三分ほど悩んで、ボクは着ている服をありすさんの血に浸しました。赤くないところがないよう、入念に染み込ませます。後は水気を絞ることで、真っ赤な服を着ているということにします。
いや、無理があるのは認めます。さすがに上も下も真っ赤というのは、ちょっとないなと思います。道行く人が好奇の目を向けてきます。ボクのカワイさをもってしても相殺できないほどです。しかし電車に乗ったら周りの人々が蜘蛛の子を散らすように離れていったのは、いくらなんでもひどいのではないでしょうか。
このまま山梨の自宅まで帰るのも何でしたので、ひとまず事務所の寮に寄ることにしました。ロッカールームには着替えのジャージもありましたし、お風呂にも入りたいところです。それから、小梅さんに黙って出ていってしまったことも謝らなければいけません。
そうです、まず小梅さんに会いに行くのが先決です。お風呂などその後で構いません。そうして誠意を見せなければ。今回の件は全面的にボクの落ち度なのですから。
小梅さんの部屋のドアをノックします。少しして、彼女が顔を出すなり左目を丸くして驚きました。
「さ、幸子ちゃん……!?」
「小梅さん、先ほどはすみませんでした! 黙って出ていってしまって、実はですね……」
「い、いいから……とりあえず、入って……」
促されるまま部屋に入ります。
いつ来ても、小梅さんの部屋は落ち着きません。そこかしこにホラー映画のDVDやポスターが飾ってあるので、うかつにあたりを見回すこともできないのです。
部屋の中央に置かれた小さい丸テーブルの前に座ると、小梅さんはその傍らのベッドに腰を下ろしました。どこかそわそわとしていて落ち着かない様子です。
「あ、あの、小梅さん」
「う、うん……」
改めて謝ろうと、ボクは切り出します。
「先ほどは本当にすみませんでした。スマホで連絡するのも止められてしまったので……」
「う、ううん、いいんだ……きっと、何か事情があって、い、いなくなったと、思ったし……」
「それなんですけど、実は……」
「い、いいよ……無理に言わなくて……」
え? と思わず声が出てしまいました。弁解の余地すら与えない、という風ではありません。何しろ小梅さんは怒るというより、自身の肩を抱いて縮こまり、小動物然として震えていたのですから。先ほど、美玲さんたちを思って泣いたことをまだ引きずっているのでしょうか。いやこの場合、ボクに置き去りにされたことへのショックだと取るのが正解ですね。
「そ、そういうわけにはいきません。ちゃんとわけを話さないと……」
「い、いいの……本当にいいから……」
「でも……」
ここまで頑なだと、むしろボクの言葉の先を聞きたくないというようでもあります。やはり拒絶されてしまっているのでしょうか。
ボクはほかに紡ぐ言葉が見当たらず、困った末に俯いて口を閉ざしてしまうのでした。誠意の欠片もない態度だとは思いますが、もしかしたらボクは発言すら許されない立場にあるのかもしれません。それなら、この処遇は小梅さんに任せるほかないでしょう。彼女がいつか切り出すのを、じっと待ちます。
どれくらい、そうしていたでしょうか。部屋には置時計の秒針の音だけが響いていました。ボクの視界にはテーブルだけが映っています。それを穴が開くほど見つめ続けています。
「……あの……」
ようやく聞こえた彼女の声は、その秒針の音にさえかき消されそうなほど小さいものでした。
「……あのね……」
ボクは返事を促されるまで、黙っていようと決めます。何か言って、彼女の気分を害してしまっては、いつまで経っても進展しません。人はいつか死ぬものです。
「わ、私は……学校でも、そんなに友達がいないし……アイドルになってからも、みんなとうまくやってけるのかなって、不安で……」
小梅さんはいつにも増してぎこちなく、言葉と言葉の間を長くとって話します。幼虫や乳児が死ぬのは楽しみなものです。ボクは聴覚以外の感覚をシャットアウトするつもりで、ただ聞くことに徹します。思考さえ止めるつもりで、ただ彼女の話した内容を、あるがまま受け止める気でいます。どうせ持ち帰るなら手首より声帯の方がよかったかもしれませんが、両断してしまったので仕方ありません。
「プロデューサーさん以外で、この事務所で初めて話したのが、幸子ちゃんで……一番、一緒に映画を見てくれたのも、遊びに行ったのも、お話したのも、幸子ちゃんで……それから美玲ちゃんや輝子ちゃんや乃々ちゃんたちと仲良くなったけど、みんな……みんな……だから、今は幸子ちゃんだけが、私の友達で、これからも友達でいたいから……だって幸子ちゃんすごく優しいし、一緒にいて楽しいし……私のこと、怖いとか、気持ち悪いって、一度も言わなかったし……カワイイから……だから……ずっとずっと、友達でいてほしいから……私は、私は、幸子ちゃんがどんなことを、していても……幸子ちゃんの友達でいるから……幸子ちゃんのこと、ほんとは許しちゃいけないんだろうけど……許せないけど……許したくないけど……だって美玲ちゃんたちを、飛鳥さんを、ありすちゃんまで……あの後、トイレから戻ったら、警察の人が……映画館で男の人が死んでて……話を……そしたら幸子ちゃんがいないってなって、それから、ありすちゃんが、ありすちゃんが……ぐすっ……さっき、警察署から帰ってきて、それを聞いて……そしたら、そしたら血まみれの幸子ちゃんが、幸子ちゃんがっうぅっ、ぅぅぅっ…………………………………………………でも、私は……それでも幸子ちゃんのこと、好きだから……許せないけど、大好きだから……だから、ずっと待ってるから、ずっとずっと……だから、お願い……もう、やめて……殺さないで……幸子ちゃん……幸子ちゃん……さち、さち、こ……ちゃ……ぁ…………………………………………幸子ちゃん、何がおかしいの……? どうして笑ってるの……?」
やっぱり、カワイクない顔をしているのでしょう。それでも、笑っているというのは伝わるようです。だって笑うしかありません。ほかにどうすることもできないんですから。ただ黙って、俯いているよりは、笑っていた方がいいじゃないですか。
悪趣味だなんてとんでもない。
けどせめて、次からちゃんとカワイイ顔ができるようにしておかないと。
だってボクはカワイイんですから。それはもう、万事において。
人殺しだってカワイイもの。
でもどうしてかはやっぱりわかりません。わからないままでいい気がします。わかってしまったら、たぶん笑うことさえできなくなってしまいそうでしたから。
なのでボクは笑い続けることにします。小梅さんは泣いていますけれど、そのうち元気になってくれるはずです。きっと赤い奔流が、その白い肌の下を縦横無尽に駆け回っていることでしょう。
悪趣味だなんてとんでもない。
【THE END】