※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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【 概要 】
 放課後の校庭で 課外授業な愛を知る/相対性理論『地獄先生』


間奏:Ⅲ

 下校の時間が迫ると、この学校では音楽が流れ始める。

 哀愁を誘うような管楽器の音色から始まったのに、楽しくワルツを踊りたくなるような箇所や、カフェでジャズを聴いている気分になるような箇所もあって、とても不思議な心地になる。

 私はまだ子どもなのに、どこか懐かしいって感じるこの曲のしらべがすごく好きで、いつも、終わりまで聞いてから帰るようにしている。

 

 その日の放課後も、スピーカーから曲が流れてくるまで図書室に居座っていた。

 偶然にも先生が本を返しに来て、私を見ると少しびっくりしたような顔をした。

「まだ残っていたんですか。この曲が完全下校の合図だと知っているでしょう?」

 帰りたくないんだよね。

 そんなこと言ったって、先生が私の家族をどうにかしてくれるわけじゃないから、黙っておいた。

 少しでも帰る時間を引き伸ばそうと、私は話題をそらす。

「先生も、本読むんだ」

「勿論です。我々だって、君たちと同じく日々の勉強が大切なんですよ」

 先生は目をそらさない。

 私がここから出ていくまで見届けるぞ、という感じだったので、意地になった私はそのまま椅子に座り続けた。

「ねえ、先生。私、この曲好きなんだ。なんて曲なのか知ってる?」

 勝手にお喋りを始めてしまった私に仕方なさそうな溜息をつくくせに、先生は、駄々をこねる生徒であれ放っておいたりしない。

「望遠鏡の外の景色…と、そんなタイトルだったはずです」

 証拠に、ちゃんと、私の質問に答えてくれる。

「ふうん…何だか、変わった題だね」

「…人は、なぜ望遠鏡をのぞくのでしょうね。君、どう思いますか」

「なぜ?」

 考えたこともなかった。

 私の家にも望遠鏡がある。おにいちゃんは天体観測が好きで、だから、大きくて立派なやつを買ってもらっていた。お父さんもお母さんも、おにいちゃんのことは大好きで、何でもしてあげるから。

「遠くにあるものを見るためでしょ」

「わざわざ?」

「だって、何があるのか気になるじゃん」

「そのとおり」

 にこりと、先生は微笑む。

「この場からでは見えないモノを見ようとして、知ろうとして…人は希望と期待を胸に望遠鏡を覗き込む。

 やがて、この目で見たものに近付き、触れてみたいと切望するようになる。

 望遠鏡とは夢の入り口です。

 望遠鏡を通して見つけた目指すべきものは、その、外にある」

「夢…」

「そう。覗き込んでいるだけでは何も始まらないんですよ。入り口に立ったのなら、次は、外の景色に向けて一歩を踏み出す。それが大切です。

 大海原で望遠鏡を覗いたとき、未知の大陸を発見したとする。船長やクルーたちは、どうすればそこへ到達できるのか一生懸命考えることでしょう。あるいは、夜空を見て、そこで発見した星のことが気になって仕方なくなった。そんなとき――」

「――勉強を、するんだ」

「君は本当に賢いですね」

 そんなこと、今まで一度だって言われたことがなかったから、私は先生の顔をまじまじと見つめてしまった。

 どうしても胡散臭い感じが抜けないのに、どうして、この人の言葉は私の胸に入り込んでくるんだろう。

「いずれ出会う…いや、もしかしたら既に出会っているかもしれない『心ときめくもの』のために、勉強をするんです。テストでハイスコアを取るためではない。

 今、君たちが学校でやっているのは…いわば『勉強の練習』なんですよ」

「じゃあ、…練習は、ちゃんとしなきゃね。上手になりたいなら」

「その意気です。

 では、今日もちゃんと家に帰って、食事をとって、ゆっくり休みなさい。

 また明日、学校で元気に『勉強の練習』ができるように」

 

 私は、ついに観念して、立ち上がることにした。

「またね!」と言って、手を振ってみせる。

 すると、先生も振り返してくれた。「またお話しましょうね」なんて、いつも通り、社交辞令まるわかりのトーンで。

 

 

「あ、そうだ!ねえ、先生」

「…まだ何か?」

「そう言わずにさ。もし知ってたら、もう一個教えてよ。

 さっきの曲、最後に、女の人が何か呟くでしょ?聞いたことある?」

 魔法の呪文みたいな囁きが録音されているんだけど、何度耳にしたって、私には全然聞き取れなかった。

 

「――me olvide de todo」

 

 質問しといてなんだけど、まさか本当に先生の口から謎の言葉の正体が紡がれるとは思ってなかったから、私は興奮気味に先生へ問いを重ねた。

「え、知ってるの!」

「異国の言葉です。me olvide de todo」

 

 

 

 

 

 全部忘れちゃった、って、意味ですよ。

 

 

 

 

 

 ――せっかく。

 せっかく、いい感じに、…さよならできそうだったのに。

 私は、小さく息を呑む。

 

 ――また。先生は。

 ニコニコしている。

 口元だけを上げて。

 

 目は、全然――笑って、ない。

 

 ねえ、先生。

 ごめんね。でも、分かんないよ。

 今の言葉のどこに先生を困らせるものがあったのか、私には分かんないの。

 

 何でそんな顔するの。

 ねえ、先生。

 

 私の中にある望遠鏡を覗き込んだら先生がいて、先生のことを知りたくなっちゃって、ねえ、先生、勉強したら、先生のことも分かるようになるの?

 

 ねえ。

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