【分岐②】
酩酊:ゲッコウガ(ド畜生)
素面:ルチャブル(被害者)
***
受け取った酒はうまかった。
確かにうまいと思った、が。
ルチャブルは、単なる試飲で止めておく。ごく微量だったというのに多少なり浮遊感を覚え、己が体質との相性の悪さを察した。格闘技を操る身でありながら、下肢に力が入らなくなっては死活問題だ。
それを聞いたゲッコウガが『さすが武闘家は違うでござる』と感心したように言ってくるので、何だか面映ゆい。照れ隠しも兼ねて『おまえは平気なのか』と問うと、『こんなに甘い酒ではな』とあっさりとした答えが返ってきた。
『酒、強いんだな』
『まあ、…弱くはないが…』
含みのある言い方だ。おそらくは相当飲めるクチなのだろう。自分が下戸だからというのもあって、対する相手はどこまで酒に強いのか単純な好奇心が湧いてくる。だから、『自信があるなら、あの催しにも参加できるんじゃないか』と話題を振ってみた。ルチャブルが指す先には、「酒合戦」なる看板が出ている。
『東西軍で分かれて競うやつか…』
どうにも歯切れが悪いゲッコウガが、ちらりと見遣ってくる。
『別に、出場する分には構わんが』
『…なんだよ』
『最終的に、千鳥足の飲んだくれが出来上がっても知らんぞ。御主に介抱できるのか』
心配だなァと言いたげな話し方をするので、『馬鹿にするな』と、つい意地を張ってしまった。
『俺が言い出したことだからな。仕方ない、世話くらいしてやるよ』
可愛げのないことを言いつつ、念のために『無理しなくていいんだぞ』と言い添えておくが、ゲッコウガは小さく笑ってみせた。
『好いた相手の前で格好をつけたいのが男心でござるよ』
気障を気障とも思わぬ様でしれっと言葉にする彼に対し、思わず頬を染めて閉口する他ないルチャブルだった。
***
『東軍、パンプジン・ソーナンス・ニャース。西軍、レントラー・ニンフィア・ゲッコウガ。
飲みほした酒の量、…今回は空けた
審判役のハリマロンが高らかに宣言し、飲み比べが始まっていく。
ふわふわと浮かぶマーイーカたちが、酒を注ぎ足したり、カラになった桝を片付けたりと忙しそうに働きまわる。一方、気ままな観衆は、どちらが勝つのか早くも木の実で賭け事をしているらしく、当事者よりも熱狂している始末だった。
参加者には小柄なポケモンもいるが、この場に名乗り出てきただけあって、平気な顔で次々に容器を転がしていく。その様はなかなか見応えがあり、ゲッコウガにしても例にもれず、緩くあぐらをかいて淡々と桝を重ねていた。
ただし、行きはよいよいとはよく言ったもので、好調なのも序盤だけだった。さすがに推定総量六~七合を超えたあたりからぱたりと倒れて目を回す者が続出し、控えのタブンネが、看護のためにせっせと退場させていた。
気付けば一騎討ちの様相を呈して、意外なことにニャースと…やはりと言おうかゲッコウガが会場に残留している。頬を紅潮させるニャースとは対照的に、けろりと素面を見せるゲッコウガは傍目から見ても優勢で、どこからともなく東軍に賭けていたポケモンたちの嘆きが聞こえてきた。
一口二口で酒を止めたルチャブルにしてみれば、ゲッコウガが既に到底想像のつかない量を飲んでいることは明らかで、素直に感嘆してしまう…の、だが。
一つ気がかりな点は、時を追うごとに彼の目が据わっていくことだった。酒を飲んだら陽気になるのが普通だろうに、今のゲッコウガは、その目つきのせいでどことなく不機嫌に見える。
『ニャーと張り合うポケモンなんて久しくいなかったのに』
赤ら顔の割には呂律もはっきりと回して、ニャースが口を開く。
『ただし、この森の酒は一癖ある代物。最終的には、飲み慣れているニャーの方が有利になってしまうかもしれんニャ』
