※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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【 概要 】
 霊界の案内役を務めるヒトモシの日常


幕間
門火


『おーい!ブルンゲル!こっちだよ!こっち!! ねえッ!! 』

 聞いてんの!!!

 川面から水まんじゅうみたいな青い頭をのぞかせてぷわんぷわんと漂うブルンゲルに向かい、大声を張り上げる。中でもあいつはぼんやりしている奴だから、ちゃんと誘導しないとうっかりお門違いの方向や下手すると通り過ぎて川下に流されちゃうし。

 ぱち、ぱち、ぱち、と、まあるい目をゆーっくり瞬かせて、彼はすぅいと桟橋に近付いてきた。よしよし。ま、あれだけがなりたてたんだから届いてもらわなくっちゃ困る。

 

 ブルンゲルの頭には、一羽の鳥が乗っていた。今にも焔となって燃えだしそうな真紅の翼をその身に纏う。遠目からでは、ブルンゲルの上で(まるで僕みたいに)ちろちろと火が揺らめいているような眺めだったんだけど、そうか、羽の色だったか。

 すたっと軽やかに舞い降りた鳥は、『世話になったな』と労いの言葉をかけている。ブルンゲルは海藻じみた触手をぴらぴら動かして応じた後、とぷんと沈んだ。水中のおぼろげな影が上流へと戻っていくのが見える。次の乗客を迎えにいくのだろう。

 

 今一度、相対する存在に視線を向ける。遠慮なく、じっくりまじまじと見つめる。ぱっと視界に入ってくる紅ばかりに目がいってしまったけれど、改めて見るに、頭のてっぺんから爪先までのめったやたらな多彩ぶりときたらアーケオスあたりといい勝負をしそうだ。色打掛ですか、って感じ。翼の表と裏で色が異なっている凝ったところも、まさに着物さながらだ。

『君の道案内をするヒトモシだよ』

 よろしく。

 見惚れるのを一旦とめてぴょこっと握手を求めると、相手はわざわざ膝をついて屈み、目の高さを合わせるようにして手を取ってくれた。握る力の加減も、『ルチャブルだ』と名乗る声も、とっても優しい。おまけに、間近に迫る美貌や虹彩の麗しさたるや他の追随を許さないほどだ。太陽や月のない薄暗い世界の中、僕の青白い炎を受けて、双眼がきらきらと光を帯びている。いかにも善良な気が身の内から立ちのぼっている有様だったので、きっと生前は周りが放っておかなかっただろうなあと僕は余計なことを考えるのだった。

 

『送り火山で浄化された魂を転生門(てんしょうもん)まで案内するのが僕ら霊型(ゴーストタイプ)の仕事なんだ』

 苔むした石畳の道を歩きながら、とうに慣れきって寝言でもそらんじることができる説明を、いつもと同じように口にのぼらせる。

『聞きなれない言葉がちらほらあっただろうけど、所詮はお役所用語みたいなものだから気にしないで。要は、僕についてきたらいいってことが分かれば万事解決さ』

 勝手に脇道にそれたりしないでね。この霊界ともまた違う変な時空に引きずり込まれることがあるし、そうなったら助けてあげられないから。

 細々とした注意も付け足していく。実際、いま歩いている場所以外を見渡しても、のっぺりとした重たい闇に覆われていて、ここにランターンがいたって遠く先まで見通すことはできないだろう。言っちゃァなんだけど、本来はどんな景色が広がっているのか僕にも分からない。普通、こんなわけわからん場所にきたら下手に動き回るのは止めておこうと考えるはずなのだけれど、僕の言うことを聞き入れてくれない魂が結構な数いたりするんだよね。肉体が消え、魂が浄化されていても、まだこの時点では我も記憶もしっかり残っているから、僕の発言を逐一疑ったり、忠告をいい加減に聞き流して危険な目に遭ったりする傍迷惑な奴らが後を絶たない。だから、ルチャブルみたいに「郷に入っては郷に従え」を実践してくれると、すごーく助かる。何か意見してくるでもなく、淡々と頷き返し、隣を歩く鳥の君。今回の案内はすこぶる楽だなあと僕は胸を撫でおろす。

