■ 換羽期:裏/野郎共の内緒
屋敷の端には茶室がある。
水さえあれば十分で、飲み物の嗜好を広げようとは思わない僕だから、茶のことなんてとんと分からないし、人間たちが口にする「わびさび」なんてものはもっと理解が及ばない。
いっとう使用頻度が高いのは殿で、てっきり、自ら茶をたてて来客をもてなすことが好きなのだと思っていた。ところが、ブラッキーに言わせれば『ホントに茶だけ楽しむわけねェだろ。密談の場さ』とのことで。俗事から切り離されて心を練磨するための空間だろうに、そこへ積極的に賤劣を持ち込んでしまうのか。何だかなあと釈然としないまま、こんなにとりとめもなく考えてしまったのは、ちょうど茶室の上空を通りかかったから。
偵察がてらくるっと領地内を飛び回ってきた、その帰り。見下ろすと、見慣れた緋色の翼がやけに目立っていたので、立ち寄ることにする。
『久しぶりだね』
茶室周辺に植わった南天の前で佇む彼。
話しかけてもいい状況か尋ねると、ルチャブルは頷いてきた。
『ちょっと手持ち無沙汰な感じなんだ?』
『茶道の稽古は長いからな…』
『姫様も茶の湯を嗜むようになったんだね』
『先月あたりから。…あの御方も大変だ。芸事に、歌学、礼法、書道…その上に茶道も。他にもまだ何かあった気がするな…』
『良家に嫁ぐには必要なことだよ。嫁ぎ先に各種免状を持参しなきゃいけないんだろ?徹底しているよねえ』
嫁ぐという語句を聞いた途端、ルチャブルが驚きを露わにする。
『まさか、…習い事全部、花嫁修業なのか』
『当たり前だろう。教養や修養のためだと思ってた?
智し姫との名の通りに聡明な女性なんだから、彼女の教育には殿も力を入れるさ。いずれは政略結婚の流れだと思うよ』
『政略…』
『実家のために嫁ぎ先の動きを監視したり、その結果を文で報告したりね。外交官と間者、二つの顔を巧みに使い分けるには、ぽやっとしたお姫様じゃ無理でしょ。彼女くらいきびきびしてないと』
羽根を繕いつつ言えば、嘴の動きに合わせて、はらはらと黒い羽が零れ落ちていく。
『ドンカラスも換羽期なのか』
『まあね。僕は羽毛の量が多い分、面倒も多いよ。全身もむず痒くなるしさ。
それで?ドンカラス「も」、ってことは、君も換羽期に入ってるのかい?ぱっと見、変わらないように見えるけれど』
『冠羽が先に生えかわってしまえば、あとはほとんど翼の換羽が中心になるからな』
『あー、…なるほど。君みたいな猛禽は、僕とはまた違った大変さがあるんだろうね。翼の羽根は大きいから、換羽完了にも随分と時間がかかるんじゃない?』
『秋までは割と憂鬱だ』
『秋まで?長期戦覚悟ってところは僕と一緒だな。
でも、まあ、…僕みたいに抜けるそばから片っ端に換羽していくのと、君みたいにじわじわと一枚ずつ取り換えていくのと…どちらがいいかは決めかねるねえ』
『俺は、…今となっては、極端に見た目が変わらない換羽の仕方でよかったと思っている』
『ほう、』
『主君が心配するだろうからな。ただでさえ忙しい身の上だ、他のことで煩わせたくない。それに、…元を辿れば、俺は献上品の扱いだ。人目に触れる機会は多いし、外見を損っては話にならないだろ』
ルチャブルは、どこか遠い目を見せる。
ほんの一瞬のことだったけれど、しかし確かに、感情の一切を消した疲弊の間があった。普段の彼とはかけ離れた冷たい光が僅かでもその瞳をよぎったことが、ひどく、意外だった。