対戦者の心配とは、また悠長な。『あのニャースは酒豪なのか』と隣にいたヤンチャムに訊いてみると、『この森で酒好きといったらアイツが筆頭だ』と返ってきた。それは自然、『かのニャースに引けを取らないのだから今年の挑戦者はすごいぞ』という評価に繋がっているらしく、見ず知らずの者たちからも一目置かれた彼のことを、…まあ、酒にまつわることとはいえ誇らしく思う。
だからこそ、ここまできたからには勝ち抜いてほしい。視線に応援を込めて、ルチャブルは、顔色一つ変えないゲッコウガを見つめている。
『酒の神は海の神よりも多くの者を溺死させた――なんて言われてるニャ。
おミャーも、せいぜい溺れんことだニャ』
『…水型に水難の心配か』
ゲッコウガは、ニャースの言葉に一笑し、鼻先であしらっている。
『そういうのをな、釈迦に説法っつーんだよド
あ、ダメだ。完全に酔ってるやつじゃねーかあの応対。
顔に出ないだけで、酔い知らずというわけではなかったらしい。ルチャブルはそっと、視線を明後日の方向へ飛ばした。…そして、介抱くらい余裕だと胸を叩いたからには、どんなに面倒くさい事態になろうとゲッコウガの相手をしようと悲壮な決意も固めている。
おまえはどこのチンピラだと突っ込みたくなるほどガラの悪さが増しているわけだが、周囲は酔っ払いの戯言と受け止めているらしく、さして気を害した者が見当たらないのはせめてもの救いだった。
実はそれ以降、予想以上にニャースが粘り強さを発揮したので思わぬ長丁場になった酒合戦なのだが、結論から言えばゲッコウガに軍配が上がることになった。といっても、僅差である。惜敗した化け猫も敵ながら天晴れだった。
額の小判を煌めかせつつ遂にニャースが潰れたとき、周りの喝采を浴びながら、ゲッコウガはもう飲む必要のない酒をちょうど桝一杯分追加で飲みほして嫌みたらしく勝敗の決定打としたばかりか、『口ほどにもねーな』という捨て台詞を吐くのだから本当に性格が悪い。ルチャブルが代理で謝って回りたいくらいだった。
ふらりと立ち上がるゲッコウガに駆け寄ると、こともあろうに、彼は環視の只中でルチャブルを抱きしめてくる。
『おまえ、何して…ッ!』
『頑張ったんだから褒めて』
まるで頑是ない子どものようなことを言う。
褒めろと言われたって、周囲の視線が気になってそれどころではない。ルチャブルは無理矢理ゲッコウガの腕をほどき、『行くぞ!』と叱りつけて引っ張っていく。
『あ、待って!景品があるのに!』
後ろからハリマロンが慌てた声をあげているが、構わず、『そっちで適当に分けてくれ』と素っ気なく返事を寄こして足早に会場を立ち去った。
***
喧騒から遠く離れた場所まで来たことを確認し、漸く、ルチャブルは足を止めた。
ふらりゆらりと柳のような頼りない足取りで以て、ゲッコウガも大人しくついてきている。
『ほら、こっちにきて座れ』
短く溜め息をつきつつ、ルチャブルは手招いた。
すとんと腰を下ろすゲッコウガは、やはり一見したところ平然として見えるのだが、相変わらず目だけが据わって冷たい雰囲気を醸している。
どうしたものかと考えあぐねるものの、ルチャブルはそっとゲッコウガの頭を撫でた。
『…悪かったな、さっきは』
『さっき?』
『怒鳴って悪かったと言ってるんだ。
…気恥ずかしさがあったとはいえ、おまえには労いの言葉を先に言うべきだった。せっかく最後まで勝ち残ったのに』
おまえはすごいなと言うと、ゲッコウガはゆるりと目を細める。
『本気を出せば、あのくらい。何てことない』
『しかし量が量なだけに…、気分が悪かったりしないのか』
『別に。…ただ、まあ、…そうだな…』
何も警戒していなかったので、腰を引き寄せられたとき、なされるがままになってしまった。
驚いて相手を見上げると、その口元は吊り上げられ、顔にはうっそりとした表情が刷かれている。
『足りない』
『は?』