 

 いつしかでこぼこのひなびた道が途切れ、後を引き継ぐように白くて滑らかな大理石の廊下へと入っていく。回廊だ。等間隔に並ぶ太い柱や天井部の梁、細部に至るまで全てが均一な朱塗りとなっている。その軒先に吊りさげられ延々と続くおびただしい数の釣燈籠が、黄みがかった明かりを煌々と投げかけて、荘厳かつ幻想的な空間を演出していた。

『綺麗だ』

『うん。僕もこの場所は好きだよ』

 ルチャブルは周囲の光景に感じ入っている様子なので、そのままにしておいた。

 僕は、別にお喋りが苦手ってわけじゃないし、会話の盛り上げ方もそれなりに心得ているつもりだけど、もともと口数は少ない方だと思う。死後の世界ならではの『どんな一生を送ってきたの?』って鉄板ネタがあるっちゃあるけど、好んでは使わない。これ、実は見極めが難しい問いかけだと思ってる。いつ地雷を踏むか分かったもんじゃないし。相手が話を振ってきたら応じて、それ以外は好きにさせておく。案内役としての、僕の基本方針。

 ルチャブルとは、他愛ないことをぽつぽつ交わしたくらいだ。いたって静かな道のりだった。根っからの口下手ってことはなさそうだし、気まずそうにしている様子もないから、たぶん、ルチャブルも僕と似たようなもんなんだろう。僕らの間にはたびたび沈黙が落ちてきたけれど、それは心地よくさえ感じるゆったりとした静寂だった。

 

『転生門まで、あと少し』

 回廊を抜け、石段をのぼる。時には踊り場で雑談ついでの休憩を挟みながら、ひたすら上を目指す――といっても、直階段なので終わりは見えているし、今までとは違って、のぼりきった先の活気も伝わってくる(霊魂が集う場所なのに活気って表現もどうかとは思うけどさ)。

 ルチャブルも『急に賑やかになってきたな』と言うので、『屋台が出てるからね』と答えておいた。

『まあ、着けばわかるって』

 何て言ったらいいのかなあ。

 神社とか、そのへんが一番想像がつきやすいだろうか。

 僕らが立っているのは参道に相当する場所で、真っ直ぐ進んだ先には、神社なら拝殿とか本殿とかあるんだろうけど、ここではでっかい二本の石柱がでんとそびえ立つ。一対の柱の間にはぶっとい注連縄が張られていて、つまり、その注連柱が転生門ってことになっている。ルチャブルがあの向こう側へ行くのを見届けるまでが僕の役割。で、その注連柱のもとまですたすた行ったっていいんだけど、それはちょっと味気ないよね。本来は手水舎だの社務所だの境内社だのがあるはずの空間に陣取って、参道沿いにずらっと出見世が並んでいることですし。

『せっかくだから見物していってもいいんじゃない?無理にとは言わないけど』

『…いや。寄っていいならそうさせてもらう』

 出見世っていったって、出店数が多いだけで取り扱っているものは二種類しかない。

 鬼灯(ほおずき)と、くじ。この二つ。

 店による品質の差だとかは大してないから、どこもかしこも人間やポケモンの魂が押し合いへし合いしていて、賑わいをみせている。

 表の世でも、人間たちが催してたんじゃないのかな。こういう「ほおずき市」ってやつ。たわわに実った鬼灯の株を植木鉢に入れて、店先につるして。それらが密集することで出来上がる朱色の滝みたいな眺めはいつ見ても壮観だ。ここの鬼灯は特別で、六角状の萼(がく)に包まれている実が袋の中から蛍火みたいに光を発しているから尚のこと華やかだ。

『手折っていきな』

 ルチャブルに向かって、鬼灯の合間からチリーンが声をかける。

 原則的に、この空間で活動できる「生きたポケモン」って霊型以外にいないんだけど、送り火山に生息しているチリーンやリーシャンは霊力がずば抜けて強いからその限りじゃなくって、彼らの出す音が魔除けになることを理由に、接客を兼ねてやって来てくれる。頼もしい仕事仲間だ。

