御庭番は
小生の拙作群を読んでくださっている読者諸氏はそろそろお分かりかと思うが、このゲッコウガ、外見や振る舞いがクールなだけで、内実ヤンキーである。
喧嘩沙汰に干渉するたびルチャブルから叱られるので、その都度『次からは気を付けます』と約束しているのだが、残念ながら、今のところ改善が具体的な行動として表れたことはない(たぶん、…てかぶっちゃけ、奴にはより良くしようという意欲がないのだろう)。愛想の類は生まれてくるときに卵の中へ置いてきてしまったし、オラつく三下を見るとイラっとして気付けばスパーンと手が出ている。元はと言えば、「くだらないきっかけ一つで命がけの大乱闘」ということが阿呆みたいに頻発していたかつての御庭番に馴染みすぎた結果(≒弊害)であり、所属を離れて数年が経った現在でもなお、反射的に喧嘩を買う癖が抜けきっていない困ったちゃんのままだった。
***
御庭番の総司令官にあたる人間は、部署内では「頭領」と呼ばれていた。たっぱこそないが、体格の差を補って余りあるがっしりと鍛え抜かれた体躯からは並々ならぬ威圧感が放たれており、いかにも歴戦の猛者という雰囲気を醸す。その鋭い眼光で射貫かれてはポケモン連中も揃って押し黙り、奴ら不良共の口を以て『あのおっさんはやべえ』と言わしめる特異な男である。
人間、ポケモン問わず一癖も二癖もある御庭番を己の実力一つで束ねている彼は――存外に甘党であり、菓子の類には目がなかった。飴ちゃんを間に挟めば大体の関係は上手くいくと本気で信じていたし、甘いものは心を解きほぐすための必需品だと公言して憚らない。何なら、「飴と鞭」ということわざの「飴」は比喩でも何でもなくマジで甘味の「飴」だと思っている。で、あるからして、率いる部隊の中で初任務に臨む構成員がいた場合などは、「そんなにがちがちに緊張して遂行できる仕事なんざねえんだよふざけてんのかひよっこ」と
決め台詞は「しゃぶれ(重低音)」
頭領の胸元から可愛らしい包みが出てくるとは想像だにしない構成員である。「えっ、頭領キレた?もう俺やらかし認定されたの?」「何?これ何?自害用の薬か何かですか?」と、すっかり怯える羽目になるのだが、こうした(心臓に悪い)遣り取りは今となっては新入りの洗礼と化している。
…ってな次第で。甘いものを食べたら万人幸せだよねと一途に思い込んでいる頭領により、御庭番では任務達成後の報酬として菓子を配付されるのが慣例となって久しかった。人間の部下には
さて、女郎花が野原に彩りを添えるようになった秋、某日。
一つの白い化粧箱を携え、キリキザンが神妙な顔で招集をかける。『頭領からだ』と聞いて、野郎共は『待ってました!』と破顔し、色めきたった。あぐらを組んで円形に並び、配給の時をそわそわと待つ只今――円陣の中央に、同じく円状となるようキリキザンが箱の中身を置いていく。御庭番の面々と菓子との距離が等間隔になるよう、その手つきはやけに慎重である。
薄和紙に包まれたものが床上に露わになったとき、何とはなしに、一同の視線がブラッキーに注がれた。
『…何だよ、煩ぇな。玉英堂の饅頭じゃァねえか。見りゃ分かるだろ』
分かるわけねーんだよなあ…という空気が漂う中、『とりあえず、名のある菓子なんだな』とダーテングが雑な反応を寄越す。この天狗、ブラッキーとは付き合いが長いので難儀な彼の扱いにも長けていた。いい加減な返事をしておけばブラッキーがムキになって追加の説明を始めるだろうと踏んでの発言だったが、案の定、相手は『おい、なんだそのちんけな言い草は』と口を尖らせる。
『
のせられるがまま講釈を垂れだした。じょうよ…と、またぞろ疑問符しか浮かべない輩を前に、ブラッキーは蔑みに併せ幾ばくか憐れんだ表情を浮かべる。
『本当にてめーらは物を知らねえな。薯蕷ってのは山芋だ。生地にとろろを練り込んで蒸してんだよ。作りは単純だが、それだけに職人の技量が試される。そいつの頂点と言われりゃァ、どんだけ大層なもんか察しがつくだろうよ。
今回の饅頭のでかさから見るに、玉饅で間違いねえだろうな。栗が丸ごと一個入ってるはずだぜ』
まるで手元の台本を読み上げるようなよどみのなさで喋り続ける。
『別名「五色饅頭」。五色の謂れは、…齧ってみりゃ知れるこった。てめーら、一口で食うんじゃねえぞ。ありがたみが薄れちまう』
おまえもどこからその知識を仕入れてくるんだと呆気にとられるくらいであったが、ともかく、詳細な情報がもたらされたことで饅頭への期待感は爆上がりである。ブラッキーが解説を終える頃には、全員が高級和菓子を一心に見つめ――だからこそ、気付いてしまうのだった。
『…御高説には感謝するけどさ』
饅頭からは目を離さず、ドンカラスが口を開く。
『話を聞いて意地でも食べたくなったわけなんだけど、…肝心のブツが』
八個しかなくね?