『…あんな安酒では水と一緒だ。おまえの方が、よほどオレを酔わせてくれそうだが』
『な、ッ冗談だろ。とうに酔ってるくせ、に…ッ、…ふ、…』
抗議する口の中に、問答無用で舌を入れられた。
酒びたしになっている舌から分泌される唾液も最早こちらを酩酊させるには十分なもので、のみならず、相手から高濃度の酒の匂いが漂ってくるゆえに、呼吸をしているうちにルチャブルまで目が回りそうになってくる。
思わず顔をそむけても、露わになった首筋に吸い付かれた挙句、そのままべろりと口元までを舐めあげられて『ひ、』と身を竦ませてしまう。
『なあ、一言いいと言ってくれ。オレはおまえを抱きたい』
甘く鼓膜を揺すられて、ぞわりと羽が逆立つ思いだ。
この、尋常でない雰囲気。ただの交尾で終わらないのは明白だった。性悪な忍からどんな仕打ちを受けるのか予測もつかないが、まず間違いなくロクな目には遭わない。
『…ッ、やめろ !!』
言葉ではいくらでも反抗できるのだが、抱き込まれている現状、身動きはとれない。
そのまま地に倒され、ぎゅうと密着される。互いの股間が触れ合って擦れていく。怯えて腰をひけば、すぐさま連れ戻すように強引に抱き寄せられて、ゲッコウガの怒張したモノを押しあてられた。
『よせ、…離してくれ、ゲッコウガ…!』
『待ってろ。すぐにおまえのナカを子種でいっぱいにしてやる』
話が噛み合わない緊張感は、この後すぐに、全身の血液が沸騰したかと錯覚するほどの羞恥で上塗りされることになった。
抵抗虚しくうつ伏せの状態を無理強いされ、尻たぶを割り開かれる。
外気に晒されひくつく後孔は、今このとき、明らかに排泄器よりは性器としての役割を色濃くしてゲッコウガの前に差し出されていた。
『っ、こんな、の、…!許さな……ッ!!』
語気を荒げて威嚇しようとも、最後まで伝えることは叶わなかった。じゅる、と音をたてながら聞こえよがしに唾液をまぶされ、舐められ、舌で犯されて。具合よくほぐれていけば、今度は手のひらで弄んで転がすように、ゲッコウガの指が前立腺をなぞって蹂躙してくる。
『やめ、…っ、あぁぁッ!』
『…まだそんなことを言う。素直に可愛がられておけばよいものを』
こんなに好い声で啼いては説得力も失われるぞ、と、強情な様子をむしろ楽しむように、背後から耳元へ吹き込まれる。
後ろを籠絡されている最中だというのに、彼が無慈悲に『先にこちらでイッておけ』と透明で濡れそぼる陰茎を擦りあげるものだから、一歩また一歩と「正常」から遠ざけられていく。
『ッ、さわるな、…!!! ッひ、ぅ"……!! ッッッ――――――!!!』
白濁が、取り消しのきかない喘ぎと共に、無情に搾り取られる。どんなに声を出すまいと噛みしめてみても、垂れ流される快楽物質が口の戒めをこじ開けてくる。
吐精した拍子に頬をつたうのが止めようのない生理的な涙であることは分かっているけれど、それでも、こうして泣き顔を見られるのは大変な辱めであって、時が経とうが回数を重ねようが慣れるものではなかった。
『…つくづく、おまえが可哀想になる』
「可哀想」という言葉を殊のほか妖艶に呟くゲッコウガが、十分に躾けられた孔から指を引き抜いて、ルチャブルに忍び寄る。
『おまえの涙ひとつにさえオレが煽られていると気付かぬままだから、おまえは、こうして、…ッ』
『あ"!!! ―――ゔ、あぁあッ!』
『犯される羽目になるんだよ…!』
心をへし折り、頭から正気が吹き飛ぶほどの、受け止めきれない忘我の波を起こしているのは――有無を言わさぬ動きで侵入し、射精の余韻が途切れないうちから間髪入れずに強い刺激で上書きしてくるゲッコウガの雄根である。
結合部から、ぬちゅぬちゅと聞くに堪えない音が生まれては弾けて、虚空へと散っていく。今やしこりとなって存在を主張する前立腺を、泣こうが喚こうがお構いなしに的確に突きあげながら、再びルチャブルのものを勃たせようと悪戯な手が伸びてくる。
