我々は自由なんだ。
好きなところへ行き、ありのままの自分でいていいのさ。
***
あの日から二日経った。今夜は満月だ。
オンバーンは、ひっそりと空を翔ける。目指すは、この国のはずれにそびえる有名な桜の古木である。
――昔々、雷を司るという神鳥の稲妻に打たれ、活力を注がれた桜があった。やがて生命力みなぎる大樹となり、絢爛豪華な花を咲かせ、晴々しい春景色を紡ぐにいたるのだと――そんな神話を伝え聞いている。
満月。桜。死に様。この合言葉に誘われるように、城を出てきた。
果たして、彼は、根元に横たわっていた。
一昨日の威勢のよさなど露ほども感じられない。はらりと花びらが散る中にあっては、たとえ血生臭い経歴をうかがわせる外見だろうと、いっそ清麗と言っていい。
何よりもまず、そのまま息を引き取るのだろうと思わせる静かな呼吸が、きゅうと胸をしめた。ことさら仲がいいはずもない。友人でもない。顔見知り程度のことだ。それでも、消えゆく命の気配が、しめやかな想いを連れてくる。
おずおずと近寄ると、彼は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
『…こんな所まで御苦労なこった』
あたしも捨てたもんじゃないねェ、と、小さく笑う。卵から孵って初めて、オンバーンは、こときれる生き物を目の当たりにしようとしている。音の一つも聞き漏らしてはいけない気がして、いつもよりうんと集中し、耳をそばだてる。否、耳どころか、今、己の感覚器官は、彼に対してのみ一心に総動員されていた。
『世の中を 憂しと
唐突な出題である。
首を横に振ると、さすがに古かったなと頷かれた。
『憂き世は耐えがたいと、…そう思ったところで、どこぞへと飛び去ることもできぬ。我らは所詮、鳥ではないのだから――まあ、…いくら苦しかろうと、結局は耐え忍んで現実を生きてかなきゃならんッつーことさ』
だが、翼持ちの若様はどうなんだって話よな。
『それこそ、…飛び方を教わったんだろう?てめえの兄貴分からよ』
教わった。
いろはから教わった。自在に飛べるようになった。目的地へと自力で行ける能力を手に入れた。だから、周囲に諫められても奥底では一度ならず願い続けていた。
後ろ指をさされても構わないから、この国に留まるべきしがらみを振り切ってでも、飛び立ってしまいたいと。
『この前は偉そげに説教たれたが、どうせ最後に決めんのはてめえしかいねえんだ。
探したって見つかるとは限らねえ。会ったら会ったでややこしくなる。それと分かって尚――思うところがあるなら、ここからもう少し西の森を訪ねていけ』
飛瀑見事な場所があるという。そこ一帯を根城とするゾロアークなるポケモンに、『ブラッキーから言われて来た』と話せばそれで何とかしてくれる…と。彼は、言い遺す。
『看取ってくれる礼だ。まあ、好きにしな。
若様も夜の眷属なら、「 浮世の月に懸かる雲なし 」くらいのことは言ってくたばれよ。おっさんとの約束だぜ』
闇夜に浮かぶのは、非の打ち所がない真円だ。澄んだ金色の明るさが、一瞬、世間が夜であることを忘れさせた。
その視界の中で、生まれてきた以上は逃れられない孤独な死を悼み泣きはらすように、夜風に合わせてはらはらと花吹雪が舞った。
死を飾るこの光景、決して忘れまいと――オンバーンは記憶に焼き付ける。
命を燃やし、月光を一身に浴び、特徴的な体表の輪っか模様を明々と輝かせ。
彼は最期の力を振り絞り、朗々と詠った。
『月も見て 我はこの世を かしくかな』
誇り高い声だった。
――美しい月も見られたのだから、私はこの世を去りましょう。それでは皆様、おさらば。
余韻の中で、緩々と、再び閉ざされる瞼。彼の目は、二度と開くことがなかった。