①気楽な野良の弥次喜多道中
②春の1コマ
『 正座 』
『…はーい』
思いのほか素直にゲッコウガが膝を畳む、が、「どうして小言を食うのか分かりません」という如何にも不服そうな顔をしているので、ルチャブルは小さく溜息を吐いた。
上空からルチャブルが道を探し、その間にゲッコウガが木の実を探す――と、役割分担で二手に分かれた後、再度合流するにも幾らとて経っていない。それなのに、…目も当てられないとはこのことか。ルチャブルは片手で顔を覆う。
先刻に俯瞰した折、ポポッコが群れているかのような明るい黄色に満ちる地帯を見つけた。あまりに単純で底抜けに陽気な色彩にあわせ、胸の奥まで照らし出されるような気がした。この高度にしてはっきりと分かるほど花が密集し咲き乱れているのならば、それはどんなに美しい景色だろうかと心惹かれ、後からゲッコウガと立ち寄ってみようと楽しみにして――今となっては、そんなお気楽な予定は一旦脇に置いておくことになってしまったわけだけれど。
『…一応、経緯を訊こうか』
完膚なきまでに伸されて折り重なり、虫の息で小山と化したポケモンたち。説明を求めると、『殺してないのに』とブツブツ不平を呟いて、ゲッコウガは不貞腐れた悪童のように目を伏せる。
『別に言うほどのことはない。木の実を採って、ここに引き返してきて、終わりだ』
何も終わってないんだよなあ…。
微塵も釈明になっておらず、知りたかった過程はあまりに端折られている。いちいち指摘するのも煩わしく、ルチャブルは視線を遠くへと飛ばした。
『…そのまま真っすぐ戻ってきたんだな?』
途中で余計な喧嘩を買ったのではなかろうなと言外に含ませれば、ゲッコウガは完全に糸目と化し、ぷうっと頬を膨らませてみせた。あざとい。でも、びっくりするほど可愛くないからな。武闘派のおまえがそんなことしても。
『寄り道はしてないでござるよ!』
『…分かった分かった。それで?』
『大人しく待ってた。……、……最初は』
『…最初は、…か…』
春らしい、柔らかな日和だ。
野山の植物たちは、冬の間で仕立てた可憐な着物を披露するがごとく、競うように新芽や花々の彩を広げている。
くるりと見渡すだけでも目に楽しいはずなのだ。本来は。
そこに明らかな暴力の名残が投棄されているがために、台無しになっているわけで。
『通りがかりのそいつらに難癖つけられたけどちゃんと無視したでござるよ!応じたらまたルチャブルに怒られるかなーって思って!』
『…そうか。…一度は思いとどまったのか』
無視したから火に油を注いだのだろう。当時の光景が目に浮かぶようだ。既視感の到来は当然で、そもそも、こんな遣り取りはこれまでの道中で何度となく繰り返されている。
ふたりは気の向くままに旅をしている流れ者だ。それは同時に、常に余所者の立場となることを意味する。各地域に根差す土着のポケモンたちからすれば、必然的に異物は警戒対象だ。そこにいるだけで目につくし、鼻につくということもある。だからこそ『旅の終始が平穏無事でありますように』と夢見がちではいられないし、実際、こちらに非がなくても一方的に喧嘩を売ってくる連中だっていた。当初、ルチャブルは、そうした手合いをまともに相手にするだけ無駄だと捉えていたし、確認するまでもなくゲッコウガも同じ考えだとばかり思い込んでいた。ところが、いつだったか、チンピラ風情など歯牙にもかけないだろうと思っていたゲッコウガがすぐさま喧嘩を買ったので面食らい、「え、嘘でしょ」と呆然とする羽目に。曰く『イキった雑魚を見るとイラつく』とのこと。立場をわきまえない相手には死体蹴りも辞さないという持論であった。