『鬼灯は魂を導く灯。転生門をくぐった先も薄暗いから、あると心強いよ』

『持っていっていいのか』

『そそ。お代なんかいらないよォ。手向けの香華(こうげ)だとでも思ってくれたらいいさ』

 涼しげな音をたてながら、チリーンがにこやかに愛想をふりまく。

 ルチャブルは礼を言って、ぱきりと茎を折った。手に持って『提灯みたいだ』と笑っている。

『くじの屋台は何が売りなんだ。交換する景品があるようにも見えないが』

『…うーん…そうだねえ…』

 

 当たりを引いたら、今ある記憶を来世に持ち越せるんだよ。

 

『強いて言うなら、それが景品かもね』

 僕の返答を聞くと、ルチャブルの目が僅かに見開かれた。

 くじを引けるのは一遍こっきりで、無論、然(そ)う然う当たりはしないけど、望みを託して挑む魂は多い。仮に当たりくじを引いた場合でも、そこには手放しで喜べない事情が待っている。但し書きが添えてあるからだ。「当たりです。おめでとうございます。た(・)だ(・)し(・)――」と。

 記憶を保持できることが叶っても、その但し書きの内容によっては不都合に早変わりだ。だってさ、「仇敵だった相手と家族になりますよ」とか書いてあったらどんな顔してればいいんだろうか。向こうは覚えていないのに、こちら側の前世の記憶が邪魔して健全な関係を築けなくなることだってあるんじゃないかな。でも、くじに書いてあることは絶対だ。当たったからには引き受けざるをえず、なかったことにはできない決まりになっている。

 当たりくじがどんな条件をつけてくるのか、それは誰にも分からない。「ただし」と言ってくる以上、それは「悪しからずご了承ください」ってことだ。当たったことに有頂天にさせるばかりではなく、そこに平気で冷や水をぶっかけてくる――。

『そういうことも踏まえて、くじを引くかどうか決めるといい。肝心なのは、単なる運試しじゃないんだって心得ておくことだよ。はずれてなんぼ…とかじゃなくてさ、まずは当たったときの覚悟をしておかないとね』

 少なからず「当たらなければよかった」と嘆く場面に遭遇したこともあるから、親切のつもりで釘を刺す(それで怖気づくような相手でないことは、そろそろ分かってきていたし)。

 思案する素振りを見せたあとで、彼はいたって冷静に結論を出した。『やめておく』と。

『この記憶は大事なものだ。とっておけるならそうしたい。今だって、…置いてきた奴のことを気がかりに思ってる』

 だが、終わったことだ。

 終わってしまった。

『俺が俺として生きる時間は、これきりだ。

 次に生まれ変わったら、もう、それは俺じゃない。俺じゃない何かに俺の記憶を入れておく必要もない。ついでに、その「但し書き」とやらで確実に水を差されるのも考えものだしな』

 決意が揺らがないうちに出発すると告げ、ルチャブルは屋台から離れた。何とはなしにうかがってみたけれど、彼の横顔は穏やかだ。出来物だなあと、何度目になるかわからない感心の念が胸をよぎっていく。どんな生涯を辿ったらこんなふうになるんだろう――そこに思いを馳せたとき、ふと答えが浮かんだ。

 

 きっと、彼は幸せだったんだろう。幸せだからひねくれものにならなかったけど、一方では過酷なことが多かった所為で取り乱したりはしないんだ。

 

 だからやっぱり、ルチャブルの過去については尋ねないことにした。彼もそれを望むだろう。掘り返すことなく平らなままでさよならしようと思った。

『僕が付き添えるのはここまでだよ』

 転生門を前に、僕はルチャブルを仰ぐ。 

『よそ見をせずに、一本道を進む。簡単でしょ?