然り――どう数え直したって目を凝らしたって八個しかない。
確認しよう。この場にいるのはキリキザンにブラッキー、ダーテング、ドンカラス、ヤミラミ、ニューラ、ヘルガー、ズルズキン、そしてゲッコウガ。計九体。重ねて言おう、九体である。
『
ヤミラミの言う通り、かの頭領は「このくらいあれば足りるやろ」精神でざっくりとした買い物をしてくることがままある。実は、九個きっちりとくれたことがあまりない(個体数を把握していないのではないか説まで持ち上がっている)。いつもは十個とか十二個とか、つまり結果的にいくつかの余剰が出て、その余りの菓子を巡って流血沙汰の大喧嘩を繰り広げることが多いのだが――今回のように不足したのは初めてだった。
問:仮に食い損ねたらどうなるか十字程度で答えよ。
解:思っくそ馬鹿にされます。
クズの煮凝りみたいな御庭番のことだ、「のろま」のレッテルを貼られて一週間はいじり倒されるだろう。そのウザさが容易に想像されるため、食いっぱぐれの一体になることだけは絶対に回避しておきたい。
『ま、こうなりゃ早い者勝ちだよねえ』
ニューラが伸びをしながらキリキザンを見遣る。
『だから、開始くらいはある程度公平になるよう円形に並べてくれてるんでしょ?』
『…所詮は気休めだ』
キリキザンは肩をすくめつつ、『念のために確認しておくが』と周囲を見渡した。
『辞退する奴はいるか』
一斉に、きれーに「へっ」と嘲笑が重なった。満場一致である。『だよな』とキリキザンも何ら困惑することなく頷いた。
『そう言う己が身を引けば解決するのでは?』
意地の悪い目つきを見せるゲッコウガだが、あしらいに慣れているキリキザンは難なく応じた(もっとも、この程度の揚げ足を秒でさばいてこその御庭番である)。
『おまえらにそんな親切を働いてやる価値はない』
というか、俺だってふつーに饅頭を食いたいし。…と、そこそこ毒のあることをキパッと言ってのけ、鋼の身体を器用に動かし、姿勢を整える。
『では、改めて争奪戦だ。三、二、一の「いち」時点で動くぞ。いいな』
キリキザンが取り仕切ることにも、饅頭に向かって飛び出すタイミングにも、誰ひとり異論を唱える者はなかった。何かといちゃもんをつけるより集中することを優先したらしい。しばらく経つと呼吸の音すら消え失せ、水を打ったように静まり返った。いっそ恐ろしさまで感じさせる異様な沈黙が場を支配する。任務で合戦場に赴いたときもこんなに殺気立ってなかっただろ、と言いたくなるほどの緊迫だ。各々が、最も瞬発力を出せる体勢を取って神経を研ぎ澄ませている。
軟弱ものならたちどころに震えあがるだろうさなかで、臆することなく、よく通る声でキリキザンが告げた――… 三 二 『 いち 』の、刹那。
