小梅さんに何も言わず出ていくことに引け目はありましたが、しかしありすさんの気迫には有無を言わさぬものがありました。以前どこかで見た何かと似ている気もします。それにしても早く殺さなければいけないので、ボクは彼女の言う通りに店を出ることにしました。もちろんマチェットの入った鞄を持って。
「お話って、どこでします?」
ようやく笑いが止まって、疲れた頬を揉みながらありすさんに尋ねます。ボクの変化に構わず、ありすさんはずっと変わらない淡々とした調子でそれに答えました。
「少しかかりますが、臨海公園があります。そこでどうでしょう。あまり人目につきたくないもので」
それほど重要な話のようです。それもわざわざボクを探して連れていこうというくらい。話があるというのなら、事前にLINEなりでメッセージをくれれば済むはずですからね。
つまりは、事前に知らせることで身構えさせたくない、用意する時間を与えたくない何か。
といってもマチェットはボクの手にあるわけですが。
目的の臨海公園へは電車で二十分ほどかかりました。移動中、ありすさんは一言もしゃべらず、ただじっとボクを見つめ続けていました。
「ど、どうしたんですか? そんなに見たってボクはカワイイだけですよ?」
なんて言っても、ありすさんは黙ったままです。それが続くうち、ボクは彼女に冷たさを感じるようになりました。何を思うでもなさそうな無表情が、ボクに一切の情を抱いていないかのようにも見えてきます。じっと見据えて逃そうとしない視線は、ボクを見張る監視の目にほかならないのでは。
電車を降りると、ありすさんが言いました。
「先に歩いてください」
「え? けどボク、公園までの道知らないんですけど……」
「私の言う通りに進んでください」
案内されるというより、連行されている気分で、ボクは臨海公園まで歩かされました。仮にも年下の彼女に「右、左、まっすぐ」と指図されるのも、何だか惨めです。
「止まってください」
柵越しに海の見渡せる高台まで来て、ありすさんが命令しました。ええもう指図どころか命令です。それくらい冷然とした声でした。それでも言う通りにして、彼女に向き直りました。
ありすさんの顔が、夕陽を受けてオレンジ色に染まっています。気付けばもうそんな時間です。あっと、ボクは小梅さんに連絡を入れるのを忘れていたことを思い出しました。慌ててスマホを取り出します。
「それはしまってください」
「いえ、小梅さんにメッセージを……何も言わずに出てきてしまったんですから」
「言う通りにしてください」
「な、何なんですかさっきから。そんなに重大な要件なんですか?」
ありすさんは苛立つようでもなく、あくまで淡々と命令だけ下しています。ボクたちがここにいることを、誰かに知らせたくないようです。
「話というのは、飛鳥さんのことです」
もう死んだのに?
「飛鳥さんが何か?」
「殺される前、あの日のお昼の以前から、飛鳥さんは内部犯の可能性を口にしていました。飛鳥さんが殺されるまでは、仲間の誰かを疑いたくなくてそれを真面目に聞いていませんでしたが……」
「ええと?」
「……飛鳥さんに、あやめさんも殺されて、この事件が外部の人間によるものではないと信じざるを得なくなりました。監視カメラに不審な人物も映ってないそうですし、それでいて事務所と寮を自由に出入りできるのは、346の誰か以外あり得ないんですから」
「ふふん」
「それで……あの日、幸子さんはあやめさんと珠美さんとレッスンをしていたそうですね。珠美さんが仕事で先に抜けて、あなたが最後に生きてるあやめさんと会った人物ということになります」
確かに彼女の息絶える瞬間を見ていたわけなので、間違ってはいません。
「そして、あやめさんの死体が見つかった直後、ちひろさんが寮から出てきたあなたと会ったそうですね。あなたはそのまま、飛鳥さんが殺された事務所に向かった」
「その時はあやめさんが死んだとは知りませんでしたから、誰かに話を聞こうとしてて……」
「それで飛鳥さんの殺された階へ行ったんですか? 監視カメラにエレベーターに乗り込む姿が映っていたと聞きましたよ」
「エレベーターのボタンに血がついてたら、何かあったと思いますよ」
「そこで、飛鳥さんの死体を見つけたと」
「第一発見者ですからね」
一応、ボクが通報しました。殺して、その死体を見たのはやっぱりボクが最初なので、これも間違いではないわけです。だからボクは嘘をついてません。ボクが殺したとは言ってないわけですが、これだって警察から「殺したのか」とは聞かれてないので、言ってないだけです。聞かれたことなら素直に答えます。ボクは正直者ですからね。
「できすぎてると思いませんか?」
「どうしてです?」
「だって飛鳥さんも何かしらの目的があってそこに行ったはずです。けど幸子さんまでそこに行くだなんて。飛鳥さんの後を追ったように見えます」
ありすさんの口調はどんどんまくし立てるように早く、そして熱も帯びていきました。
「……もしかして、ボクを疑ってるんですか?」
「はい」
「でも取り調べを受けても、結局こうして逮捕されたりしてませんよ? つまり犯人ということにはなってないわけで」