ゲッコウガからは、決して挑発したりしない。そのあたりはルチャブルが見抜いている通りで、彼は丸っきり他者に関心を向けず、それが気に入らない相手ともなれば尚更だった。ゲッコウガなりの警告か、あからさまに「近付くな」という空気を発してさえいる――にもかかわらず敵意を剥き出しにして寄ってくるんだからそりゃァ迎撃しますよと開き直って、容赦もしない。問答無用で・即座に・躊躇いなく、身体急所を抉っていく。時たま、ルチャブルが加勢しないと収拾がつかない場合もあり、更にげんなりしている今日この頃だ。
今にしてもそう――ちらと見遣ると、『我慢したんだから進歩だ。成長だ』と如実に物語る得意げな顔つき。そこに呼応して『よしよし、偉かったな』と声をかけるのが間違いだということくらいはルチャブルにも分かった。いい加減、「悪いことだからしない」という判断をしてほしいのだが。「叱られるのが嫌だからしない」のではなくて。
何か、こう、理知的なところが売りじゃなかったのかこいつは。その反面で幼い詭弁を平然と言ってのけたりするし…まったく…と、ルチャブルはいらぬ頭痛を覚える。
『木の実を強奪されそうになったから阻止しただけ!正当防衛!』
『そうなる…だろうな、確かに』
『むしろカツアゲされかけた拙者の方が可哀想というか』
『いや、…まあ、そうなんだが。それにしてもな、ゲッコウガ』
やりすぎでは?
諭すと、『えー、だってー』と、案の定子どもじみた口答えが返ってくる。
『本音は?』
『弱っちいくせに横取りを目論むその発想がムカついたのでボコしときました』
『落第!』
『なぜ!模範解答でござろう!』
いつのまにやら、気付けばすっかり姿勢を寛がせて、ゲッコウガはあぐらをかいている。
『考えるまでもないことでござる。ルチャブルのために探してきた木の実なのに、それを掠め取ろうなんて』
本来なら殴るどころでは済まないんだから。
刹那、不穏を漂わせ地を這うような低い声を出した後――手の平を返すように明朗な表情で『ね!』とニコニコ笑うゲッコウガに対し、またもや、ルチャブルは悩ましく息を吐き出すのだった。この調子では『気絶くらいで勘弁してやったんだから褒めて』なんてことまで言い出しかねない。
『馬鹿にかける情けなど皆無でござろう。相手の力量を見抜けない程度なら、こいつらも遅かれ早かれ生き残ってはいけないんだし』
『あのな、…この際、三下はどうでもいい。問題はおまえだ。君子危うきに近寄らずと言うだろ、もう少し慎め』
『こんなクズ共を危うく思ったことはないでござる』
『おまえ!そういうところだぞ!
自律しろと言ってるんだ。今回の件だって、追い払えばそれで終いになったはずだろ』
『その場で力関係を思い知らせるのが野生界の基本だろうに』
『…そうだな、理屈はよく分かるが…せめて素人には手加減しろよ…』
三度目の嘆息。
すると『まあまあ、これでも食べて』と慰めるようにポンと肩をたたかれ、木の実を渡された。いや何でだよ。気落ちしている原因はおまえなんだぞ、と――もう文句を連ねるのも面倒で、ルチャブルはゴスの実を受け取った。
硬化した赤紫の外皮を取り除くと、中から白くて瑞々しい果肉が現れる。一口かじるだけで豊かな風味が口内を満たし、芳香が鼻腔を抜けた。数ある中でも選りすぐったものだろうということがよく分かる。先駆ける濃い甘み、中継ぎの爽やかな酸味、それらが溶け合った頃合いを見計らって控えめに顔を出す後味としての微かな苦み。こんなときでさえ、間違いようのない上品な味わいが舌を楽しませた。咀嚼しているうち、飾ることなく口にされた『ルチャブルのために』というゲッコウガの一言が不意に思い出されてしまい、…、…いかんいかん、また絆される。ルチャブルは振り払うように、軽くかぶりを振った。そう思いつつも、一方で、『うまい』と感想を伝えたときに見せる嬉しそうな顔を前にしては何とも言えなくなり、俺には「教育」だとか「躾」だとか、その方面のものがまるで向かないなと己の情けなさまで嘆かわしくなってくる。