空間が、揺らぐ。
ごくごく僅かな距離ながら、御庭番の面々が力いっぱい踏み込んで板を蹴った所為で、床の表面がぎゅるっと音をたて若干摩耗した。勢いよく、標的めがける矢のように身を乗り出し――その果てで待ち受けていた結末とは。
『 獲ったどぉぉぉッ!!! 』
猛々しく轟く、
真っ先に雄叫びをあげたのはズルズキンであった(レマゲ●鉄橋)。しかしながら、この世の禍福は糾える縄のごとしとされる。彼とて例外ではない。高々と戦利品を持ち上げて喜色満面だった、が、その歓喜も数分ともたずにあえなく瓦解することになる。掲げられた饅頭に向かってぞるっと伸びてきた赤い舌によって、まんまとかすめ盗られてしまったのだから。
『脳筋なら得意げに見せびらかすと思ったでござるよ』
ケケケとおちょくる嗤い声。
つい先程までの笑顔はどこへやら、ズルズキンは瞬時に目を吊り上げ、鬼の形相へと早変わりした。ひょっとすると、そのうち般若面のように額から角が生えてくるかもしれない。
『…ひとりで二個もがめるたァどういう了見だてめぇ…ざけんなよクソ糸目…』
『はあ?』
どうしてそんなこと訊くの?馬鹿なの?という面様を見せつつ、ゲッコウガは勿体ぶって指折り数え『拙者と、ルチャブルの分』と何食わぬ顔でほざいた。
『何で当然のようにルチャブルを頭数に入れてんだボケッ!』
『ボケはどっちだ、油断して隙を見せたおまえの過失だろうが』
目当てのものを首尾よく希望の個数で入手したゲッコウガは、ズルズキンとは対照的に、満足げにゆるりと目元を緩ませる。
『小鳥の君はこっちに来てから知った栗の味をお気に召したらしいんでな』
あのときの可愛い顔をもう一度、と、別に誰も問うていないし聞きたくもなかった惚気をしれっとぶっこんでくる。挙句、『ひとり食えないよりふたり食えない方が互いに傷を舐め合えるはず』『拙者なりの優しさだ』等々、性悪特有の謎理論を展開しだした。
向けられる憤怒をのらりくらりと躱すゲッコウガに業を煮やしたようで、ズルズキンは渾身の力で傍らの壁を殴りつけた。思わず身が縮まってしまいそうな重々しい破壊音と共に瓦礫や埃が舞い、ドカッと大穴があく。
怒り心頭で真っ赤に染まるとさかを遠目に眺めながら、『風通しがよくなったねえ』とくだらぬことを言うドンカラスに、『この季節に隙間風は勘弁だぜ』『あーぁ、まーた人間共にどやされるぞ』とニューラやヤミラミが併せて益体のない返答を寄越した。後先を考えていないズルズキンにはいずれの茶化しも届かず、ただ、唾を飛ばしながら喚き散らすばかりである。
『上ッ等だヒョロがり!!!
