ゴゥゥンン・・と、エアコンの唸るような稼働音が響く。気づけば室内の温度も大分下がっているようだ。ほんの数分前まで立ち籠めていた熱帯雨林のような酷い湿度は、身体中の汗と共にすっかりと霧散している。今は俺の胸にぴとりと頬を寄せ、時折もぞりと動く彼女の肩を抱き、その肌がまだ僅かに、しっとりと情交の余韻を残していた。
「なあ・・」
「・・なにかしら、鬼畜谷くん」
胸元からの少しいたずらな応答に、俺は二の句を躊躇わずにはいられなくなる。彼女が俺を罵倒したり、からかう時、苗字をもじるのは常套句だ。本来ならもう親しみや愛着さえ感じるやりとりなのだが、こと今回においてばかりは、親しみはおろか、冷や汗しか出てこない。行為中の汗なんか比じゃないレベル。また湿度が上がっちゃう・・。
「その・・アレだ」
「?」
「・・・・大丈夫なのか?」
「何がかしら・・?」
いや、わかるでしょ。アレったらアレだよ・・。さっきのほら・・アレしかないでしょ。結構な・・というかもう、この上ない事案でしょ・・。
「何がって・・だから、その・・思い切り出しちまったけど・・中に」
俺は彼女の中で果てたのだ。勿論うっかりなどではなく、出すべくして出した訳だが・・。
「今日は大丈夫だから・・」と言った彼女の言葉に逡巡しつつも、結果、思い切り果てたのだ。しかしやはり、事果ててみれば、じわりじわりと不安になってくるというもので、自分自身、男らしくねぇなと思うものの、どうしても尋ねずにはいられない。
「ああ、そのことね」
彼女はたわいもないとでも言うように、その頬を俺の胸へとすりつける仕草に、少し安堵する。
「安全日ってやつなのか?」
「いえ、違うけれど」
「・・・・え?」
何?どういうこと?じゃあ今日は何の日なのん・・山の日?それ安全なの?教えてゆきのん・・・・マジで何の日?
「比企谷くんは・・欲しい、かしら?」
「・・・・な、なにがだ?」
なんだろう。わかんないなー・・主語がないからなー。要領を得ない問いなんてゆきのんらしくないなぁ・・・・アレかなぁ・・女の子あるあるの、察してよってやつかなぁ。確かに最近なんか女の子らしさが急激に増してきてるような気がするが、そういう振りは俺にはまだちょっと難易度が高いんだよなぁ・・・・ちょっと飛躍した発想しか出てこないんだよ。そりゃもう、ほんとぶっ飛んだやつしか・・。
「子供。男の子と、女の子なら、どっち?」
ああ、なーんだ。子供の話ね。やっぱりね。だと思ったよ。ほんとほんと、マジで。・・・・・・・・マジで?
-まあ、
「・・どっちでも可愛いだろうな」
「え・・」
「考えるまでもないが、お前の遺伝子の方が優性に表れるに決まってる。最近じゃ、顕性とも言うらしいが」
ふっと息を吐き、旋毛しか見えていない彼女の頭を撫でる。さらさらで、艶々で・・ずっと撫でていられる髪だ。手櫛を通して手触りを堪能すると、彼女が持ち込んだ専用のコンディショナーが清々しくもほのかに甘く香って鼻腔をくすぐり、不思議と心を落ち着かせる。
「・・・・どうして」
ぽつりと、彼女の漏らした抑揚の無い声音に、思わずその髪を撫でる手を止める。
「どうしてって・・そりゃお前の子ならお前に似るだろ。むしろそうでなきゃ困るまである」
「そうではなくて・・・・嫌じゃ・・ないの?」
その声は尻すぼみになり、どこか不安げで、俺の腹部に乗せられた彼女の左手がきゅっと握られる。
「・・嫌なわけないだろ。そりゃ、そういうのは時期や段階をみるのが大事だと思うが。でもな・・俺だってお前となら、そうなりたいと思ってる。それがもし今だって言うのなら、正直、焦るし・・ビビるし、怖じ気づきそうだが、それでも、手放すつもりは全くねぇよ」
「・・・・絶対?」
「自分の幸せだからな」
彼女は緩慢な動きでもぞりと起き上がると、俺の首へと抱きついた。しなだれかかる髪に隠された表情は窺えず、湿り気を帯びた吐息が耳をくすぐる。
「大丈夫よ・・まだ、子供は出来ないわ」
「そうなのか?」
「・・お薬、飲んでいるから」
「薬・・?・・え、もしかして・・ピルってやつか?」
「ええ」
なるほど・・。それは考えもしなかった・・。
「・・でも、なんでまた?」
「・・・・」
横目に見遣り、尋ねるが、返答はない。
「・・聞いちゃだめだったか?」
「いえ・・・・あなたが、その・・イク時に、急に離れてしまうのが・・・・寂しくて」
「・・っ」
え・・何、この娘・・・・マジで?・・何か、それ、あれだろ・・俺の事好き過ぎない?・・幻聴?