 そして、…当たりくじを持っていない君は、道を進むうちに自分が何者であったのか忘れていく。初期化されて来世に到着するんだ』

 本当にいいんだね、という顔をしたが、ルチャブルは相変わらずだった。

 出会って間もない相手だし、数ある魂のうちの一つだと分かっているのに、不思議と、彼のために何かしてあげたいという気持ちが湧いてくる。だけど、その「何か」は結局形にはならないし、僕は自分に課された業務以上の逸脱行為をしてはいけないことになっている。案内してくれてありがとうと差し出された手を握り返すことだけが、僕にできる精一杯だった。

 

 

***

 

 

『遠泳させちゃってごめんね。お疲れさま』

 話かけている間にも、すらりとした紺色の蛙がざばりとあがってくる。彼の皮膚をつたってぼたぼた落ちてくる水滴から頭の火を守りながら、僕は先を続けた。

『渡し守の数が足りなくてさあ。元から泳げる魂たちには自力で三途の川を移動してもらってるんだ』

 ちょっとおどけた物言いをしてみたけど、言葉は返ってこない。

 桟橋から呼んだら寄ってきたし、僕のあとについてきてねと言うとその通りにするんだけれど、彼は一言も口をきかなかった。蛙って、もっとやかましいもんだと思ってたんだけどな。偏見だったかしら。

 僕からしたら羨ましいほどの、しなやかな痩身。長い手足。双眸だって目をひく珊瑚色だ。でも、宿す眼光は冷えている。触れたらすぱっと切れちゃうんじゃないかと想像させる鋭さだ。にらめっこしろって言われたら僕の方が真っ先に泣いちゃいそう。

 

 道中、彼の視線は散ってばかり。物珍しさから眺めてるんじゃないってことは、僕も承知している。この手の魂は何度も見てきたからね。

『ねえ。誰かを探してるの?』

 問えば、初めてまともに僕を見てきた。ああ、まだいたのか、とでも言いだしそうな面様をしている。

『……、…すぐに後を追ったところで追いつけるということでもなさそうだな』

 脈絡がない。

 僕の質問に対する返事…だと、思いたい。いくつもの文脈をすっとばした回答だけど。

 ようやく聞けた声は、第一印象の通りに薄情そうだけど、結構いい響きをしていた。この容姿だもんね。男前には美声がくっついてくるものらしい。

 蛙は、「後を追った」と言った。それが意味するところを明らかにしたって愉快なことにはならないので、根掘り葉掘り聞いたりしない(中にはそういうのが好きな野次馬な案内役もいるけど)。察しをつける程度にとどめておく。

『生物的な死を迎えたらさ、とりあえず、魂は送り火山に導かれて浄化されることになってんのね。浄化が済んだ魂から順に転生門…いま向かってるところだけど、そこに連れてくわけ。で、話が前後するけど、浄化にかかる時間は一律じゃないからさ。生きた年月の長さとか、そういった個体差もあるし』

 あとは、生前の罪が重かったりすると当然浄化には時間がかかるよね。

 補足すると、何か思い当たる節があるのか、蛙は少し苦い顔をした。

『だから、例えば死んだそのときまでは誰かさんと一緒だったとしても、死後の世界までそれが維持されるっていうのはほとんどないんだなあ。残念だけど。なにせ、お互いに一生の歩み方が異なっているわけだから。当たり前に、浄化時間のズレが出る。案内役の霊(ゴースト)としては、そこは仕方ないもんとして割り切ってくれるとありがたいです』

 蛙は途中で遮ったりすることなく最後まで聞き終わり、そのあとはまた黙りこくってしまった。

 魂の浄化が終わっても記憶はまだ残ってるもんだから、もう死んでいるにせよ生前と同じような心の機微が在る。感情も機能する。現に、蛙は落胆している。こういう魂を目の当たりにするとき、僕はいつも、送り火山で魂を浄化するだけでなく生前の記憶ごと溶かしてまっさらにしてやったらいいのにと思う。なんでそうしないのかな。二度手間じゃない?そんなことをかつてヨノワールのおじいちゃんに愚痴ったことがあるけど、『記憶は魂に最後までこびりついている頑固な汚れみたいなもんだから、剥がすには手間がかかるんだ』って言ってた。『だからくじ引きの仕組みもできたんだ』って。

