それでは誓いの口付けを。
何とかふたりになりたくて、時折、夜間の外出に誘うことがある。
あの男が野宿でなく安全が保障されている場合に限り、ルチャブルは同意してくれるので、その基準でいけば今回は成功したパターンだった。
お祭り騒ぎが嘘のように消え失せた夜の
この日のために装飾を施された樹は、色鮮やかなワイヤーライトが隅々まで張り巡らされているおかげで光の楼閣と化しており、祭が終了しても尚こうして明々と点灯したままだ。
トレーナーとポケモンがプレゼントを介してはしゃいでいた喜びの喧騒も、今ではすっかり彼らと共に帰宅しており、本当に、ふたりきりだった。
ルチャブルは、ただ静かに、樹を見上げていた。細かな光が彼の目に映るので、電飾の色彩豊かさと相まって、まるで瞳の中に金平糖が散らばっているように見える。数時間前の花火もそうだった。火焔の花を映す一羽の双眸があまりに綺麗だったから、ずっと、その一対の目だけを眺めていた。
『――ルチャブル』
跪く。
彼がこちらに眼差しを送る。万華鏡みたいだった目が一転、次は自分だけがその双眼に映っている幸福を、噛みしめる。
『番となってくれたこと、本当に嬉しかった。一生涯かけて御主を大切にすると――拙者、この場にて宣誓するでござる』
…――もう一度出会えたことだけで満足すべきだったのかもしれないが、どうしても想いが冠水して、止められなかった。
やはり鳥籠とは、どこまでいっても、中に小鳥がいないことには不完全なものでしかない。
だから、身の内に閉じ込めておくべき対象を欲するのは当然の成り行きだった。最愛と定めるがゆえ誰にも渡したくないと、そんな独占欲が日毎に膨らんでいくばかりで、どうせ自分には歪な愛し方しかできないと知りながら、性懲りもなくルチャブルに手を伸ばしてしまった。
「かつての日々」とは何もかもが違うので、果たして振り向いてくれるのか求愛をしているさなかですら分からずに、緊張した。僥倖する他なかった。「今」の彼は、「前」のように心が弱っているわけではなかったから、付け入ることも、なし崩しで性的な関係を迫ることもできず、かなり健全でまともな関係性の中で過ごしてきてしまったので、我ながら柄にもなく直球勝負で挑む羽目になってしまった。
ほとんど奇跡に近い、と、思っている。
確信など持てぬまま迎えたあの一夜――鼓膜を揺するさえずりは芯から美しかった。返ってきたのは『俺もおまえを選びたい』と、
聞いた途端に怒涛の慶福が連鎖して胸から吹き零れ、彼から愛してもらえる可能性に心が震え、瞬間、酩酊の感覚を味わった。
本来なら恋愛沙汰の選択肢に「同性」の入る余地などなかったであろうルチャブルは、戸惑いつつもそれを承知でこちらの手を取り、呼応してくれた。好意に誠実であろうと努める健気な彼を、嗚呼、必ずや己の全てを賭して幸せにしなければ――…
しばらくは見つめ合うことができていたのに、先にそらしたのは相手の方だった。
ルチャブルはそっと目を伏せる。目元を染めたままで。
『…改まって誓ってくれなくても』
もう大切にされてる。
羞恥を押し殺すように、それでも確かに呟かれた内容へ無性に込み上げてくるものがあって、思わず彼の肩を掴んでしまった。
『…、…口付けていいか』
『ッ…』
よせばいいのに、訊いてしまう。
大切にすると言った矢先にこれだった。性急に事を運ぶのは悪手だと理解していながら、身の内の激しさを抑えきれないあたりが愚か者としての証左である。
一方、彼の頬の赤みが増したのは、明らかに外気の寒さが理由ではなかった。黙りこくって、されどそのうちにきゅっと目を閉じるから、その可愛らしい反応だけで気が遠くなるようだったけれど、きっとこれはキスを許してくれたのだろうと都合よく解釈し、するりと舌をしまいこむ。
「接吻」という文字通りだった。
口を一瞬くっつけて、終いだ。
一時的に停止した呼吸。僅かな触れ合い。刹那的な熱の共有。それだけにとどめて離れ、反応をうかがうと、ゆるりと目を開けた彼はますます恥じらうばかりで、一言も発しない。
相変わらず照れ屋な彼が何一つとして違わず記憶の通りで、そのことが、愛しくて切ない。
『…嫌だったか』
同性では、と言外に込める。
尋ねてようやく沈黙が解除され、『別に』と、少々ぶっきらぼうに返ってきた。
『こういうことに慣れてないだけだ』
何と言っていいものか考えあぐねている様子だったが、やがて、…彼はどこか仕方なさそうに、微かな笑みを見せる。