『ッ!!! ぁ、あ!イって、る、…イってるからぁッ、だめっ、ァ、っやだあああッ!!!』
『今更ぐずろうがもう遅い。おまえを抱くと、…ナカに出すと言っただろうが…!!』
恨めしいほどの体格差だった。抗うほど拘束は強まり、相手から易々と押さえつけられ身じろぎができないせいで、快楽の逃げ場がどこにもない。心がいくら拒否しても、自身の肉体が容易く裏切って、ゲッコウガが与えてくる悦楽に従順になっている。自分の意思で指先一つ動かせないほどに、相手に身体を支配されていく。
より敏感になった先端をいじめられては射精感をこらえる余裕もなく、またもや体内から熱がせりあがり、この一方的で暴力的な行為が「気持ちいい」ことなのだと刷り込まれる。強引に脳髄を痺れさせ、教え込まれて、さながら獣の調教だった。
吐精したのは、なにもルチャブルだけではない。この間、既に何度も欲の捌け口にされている。腸で呑み込めなかった分が涎のように垂れて逆流し、ゲッコウガの動きと共に撹拌されてぐちゃぐちゃに泡立つばかりだ。
『…なあルチャブル。そんなにイイのか。自分から腰を振って』
『ッ、だ、まれ、ちがう、…ンぁ、あ"っ!』
動から静への、苛烈な切替。
激しく、そして規則的だった律動が不意に止まり、次の瞬間には、ぬろろと焦らすようにゆっくりと抜かれていく。緩急の落差すら刺激となり、肉壁をたっぷりと擦っていくその動きに、ルチャブルは腰を震わせた。
『ぅ、…あ…ァ、ッ…!』
『…きついな。まとわりついて。食い千切られそうだ』
そんなに引き止めたいかと問われ、既に踏みにじられている自尊心が、更に堕とされ崩壊していく。ずっと、ずっとずっとずっと、後背位なので、相手が何をしてくるのか分からない戦慄にさらされ続けている。ゲッコウガが今どんな顔をしているのかも知らないまま、寄越される刺激と音と声と、不可視のものに襲われて、ルチャブルは堕落していく。
『抜くだけで随分と名残惜しそうだな。…これからまた、埋め込んで、奥まで突いたらどうなると思う?』
『ッ…』
『…想像したな。期待してるだろ。ナカが嬉しそうに動いたぞ』
嗜虐的な笑いに羞恥を煽られるが、それよりも、本能的な恐れの方が勝っている。感度の上がっている今、大きな一撃を加えられたらどうなってしまうのか、考えたくもなかった。
『やだ、…いや、…このまま抜いて…!』
『ヌくさ。おまえを子種で満たすと宣言してしまったし』
やはり話が通用しないまま腰を掴み直され、うなじに一つ、口付けを落とされる。
『答え合わせしないとなァ、ルチャブル。おまえが想像した通りの快楽を与えられるといいんだが』
『や、いらなッ、だめ、あ"ッ、あぁあ"ああ!!!』
突き当りで勢いよく衝突したためか――ごちゅッ、と、ひときわ盛大な粘着音。
埋める。突く。出す。一つ一つを、やけに丁寧に、きっちりと、ゲッコウガは完遂させていく。
『まだトぶな。おまえだけ善がるなんて狡いだろ…もっとオレを楽しませてくれ』
『…ずっと、イッて、…むり、…あ、―――…ッ!』
その後も幾度となく、声が枯れるまで強制的に絶頂させられるのだが、もう、ルチャブルの先からは何も出せない。出ない、のに、下半身に刺激が与えられれば脳が自動的に快楽と結びつけてしまう所為で空イキだけが極まっていく。雄としての矜持を粉々に瓦解させる最低の状態だった。
そこに気が狂うほどの悦びがあるとはいえ、言うまでもなく、ひどいことをされている。
分かっていてもなお、それでも彼に囚われていたいとどこかで願ってしまう自分にも気付いているから、我が心ながら憎らしくてたまらなくなる。
