決して使うまいと思っていた力を、今こそ解き放とうと意気込みました。

 私たち超能力(エスパー)の使い手は、仕組みの言語化さえ不可能な、不思議な術を扱うことができます。透視をしたり、手も道具も使わずに物を動かしたり、催眠を誘発したり。

 未来を、予知したり。

 私は、知らぬ方が幸せなこともあると知っています。これから何が起こるのか…それを事前に知るということは、時に恐怖をはらむものだと承知しているのです。私は予知の力を秘密にしていましたし、今は亡き母も、誰にも言ってはいけないと口を酸っぱくしておりました。

 その禁を破ろうと思い立ったのは、恋の確証を掴もうという、身勝手な、泣きたくなるほど愚直な一念によるものでした。

 私はどうしても見たかった。

 ルチャブル様と私が今後とも共に在る未来を、あの殿方ではなく私がルチャブル様の隣におさまっている未来を、確認して、安心したかったのです。

 

 

 時空を歪ませて、未来をのぞき込み――私は立ち尽くしました。

 

 

 ――嗚呼、……やっぱり。

 あの殿方は、嘘つきです。

 不純は間違いです。悪なのです。幸せなんかくれません。

 だって、ほら。

 私が、声を押し殺して泣く羽目になる。

 私欲にかられて、不純な動機で力を発動させたことは、今となっては悔やんでも悔やみきれない過去の汚点です。

 

 この一夜が、全ての、「終わりの始まり」でした。

 

 

***

 

 

 私の歩む未来から、遠からず、ルチャブル様はいなくなる。

 それと知れた以降、私は、…彼と、穏やかな日常を共有することだけを望みました。一日、また一日と、彼と過ごせる何気ない幸福を心の中に積み上げていくことを選んだのです。

 

 そのうちに、私には、分かってしまいました。

 ルチャブル様の心の中に、見慣れた色合いを見出したためです。恋する姐さんたちと同じ色が見え隠れしているので、嗚呼ついにあの猛毒に侵食されたのだと、祝福より先に未練がましく胸を痛めた自分が嫌でした。

 

 彼がこの城に来てから二度目の春を迎え、それはちょうど花水木の白い弁が咲き開く頃だったと記憶しています。慶事です。姫様の縁談が、まとまったのでした。

 このめでたい出来事は、終焉をも引き連れてきました。

 姫様と、私。ルチャブル様と、私。

 ――これきりです。

 護りの要として彼は嫁ぎ先へと同行し、私の前から、予見していた通りに姿を消してしまいました。

 

 私がサーナイトに進化したのは、その後しばらくのことでした。

 この変貌は、ラルトスからキルリアへと進化したときとは質を異にしていました。姫様の感情に触れての成長ではありません。私自身の中に蓄えられていた哀しくも幸福な失恋の情に依って引き起こされたものでした。

 

 悲哀によって身体が作り替えられたことが原因でしょうか。私が身にまとう気配は、全体に、仄暗くなりました。憂いがつきまとい、果てにはこびりついて、剥がせなくなっていました。

 無邪気に無心に舞うことも忘れ、陰を帯びたことで、むしろよりいっそう美しさが増したと――私は褒めそやされるようになるのですが、いっとう褒めてほしい御方は、もういないのです。

 今の私が、一番、綺麗。

 この姿を、誰よりも先に、あなたに見てほしかった。

 あなたの目に映る私の姿がキルリアで止まってしまっていること。それが、たまらなく、悔しい。

 

 私は、ルチャブル様の前では常に美しく聞き分けのよい娘であろうと誓って過ごしてまいりました。

 でも、最後くらい、…わがままを言ってみればよかったのかもしれません。

 私を選んで、と。

 どこにもいかないで傍にいて、と。

 あなたとの卵が欲しいと――そう言って、困らせてやればよかった。

 

 どうか、愚かと、憐れんでください。

 今も変わらず、私は、あなたを想いながらひとりで泣いています。

 

 

 あなたに寄せた私の心が決して帰らぬものと知りながら、それでも、なお。

 

 

 

【 了 】

 

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