ただで済むと思うなよ酸液ぶちまけてそのすかしたツラを潰したらァッ!!!』
『強がりは一丁前だな』
威嚇をものともせずにせせら笑い、『おまえの鈍足で拙者が捕捉できるとは到底思えん』と煽り、果てには『小さい脳みそにいくら糖分摂取をさせようが使い物にはなるまい。拙者に食われた方が饅頭も泣いて喜ぶでござる』と言い放って、どろんとトンズラをかました。
『…っの、やろ…ッ!!!』
まだ、屋内にはゲッコウガの嘲笑の余韻が残留している。もはや言葉にならず、ズルズキンの体内ではぶちんぶちんと神経やら血管やらが切れまくっているのだが、そんな彼の肩を、ヘルガーが敢えて何でもないことのように軽く叩いた。
『ほれ、…なんだ、漢なら潔く諦めな』
『あ"ぁ!!?』
どうどう。
慌てる素振りもなく、ヘルガーはいきりたつ仲間をなだめる。
『今度、餌でおまえの好きな木の実が出たら何個か余分に回してもらえよ。な?』
注意しておきたいのは、「回してやる」とは決して言わない点だ。一見、言動が優しげではあるものの、ヘルガーには自分の取り分を与えようという気が更々ない。だから、「回してもらえ」と、他力本願な言い方になる。では、実際、他に恵んでくれる存在が御庭番にいるかというと、…まあ、お察しである。こと食べ物に関しては意地汚い連中しかいないので当然と言えば当然か。
早い話がクズ発言であった。ところがヘルガーは無自覚そのもので、それどころか『俺、すげーいいこと言ってるじゃん…?』というまんざらでもない顔で自己陶酔している。そして、とっておきの名言を口にすべく、こほんと芝居がかった咳払いまで上乗せした。
『ホントはおめーも分かってんだろ…、盗られた方が悪ィって…ぁぁぁあああ"⁉』
いやどういう情緒だよ、と総ツッコミが入る乱高下。
冷静な慰めを試みたはずのヘルガーもまた素っ頓狂な声を出し、ズルズキンと負けず劣らずの錯乱っぷりを露わにする。
『 俺の饅頭もないだとッ!!? 』
やりやがったのァどいつだコラァッと火焔混じりに咆哮する負け犬が、また一匹。
言うなれば、ズルズキンに声をかけにいく余裕があったのも、「自分は饅頭を確保している」という精神的なゆとりがあったからに他ならない。それが――このザマだ。泰然と構える根拠を喪失したのなら、話はがらりと変わってしまう。
実は、ヘルガーがズルズキンに対して『やっちまえやっちまえ』とけしかけ意識がゲッコウガとの小競り合いへと逸れていた一瞬を突き、生来の特性である「悪い手癖」を発揮したダーテングがスリの達人もかくやという鮮やかな手口で掻っぱらっていた。しかし、その真相を知るのはズルズキン、ヘルガー、ゲッコウガを除く六体であり、しかも、いずれも口を閉ざしている。一部始終を目撃してはいるが、教えてやる義理もなく、各々が心の中でゲラゲラ嗤って楽しんでいた。
『ほれ、…なんだ、漢なら潔く諦めな』
ホントはおめーも分かってんだろ、盗られた方が悪ィって。
こともあろうに、一連のセリフを一字一句違えずに言い直したのはダーテングである。
『腹におさめるまでが争奪戦なわけよ。勉強になったな』
偉そうにしようが様になる
『冷静に考えなァ、おふたりさん』
饅頭をもぐもぐやりつつ、ブラッキーが切りだした。
『煙の中であっぷあっぷしてんじゃねーよ。火種を見な。騒ぎを起こしておふたりさんの気を引いちまったのも、饅頭を失う事態になったのも、ぜーんぶ…』
『ゲッコウガの所為だな!』
間髪入れず、ヘルガーが高らかに(且つたいへん短絡的に)結論を出す。少なくともおまえに関しては自業自得だろと誰もが思っているのだが、面白いので指摘しないまま事の成り行きを見守った。
『やっぱ一から十まであいつが悪ィよな!』
ズルズキンが、力強く同意する。同じ被害者同士(と思い込み)、がっしと腕を組み合うふたりである。
『ズルズキン!乗りな!俺らであの陰キャに引導を渡すぞ!!!』
『ッしゃぁ!おまえの俊足があれば天下無敵だぜ!』
