いつか、もう一度ふたりで恋をしたい。
カロス地方では、秋の訪れが早い。
十月も中旬を過ぎた頃から、あちらこちらで色付く木々が見られるようになる。
先週より一段と深まった冷え込みがこたえたのか、男は飲み物を買いに湯気を漂わせている屋台の方へと行ってしまった。成人男性の平均身長を軽々と上回る奴の後ろ姿を眺めつつ、ルチャブルと共に、イチョウの樹の下で待っている。
以前、も。
こうして。
銀杏が舞う中で語らうことがあったと、…彼は、覚えてはいない。
籠の鳥、記憶を分かつことあたはず――霊界での、あの神託は本物だったわけだ。もちろん、淡い期待がなかったといえば嘘になる。だからと言って、対面した途端にすべてを思い出してくれるだとか、そんな、…都合のいいおとぎ話の展開にはならなかった。
――別に、それでもいい。
覚えていようがいまいが、都度、何度でも、この心が小鳥に恋をするだけだから。
『…おまえは幸せ者だな』
コーヒーを買い求めている男の背中を遠くに見ながら、ルチャブルが口を開く。
『彼の献身があったからこその強さなんだろう?』
『…、…強くしてもらったことは否定しないが…』
主人に恵まれたなと言いたいのだろうが、別にあんな奴、互いの利害一致によってつるんでいるだけの話であって。特別な情など何一つない。
そんなことよりも、
『拙者にとって、御主と出会えたこと以上の幸福はない』
真面目に言い放つ。
この返答にからかいを見出せなかったがために、ルチャブルは頬を染めたらしかった。戸惑いぎみに『言ってて恥ずかしくないのか』と俯くものだから、『全然』と返して更に追い討ちをかける。これだから可愛くてならないのだ。むせかえるほど甘い言葉がいくらでも思いつくほどに、彼の虜になっている自覚は、ある。
変わらない。
凛々しい振舞いを見せていても、実は心を許しやすくて、懐っこいところとか。笑うと少しあどけない目つきになって、柔らかな表情になるところも。何もかも。
足元に広がる、鮮やかな落ち葉の絨毯。
黄色いイチョウの並木道の向こうには、赤々とプラタナスが続く。
――紅葉、か。
するりと、隣に佇む彼の頬を、ひと撫で。
『…御主の頬に散る紅葉も美しい』
『ッ、気障なやつ…!』
憎まれ口にはなりきれなかった声の調子に、恥じらいが滲む。
どこか居たたまれない様子で、…しかしそのうち、ルチャブルはふと軽い吐息を以て、どうしようもない悪友を前にしたときのように――笑った。
『…そういう気取った台詞も、おまえなら言いかねないと思ってしまうのは何故なんだろうな』
おまえとは初めて会った気がしない。そう告げられた。息が詰まった。やがて周回遅れでやってきたえも言われぬ多幸感が、呼吸の仕方を忘れさせていく。
『…案外、どこかで会ったことがあるのかもしれない。…、…覚えていないだけで』
やっとのことでそう言うと、ルチャブルは『そうだといいな』と悪戯っぽく微笑んでみせた。
愛おしさが、胸を衝く。
今世でも、また、…彼の眼差しが自分だけに向けばいいのにと求めてしまう。その存在を前にしただけでこちらの心は容易く揺さぶられてしまって、…本当は、今すぐにでも――…
「お待たせしました!」
…――ホントさァこのクソ野郎。そういうとこやぞ。
余韻に浸っていたいところへ絶妙に嫌なタイミングで戻ってきやがって。空気読め。
正味な話、野生界での逆境をはね返していけるだろう強さも身につけたし、ルチャブルとの再会も果たしたし、もはやこの男に用はない。先程までのことにしてもそう、「ちょっとここで待っててね」と言いながら人混みの中に子どもを遺棄して捨てていくクソ親ムーブっぽく、「奴が屋台に行ったが最後、今生の別れとなったのでした」…的な流れになっても一向に構わなかったのだが、今のところ、しばらくはこいつの傍にいようと決めている。理由はちゃんとある。チャンピオンになることそれ自体に興味は湧かないが、強いポケモンと対戦できる腕試しの機会が増えるのなら、それもやぶさかでない。これが一つ。
…最たる理由とは、無論。
視線をルチャブルに戻す。
「ふたりの分も買ってきましたから」と言いつつ男はココアのカップを差し出してきたわけだが、只今現在、ルチャブルは、じいっと見慣れない液体を見つめ、すんと匂いを確かめている最中だった。この時点で相当愛らしい。
ず、と啜って、途端――ほわぁ…って。ほわぁ…ってなるのだ。無敵か。
和みを視覚化したような小さな花がぽやぽやと放出されている、そんな感じの、ハチャメチャにしあわせな幻覚。実際にフローラルな香りすら辺りに漂っている気がする。
こういう、ハートを蜂の巣にされかねない超絶キュートな姿を楽々と目の当たりにできるのも、人の世で過ごしてこそ。ひいては、…あまり認めたくはないが、人間に飼われてこその眼福と言えた。
ルチャブルにとっては毎日が新しいものに満ちていて、それはそれは楽しそうで…そんな彼の様子を間近で見守ることができるのなら――この男の一人や二人、我慢してみせよう。当初の方針から変わらない。どうせなら、利用するだけ利用すればいいのだ。うん。我ながらいい考えだと思う。トレーナー公認で、ルチャブルとカロスデート。なんて甘美な響き。
「このあとは、バイクをメンテナンスに出した後、市街地の方に行きましょうね」
宿泊先でチェックインもしないと。
簡単な日程を、男が説明してくる。
「ついでに、…おいしいガトーショコラで有名なお店があるので、付き合ってもらっていいですか。『やりたいことリスト』の中に、その逸品を食べることが項目として載ってるんですよね」
一緒に舌鼓を打とうではありませんか。
ね、ルチャさん。
かく言うこの男も、何かとルチャブルにあまい。これも不可抗力の可愛さゆえ…その一点に関しては激しく同意をしてやるところだ。
ケーキを食べているルチャブルの姿なんてどう考えても絶対に愛々しいと約束されている。「ほわぁ…」の過剰摂取でこちらが瀕死になるかもしれないが、望むところだ。クソ野郎にしては悪くない提案だぞと頷いている折、とんでもない不意打ちの呟きがみぞおちの辺りにクリティカルヒットしてきた。
『 …がとーしょこら… 』
はい。
こちらの一言です。
ア゛―――ッ!!!!!(汚い高音)
心の中の絶叫が口から飛び出していかないよう、咄嗟に片手で顔面を覆う。
言い慣れないものをたどたどしくオウム返しする愛くるしさ。待ってホント無理。天使がオーバーキル。
ガトーショコラだぞガトーショコラ。ただ甘味の名を口にしただけだぞ。なのにコレって、そんな馬鹿な。破壊力ヤバすぎ。
「それは一体…?」みたいに、こてんと小首をかしげて冠羽を揺らしている姿と併せて「くぅ…」と噛みしめつつ、ふと視線を上げたのがいけなかった。奴と目が合ってしまった。嗚呼いやだ。またか。ルチャブルを堪能していたいときに限って、コイツ。
男の顔に浮かぶ「うわあ…」とでも表すべきすこぶる微妙な表情。
…言いたいことがあるなら言えや。見せもんじゃねーぞクソ糸目。