『色事で見栄を張る方が情けないか…』
細められた目から、飴色をした視線が寄こされた。
『おまえからされる分には構わないと思えるくらいには、ちゃんと手解きしてくれるんだろう?』
肩肘張らずにそんなことを言うからまたぞろ高揚して遠慮もなしに抱きついて、結果、勢い余った拍子にふたりして草地に転がってしまうのだった。
++++++++++
告白されたあの月夜以降、気が付くと、ゲッコウガを目で追う自分がいる。
しきりと視線が合うから、それだけ相手も自分を見ているのだと理解してしまい、鼓動が速まってばかりだ。
自分の中に芽吹く感情の、その始末のつけ方が分からずに持て余している。ただ、いくら扱いに困るからとはいえ捨て置くこともできないから、情が湧くというのは本当に厄介だ。
今にしてもそう、…相手の体躯を押しのけようと思えばそうできるのに、なされるがままに甘んじている。
『…おまえな、…』
唐突に抱きつかれたのでバランスを崩し、ふたり揃って倒れてしまった。
先程まで首を傾け見上げていた景色だったのに、今は単に目を開けるだけで、視界一面を輝く電球が埋め尽くしてくる。ゲッコウガの肩越しに見える光景は優しく淡い光に満ちていて、星空の近くにいるような気がするほど美しい。自分だけが味わってしまってもいいのだろうか。ゲッコウガはこちらの首元に顔をうずめたままで、今、どんな表情をしているのかも分からない。全身が草だらけになろうと構わず、立ち上がろうともせず、抱擁を維持して楽しそうに笑うだけだった。もっとクールな印象を持っていたのに、ふとした瞬間、彼は思いがけない子どもっぽさを垣間見せるときがある。
…本当は。
ずっと前から。ゲッコウガの腕に囚われるたびに、そこにはいつも、奇妙な懐かしさがあった。
まるで自分が清流の傍に佇んでいるかのような、澄み渡る水を想起させる匂いを、彼の香りを、なぜか――覚えている。「懐古」と表現したいところだが、不自然だ。彼と出会う前の具体的な思い出なんて、何もないのに。ないはず、…なのに。
以前、ゲッコウガは、互いが『どこかで会ったことがあるのかもしれない』と話していた。釈然としないが、でも、その可能性を完全に否定することもまた同様にできない。そして仮に否定しようにも、生活を共にする中で覚える彼への既知感は、あまりに多過ぎた。
『 好きだ 』
耳元でささめかれた甘い響きが、不意に、背筋をぞくりと震わせる。次いで、体の中を駆け抜けていった一瞬の痺れが決して不快なものでなかったことに、狼狽える。
『…、…知ってる』
好きだと言ってやれたらゲッコウガは安心するだろうか。しかし、その言葉を口にするには、まだ、自分には彼と同じだけの重みや深みが足りない気がする。
代わりに口をついて出てきた返答は、ある意味、傲慢とも取られかねないもので、それにも関わらず、ゲッコウガは抱く腕に力を込めてくる。
そんなに大層な価値などないのに。
現に、何一つとして報いていない。
一応、貰ってばかりでは性に合わないため、こちらとて相手を大切にしたいと考えてはいるのだが、…対等を願ったところで到底無理ではなかろうかというほどに想いを寄せられていることが分かるから、『おまえもちゃんと幸せなのか』と思わず尋ねてしまった。
『俺は、…応えきれて、ないだろ』
この時点でやっとゲッコウガは身じろぎし、上体を起こした。
そのまま、こちらを見つめてくる。
『応えてない?本気で言っているのか』
慎ましいことだと、そう囁いて微笑し、そっと頬を包んでくる。
『拙者も御主から大事にされていると、その実感を与えてくれるだけで既に嬉しい。
何より、…寄り添うことを許してもらえた幸せは、たとえ御主でも分かるまいな…』
ここまでくると最早ただの物好きとしか思えない忍蛙が、おもむろに顔を近付けてきた。
次はもう、キスをしていいかとは訊かれなかった。
一度を許してしまえば、二度も三度も変わらない。
緩急、強弱、角度、細かな要素を細かく変えながら、ゆっくりと、幾度も。
食み、ついばむように触れてくる優しい口付けが、雨のように降ってくる。
施されるこの行為を嫌がっていない自分が、少し、意外だった。
嫌でないどころか、むしろ、…、…むしろ、何なのか、…その先は気恥ずかしくて、未だ口には出せないのだけれど。
終わりが見えない愛情表現の中、己の心臓が送り出してくる血はとにかく熱くて、冬の夜の寒さなんて感じる暇もなかった。