満を持して戦に出陣する武将と駿馬のように、勇ましく、ふたりは駆け出していった。これにてようやく、詰所内には平穏な静けさが戻る。まさしく台風一過に等しい。
開いたばかりの風穴からひゅうと侘しい秋の空気が流れ込む中、おもむろに『誘導しといてなんだがよ』と吐露したブラッキーを、キリキザンがちらと見遣った。
『あいつらの馬鹿さ加減がちぃっと心配になってきたぜ』
『…奇遇だな』
俺もだ。
舌鼓を打ったにしては、キリキザンの口調には覇気がない。引き留める気力も尽きたのか、これから馬鹿コンビが乗り込むはずの北の対から苦情が来るであろう可能性についてこれ以上を深く考えたくないのか、『茶を淹れてくる』と言い残し、急須を取りに席を立つのだった。
***
『今、時間はあるか』
ちょうど縁側に出ていたルチャブルに声をかけると、いつにない時間帯の訪問に対し、彼は意外そうな顔を浮かべた。
『差し入れがあるんだが』
白い皮に包まれた饅頭は、しっとりと艶がある。見た目にも明らかに上等な品格が漂うそれを受け取って、ルチャブルの表情が和らいだ。『これを食べる時間くらいならあるぞ』という返事に、ゲッコウガの機嫌は上向く一方である。以前、甘栗を持ってきたときの反応が思い起こされる。あのときも、こんなふうに柔らかな笑みを見せて、栗の味に驚いて、にこにこと頬張って…その様子を傍で見ているだけで幸せな心地がしたものだ。
きっと今回も気に入ってくれるはず…と、ゲッコウガはいそいそ隣に腰をおろす。庭先では
『あの
尋ねると、ルチャブルは頷いて『
『どこから種が飛んできたのかは知らないが、縁があってこの場に根を下ろしたのだからすげなく刈り取るなと』
『…あの御方の言い出しそうなことだな』
『俺は少し親近感が湧いていたから、処分されなくてよかったと思う』
『親近感?』
意外な発言だった。ルチャブルは穏やかな目つきのままで『俺も余所者だからな』と話す。聞くだに哀愁のある内容だが、さらりとした言い方により、湿っぽくはならなかった。
『いてもいいと言われているようで、安心した。…まあ、俺の一方的な感慨に過ぎないが』
それに――…
会話が続くも、声量は随分と小さい。見ると、ルチャブルの視線は水引から離れて膝あたりに落とされている。そして、俯きぎみに『ここにいないとおまえとも会えなかっただろうし』と呟くのだった。
いじらしさに胸をうたれ、想いがこみあげる。嗚呼この小鳥が好きだという切なさがいや増していく。草花の在り様と自身の境遇を結びつける感性の豊かさが尊く、その純粋な心が己に帰結している事実に深い幸福を覚えた。…まだ日も高いが、肩を抱き寄せるくらいのことはしても構わないだろうか。できることなら、口付けまで――…と。うっとり思い描いていたのだ。秋晴れの上空から雷みたいな怒鳴り声が降ってくるそのときまでは。
『『 食いもんの怨みをなめんじゃねーぞゴルァァァァアッ(巻き舌) 』』
ぶち壊しじゃねーか。
ゲッコウガは虚無顔になる。直前までの雰囲気を返してほしい。これから甘く言い迫って逢瀬の約束でも取り付けようかというところだったのに。
まったく青天の霹靂だ。一跳びで垣根を越え、二体の獣がざんと降り立った。彼らの堂々とした出で立ちや声量に騙されてはいけない。いかに威勢がよかろうと、これほど情けない口上で北の対に押し入ってきた不届き者は前代未聞である。
自分で蒔いた種でありながら、ゲッコウガは『しつこい』と愚痴っぽくぼやいた。
『…ここはおまえらのような小汚い輩が入り込んでいい場所じゃないでござる』
『そりゃてめーもだろうが馬鹿たれェっ!!!』
わきまえもせずに
『あっ!なあルチャブル聞いてくれよ!俺らこいつのせいで饅頭食えなかったんだぜ!』
『俺
聞き逃さない。ヘルガーに一瞥をくれ、ゲッコウガは鼻で嗤った。
『おまえも機を逃したくちか間抜けめ』
『ンだとスカタン蛙‼ それもこれもてめーが元凶なんだっつーの!!!』
『無駄吠えするな駄犬が。知ったことか。
…騙されるなよ、ルチャブル。単なる言いがかりでござる。こいつらは拙者に八つ当たりをしてきてるだけだ』
『ッはぁぁア!!?
