夏柳の青々とした葉をそよがせていく風が、汗ばんだ身に心地好い。
この場に風鈴はないが、川面に長く枝垂れる柳の細枝がさやさやとたてる音には素朴な清涼感があった。
日の長い夏も、ようやく夕暮れに差し掛かろうとしていた。夕焼け空の下、ふたりは足元を水に浸して涼を取りつつ他愛ない談笑をしていたのだが、不意に、そろって押し黙る。
ちらりと互いに視線を寄越す。目が合う。ふたりのもとに到来したものは、幻ではなく、見間違いでもなく、両者が共に視認していることを確認する。
その後、束の間の沈黙は、ゲッコウガが先んじて口火を切ったことで破られた。
『…柳は古来、陽木らしい。だから、陰の気を持つものは引かれやすい…とか、何とか』
木偏に卯と分解してみると、「卯」を含むのだから確かにめでたい。卯とは方角にして東、太陽が昇ってくる。人里でもそう、水辺という陰の気が強い場所によく植えられるのは、陰陽の中和を考えてのことなのだろう。風水的な意味合いだけでなく、水害防止という実用性にも秀でている。事実、強靭でしなやか、根もよく張る植物だ。挿し木で容易に増え、仮に倒木となろうがすぐに発芽してくる逞しい生命力を考えても、いかにも「陽」に満ち満ちた樹である。
『陰ってことは、
『多分な。まあ、所詮はあのクソ…、…、…ブラッキーが言ってたことの聞きかじりでござる』
全然言い繕えてないぞとたしなめつつ、ルチャブルは『情報源がブラッキーなら、陰陽がどうのっておまえの話も案外当て推量じゃないな』と、むしろ納得している。なぜだかルチャブルは、妙にあの法螺吹きな文学者気取りに一目置いていたらしく、それは常盤ノ国にいたときから度々感じていたことだが、ゲッコウガにはどうにも面白くない。
さて、このふたりが何ぞ怪談めいたことを話し始めたのは、今まさに火の玉がどこからともなくふらりと出現した所為だった。それにしては慌てふためく素振りもなく、全く悠長に遣り取りを交わしているわけなのであるが。
あまりに現実離れしている光景が、かえって恐怖心を低下させている。たった一つだけ、火の玉がゆらり。青白い炎ではなく、見るからに元気いっぱいに赤々としているのもいけなかった。夕陽と相まってそれなりに綺麗な現象に見えてしまい、その瞬間から、怯える対象ではなくなる。あからさまに怪異であるから無視できないだけで、不気味には思えなかった。
ゲッコウガはルチャブルとの時間を邪魔されたことを単純に苛立ち、ルチャブルにいたっては、周辺の植物に、それこそ柳の葉先にでも火が付いたら大変だと別の心配を始める始末。河原だから消火の水には事欠かないなとか、いざとなったらおまえが水技の一つでも放つんだぞ分かったなと、もうそんな段まで考えを巡らせている。
『相手が炎型にせよ霊型にせよ、おまえのカモだろ。任せるぞ』
『承知した』
安請け合いをするが、さあ、どうするか。適当に水手裏剣でも見舞ってみるか。今一つ身が入らない間にも、火の玉は距離を縮めてくる。
『 嗚呼、ようやく見つけた 』
すぐ傍でひび割れた銅鑼を鳴らされたような、耳障りな嗄れ声。怪異に怪異が重なるとすれば、まあ、声の主はこの火の玉なのだろう。
見つけた…との言い様。ここで会ったが百年目のようなセリフ。さては怨念か復讐かと思うのも無理はなかった。無言でありながらも、『おまえか』と決めてかかってくるルチャブルの視線が痛い。そんなことはないと潔白を証明できないばかりか、身に覚えがありすぎてどうしようもないゲッコウガである。
『正直に言えば、恨みの類は売るほどだ。相手の顔もいちいち覚えてない』
『だろうな』
偽りなく打ち明けたところで褒められるはずもなく、しかも、欠片さえ否定されない。さすがにへこむ。どうやらルチャブルは、ふたりで旅をしているうちにようやくゲッコウガの素(性格の悪さ)を正しく認識し始めたようで、割と容赦のない意見を飛ばすことが増えてきた。
よし。ちゃんとやる気を出そう。手際も鮮やかに
だいぶ不純な動機でゲッコウガが気を取り直したそのとき、不意を突かれたように視界がぐらついた。茜色の空が見えて、かと思えば河原の小石が顔の前に迫ってくる。
目が回っているのだと気付き、咄嗟に腕と膝をついて身を支えようとしたが、時を追うごとに力が弱まり気が遠くなっていく。
意外にも、…否、怪異らしく、とでも言おうか。精気のない冷えに頬を撫でられた。覚えているのは、そこまでだった。