寮の大浴場で血と汗を流します。レインコートを着ていても、露出していた顔をはじめどうしても汚れる部分がありました。けれどボディソープとシャンプーとを泡立て、お湯をかぶれば、きれいさっぱりいつものボクに戻ります。
「フフーン……」
広い浴槽に浸かります。昼時なのもあってかここにいるのはボクだけで、貸し切り状態でした。解放感に心地よさは倍づけ。腕の疲れがお湯の熱でぴりぴりと剥がれ落ちていくようです。
と、そこで更衣室とを隔てるドアの開く音がして、貸し切り終了に少し残念な気持ちを抱きながらも、ボクはその方を振り返りました。友紀さんと紗枝さんでした。
「あれ、幸子ちゃんいるじゃん。今日はオフだったっけ?」
「ええ。たまには事務所と寮だけでのんびりするのもいいかなと」
「ええなあ、うちらはれっすんでかいた汗流したら、またすぐ打ち合わせどす。次のお休みは明後日やったわぁ……」
お二人ともタオルで前を隠すことなく、堂々と歩いていきます。友紀さんのプロポーションのよさにはやはり大人の女性なのだなあという感心を。紗枝さんの華奢でどこか儚げな細身の美しさには、ボクと一つしか歳が違わないことに羨みさえ抱いてしまいます。
まあカワイさで言えばボクが一番なんですけどね!
当たり前じゃないですか!
さて浴槽に浸かりながら何となしにお二人の動きを見ていると、友紀さんは椅子に座って体と髪を洗い始め、紗枝さんはシャワーをひと浴びした後、こちらへと向かってきました。
「お隣、よろしゅうどす?」
「どうぞ」
「ほな……はぁぁー……」
ゆっくりと膝を折り畳み、お湯に沈んでいく紗枝さん。胸まで浸かると、居ずまいを直して足を前に投げ出します。快感のために漏らされた声が同性のボクでさえどきりとするほど色っぽいです。一つしか違わないはずなのに、これがはんなり京美人というものでしょうか。なんの山梨県民だって負けてはいません。いや、さすがに今のは冗談です。
それにしても近くで見ると、紗枝さんの色白な肌がよくわかります。珠のようとはこのことを言うのでしょう。それも体温の上昇によってほのかに赤く色づいている様は妖艶なほどで、彼女の色気は留まることを知りません。
この白くて柔らかそうな肌のすぐ下には、凄惨な赤い世界が広がっているはずなのに。
それを表面からほんの少し透けさせるだけで、女性とはかくも蠱惑的になるものかと驚かされます。
いや一番カワイイのはボクですけどね!?
「うげっ、目にシャンプー入った!」
こちらに背を向けた友紀さんが、泡だらけの頭をかきむしるようにしながら悶えていました。両手ももちろん泡だらけでしょうから、涙で洗い流すほかないでしょう。それまで彼女の視界はゼロ。
紗枝さんは隣にボクがいることも忘れているような蕩けた顔でくつろいでいます。
ボクはお尻の下に沈めていた斧を手に、お湯から立ち上がりました。髪を結った紗枝さんのうなじが見下ろせます。思わず手でなぞりたくなるような甘美さをたたえたライン。けれどあまりに華奢すぎて不安にさせられもします。首は人間最大の生命線だというのに。
のでそこ目がけて斧を振り下ろします。
「げうッ」
うなじの肉を削った勢いのまま、斧が水面を叩いて飛沫を上げました。どぱぁん、とでも表現できそうなその音で、紗枝さんの短い断末魔はかき消えてしまいます。
「さっちー大丈夫? ハルカアマミちゃんも真っ青な転び方したんじゃない?」
「何で見もしないのにボクが転んだと決めつけてるんですか!?」
「いやすごい水音がしたからさ」
まだ目が開けられないのか、背を向けたままの友紀さんにそんなことを言われます。そりゃバラエティ番組でボクと水の組み合わせは何かと多用される傾向にありますけど! ええ皆さんリアクションを期待してるんでしょう! それこそボクが激しく水音を立てて落下したり溺れかけたりする姿を!
ざばーん!
どぱーん!
ざぶーん!
斧を繰り返し振り下ろします。最初の一撃で紗枝さんはお湯に突っ伏して動かなくなっていました。首の傷から溢れた血が、瞬く間に浴槽を赤く濁らせていきます。対照的に、肌からはほんのり浮かんでいた赤みが抜け、やがて生物としての熱さえも失われ、青白さだけが残ります。赤いお湯とのコントラストが見事なほどです。
ざぶーん!
ざぶーん!