言うに事欠いてなァーにぬかしてやがんだこの
『閻魔さんに代わってこいつのベロ引っこ抜いてやろうぜ』
皮肉を言うにも和歌や故事を引用する貴人とは違う。あくまでもこいつらは無法者だ。なんと粗野な罵り合いであったことか。
不適切な雑音が発生すれば、無論、それを咎める者があってもおかしくはない。琥珀の目をキッと鋭くし、ルチャブルが凛と声を張り上げた。
『 静 か に し ろ ! 』
この一喝は、実に効果覿面だった。一切の口答えを許さない厳しい声音で叱りつけ、腕を組んで仁王立ちを見せるルチャブルの迫力に圧された三馬鹿は、その場で即座にぴゃっと背筋を伸ばす。
『姫君が手習いの最中だ。騒ぐなら帰れ』
『『『 すみませんでした 』』』
いがみ合う者同士での、不本意な合唱。更には『北の対で品のない言葉を使うな』『内輪揉めを持ってくるな』と立て続けに至極もっともなことを言われ、ぐうの音も出ない。
『さっきから話に出てる饅頭って、これのことか』
兄弟喧嘩に手を焼く長兄のような面持ちで、ルチャブルが嘆息する。
『この場に二個あるんだし、半分ずつにすれば全員が食えるだろ』
黒文字でも貰ってこようかと提案するルチャブルを、御庭番の三体はぽかんと眺めた。未知の存在をまじまじと凝視するような目を向けられ、小鳥の君は怪訝そうに眉間にしわを寄せる。
『何だよ。別に変なこと言ったつもりはないぞ』
『…いや…なんつーか…』
おまえはいいやつだなあ…と、ヘルガーがしみじみ感嘆する。ズルズキンも同意して頷くが、『でもな、ルチャブル』とガシガシ後頭部を掻き、逆接で以て話の穂を接いだ。
『半分ことかな、お利口さんの発想ができるなら俺らもこんなに揉めてねーのよ』
『…分け合う気はないと?』
ズルズキンは、これだけは譲れねーとばかりに「うむ」と重々しく首を縦に振る。
『そういうこった。菓子一個ちゃんと食いてぇの』
『…そうか…』
こうなると、ごく当たり前のように、ルチャブルは自分の手元にあった饅頭を差し出そうとした。そんな!という顔をするゲッコウガはさておき、これまた思いがけなかったので、ズルズキンとヘルガーは互いに見合わせる。対ぐう聖にさほど耐性がないため、何の裏もない善意を率直に示されては、普段からやんちゃしている倫理感の薄い連中といえども流石に心が動かされた。
『……、……ルチャブルは栗が好きなんだっけか』
出し抜けにヘルガーから尋ねられ、なぜこの流れで唐突に栗の話が出てくるのか全く話が見えていないルチャブルはいよいよ戸惑っている。しかしながら、小首を傾げつつもひとまず頷くので、ふたりは『じゃあ仕方ねーな』『その饅頭はおまえが食えよ』と、まさかの「譲渡」を選択するのだった。できることなら、このあたりで「こうして悪たれ共は他者の仁に触れ、心を入れ替えたことで精神的にも成長したのでした」と無理矢理しめくくり、「めでたしめでたし」と話を閉じたいところだが――残念ながら、根本的には何も解決していない。よって、もうちょっと、この実のない空騒ぎは続くのである。現に、ルチャブルも「なんだかなあ…」という感じで、いまいち納得していない。
『だが、…この饅頭でなくても、おまえたちは何かしら菓子が食いたいんだろ?』
『『 うん 』』
『子どもかよ…』
呆れてはいるが、無下にはしない
+++++
通りかかったのは全くの偶然だったのですが、そのときの気持ちを包まず申し上げますと、まず、真っ先に覚えたのは後悔でした。
私を見て、あからさまに顔をしかめてくるのは
『頼みたいことがあるんだが』
私の方へと近付いてこられて――いえ、もう、それはほとんど密着と言っていい距離でした。声を落としてお話されるので、その分だけルチャブル様の顔が間近に迫り、体温や匂いまで感じられる気がしました。用事をうかがうことに集中しなければならなかったのに、鼓動が速まるばかりで、私の頬は赤らんでいないかしらと別のことへ気が散ってしまう始末でした。