互いが腹ごしらえを終えた時点でも未だ目覚める気配のないポケモンたちを横目に、『このままにしとくのは駄目だぞ』と念押しで注意をすると、億劫そうにジト目で見返してくる。
『始末を付けろと』
『そうだ。ちゃんと片付けろ。山積みで放置したら他の迷惑になるだろうが。
…言っておくが、片付けるとか始末するとか、それは「息の根を止める」示唆じゃないんだからな。言葉通りに「どかせ」ってことだぞ。捻くれた捉え方するなよ』
『む』と、誤魔化しがバレては仕方ないと言いたげに表情を曇らるゲッコウガは、…どこまでもだるそうに、渋々と、且つ唐突に。
巨大な水球を作り上げ、何の手加減もなしにバシャンと手負いの山に投げつけた。
『起きたか』
う…と苦痛にうめくポケモンたちの反応と併せて見ていると、何だか、拷問の一場面を彷彿とさせる。気を失った捕虜の意識を戻すために水をかける、あの乱暴な行為そのものだった。いい加減その御庭番方式を止めろこのバカと思わず後頭部をはたきたくなる。
『五秒以内に失せろ。できなければ次は永遠に眠ってもらうでござる。はい開始。
いーち、にー、』
滅茶苦茶だった。
ふらつく身体を引きずるようにしつつ我先にと逃げ出し茂みの向こうへ消えていく野生ポケモンたちを見送りながら、こいつ何も分かってねーなと力なくうなだれるルチャブルである。
+++++
森を抜けた先では、一面、菜種色で敷き詰められている。
花の便り行きかう春の光を閉じ込め、太陽を溶き卵のようにかき混ぜて地上に流し込んだような温かさ。明るさ。この空間に留まるだけで世の中の悩み全てが解決するんじゃないかとさえ思えるほどに、完結しない真っ黄色の幸福で溢れかえっていた。
迂回路もあったのだが、どちらも無言の内に、自ずと横切る選択をした。
畝の間に足跡を残し、なるべく茎や葉を折らぬよう進んでいく。こうも原色に塗りつぶされた中にありながら、埋もれることなく、見劣りもせずに存在を主張するルチャブルの紅い翼。方向感覚がしっかりしている彼は迷いなく歩くが、一歩踏み出すたびに頭部の冠羽が花のように揺れ、その様がどうにも愛らしくてならず、思わず指先で触れた。
『…なんだよ』
『別に』
振り返ってくる彼の隣に並んで、目線合わせにしゃがみこむ。ふたりして花の丈より下回り、すっぽりと黄色い
『御主にかかれば、花畑も小さな森でござるな』
『おまえ…馬鹿にしてるだろ』
『まさか』
ルチャブルの目に咲き誇る菜の花が映る。よりいっそう彼の瞳が
『花をまとう御主が美しくて見惚れていた』
『ッ…、…おまえ…極端にも程が…』
いつまで経っても免疫がつかない彼だから、つまりは照れ屋なままで、そんなところも逐一が愛おしい。恥ずかしさに耐えかねたらしいルチャブルがふいと顔をそらしたとしても、その反応にすら和んでしまう。
小鳥に目を細めつつ「極端」とはどういうことなのか尋ね返せば、『周りにすぐ苛立つほど喧嘩っ早いくせに、…こんな、…』と、消え入るような声。
好きだから口説きたくなるだけだ。簡単な話なのに。
『ルチャブル相手に怒りなんて湧かないでござる』
拙者はいつも叱られるけど。
ぼやいてみれば『それはおまえの所為だろうが!』と余計に叱られることになった。解せぬ。
