『あまり不義理なことをしてると、そのうち後ろから刺されるぞ』
寝床に定めた草むらで仰向けになるルチャブルが、尖った声を出す。口調こそ咎めるようなものになっているが、やはりそこにはゲッコウガを心配するような雰囲気も漂っており、結局、彼は優しい。
『そう言われてもなあ…、拙者、御主以外には興味もないゆえ』
明日の天気でも話すような気軽で自然な口ぶりを、かえってそら恐ろしく感じたらしい。呆れたような溜息が聞こえてきた。
実際、ゲッコウガには、今回の反省などまるでない。他者から恨まれるようなことを重ねてきた自覚はあるが、それを悔い改めるような殊勝な心構えなどあろうはずもなく、(ルチャブルは例外として)周りからよく思われようという欲の薄いゲッコウガにとっては痛くも痒くもない出来事だった。重ね重ね罪作りな蛙なのである。
『それはそうと、ルチャブル』
『…なんだよ』
『ふたり揃って怪奇に見舞われたのだから、清めるべきなのでは?』
『…、…どうやって』
予感というやつだろう。
胡乱なものを見る目つきを見せた後、ルチャブルはそれとなくゲッコウガから離れたが、無論、それを見逃す忍蛙ではない。ぐいと距離を詰め直すばかりか、上から覆いかぶさって小鳥を捕らえにかかる。
『ほら、霊魂は性的な生々しさを嫌うというし』
ここでまぐわっておけば解決だな!と、夜間にふさわしくない明朗な声。
清める云々とは正反対の煩悩にまみれた内容を聞いて、『どうしておまえはそう都合のいいことばかり言うんだ』とルチャブルが一喝してくる。
『塩をまくとか
つれないことを言う。はねのけるように立ててきたルチャブルの腕を、しかし平然とゲッコウガは己が手で包んで引き寄せ、身柄を抱き込んだ。
『ッ…離れろ。俺は、…』
『嬉しかった』
相手を遮るようにして耳元へ放った言葉には、確かな効果があった。
ゲッコウガは、たった一言で心の隙間を突いて抵抗を封じてしまう。
『拙者を占有してくれて、嬉しかった』
ルチャブルはぺらぺらと自分の胸の内を話すような性格をしていないので、素面では滅多に語られない彼の想いには、重みと深みがある。怪異そのものは鬱陶しかったが、ルチャブルの本音を聞けたことは素直に嬉しいし、それだけでなく、抱ける口実も得られたとあらば心は浮かれるばかりだ。
『去る者は追わない』と言っていた、いつかの彼を思い出す。
ルチャブルは実直な性格で、ゲッコウガのことも彼なりに大事にしてくれているのだと、それは疑いようのない実感として持っている。それでも己は、引きとめてほしい固執してほしいと性根の卑しいことを考え、妙な不安をかかえてしまった。
しかし、――耐えられる、と、思った。彼もまたこちらのことを「自分のものだ」と思っているのだと、それを言葉にして知らせてもらえるとやはり安心した。
安心させてくれたから、御礼に、どろどろに甘やかしてやろう。
いつの間にか、観念したように、ルチャブルの身体からは力みが失せている。そっと覗き込むと、相手は黙りこくったままでふいと顔を背けた。月明りでも十分に見える紅潮した頬を目の当たりにして、ゲッコウガはうっそりと嗤うのだった。
+++++
流されたというならば、その通りだった。
すぐ間近に迫る口付けを、しゃーなし、ルチャブルは受け入れようとしている。
曲がりなりにも怪談の当事者になっておきながら、怖がるふうもなく、あろうことか堂々と性交にこじつけようとするなんて。どういう神経をしていれば怪異から交尾へと平気で飛躍させられるのだろう。もういっそ罰当たりではないのか。こいつ最低だ、とルチャブルは端的に正鵠を射る。
そうして正しくゲッコウガの性根を看破しながらも、最後まで怒りや嫌悪が湧いてこないのだから、絆されている度合いを思えば自身も大概だった。