「殺したんじゃないんですか、あなたが」
「まあ」
「え?」
「え?」
突然、ありすさんが目を丸くしたので、ボクもつられて驚いてしまいます。ボクは嘘はつけないわけです。それだけのはずなのに。
瞬間、ありすさんの表情は激変しました。その顔はすぐボクの中に既視感を生みます。あの時の飛鳥さんのそれと同じでした。ともすれば、死んだはずの飛鳥さんが憑依したかのようですらありました。
そしてあの時の彼女と同じ台詞を叫ぶのです。
「……この、このッ……人殺しッ!」
謎解きと呼ぶには稚拙なやり取りの末に、いきなりこうきたのですから、あの時のような恐怖はないにしても戸惑ってしまいました。ありすさんはその一言の叫びだけで、息を切らせています。
何だか唐突な展開ですけれど、前に小梅さんの言っていた話を思い出しました。緻密なストーリーや脚本を期待すると肩透かしを食うと。ああなるほど、これはそういう映画のようなものなのでしょう。でなきゃ、人間をこうも短絡的に人殺し呼ばわりする発想には至れないはずです。つまりありすさんの拙い謎解きはこの物語における主題でも、ハイライトでもないわけです。少し気の毒にもなりました。
しかし、困りました。人殺しと呼ばれはしたものの、ボクはどうしたらいいのでしょうか。飛鳥さんの時は恐怖から反撃してしまいましたけど、今のありすちゃんは別に怖いとは思いません。
「ボクはどうしたらいいですかね?」
わからないことは考えすぎない方がいいと前に言いましたが、さすがに全てがそうではありません。たとえば勉強だったり、レッスンだったり、進路だったり、今後の身の振り方だったり。知りたくなくても向き合わざるを得ないことだってあります。
逆に言うと、何で人を殺すのかということは、生きていくぶんには別に知らなくたって問題はいわけです。
ありすさんは激しい憤怒の表情を固めたまま、しかし声色は今まで通りの冷たさを保って、きっぱりとボクに言い放ちました。
「自首してください」
「え?」
「警察に、本当のことを話してください。あなたが何をしてきたのか、全て」
「いやいやいや、ダメですよそんなこと!」
それよりありすさんの首がとても柔らかそうに見えます。ボクは慌てて鞄を開けました。
「自分で、罪と向き合おうという気がないのなら、仕方ありません。実はそうじゃないかとも思ってました。これだけ人を殺して、何食わぬ顔で生きてるわけですから」
マチェットを取り出しますが、おじさんの血で貼りついてしまったのか、カバーが思うように外れません。格闘していると、なぜかありすさんがこちらに近付いてきていました。
「それに、未成年のあなたを警察に突き出したところで、与えられる罰なんてたかが知れています。ましてや自分で罪をあがなおうという気もないのなら、誰があなたを裁くというんですか」
もちろんボクほどではありませんが、ありすさんの声はカワイイ響きです。まだあどけないにも関わらず、その音色で知的な言葉が形作られるところに、人体の不思議を垣間見た気になります。喉笛を切り開けば、生物学的にその構造を観察することができるのでしょう。
「ここに連れてきたのも、あなたを裁くためです。私の、私たちの大切な仲間を奪ったあなたを、絶対に許すわけにはいかない」
「私たち」って、もちろんボクもそこに含まれているはずです。しかしそれをボクが「奪った」という表現が、何だか矛盾して聞こえます。だってボクが奪ってものにしたのなら、美玲さんや飛鳥さんはどこに行ったんですか? だってボクが殺したのに。みんなここにはいないじゃないですか。
ありすさんの欠点はこういうところです。背伸びして、屁理屈じみた賢しい言葉で相手を翻弄します。ようやくカバーが外れました。
ふと気付けば、ありすさんが突進してきます。ボクのすぐ後ろは柵、その下は切り立った岩肌。避ける暇もなく、ボクはとっさにマチェットを右へ薙ぎました。
「あ―――っ」
何かにぶつかったような感触が腕に伝わったのも一瞬、ありすさんはボクの右側に逸れて前のめりに転びました。ところが足元に彼女の左手があって、ボクは何を見ているのかわからなくなりました。しかし悶絶するありすさんの左手首から先がなくなっていることに気付いて、なるほどとボクはマチェットの切れ味に改めて舌を巻くのでした。
「あっ、あ―――っ! うあ―――っ!」
起き上がることもできず、左腕を抱えてのたうち回るありすさん。聞いたこともない大声を送り出している喉に、おびただしい脂汗が浮かんでいます。今まさにそこを掻っ捌いて、その構造を探究する瞬間でしょう。すかさずマチェットを振り下ろしました。
「あぐ―――っ」
それは声というより音でした。口からではなく、斬られた傷口から出ています。しかしありすさんの首は文字通り首の皮一枚でかろうじて胴に繋ぎとめられていました。けれど顔はもう動きません。叫ぼうと開けた口、見開いた目、全てをそのままにして、ただ喉の傷から叫び声だけが出ていました。
叫びはどんどん声らしさを失っていきます。それが声ではなく血の噴き出す音だと気が付いた時には、ボクは下着まで彼女の返り血に染まっていたのでした。
しかし、まずいことになりました。着替えがないのです。