放課後の校庭で 課外授業な愛を知る/相対性理論『地獄先生』
「なに見てるの」
ばあ!って言うつもりでベンチの後ろからこっそり近付いたら、そんなことより先生の手元の方が気になってしまって、私の計画は変更になる。
「写真?」
遠慮なくのぞきこむ私のことを煙たがったりはしなかったけど、その代わり、先生はちょっと困ったような顔をした。
「…人には、大事にしておきたい時間というものがあるわけで」
「あ、邪魔しちゃった?ごめんね?」
とか、物分かりよさそうなことを言うくせに、私は先生の傍から離れない。
「先生、よく、それ見てるよね。何かなーって、前から知りたかったんだ」
一枚に収まっているのは、今とは少しだけ髪型が違う私服姿の先生と、…もうひとり。
「一緒に写ってるのって、」
「…かけがえのない存在ですよ。世界で、一番」
静かな話し方。
もう会えない相手なんだなって、それが、先生の声だけで分かった。
「ふたりで写ることができたのは、この一枚だけだった。
…あまり写真が好きではなかったみたいなんですが、でも、僕とは撮ってくれて」
懐かしむ横顔はとても優しい雰囲気をまとっていて、先生の中の大事な思い出なんだってことが伝わってきて、私は、先生に声をかけたことをちょっと後悔する。もう一度、邪魔してごめんねって、言いたくなるくらいには。
「私も、写真にうつるのは嫌い」
「…そうなんですか?」
「だって、自分のこと、好きじゃないんだもん。どうせブスだって分かってるし。嫌いなものを記録しとくのって、何だか悪趣味だと思わない?」
すると、先生は意外そうに薄目を開けた。
「…なるほど…」
「え、何か納得するところあった?私がブスだってこと?」
早合点と自己嫌悪と卑下する気持ちが一気に加速して、威嚇するみたいに刺々しい声が出る。でも、先生は真っ当に、落ち着きはらって「違います」と言った。勝手に苛立った私が恥ずかしくなるくらい、先生は冷静だった。
「かつての、…写真嫌いの理由が分かった気がして。それだけですよ。
ただ、…やはり残念に思います。僕はもっと、…共に分かち合ったひとときを形に残しておきたかったんですけどね」
「撮ってあげたらよかったじゃん」
「…え、…」
「だって先生とは写ってくれたんでしょ。先生とは嫌がらなかったんでしょ。
じゃあ先生が撮ったら、あんまり抵抗感なかったかもよ」
私もそうだったから、と、またもや図々しく、私だけの自己体験を語りだす。私の経験が他の人にも当てはまるわけじゃないってことを学んだのは、いくつかの失敗を経て、もっと後になってから。
このときの私は、まだ、本当に、本当に、年齢相応に子どもで、だけど、先生を励ましたい思いだけで、頭がいっぱいだった。
「私ね、おばあちゃんが撮ってくれるときだけは、平気だったの。
おばあちゃん、いつも笑って、繰り返し語りかけてくれたんだ。『人々の笑顔や優しい目、世界が決して失くしてはいけないものを、撮り残しておきたい……そんなことを、私の好きな写真家が言ってたわ。おばあちゃんも同じ気持ちなの。だから、あなたを撮るのよ』って」
先生はじっと私の話に耳を傾けていた。子どもの言うことだからって笑ったりしない真剣さが、いつも、先生にはあった。
私の拙い言葉をおしまいまで聞いて、それから改めて、手元の写真を見つめ直している。
「…、…そうですね。
確かに、…失くしてはいけないものが、この一枚に写っている。
君の言う通り…ふたりして写ることばかりを考えるのではなく…僕が撮ってあげればよかった。自分のことを嫌いにならないでと、…君はこんなにも素敵なんだからと教えてあげられたら、…どんなによかったことか」
先生は、おもむろにポケットからキャンディーを取り出して、私にくれた。
お礼ですよって、言いながら。私の何が先生の役に立ったのかあまりよく分からなかったけど、私は迷いなく飴を受けとった。
写真のことについてもっと尋ねてみたいっていうのが本音で、けれど、もうすぐお昼休みも終わりそうだったから、私は「またね!」と言って、手を振ってみせる。
すると、先生も振り返してくれた。「またお話しましょうね」なんて、いつも通り、社交辞令まるわかりのトーンで。
教室に戻る途中、私は待ちきれなくて、キャンディーを口の中に放り込んだ。
ミルクの甘さ。コーヒーのほろ苦さ。
包みに印刷されている「カプチーノ」の文字。
フルーツとかキャラメルとか、そういうフレーバーじゃないのが先生っぽくて、ただ苦いってだけじゃないのも先生っぽくて、私は笑ってしまう。
そうだよ。苦いだけなんていや。ブラックコーヒーが飲めたら一人前ってことはないのよって、おばあちゃんも言ってたし。強がっちゃ駄目よ、って。だから、私は必要以上に意地を張ったりなんてしない。私は、どうやったって、甘いのが好きなんだもん。
色んな物語だってそう。
やっぱ、ハッピーエンドじゃなきゃ。ね。