換羽期を迎えて変調をきたすルチャブルと、彼を取り巻く者たちの反応
■ 換羽期:表/姫たちの内緒
梅雨が明け、満を持してテッカニンが鳴きだした頃のことです。
庭園の池で睡蓮の花が咲いたそうだから見にいこうと、それは、
からりと晴れわたり、夏の気配を濃くした真っ青な空。
その下では、水面を彩る乙女色の花弁が可憐に開き、淡い芳香を散らしています。
姫様の側には幾人かの女房方がいて、その後ろを、私たちは――ルチャブル様と私は、付き従って歩いておりました。
ひとりで勝手に舞い上がり、勝手に挫折し、勝手に後味を苦くした私の初恋。
それでも、…愚かな私は、当時、慕う殿方と共に美しい景色を眺める幸せをそっと噛みしめていたのです。
『綺麗ですね』と面白みの欠片もない月並みなことを言う私に、『おまえがいると絵になるな』と優しく返してくださることが本当に嬉しくて、私はふつふつと湧き上がる喜びを、胸の中で大事に温めるのでした。
はにかんで俯いた私の視線が下に落ちたので、時を同じくして、地に落とされたものに偶然ながら気付くことができました。
羽根が、一枚。
華麗な真紅と青柳とが表裏一体となる煌びやかなそれを、私は即座に拾い上げました。ルチャブル様のものです。迷いなく手に取る理由など、それで十分でした。
私の様子を見た彼は、苦笑を浮かべました。『捨て置けばいいのに』と。
『要らないものなんですか』
『…要らないも何も、』
古くなって傷んだ羽根だからとおっしゃいます。
『もう一年が経ったのか…。換羽期が終わったのは、ついこの間だった気がするのに』
『…かんう…』
『年に一度、羽根が生えかわるんだ。…一気にかわってくれたら楽なんだが、こればかりはな』
『時間がかかるんですね?』
『そのあたりは鳥の中でも色々だが、俺の場合は秋までかかる』
『まあ、…そんなに…』
彼と出会った去年の秋を思い出します。
きっと、あのときには全ての羽根がすっかり生えかわって真新しくなっていたのでしょう。この両目を奪うに十分な麗しさであったことにも納得がいきます。
私は思いきって、この羽根を貰っていいか尋ねました。するとルチャブル様は少し困った顔をして『とっておくほど上等なものではない』という旨を口にされましたが、私は引き下がりませんでした。
『とても捨てることができそうにありません。色も、艶も、素敵なものに感じます』
『…おまえがいいと言うなら…』
釈然としない御様子でしたが最終的には許可をいただき、私は思いがけず手に入れた宝物で胸が焦がれ、苦しいほどでした。
ちょっとしたわがままにドキドキしながら、「ときめき」という言葉の意味を、身を以て知るのです。
***
初めて、蒐集家の気持ちが分かったような気がします。
心を満たすものに囲まれていたいという心情――私は、彼の美しい羽根が無造作に破棄されることを恐れました。
いつのまにか抜け落ちているルチャブル様の羽根は、その鮮やかな色彩によって大変に目立ちましたから、すぐに見つけることが叶いました。
――そうです。私は、こっそりと、ルチャブル様の羽根を集め続けたのです。
雅な家柄ゆえに、年間を通じて何かと贈り物が届けられる場所ですから、私はほどなくしてちょうどいい大きさの桐箱を入手し、そこへ輝くばかりの彼の一部を保管しました。
秋を迎える頃には、一対の翼をそっくり再現できるだろうと思えるほどに、箱の中はいっぱいになっていました。
***
私は、彩に満ち満ちた箱を、そっと姫様の前で開けました。
私と姫様は、これまでに、何でも分け合って絆を育んでまいりました。おやつも、思い出も、秘密も。色んなものを共有してきたのです。例外はありません。ですから、私の宝物をお披露目することもまた自然の流れでした。
桐箱の中身をご覧になった姫様は、僅かに、目を見開かれます。
「…おまえも、いじらしいことだね」
花のかんばせに哀しげな微笑みを刷いて、姫様は私の頬を撫でました。
女同士です。どうやら私の想いも、その結末も、とうにご存知のようでした。
「鳥には換羽の時期があると、話には聞いていたが…。
そうか、…いつのまにか小鳥に変化が訪れていたんだね。情けないことだが、ちらとも気付かずにいた」
それも無理からぬ話でした。
ルチャブル様が身だしなみに細心の注意を払い、姫様に心配させまいと気遣っていらっしゃったことを、私は知っていました。
己も情けのうございます。彼からいつもと変わらぬ姿に見えるかどうか訊かれるたびに、『平素違わずお綺麗です』と返事をして、その努力に労いの意を示すことだけが、私の精一杯でした。
「舞姫。おまえが大切に集めたものを、よかったら私にも分けてはくれまいか」
姫様の問いかけには、すぐに首肯しました。元より、そのつもりです。
「知人に、書家がいてね。最近は鳥の羽筆を熱心に収集しているそうだ。この美しい羽で筆を作れば、世に二つとない珍品となろう。きっと喜んでもらえる。
矢羽に使うのもいいな。明るいが上品な色をしている羽だ、まさしく贈答用の矢に相応しい。
あとは何か、…そうだ。最近は私も茶道に打ち込んでいる身だからね、茶の湯で使う
姫様は、この羽根の魅力を活かすいくつもの方法を楽しそうに挙げて――そうして一息つかれた後、私の手を静かにとって、おっしゃるのです。「おまえには羽毛扇を作ってやろう」と。
「慰めになればいいが」
姫様は、私から羽根を取り上げようとはなさいませんでした。むしろ、持ち続けることを認めてくださったのです。
捨ててしまえと言うこともなく、忘れろとも、諦めろとも、口にはされませんでした。
どうしても好きなのです。
たとえ叶わぬと知っていても、毎日、会うたびに、やっぱり私はあの御方に惹かれてしまう。この恋をなかったことにするなんて、できるはずがないのです。
嗚呼…いったい、どんな扇子になるかしら。
あれこれと思い浮かべることも心が弾んで、私は、姫様に笑顔を返しました。
これから新しく生まれ変わる私の宝物――賜るその日を、楽しみに待っています。