性の壁を越えていよいよ孕むのではないかと危ぶまれるほど執拗にゲッコウガの体液を注がれて、…きっとこんなにも視界がぐるぐると回るのは、ナカにしこたま塗付されたものにも酒が混じっているからなのだろうと――実にくだらぬことを蕩けた脳内によぎらせつつ、ルチャブルは昏睡していくのだった。
+++++
ルチャブルを好き勝手に抱いても後から全て酒の所為にできるなと思い、酒合戦への参戦を決めた。もっと言ってしまえば酒を飲んだのはおまけのようなもので、その後のルチャブルとの情事と比較すれば何もかもが前座に過ぎない。
泣いて許しを乞う可愛いルチャブルがたくさん見られて幸せだったなあとか、この後は当初の予定通りに「酒に酔って何も覚えていない」態で押し通そうとか、相変わらずゲスいことしか考えていないゲッコウガである。
せめてものお詫びに清めるところはちゃんとやろうと思っていたのだが、この時期に冷水ではあんまりだろうと思案していた折、地元の連中が川湯のことを教えてくれた。
川そのものが温泉のようなものだという。なるほど、実際に訪れて川底を掘ると湯が湧いてくる。川の水と混ぜて温度を調整し、好きな加減で湯浴みをするという勝手が分かれば後は容易い。ぬるま湯に整えてルチャブルの羽を洗っていると、気を失っていた小鳥の瞼が微かに震えた。
+++++
『…起きたか』
ほっと安堵したように、和らいだゲッコウガの声音がした。
徐々に鮮明な働きを取り戻していく脳が、彼に抱えられたままで温水につかっている状況を理解していく。
『ここ、は、…』
ひどい声だった。相当に喉を傷めている。無論、辺りに立ちこめる硫黄の臭気の所為ではない。
思わず咳込むと、いたわるように、抱きとめているゲッコウガの腕に力が入る。
羽がきれいになっていることは分かるし、筋の痛みもない。…あまり想像したくはないが、体感するに、どうやら内臓にこびりついたものも掻き出されて後処理が済んでいるらしかった。
結局こちらが介抱されている側じゃないかと嘆息すれば、ゲッコウガが申し訳なさそうに沈んだ顔を見せる。
『ルチャブル、…すまない。…その、…』
『…、…まさか、…おまえ、覚えてないとか言うなよ』
不意に口をつぐんで言葉を詰まらせる彼を相手に、果たして自分は怒ればいいのか悲しめばいいのか。呆れる、というのが一番近いかもしれない。思い出してもらっては困る数々の出来事があったから、むしろ忘れていることを喜ぶべきか。
ほんッと最悪だなこいつ。なんで惚れてしまったんだろう、俺の馬鹿。
『酔いが醒めた頃には、…御主が気を失っている結果しか分からなかった。ひとまず湯浴みを優先させたが、…蹴手繰りでも、地獄車でも、フライングプレスでも、何でも受ける覚悟はしたでござる。煮るなり焼くなり気が済むまでやってくれ』
『そんな体力が残ってたらな…とっくにやってる…』
罵声を浴びせる気力もないこちらの有様を見て、ゲッコウガはおろおろと視線を彷徨わせている。
『…今となっては、御主の嫌がることを無理強いしていないかどうかだけが心配でござる…』
『おまえな、…この期に及んで、そんな殊勝なことを言っても無駄だぞ。おまえの、その性格で、…嫌がらせをしてないとでも思ってんのか』
ひどい、と泣き言をこぼされたが、ひどいのはどっちだこの阿呆。
空模様を見るに、宵の口か。上品な紫と紺とが混ざり合う中に、小さな星々が白く瞬き始めている。ほどなく夜がやってくる。湯から上がったら、また眠ってしまおう。節々は痛まないものの、さすがに倦怠感が強い。休みたい、というのが本音だった。
その後、こちらを気遣ってたっぷり一週間は甲斐甲斐しく世話をやいてくるゲッコウガに、案の定ほだされてしまうのだから、我ながら甘っちょろい自覚はある。
惚れたが負けか、と、やはり口には出さないが多少なり苦々しい思いを巣くわせつつ――後日、『仲直りしたい』などという口実を引っ提げてきたゲッコウガに、まんまと抱かれるルチャブルである。
【 了 】