もう少し周囲に気遣えとは散々ルチャブルから言われてきたことだ。まあ、確かに、己がいささか狭量であることは認める。むしろ、だからこそ自分の心の中にかろうじて残っている「綺麗な部分」は彼以外に割く余地がないし、要するに雑輩連中を慮るつもりもその必要性も端からないということに他ならず…等々、これも馬鹿正直に言ったら怒らせそうだから口をつぐんでおこう。
『何なら、一度くらい試しに仲たがいしてみるか』
戯れに提案してみれば、かなり真面目な口調で断りを入れられた。
『やめておく』
『いやに即答だな…』
『しようと思ってするものじゃないだろ。大体、…おまえと揉めることを想像するだけで胃に穴が開きそうだ…。陰湿なことを言わせれば止まらないし。根に持つし。解決したと見せかけて事あるごとに蒸し返すだろうし』
『…ひどい言いぐさでござるな』
『それに、その後おまえが提示してくる「仲直り」とやらは、大抵、俺がロクな目に遭わない』
『何を言う、その分だけ目一杯に気持ちよくしてるはず…痛い痛い痛い技かけるの禁止、暴力反対、ちょ、ホント無理。降参』
4の字固めとは卑怯な…!
いてて、と首を押さえながら『素人相手に手加減しろと言ったのは御主の方だろう』と文句を垂れると『おまえのどこが素人なんだ』と嬉しいような違うような複雑な台詞でぴしゃりとはねのけられるのだった。
『毎回毎回悪びれもせずに…。おまえの辞書に改心の文字はないのかゲッコウガ』
『…見当たらんなあ』
『おまえ…!』
『とは言え、御主の説教はその都度ちゃんと聞いてるから心配するな。ルチャブルの怒った顔も可愛いなーって眺めてるのも楽しいし』
『…全く反省の色がないと思ったらそんなバカなことを…ッ!』
『バカとは失敬な。拙者はいつでもルチャブルのことだけは紛れもなく真剣でござるよ』
何株かの菜の花を犠牲にしてでも押し倒したい最愛がいる。
ので。
欲に従って、彼の視界を反転させる。その拍子、春風と共に花弁が舞って、小さな黄色の欠片がはらはらと降りそそいできた。
花を傷めないように気を付けて歩んでいたのに結局へし折ることになった現状か、麗らかな天気にかこつけて抱こうとしてくるこちらか、はたまた両方か。ルチャブルはつぶらな目を見開き、怒りやら呆れやらで言葉にならない様子を露わにする。
『では早速。手合わせ願おうか』
『この、…っ、冗談言ってないでさっさと退け!』
『冗談なものか。すぐにその気にさせるから大丈夫、問題ない』
『何が大丈夫なんだ問題しかないだろ!! 所かまわず盛りやがって、…ッぁ、…』
ふるりと、小さな身震いが一つ。
撫であげた手の動きから、こちらの本気は読み取ってもらえただろうか。
『惚れた相手。周囲から隠された空間。盛りがつく季節。何も起きないはずがなく、というやつでござる』
『…ふざけたことを偉そうに…。意図的に起こそうとしているの間違いだろ』
さて、この強気な物言いが崩れるのはいつだろう。
睨みつけた気でいるのだろうが、そんな表情を見せられたって劣情を煽るばかりだ。
赤らんだ目元へ誘われるがままに口付けると、愛し君はくすぐったそうに縮こまる。
『好きなときに、好きなだけ、ルチャブルを抱けたらと――それが叶う旅のさなか、どれだけ拙者が至福を味わっているのか御主には想像がつくまい。
だから、…抵抗しないなら遠慮なく喰うぞ』
はっきりと突きつけてやれば、ひくりと、ルチャブルの喉が動く。
抱かれる側としての自覚があるからこそ甘やかに揺らぐ一羽の吐息――応じるか否かの選択を迫られているときに醸される生唾ものの色気は、ゲッコウガだけが知っている。
【了】