甘くて苦くて目が回りそうです。
さすがカロス有数のリゾート地、ヒヨクシティ。
海辺と高台が連なる洒落た景勝はそれだけで映画の舞台になりそうだし、どこを切り取っても絵になるから、ポストカードの材料に事欠かないような場所だ。風景写真を撮る人たちがやたらと目につくのも十分に頷ける。
今の時間帯なんて、特に絶景だろう。僕らがシーサイドエリアに到着したのは日没も間近という頃で、ちょうど、太陽が水平線の向こうへと消えていくところだった。
眼前、一面がフォトジェニックだ。空は複雑なグラデーションを描きながらやがて夕焼けの赤橙へと収束していく。なんとも幻想的で、だから、思わずほうと息をついてしまった。
『これが海か…』
感嘆こもる姫の呟きが鼓膜に触れた。
君が予てから見たかった景色の、その最初がこんなに綺麗なものからスタートしたんだとしたら、僕も嬉しい。今までの彼女は、きっと森の暮らし以外は知らなかっただろうし、身近な水辺といえば川や池、湖沼、あるいは滝だろうか。どれも淡水だ。明日も晴れるはずだから、ジム戦が終わったら浜辺の散歩に連れ出してあげようと心に決めた。
君のつぶらな目が、次は青い海の色に染まるといいなって、そう思う。
***
オーシャンビューが魅力の宿場も捨てがたかったけど、バイクに潮風は大敵だからこそ、宿泊先はヒルトップの方にしておいた。
それに、ちょうどこのエリアでしか見られないものもあったから。
祭の日と聞けばさもありなんと察せられる賑わいが、其処此処で溢れかえっている。あちらこちらが飾り付けられ、街一体となって
さて、地元の皆さんが何をそんなに心待ちにしているのかと言いますと。僕は、先ほどホテルのロビーで受け取ったリーフレットをかさりと開く。
――今は昔、トレーナーとポケモンが冒険の旅に出た。
ふたりは、やがて「とある場所」に辿り着き定住…そのまま幸せに暮らしたという。で、その定住先というのが、ここヒヨクシティの原点ってわけ。
言い伝えによれば、互いの健闘、そして変わらぬ友情をたたえ、トレーナーはポケモンに小さな苗木を贈ったとされている。その苗は立派に育ち、ヒヨクシティで一番大きな樹となって、いつしか『誓いの樹』と呼ばれるにいたる――…顔を上げればすぐに、丘にそびえる巨木が視界に入った。アレね、誓いの樹。根元の広場が祭会場になっていて、そこでは誓いの樹にまつわる伝説にちなみ、トレーナーがポケモンへプレゼントを贈っていっそうの絆を結び合う…の、だとか。
ま、知ってたけどさ。
「せっかく来たんだし、観光がてら行ってみましょうか」
誘うよね。
僕ってば有能だから、実はこの時期に祭が開催されてることなんて、とっくに予習済みなのです。
会場では、どのトレーナーもポケモンも終始にこやかだった。
プレゼントの価値を決めるのは値段じゃない。相手のことを思い浮かべながら選んだその優しさと、手間と、時間だ。あなたが大切なんですと心を尽くした意思表示をされたら、誰だって笑顔になるだろうさ。だから、世間はとっくに夜の気配で満たされているはずなのに、ここだけは明るく温かな空気に包まれていて、心地良かった。
「というわけで、はい」
僕も倣っちゃいます。
この御時世ね、ネット注文した商品を宿泊先に配達しといてもらうなんて朝飯前ですから。
君らがチラチラ気にしていた僕の手荷物の正体ッ!コレだ!
遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!
さあどうぞ召しませ!有名農園こだわりの逸品『高級ブランド木の実の詰め合わせ』籠盛りver!