 ――汚れ、ね。多分に失礼なことを考えながら、ちらちらと蛙の様子を見遣る。…あらら。なーんにも眼中にありません、って顔。誰しもが感嘆の溜息をつく朱塗りの回廊へさしかかっても陰りは全然晴れていない。根深いなあ。命を投げ出せるほど思い入れのある相手ならば、然もありなんてとこか(一方で、そのぶっ壊れた執着心に薄ら寒いものを覚える)。気の毒になってくるけど、僕にはどうしようもない。ここに来た以上は、転生門を通り抜けて新たな生涯へと踏み出してもらわなければ困る。

 

 虚ろな彼が息を吹き返したように反応を示したのは、いよいよ転生門も間近に迫るというときになってからの、くじの屋台について説明したときだった。『どうする?』と尋ねると、間髪入れずに『引く』との即答。

 ちょっとちょっと。よく考えたの?

 訊き返しそうになったけど、二度も言わせるなと怒鳴られそうなくらい真剣な目つきをしていたので、思わず口をつぐんでしまった。

『この記憶は消せない。絶対に』

 可能性があるなら藁にでもすがろうという意気だった。

 機会は一度だけ。但し書きの話もした。当たったときの覚悟云々についても触れた。それをも構わず、既に、彼には当たったときのことしか頭にないらしかった。それはそれで危なっかしい。

 ところが、こちらの心配をよそに、微塵の躊躇もなく蛙は無数のくじが入った箱へと手を突っ込んでいく。

 運には自信があると豪語していたけど、やめなよお、そういうこと言って格好がつくのって主人公格だけなんだしさあ。はらはらしながら見守っていたけど、果たして――。

 

『あら。当たり』

 

 店主のムウマージがふふふと笑い、傍にいたリーシャンがリリンリリンと鳴った。お、あっちで当たりが出たぞ。あの店でくじを引こう縁起がよさそうだ。わいわいとざわめいて他の魂たちも集まってくる。

『あにさん。それ、お化け文字だからね。ヒトモシに読んでもらいなさいな』

 そこには、見間違えようもなく「あたり」の文字が墨痕鮮やかに記してあるし、引き当てた蛙も当然と言わんばかりのすました顔をしている。うそォ。

『注釈は?』

 急かされて僕は我に返り、急いで文面に目を通した。まったく、おめでとうを言う暇もない。

『えっと、…』

 どもる気配が伝わったのか、『さっさとしろ』と蛙が睨みをきかせてくる。うわあ、おっかない。呼吸をするように自然な威圧だ。生前は叩けば叩くだけ埃が出てくる奴だったに違いない。だから浄化にも時間がかかったんだろ。お見通しだぞ。

 いや、内容があんまりアレなもんで言いづらい…とかじゃなくてさ。これ何?彼なら意味がわかるわけ?

『…籠の鳥、記憶を分かつことあたはず…だって。どう?ピンとくる?』

 言い終えたそのとき、僕は思いがけないものを目の当たりにした。

 蛙は笑っていた。

 ゾッとするような、狂気がぬるりと滴ってきそうなほどの、妖しい笑い方だった。

『再会の確定か』

 

 

 そこにいかなる条件が介在したとしても、いつか、必ず。次も必ず。オレには小鳥を捕らえる日がやってくる。

 ――嗚呼。呪いをかけた甲斐があった。

 

 

 まるで理解不能なことを呟き続けて、くじの紙を握りしめて、蛙は満足げに転生門へと進んでいく。

 去り際まで不穏なことを言っていた。逃がさない。見つけ出して取り戻してみせると。

 僕は、遠ざかる蛙の背に向かってそっと合掌した。彼の無事を祈ってるんじゃない。彼に目をつけられている「籠の鳥」なる存在の来世が安寧なものであるようにと願わずにはいられなかったのだ。

 

 

***

 

 