弾みで口にした僅かな本音に対してさえ『嬉しかった』と実を込めて言われ、自分にしか向けられない、恋い慕う熱っぽい目で求められるといよいよ手に負えない。期待されたら応えないといけないような気になってしまうのは、責任感という意味では長所といえようが、結果としてつけいる隙になるのなら短所なのだろう。今回は後者で、付け込まれた形なんだろうなと胸中では嘆息しながらルチャブルは口を開けた。
瞬間、硬直する。
口内を這う相手の舌先が、異様に熱い。興奮をそのまま熱へと置換したかのようだった。全身がくまなく触れ合うほどにきつくルチャブルを抱きしめてくる体躯も、腕も、手も、水にまつわるポケモンとは思えぬほどに体温を上げている。
当然のように危険を直感した。
『おまえ、…少し落ち着け』
身をよじって、どうにか接吻を中断させる。いつもならまだ多少の余裕があるはずのゲッコウガだが、今夜は様子がおかしい。最初から何の制御も働いていない気配がする。
『ルチャブルを前にして冷静だったことなんて一度もない』
どろりと、毒をも含んでいそうな艶然とした言い方。相手は機嫌よく口元で弧を描いている。それを見たそばから背中にぞわりと悪寒が走り、今度こそ明確に、ルチャブルの中で警鐘が鳴り響いた。大音量だ。こんなふうに蕩けるような顔つきを見せるゲッコウガは、まず間違いなくこちらの制止を聞き入れず攻勢一方になる。このままでは狂おしい結末を辿る羽目になり、それは、本日の怪異より余程身に染みて恐ろしいことだったので、思わずルチャブルは『やめろ』と言葉を零した。
『今更お預けとは殺生だな』
ルチャブルの下腹に押しつけられるものが、生き物のように脈打った。『やめると思うのか』と、どこか楽しげに問いかけてくる相手の質量や硬さもいや増しており、余計なことに気付いた己が恨めしかった。
『あ、ッ…』
与えられた刺激に反応し、腰が跳ねる。
先走って吐き出されている透明を集めて、ゲッコウガはそれらを潤滑油代わりにしつこいほど後ろを嬲り、指先で押し開いていく。
『やだ、ッァ、ぁ"あっ――…!』
指腹で内壁の鳴き所を揉みこまれた拍子に、悲鳴のような嬌声が喉の奥から飛び出してくる。突如として湧き起こる、自我を瓦解させかねない強烈な法悦。溺れそうになって喘ぐ小鳥を見て、暴君は笑みを深めていく。
『…拙者から恥ずかしいことをされて悦ぶ御主の姿が、いつでもいっとう、綺麗だ』
もっと気持ちよくしてあげるから、もっとオレに依存して。
ルチャブルの被虐的な部分に容赦なく触れて、煽って、ゲッコウガが息遣いを荒げながら囁いてくる。拒む間もなく快感を押しつけられているうちに、目の前が白んで、いつしか理性と本能の境界線もあやふやに溶けていく。勝手に発情したみたいに茹って、淫らな欲が膨らんで、堕ちていくのが分かる。
その一方で、甘ったるく蜜をかけられふやけてしまっているさなか、更に上乗せするように侵入されたら、――その先を思うと戦慄する。戻れないところまで押し上げられて息もできなくなるような、痛みにも似た快楽のつらさを知っている。だからこそこの場から背を向けてしまいたいのに、かろうじて残っていた反抗心など、すぐに泡沫と消えた。
『逃がさない』
なす術のないルチャブルの内心を面白がるように見透かして、ゲッコウガが腰を掴んでくる。固定してくる。あてがってくる。
『待て、…まってくれ、いま、…されたら、…』
どうしようもなく瞳が潤む。視界が水中のように揺らぐ。恥をしのんで懇願しても、彼は『待て?御冗談を』とほくそ笑むばかりだ。
とことん悪辣、ゆえに、ためらいがない。
『―――ッ !!! 』
衝撃と混乱で、声にならない。
目も口も開ききっているのに、何も、放出できない。
最奥だと思ってたところより、もう少し先を、こじ開けられた感覚。土足で踏みこまれた自身の肉体が、また、他者によって作り替えられていく。
前立腺を容赦なく抉りながらルチャブルを裂く剛直は、ほとんど凶器にちかい。
