放課後の校庭で 課外授業な愛を知る/相対性理論『地獄先生』
ホラー映画とかって、あんま、好きくない。
あとからトイレにいけなくなっちゃうのが分かってるから。
それでも目が離せなくなるのは、怖いもの見たさってやつなんだよね。きっと。
私が先生にちょっかいかけにいく理由も、たぶん、それ。
お昼休みになると、先生は校庭の隅にあるベンチに座ってサンドイッチを食べてることが多い。晴れの日だったら、ほぼ間違いなくそこにいる。
今日もそう、有名なコーヒーチェーン店の紙袋の中からサンドイッチとドリンクを取り出して、ゲッコウガと他の子たちがわちゃわちゃやってるところをニコニコ眺めていた。
「先生、隣に座ってもいい?」
ごめんね。一口目を頬張った瞬間に訊いちゃって。
でも、先生は「どうぞ」ってジェスチャーをしたから、私は遠慮なく座った。
「食べながらでいいから聞いてくれない?」
図々しくて失礼だと思うけれど、先生はやっぱり怒ったりしなかった。黙ってこっちを見てくるから、ぺらっと、言ってしまうことにした。
「同性愛って、どう思う?」と。
「どう…と、言われましてもね」
先生は大して驚きもせずに、私からの唐突な言葉を受けとめてくれる。
「僕の意見を言う前に、君の気持ちを聞いておかないと。
君自身はどう思ってるんです?」
「別に。ふつーのことかな、って」
「…そうですか」
食べてていいよって言ったのに、先生は、食べかけのサンドイッチを袋の中に戻してしまった。
申し訳ない気もしたけれど、そうやってちゃんと真面目に私と向き合ってくれるんだなって分かったから、ちょっとだけ、先生のことを見直した。
「女の子を好きになった…その相談というわけですか」
「ううん、私のことじゃないの」
おにいちゃん。
そう言うと、先生は、ふと顔つきを変えた。
「…君の勘違い、ということは?」
「そんなことないよ。
あのね、昨日の夜、おにいちゃんの部屋の前を通ったときに聞いちゃったんだ。
愛してる、って。
そのあと電話口で呼んでたの、男の人の名前だったもん」
「この話をするのは、僕が初めてですか」
「うん」
「御両親にも、友達にも言ってない?」
「そうだよ。今のところ、先生にだけ」
「…わかりました」
先生は、体の向きを変えてきた。
私と膝を突き合わせる形で、先生は「いいですか」と切り出してくる。
「まず、僕は教師として君に忠告しなければなりません。
仮に、君のお兄さんが同性愛者であったとして…話を聞いて察するに、お兄さんは家族に自身の性的指向をカミングアウトしていないようですね」
「うん。だって私、今まで知らなかった」
「つまり、君のお兄さんは、そのことを公にしていない…ということです。
打ち明けるのは大変に勇気がいることですし、そもそも、話すかどうかの決断も本人次第であって、周囲が催促することではない。とてもセンシティブでプライベートな内容だ。
だからこそ、本人の了解を得ずに秘密を暴露することは、あってはならない」
「暴露って、…ちがうよ。私は相談したくて、」
「分かっています。しかし、君の発言は――たとえ悪気はなかったとしても、アウティングという行為に相当するものです。厳しい言い方をすれば、許されざる不法なものとなります。
もちろん、君から聞いた話を、僕は誰にも喋ったりしない。だから君も、お兄さんが改めて打ち明けてくれるまでは、誰にも話さないようにしてください」
「…このあいだ言ってた、秘密ってやつ?」
「そうです。お兄さんを守るための、大事な秘密ですよ」
「…わかった。もう勝手に話したりしない。…ごめんなさい」
「分かればよろしい。
お兄さんのことだけではない。何だって、そうです。自分が知り得たことは、果たして他者に話していいものなのかどうか…それはとても慎重に見極めなければならない。これから気を付けてくださいね」
膝の上でゆったりと両手を組んで、先生は、眼鏡の奥で優しげな目を見せる。
「さて、当初の質問は、同性愛をどう思うか…でしたね。
僕も、君と同意見ですよ。特別視することではないと考えますし、だから、同性のカップルに対しての過剰な配慮も要らないと思っています」
君には好きな人がいますか。
好奇心で尋ねられたんじゃなくて、からかいでもなくて、びっくりするほど穏やかに言われちゃって、…そんなことを大人から訊かれた経験はなかったから、私の顔が熱くなっていく。
「その相手に魅力を感じ、『好き』だと心が揺れたのなら…それって、素敵なことですよ。同性か異性か、そんなことは関係ない。
ちょっとした緊張感や高揚感、相手のことをもっと知りたいと求める気持ち、心から慈しみたいと願う優しい祈り…それらはやはり、友達に寄せる思いとは異なりますよね。恋ゆえのことです」
「でも…うちのお母さんは、恋なんてくだらないって、いっつも言うよ。
お父さんとうまくいってないからなのかな」
「…、…くだらないとは思いませんけどね。
恋をする相手が見つかったのなら、思う存分に楽しめばいい。きっと、毎日が鮮やかに潤っていくことでしょう。
無論、その恋がいつでも実るとは限りませんし、特に同性ということであれば、受け入れてもらえるかどうか不安になるのも分かります。その点、お兄さんは幸せですね。互いを尊重し合い、想い合うパートナーがいるのでしょうから」
私はいつのまにか熱心に聞き入っていたので、うっかり、「先生も恋をしたことがあるの」と訊きそびれてしまった。
今にして思えば、そうやって知らぬ間に興味の矛先を反らしていくのが、先生の手口なのかもしれないけれど。
「自然界でも、同性のつがいを作る種族は沢山確認されているんですよ。彼らは心赴くままに生きている…宗教的な理由や土地柄に縛られたりもしませんし、そういう意味では、人間よりよほど先進的かもしれません」
「そうなんだ!」
「興味があれば、調べてみるといい。学術的にも立派な研究課題ですからね」
――先生、は。
おばあちゃん以外で、私の話をまともに聞いてくれた唯一の、しかも、男の人だった。
忙しいから後にしなさいとか、そんなことよりも勉強しなさいとか、私の話を「そんなこと」扱いにして、どうでもいいものにして、結局聞いてくれないお父さんとは、全然違っていた。
私は、なんだか嬉しくなってしまう。
「言ってること、先生っぽいじゃん」
「おや、知りませんでした?実は僕、先生なんですよ」
おどけてみせたあと、先生は「おしまい」の合図をするようにコーヒーの紙コップを手に取ったから、私は先生がランチの途中だったことを思い出す。おなかが空いたままじゃ可哀想だから、教室に戻ることにした。
「またね!」と言って、手を振ってみせる。
すると、先生も振り返してくれた。「またお話しましょうね」なんて、いつも通り、社交辞令まるわかりのトーンで。
「詰まるところ、性別がない方が気楽ってことですよ」
「え?」
何か聞こえた気がして振り返ると、先生は小さく笑っていた。
「いえ、こちらの話です。
午後からの勉強も、頑張ってくださいね」