 僕の目の前をどんぶらこどんぶらこと笹舟が通り過ぎそうになったので、慌ててサイコキネシスで引き寄せる。もう!またかよ!ひとり舟には竿を渡しとけって言っただろ!やだよねー、前々からの苦情を放置されるってのは。こちとら頑張って仕事してるのに、なんか軽んじられている気がする。

『手を貸してやりたいのは山々なんだけど、僕、ご覧の通りに小さいからさ。自分で降りられる?』

「やってみよう」

 わァお。目をみはっちゃうね。透き通るような白い肌に、黒髪豊かな美女だもの。ほっそりとした首の上には、お雛様みたいに整った顔が鎮座している。

 よいしょと勢いをつけて、重たげな着物に四苦八苦しつつも、彼女は何とか桟橋に降り立つことに成功した。乗り手を欠いた笹舟はひょろひょろと小刻みに揺れながら、流されるがまま立ち込める靄(もや)の先へと姿を消した。放っておいても構いやしない。そのうち、誰かが見つけて元の乗船場に戻してくれるだろう。

『怖くなかった?』

 尋ねると、柔和な視線が降りそそいできた。「ちっとも」と形のいい唇が動き、玲瓏な声を紡ぐ。

「巨大な魔人が、私を舟に乗せてくれた。終始無言だったが、最後には手を振って送り出してくれてな。愛らしい仕草だった」

 巨大な魔人。たぶんゴルーグだ。

「話に聞いていた事柄とは随分と違うのだな。六文銭は不要、懸衣翁(けんえおう)に奪衣婆(だつえば)、積石塚も見当たらぬとは。果てには大きな笹舟ときたか。幼い頃の思い出が蘇ったよ」

 川下りの間にも、見たこともない鳥獣たちが悠々と泳ぎ、上空を飛び、目に楽しかった…なんてことをあれこれと語る彼女の声は明るく弾んでいる。

 ポケモンの方が死を身近に感じている分、彼岸に来たってじたばたしないもんなんだけど、人間はそうもいかない。人生を終えた現実を受け入れられずにひとしきり嘆いて、打ちひしがれて、一歩も動けなくなる…ということもザラだが、この女性は違った。肝が太いのだろう。この場を楽しんでさえいる。

「ときに、おまえは蝋燭の付喪神なのか」

『え?』

「耳にするのはおまえの鳴き声なのに、何を言われているのか理解できる。不思議な術だな」

 霊界の仕様について一から語りだすとそれはそれは煩雑になってくるので、僕はばっさりと行程を省く。ものぐさですみませんね。

 それに、なんだ、付喪神?いいよ、その案でいこうか。

『得心がいくなら、そういうことにしといて。何にせよ、貴方に危害を加えるような存在じゃないつもりだよ』

 目の肥えていないドのつく素人でも一見して最高級と分かるお召し物。着物から、圧倒される力強さを感じる。着ているだけで御利益がありそうだ。絹の光沢は隠しようもなく、その気品ある生地がごく淡い朱華(はねず)色に染められ、全体に松竹梅の柄が散りばめられている。どれだけの月日を費やしたのだろうと気が遠くなりそうな、見事な刺繍だ。職人の中でも一級の腕前を持つ者が手掛けた渾身の作だろう。

 間違いなく高貴な身分の人間だと分かるけれど、彼らの社会的な地位なんて僕にとってはどうでもいいし、死んでりゃ猶更だし、今このときも全然敬ったりしていない。大丈夫だろうか。まあ、相手が全く機嫌を損ねず友好的だもんで、僕もそこに甘えるかたちとなっている。