『何でもいい、…茶請けをふたり分、都合をつけてもらうことはできるか』
『おふたり、ですか。皆様の分ではなく?』
『ああ。庭に立ってる奴らだけでいい。…別に来客じゃないんだが、事情があってな』
『承知しました。何とかなると思います。すぐにお持ちしますね』
『助かる』
ほっとしたように、ルチャブル様は笑いかけてくださいました。加えて、『来てくれたのがおまえでよかった』と、そうおっしゃるのです。嬉しくて嬉しくて、ふわりと宙に舞い上がってしまいそうでした。ですから、背中に貼りつくような、じっとりとした一名分の視線など、毅然として無視を決め込むことができました。
私は台所にあるおやつ棚から見繕い、茶菓の盆をささげ、小走りで戻りました。殿方と接触することは得意ではありませんが、ルチャブル様に隠れるような形となりながらも恐る恐る強面の方々にお渡しすれば、『おぉ!』と思わぬどよめきが返ってくるではありませんか。失礼ながら、見た目からは想像もしない、
『これって高級なやつ?』『うまい?』と矢継ぎ早に訊いてくる御二方。通常、その手の質問はいささか品がないと申しましょうか、賤しい問いかけだと思うのですが、それにしては無邪気にお尋ねになるので、私はふと笑みをこぼしてしまいました。
『そうですね。青野屋さんの栗最中ですから、物は確かだと思いますよ』
+++++
接点などあろうはずもない、…もしかしたら、一生、会話することもなかったかもしれない高嶺の花。そんな城一番の別嬪から直々に甘味を貰ったばかりか微笑みかけてもらえたのだから、ズルズキンにせよヘルガーにせよ、はえー…と惚けるほかなかった。
『…舞姫さんよォ』
眩しそうに目を細めて、ズルズキンが口を開く。
『俺たち、こう見えて結構律儀だからさ。この恩は忘れねーぜ』
『気にくわねぇ奴がいたらいつでも御庭番の詰所に言ってきな。ぶちのめしてやっからよ』
いたって真面目な口振りのふたりに対し、『はあ…』と困惑するキルリア。ルチャブルがすぐさま『物騒なことを言うな』と苦言を呈する。
『悪かったな。引きとめて』
こうした、ある種の馴れ馴れしさや荒々しさはキルリアの苦手とするところだと、ルチャブルは理解している。それとなくこの場から離れるきっかけを寄越した彼の意図をキルリアもまたきちんと酌み『では、失礼します』とはんなり会釈した。
可憐な存在が通路の向こうへと消えるまでしっかりと見送った後、止めていた息をやっとのことで吐き出すかのような要領で、ズルズキンは余所行き顔をやめてふんと乱暴に鼻を鳴らす。
『おう、命拾いしたなゲッコウガ』
『こっちのセリフだ。用がないなら
売り言葉に買い言葉で再び諍いが始まるかと思われたが、そうはならなかった。ズルズキンもヘルガーもそれなりに満足してしまったためだ。当初は目にもの見せてくれようと息巻いていたのだが、ルチャブルが緩衝材となり、何やかんや菓子にもありつけ(やんごとなき方々の御用達、しかも栗が使われている!)、小町娘と遭遇するおまけ付きとくれば「ま、いっか」と落ち着きを取り戻すには十全である。
『…おまえさあ』
帰る直前、よっこいせとヘルガーにまたがるズルズキンが、ルチャブルに向かって振り返る。
『悪いこたァ言わねえ。付き合うならさっきみてーなかわいこちゃんにしとけよ』
『そうそう、血迷ったにしてもこの蛙はねーべ。虚言癖あるし』
『何か弱味握られて脅されてんの?力になるぞ』