ばさぁっと派手なモーションで覆いを取っ払う。ふふふー、三体分を想定して一番大きいサイズ頼んだからね。かつての僕の給料一ヶ月分がトんだよね。やっぱ高級品ってすげーわ。
いや、さっきも言ったけど、別に金額は問題じゃないのよ。
たとえば、周辺の森で採ってきた野生種の木の実だろうと、君たちなら喜んで受け取ってくれただろうと想像はつくんだ(蛙以外)。ただ、僕が、特別な日に特別なことをしたかったというだけの話で。
艶、大きさ、香り、全てにおいて選りすぐられた上等な木の実たちが、籠の中で美味しそうに盛りつけられている。
これらの木の実が採れる果樹の皮や蔓で編まれた器としての籠も、独立した商品として売り出せるくらいに立派なものだった。中身がなくなって空になったら、クッションを敷き詰めて姫の寝床にしてあげよう。うむ、我ながらナイスアイディア。
そうそう、
ただし。
「君には個人的に用があるんで、こっち来なさい」
がしり。
首元をホールドし、コウガくんを引っ張っていく。僕の方が彼よりもはるかに背が高いもの、こんな体勢だって余裕余裕。
ルチャさんと一緒に木の実を食べ損ねてふくれっ面をしているが、構わず、耳元で囁いた。
「この期に及んでコウガくんとの絆なんぞ知ったこっちゃないですが、君にはオマケでもう一個あげときます」
箱を一つ。
無理矢理、奴の手に握らせた。
「ローション。成分的には食えるやつ。君が舐めても安心。ちなみに中身は個別包装」
内容が内容だけに早口でダララッと要点を並べたが、コウガくんは漏れなく聞き取り、渡されたものの使いどころを正しく理解したらしかった。だって、「マジかよこの三十路野郎」という顔でドン引きしている。ですよね。僕だって自分にドン引きだよ。なにせラブコスメだぜラブコスメ。おっさんがどんだけ勇気出してポチったかおまえ想像つかんだろ。正気に戻ったら負けだと思って勢い任せで購入表示をタップしたわ。
「人間とつるむメリットをフル活用しときなさい。僕も君の所為でルチャさんのコンディション悪くなるの嫌ですもん。絶対無理させちゃダメですよ、分かりましたね」
必要だと思ったから渡しておいた。それは間違いない。僕なりの、言うならばポケモンたちに対する健康管理の一環なのだ、…が、しかし…。
後日、空箱をとんと目の前に置かれ「次を買ってこい」的な物言わぬ要求を受けたときには、色々と察して僕の情緒の崩壊が加速していくことになるのだけれど――それはまた別のお話なのであります。
***
あの美しい夕焼けから引き継がれた夜空は雲一つなく澄んで、その純度100%の黒を背景に焔と光輝の花が次々と咲き誇るのだから、明暗の差が限界に達して目も眩むほどに壮麗だ。高揚感に酔いしれたまま、カントー風に「たーまや~ッ」とでも叫んでみたくなる。
暗闇を追い払うように絶え間なく鮮烈な花火が上がって、炸裂するたびに腹へと響くような深くて大きな音がして、音波が振動となって全身を震わせて、その場にいる者すべての意識を天上へと縫いとめる。
消えるその瞬間まで惜しみなく力をみなぎらせ、飛び散る光の粒一つ一つさえも強い煌めきを宿しているものだから、観衆は魅了されるばかりだ。
『枝垂れ花火の散りかかり…』
僕の両手の中から空を仰いで、姫がそっと言の葉を零す。
ホント、君は何者なんだろうね。その博識、雅な仕草、気高さ…実はどこかのお姫さまが魔法でデデンネに変えられてるんじゃないかって思えてくるよ。
呪いを解きたくなったら是非とも相談してほしい。君に
花火って、こんなに派手で騒がしいのに、どうして物悲しくなってきちゃうんだろう。フィナーレだよって、もう楽しい時間も終わりだよって、その名残惜しさゆえの感慨なのだろうか。
祭囃子のその後で、昂ったままの人はたまた泣き出してしまう人、きっとどちらも心は同じだ。言い表すことのできない感情に身を委ねている。大体、感動を説明するなんて萎えるよね。言葉にした途端、自分の心で感じ取ったものが無に帰して、稚拙が極まってしまうような気がするし。
分かるよ。その気持ち。
でもその一方で、やっぱり、素敵なものを分かち合いたいから、声に出そうと試みるんだ。はらりと吐露した先程の姫にしてもそう、…そして、ルチャさんだって。『綺麗だ』って、たった一言だけど、その口調からは万感の想いが伝わってくる。それを、月並みだとか何だとか、そんな単純な表現で評価したくはないし、彼の心の豊かさを台無しにしたくもない。あいにく僕はそんな野暮ではなくて、この場にいる他のトレーナーと同じく、連れ合うポケモンたちのことが単純に大好きなので(蛙以外)。様々な色の花火につられてルチャさんの頬もとりどりに照らされていて、一生懸命に見つめるがゆえにカラフルになるその横顔は、すごく尊いものだと思うから。
『…綺麗でござるな』
うっとりと同意するコウガくんは、…ねえ、君、いっぺんだって夜空に目を向けてないでしょ。これだけ華麗な花火の群れだというのに一瞥もくれてないでしょ。「花火を見るルチャさん」しか見てなかったでしょ。その緩みきった目が全てを物語ってるぞ。もはやルチャさんに対する称賛を脳みそすら介さずに脊髄反射で言ってるだろ。なあ。
嗚呼、…また…。分泌されてる唾液があとからあとからシロップに変わってるんじゃないかって疑うくらいに口の中が甘ったるい。
ホテルに戻ったらすぐにコーヒーを淹れよう。え?飲むのはそりゃァもーごっつ濃縮したエスプレッソよ。当たり前でしょ。