『素晴らしい逸品だね。着物にのまれてない貴方も綺麗だ』

 媚びたんじゃない。素直な感想だ。そのまま吐露すると、花開くような笑顔を向けられた。すごいなあ。この場の明彩度がまた高くなった気がする。

「総領を生んだ際に殿から賜った」

 殿。総領(世継ぎ)。そんな単語が、何の驕りもなく落っこちてきた。やっぱこの女性(ひと)、どこぞの御前様(ごぜんさま)かあ。そっかあ…。

 にしちゃァ、気取ってないね。そう話すと、可笑しそうに、おまえも臆さないなと返された。

「利に惑ふはすぐれて愚かなる人なり…と言うからな。生前の富や名声など、彼岸へ渡れば用なしだ。…それでも、死装束の代わりにこの着物を羽織れるとは喜ばしい」

 さあ、どこへ連れていってくれるんだ。

 貴人が微笑する。駕籠(かご)がないのは重々承知、彼女は徒歩(かち)で移動する気満々だ。たくましくて大いに結構。

 

 

 ――というか、肉体がないんだから疲労とは無縁なんだけどね。気分の問題。嫌だなあと思えば嫌になってくるし、しんどいなあと思えばしんどくなってくる。そんな中、彼女がどれだけ歩いたって元気いっぱいなのは、少しも面倒くさがらず前向きに歩を進めているためだ。長い回廊や石段を物ともせず、好奇心も旺盛で、あれは何だこれは何だと質問が途切れない。もはや観光だ。おかげで僕も退屈せずに済んだし、いつになく沢山喋った。たまにはいいね。こんな死出の旅路も。

 転生門前の屋台なんて、それはもう大はしゃぎだった。

 ほおずき市か。民に交じって見物してみたいものだと思っていたがまさか死後に叶うとはな。おや、風鈴の付喪神もいる。赤本(幼児向けの絵本)を読んでいる気分だ――にこにこと屈託ない。この調子だとくじにも興味を持ちそうだなあと眺めていたら、案の定、やってみたいと宣(のたま)った。

「おまえの話も気遣いもよくよく飲み込んだうえで決めた」

 この場の高揚感に浮かれているばかりではないぞと付け加えてきたけれど、それ、本当?あれだけきゃあきゃあ騒いでおいてよく言うよと思うけど、確かに、彼女の目にはいくらかの落ち着きが残っているようにも見える。

「肺の病だった」

 懐かしい思い出話をするような口調だったので、束の間、死因について語っていることに気付けないほどだった。

「治療法はなく、まずいことに、人から人へうつるという難儀なもので――私はずっと奥座敷にいたよ。誰にも会わぬまま終わりを迎え、朦朧とした中で辞世の想いも伝えられずにここへ来てしまった。

 己の人生について振り返る時間が全くなかったことが、唯一の心残りだ。もし許されるのなら、私は生前の記憶を心ゆくまで反芻したい。…はずれを引いたら引いたで、諦めがつく。おとなしく、あの転生門とやらをくぐっていこう」

 彼女の指がくじの箱へ伸びる。

 白魚のような華奢な指。水仕事にもあかぎれにも縁がなかったろう生活ぶりを彷彿とさせるその指が、一枚、運命をつまみあげる。

 

 

 アさて、アさて、アさて、さて、さて、さて。さては霊界たからくじ!

 リーシャンがしゃんしゃかしゃんしゃか景気のいい音をたてるわけさ。

 

 

 ――来世、人にあらず。

 当たりくじに書いてあった文言に、彼女は落ち込んでいなかった。

 向かう先はどんな時代なのか。どんな世界線なのか。分からないけれど、次はポケモンにでもなるんだろうか。「人以外」ってことなんだから、植物とか、そのへんの石っころの可能性も十分にあるわけで、その、人でない存在が人であったときの記憶を持つって複雑じゃないのかな。

 だけど、彼女は「それでもいいさ」と言った。目の前の移ろう景色や時間をゆるりと愛でながら生涯を振り返るとしよう。晴れ晴れとした表情で、そう言い切った。

 

『次の一生もしっかり楽しんでね』

 

 別れの挨拶を述べると、境界をまたいだところで、薄命の姫君はさらりと振り返る。それにあわせ、左手の鬼灯がふるりと実を揺らしたのが見えた。

 あいている右手は、僕に向けてひらりひらり。

 きっとゴルーグが彼女に手を振ったときもこんなふうだったんだろうと思わせる、こじんまりと愛らしい動きだった。

 

 

 

【了】

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