『待つことを知らない野良ですまんな、ルチャブル』
すまないなんて言うくせに、悪びれている様子は一切見当たらないのだった。
仰向けに脚を開かされ、その間に蒼い身体が割り込んで。体格差により、ルチャブルの腰より下は、ほぼ浮き上がっている。そのせいで、ゲッコウガのものが腹の奥からルチャブルを突き上げる角度はよく鋭くなり、今にも薄膜を破られそうなほどだった。
『…は、…ぁ"…』
『ここからが本番だろう? 気を失うのはまだ早いぞ』
かすむ意識を繋ぎ止めておくために寄越されたのは、嘘みたいに柔らかな口付けだった。
何度も。
何度も何度も口付けて、そのたびにゲッコウガは口の中へ甘い言葉を吹き込んでくる。騙されてなるものかと思う。それなのに、どうしても自分が返す反応だと認めたくはないのに、いつしか身体は先行して悦びに震えだしていた。
『ひ、ァあ、ッ、あぁっ』
愛情深く丁寧に、加えて苛烈という矛盾を難なく解消させた抱き方。精神のまともな部分が時を追うごとに削られて思考もままならず、体内から蝕まれていく。的確がすぎる律動的抽送によってまさしく忘我と呼ぶに相応しい快楽が引きずり出され、熱された激情がのたうちまわりながら、切実なほどに相手の雄を求めてしまっていた。
『はなせ、ッあ、あ"ぁあ!』
もはや、退路はない。
今となってはもう、腕ごと翼を縫いとめられ、完全に地に墜ちている。
『離さないのはおまえの方だろうが。オレの一物をこんなに懸命に頬張って、健気に締めつけて。気持ちいいなあ?ルチャブル』
ゲッコウガの視線がまとわりつく。痴態を凝視されている。また一つ、打ちつけられた腰の動きと共に絶頂が刻み込まれる。
『…オレもおまえを占有しておきたい。だから――』
――オレがいなくては快感を得られない体にしてやろうか。
色っぽい殺し文句というよりは、どちらかといえば恐喝に聞こえてしまうゲッコウガの物言い。
今後の展開が案外と正確に推測できてしまったルチャブルの口をまたぐのは、ひゅ、という発声とも呼吸ともつかない吐息だった。
破裂しそうだと思ったときにはもう遅かった。刹那、限界を超えて界面張力もほどけてしまい、心が溢れ出ていく。
ルチャブルの中で、尊厳に似た何かが、砕け散る音がした。
+++++
『…ルチャブル?』
どこまでも暴いて己の白い熱を塗りたくってやりたいと、一心不乱に貪って。
いじらしく形を覚えて包み込む媚肉に奥へと誘われるがまま随分と深いところまで身体を繋げ、天上に浮かぶ星の数と同じくらい鳴かせてしまった頃、彼の眼が悦楽に浸りきって朦朧としていることに気付きぞくりと身震いした。
狂喜を押し殺しながら、はやる気持ちをとどめながら相手を呼べば、ぎゅうと火照った身体でしがみついてくる。
『たりない』
色香を滴らせてねだる様に、ぐっと息が詰まった。
本能がざわつき、悩殺され、あまりの興奮で脳が死んだ。くらりと視界が回る。
『おまえが、もっと』
ほしい――と、言われてしまっては、もう腰が壊れてもいい。
延々と悦びを教え込んでいいのなら、むしろ、喜んで。
『惚れた相手に乞われたとあらば、拙者も漢を見せるでござる』
理性が灰と化したときにだけ、ごく稀にしか見られない最愛の姿――そうだ、それでいい。もっと求めてほしい。執着してほしい。彼の中の特別な位置に、ずっと己を置き続けてほしい。
何とか平常心を保とうと息を吸うが、結局、逆効果だった。あたりに立ちこめていた精液の香りごと肺に入り、色艶の過剰摂取でむせかえりそうになる。体感としては酒を飲んだあとに近く、これは本格的に小鳥に酔い始めたなと、心をくすぐられる想いで今一度ルチャブルを抱きしめた。
もはや「恋」や「愛」という呼称では生ぬるい、この感情の名は果たして何というのだろう。
沼にはまってんのは絶対にこっちなんだよなあと、そのことを自覚しつつ、ゲッコウガもまたルチャブルへと溺れていくのだった。
【 了 】