「あと・・・・あなたの全部を受け止めたかった、から」
「・・・・」
思わず頭がぼぅっとして、天井の染みを数えそうになる。特に染みがないからどうしようとか考えてもう頭が働かない始末。何言っちゃってんの・・この娘。俺が馬鹿なの?死ぬの?いや、マジで可愛い過ぎて死ぬまである。もう駄目だ。これは駄目なやつ。
「あの・・比企谷くん?」
俺は問いかける声を余所にむくりと身体を起こして、彼女へと馬乗りになる。
「なぁ、雪ノ下」
「なに、かしら・・?」
「よく顔を見せてくれ」
「・・や、駄目」
顔を自らの両手で覆い抵抗を見せる彼女だが、俺は問答無用でその両手を退けて彼女の両頬へと手をあてがう。紅潮しているせいなのか、ほんのりとした温かさが伝う。
「あんまり可愛いこと言われると、俺が死ぬだろ」
「っ!・・なにを言って」
一層頬を紅くして、大きな瞳をきょろきょろと泳がせる彼女の唇を塞ぐ。
「・・っん」
僅かな間で唇を離し、彼女の薄目をじっと見つめる。
「比企谷くん・・・・好きよ」
「俺もだ」
「ずっと・・居てくれる?」
「当たり前だろ」
「嫌わない・・?」
「今さら嫌うわけないだろ・・お前、出会った頃の傍若無人なまでの無駄な自信はどこにいったんだよ・・」
ほんとに、普通に可笑しくて笑ってしまう。女はここまで変わるものなんだろうか。でもきっと・・彼女から見れば俺だって変わっているんだろう。互いに心を許しあって、こうも素直になれる程に。
「だって・・・・さっき、している時・・″騙してたのか″って言われて・・嫌われたらって・・怖くて」
言いながら少し涙目になる彼女にはっとする。
「あ・・いやっ・・、すまん。あれは違う。そんなつもりは無くてだな・・・・いや、本当にすまん・・」
いかん・・・・これはちょっと、罪悪感が酷い。調子に乗って、彼女を傷つけて・・不安にさせてしまったらしい。
「俺は、お前が大事だ。その、アレだ・・」
言ってる間にも、彼女の細められた瞳が滲んでいくように思えて・・
「お前のこと・・愛してる」
気づけば、初めてその言葉を口にしていた。
彼女と居れば、自然と胸に溢れる想いだ。
だが・・恥ずかしくて、言葉には出来なかった。
なにより、軽々しく言いたくなかった。
それでも今は、言わずにはいられなかった。
「・・・・ほんとう?嘘じゃない?」
潤んだ瞳を揺らした甘えるような口調は、俺の知り得るはずもない、彼女の幼少期の面影を過らせる。
「本当だ。嘘じゃない」
「でも、目が腐っているわ・・」
「目は腐ってるが、本当だ。信じろ」
「なら・・」
「なら?」
「もう一度・・」
「俺は、お前を・・愛してるよ」
「私も・・・・あなたを愛してるわ」
所謂、ピロートーク的な。