急に色恋の話題を振られ、よもやそこに収束するとは思ってもみなかったルチャブルは、咄嗟には何も言えなかった。かえって過剰に反応したのはゲッコウガであり、『やかましい!失せろと言ってるだろうが!』と盛大に吼える。蛙を後目に『やかましいのはおまえですぅ~』と囃したて、ふたりはケラケラ笑って逃げていく。立つ鳥のくせに跡を濁しまくり、最後までいたずら小僧のようなはしゃぎっぷりで戻っていった。
――と、ここにきてようやく、ゲッコウガは我に返る。あのふたり組が来て以降、今にいたるまで、メッキが剥がれうっかり地を出していたような…。油をさし忘れたからくりがごとくぎこちない動作でルチャブルを見ると、彼は含みを持たせた笑みを口元に浮かべていた。
『…仲間内だとだいぶ口が悪いんだな』
からかうような言い方であろうと、むしろ冷たい汗が滲んでくる。『おまえは「親しき中にも礼儀あり」からは縁遠い奴なのか…』なんて、「仲間に暴言を吐く奴は嫌いだ」とほのめかす言葉までくっついてくるのだから尚のことだった。
『待て、ルチャブル。誤解だ』
あれはじゃれ合いの範疇で…などとゲッコウガが珍しくしどろもどろになる中、返ってきたのは「誤解ねえ…?」とでも言いたげな、気のない眼差しだ。苦し紛れの言い訳は通用しない。ゲッコウガが何を言おうがルチャブルはまともに取り合わず、ひらりと羽を翻して跳躍し、屋根の上へと行ってしまった。
弁解も許してもらえず唖然としてしまうが、途方に暮れている場合ではなかった。あんなゴミ共を理由に関係が御破算になるなんて死んでも死にきれない。ゲッコウガは焦燥に駆られるがまま、慌てて後を追いかける。
+++++
一口食べた瞬間から、舌の上で溶けていくような餡の滑らかさに感動する。通常の饅頭と比べても相当大きくずっしりとしているが、優しくあっさりとした甘さのおかげで、最後まで飽きることなく食べることができそうだ。
ふと見ると、饅頭の断面がかなり特徴的なものになっていることに気付く。外皮の白、次に鶯餡、桜餡、小豆色の粒餡、そして栗の実(先程のふたりが話していた栗とはこれのことかとようやく理解した)。外から見ただけでは分からない手の込んだ職人技が、五層に重なり合っている。この見事な作りに、味わい。高価なものなのだろうと、つい野暮なことを考えてしまった。
『栗が入ってるからわざわざ持ってきてくれたんだろ。ありがとな』
同じく隣で饅頭を口にしていたゲッコウガに礼を言ってみるが、彼はしょぼんとしたままだ。ずっとこちらの顔色を窺ってくるような様子でいることが、何だかおかしかった。随分としおらしい。
『せっかくうまいものを食ってるときにそんな顔するなよ勿体ない』
すると、『御主のせいだ』と拗ねた声が返ってきた。
『…御主に嫌われたら、拙者、生きていけないでござる…』
もそもそと喋る。それもどこまで本気で言ってるんだと茶々を入れたら、さすがに酷だろうか。
『嫌うかどうかって問題以前に、散々な言われようだったな』
相手はぐっと詰まっている。ひやかすのはここまでにした方がよさそうだ。口汚い応酬は褒められたことではないが、あれもまた、ゲッコウガなりの「気の置けない間柄」の表れなのだろう。どことなく、楽しそうではあったから。
『周りからどう言われようと、おまえとの付き合い方は俺が決める』
だから、寂しそうにするな。
こいつもこいつで時折子どもっぽいよなあと思いながら声をかけた。大層なことを言ったつもりはないが、何やら相手の心には響くものがあったらしい。不意にゲッコウガから真剣に見つめ返され、かき口説かれる。
『今夜も来ていいか』
――夜に逢う。それはずっと続けてきたふたりの習慣だったが、その意味合いは最近になって変わってしまった。談笑だけで済んでいた頃とは違って、…いつからか、色香が滲むようになっている。
『 好きにしろ 』
洒落た言い回しは思いつかない。
代わりに両者の間を風が吹き抜けていき、言外に籠めたものが、食べかけの和菓子と共にふわりと香った。
【了】