ぼきっ。
首の骨が叩き折れた瞬間、ごろんと紗枝さんの頭が水面で回転しました。そのままぷかぷか、胴から離れて漂流を始めます。
「さっきからバタフライでもしてんの? お風呂で泳いじゃダメだよ幸子ちゃん」
「だから何でボクなんですか!」
目に染みたシャンプーに痛がる素振りは収まっているようでしたが、未だ頭に両手を突っ込んで泡立ちを促進している友紀さん。その目前にある鏡に、血だらけのボクが映っていました。振り向かずとも目を開けられれば気付かれてしまいます。
思わずボクは、斧を友紀さん目がけて投げつけました。三回転して飛んでいったそれの柄が、彼女の後頭部を殴打します。
「ぎゃッ」
がちゃん、と砕ける音。斧をぶつけられた反動で、友紀さんは顔面を鏡に打ち付けていました。椅子から転げ落ち、タイルの上で悶絶します。割れた鏡にボクの姿が映ることはもうありません。
「いだッ、あッ……あッあッ、げぼッ」
傍まで歩み寄って、友紀さんの顔を覗き込みます。鏡の破片がいくつか刺さっていて、溢れた血が目や口、鼻に流れています。むせ返り、目も開けられないその姿は、自身の流した血で溺れているかのようです。頭にまとったシャンプーの泡までもが、みるみる赤色を含んでいきます。
鏡の破片で手を切らないよう注意しながら、ボクはそのシャンプーまみれの頭髪を両手で鷲掴みにし、友紀さんを引きずっていきます。
「あぁあいたいいたいよぉおッ、たすけてッ、さちこちゃんたすけてぇッ」
子供のように泣きじゃくる友紀さんですが、引きずっているのがボクということには気付いていないのでしょうか。眼球を自身の血で浸されてしまっているので、見たくても見れないとは思いますが。
ぶちぶちと髪の毛が抜ける音がして、弾みで転びやしないかと不安になりましたが、何とか友紀さんを浴槽の手前まで引きずってこれました。痛みに悶えるばかりで抵抗の余力のない彼女の上体を、お湯へ投げ込むようにして沈めます。
「げぼッ! ががごぼごぼぼッ!」
浴槽の外に出た足がばたばたと暴れます。蹴り飛ばされそうになってひやひやしたボクは、小走りに先ほど投げた斧を取りに戻りました。友紀さんが座っていた椅子の手前に落ちていたそれを拾い、またぺたぺたと急いで浴槽に向かいます。友紀さんは膝で浴槽の外側のへりに引っかかっていました。すかさず右側の腿に一撃を叩き込みます。
「ぎゃぼぼッ」
体勢を維持する力を失い、友紀さんの体は膝までお湯に浸かりました。それでももがこうとする足を斧の柄で突いて、全身を沈めさせます。
それから少し見守っていると、いつの間にか仰向けに反転した友紀さんが顔を出しました。お湯が紗枝さんの血で濁っていたので、その動作が見えなかったのです。
「ぶはッ! げほげほッ! たす」
呼吸と悲鳴に全力を尽くそうとする友紀さんの口を、頬を、額を、鼻を、目を、斧の柄で突きます。彼女が浮き上がろうとするたび、繰り返します。途中、がつんと何かを砕く感触があったのは、恐らく歯だったんじゃないかと。
何度、突いたことでしょうか。いつの間にか友紀さんの体は酸素を求めて動くことも、苦痛に震えることもありません。気付いて斧を振るうのをやめると、どこに鼻や目があったのか判別できない顔の友紀さんが、ぷかりと赤い水面に浮きました。
その傍らに、紗枝さんの頭が漂着しました。ぽかんと開いた口でお湯を飲んでいますが、すぐ首の切断面から流れ出てしまうので沈まないでいるようです。これもまた、見る人が見れば滑稽な姿かもしれません。しかしボクは別段、可笑しいとは思えませんでした。このくらいで容易く笑いが取れるなら、笑美さんと鈴帆さんのコントでボクはとっくに笑い死んでいることでしょう。
けれどいつの間にか、ボクは自分の顔が綻んでいることに気付きました。友紀さんが割った鏡の破片が床に散らばっていて、そのひとつひとつに映り込んだそれを見たからです。もしかしたら、像が歪んで笑っているように見えるだけかもしれません。
でもいつしか、喉の奥から溢れた声が大浴場にこだましています。ボクはだらしなく大口を開けています。その声は抑揚がないけれど、リズムはまさに笑いの形を刻んでいるのでした。
「ふは、ふひひ、ふ、ふふんははあはは」