「ボクはねェ……ただ……ただほめてほしかっただけで……」
六人のアイドルがいなくなっても、事務所は回ります。回らざるを得ないのです。
ユニットの仲間だった友紀さん紗枝さんまで死んでしまったので、ボクは新たにあやめさんと珠美さんとの三人でお仕事をすることになりました。といっても同じステージに立つには、歌やダンスの合わせのためにまだまだ時間がかかりそうでしたが。
「ただ、愛してほしかっただけなんですよ……」
いえ、決してお二人の実力がボクに及ばないというつもりではないのです。ましてやその逆でもありません。単純に慣れと相性の問題です。こればかりは時間をかけて、三人がそれぞれ融和していくのを待つほかないと思います。実際プロデューサーさんもそういう方針らしく、しばらくはレッスンとステージ以外のお仕事を中心に据えるつもりのようです。
「それだけなのにィ! ただそれだけなのにィィィーッ!」
今日は表現力レッスンです。テーマは「怒り」。
壁の一面に張り巡らされた鏡に向かって、自分の内側をさらけ出すように、演じます。
脇で見ていたあやめさんと珠美さんが呆然としているようです。まさか引いちゃいないでしょうね。演技だって言ってるのに。
「それにしても、幸子殿って怒りませんよね」
レッスンが終わってから、レッスンルーム前の廊下の自販機でスポーツドリンクを買ったところで、ふとあやめさんからそう言われました。
「え? そ、そうですか?」
「さっきのレッスンの『怒る』演技から、つくづく幸子殿は普段、ああした一面を見せていないんだなあと」
あやめさんはどこか感心しているようです。内容が内容なので、ボクを褒めているのか、いないような。
彼女はレッスン用のスポーツウェアのままでいて、ノースリーブの上着とショートパンツからそれぞれ露わになった腕と脚が、未だレッスンの余熱を残してほのかに赤みを帯びています。スレンダーさも相まって形成される健康美は、その些細な変化によってたちまち妖艶さをそこに顕現させているかのようです。
「別に、怒る機会というか、必要がないといいますか……あれはあくまで『怒るとしたらどうするか』って想像した上のアドリブなんですけどね」
「でもこう言ってはなんですが、日頃バラエティ番組での無茶ぶりにも、嬉々として応えているものですから、あまり本気で怒る姿というのが想像つかないような」
「いや別に嬉々としてはいませんよ! せっかくのお仕事ですからむげにはできないと仕方なく引き受けているのであって!」
ボクの抗議もよそに、あやめさんは自販機に小銭を入れます。ボクが背伸びして何とか届くという高さのボタンを悠々と押して、五〇〇ミリリットルの緑茶が落下しました。それからかがんで、右腕をしならせるようにしてそこへ差し込み、ペットボトルを取り出します。
そうして立ち上がると、お茶のキャップを開けるよりも先にボクに向き直って、話を続けます。
「まあ怒るかどうかはともかくとしても、ため込んでしまったりすることありませんか? 仕事ではどうしても、嫌なことにだって直面しますし。それでも幸子殿はいつも平常運転ですから、何かそうするための秘訣があるのかなと」
「そりゃボクが常にブレなくカワイイということでしたらその通りですけど。その口振りだとあやめさん、何か悩み事でも?」
「い、いえ、そういうわけではないのですが。ただ……」
どこか気まずそうにして視線を逸らしてしまうあやめさん。思い出したようにお茶を開けて、一口あおります。喉がこくこく、と小さな音を鳴らしました。細くて華奢で、動物の生命線にも関わらずその脆そうな見た目がこちらまで危うい思いにさせるほどです。
紗枝さんの時にも思いましたが、首や喉というのは、人体の魅力を凝縮した部位に思えてなりません。心臓以外の最重要たる器官がそこから上に集中していて、それをただ一つ支えているものなのですから。危うく、儚ささえ感じさせると同時に、そのアンバランスで危機感の欠如した構造には不思議と引きつけられるものがあります。性的にしたってそうです。つまるところボクは首フェチということになるのでしょうか。
「……その、ここ最近、色々とありましたので……それでも明るく振る舞える幸子殿が、逞しいなと」
ペットボトルから口を離したあやめさんは、ボクに向けたその称賛を、申し訳なさそうな上目遣いでもって呟くのでした。
以前小梅さんから嫌々聞かされた話ですが、スプラッター映画の傾向には「切株映画」というものがあるらしく、過激な人体破壊描写をウリとし、純粋にそれを楽しむことを目的としているそうです。その手の作品では当たり前のように首がちぎれたり、斬り落とされたりするわけですが、それらの作り手、またそれらを楽しむ人々というのは、少なからず人体に対する特有のフェチズムがあって、それを破壊する表現でもって昇華しようとしているところがあるのではないかと思わされます。
「エレベーターに引っかかったネックレスで首がちぎれたり……切り落とされて間もない首にまだ意識があって、主人公にヒントを与えたりとか……」
断片的に覚えている小梅さんの解説。その映画を作った人、どれだけ首を切るのが好きなんでしょう。
あまり、思い出したくない話です。
「ま、まあボクのモットーは常にカワイクですからね! そのためには明るくしていなきゃいけないわけですから!」
「さ、幸子殿……もしも辛い時があれば、いつでもこのあやめを頼ってください! たとえ何があろうと仲間同士、助け合ってまいりましょう!」
なぜか感動したようなあやめさんに手を取られてしまいます。柔らかな手のひらはしっとりとしていて、レッスンで滲んだ汗が染みついているのが感じられました。そういえばここにも手首という、重要な血管の走る部位があります。橈骨動脈というそうですよ。
「レッスンも終わりましたし、着替えましょうか。汗、かいてますよね?」
「汗……はっ! す、すみません! もしかして手、べたついてませんでしたか!?」
と慌ててボクから手を離すあやめさん。不快だったということではまったくないので、慌てて訂正します。
「い、いえ! そういうつもりで言ったんじゃないです」
「そ、そうでしたか。そういうことなら」
そういうことで落ち着いたので、ボクはさっそくロッカールームへと足を向けます。けれどそれにあやめさんの歩が伴わず、おやと止まってしまいます。
「どうかしましたか?」
ロッカールームにはボクの鞄があって、先日通販で買ったばかりのナイフと着替えが入っています。
「いえその……また蒸し返すようですみませんが、あまりその部屋には入りたくないもので」
「大丈夫ですよ」
「ま、まあ……そうですよね」
渋々、といったようにボクと並んで歩き出すあやめさん。
「そういえば珠美さんは?」
「雑誌の取材があるとのことで、早々に出ていかれましたよ」
フフーン。
ボクが先頭で、ロッカールームに入ります。
先日美玲さんたちの死体が折り重なっていたところはきれいに掃除され、もう血の跡は残されていません。ですがロッカーは彼女たちが入っていたもの以外も含め、全て新しいものに取り換えられていました。なのでピカピカです。
ボクは自分の鞄を入れたロッカーの前に立ちます。前回の教訓を生かし、わかりやすいように向かって一番左端のものです。ちらと見れば、あやめさんもそわそわとした素振りながら、自身のロッカーを開けてスポーツウェアを脱ぎ始めました。彼女は右端のものを使っています。距離がかなり空いているのはたまたまです。レッスン前に着替えたタイミングがバラバラでしたので。
ボクもレッスン用のジャージを脱いで、下着だけになります。カワイすぎてファンには刺激が強すぎるので見せられない姿です。ちょっともったいない気もしますが。
あやめさんはまず上着だけ脱いで、ブラジャーとショートパンツのみの姿になっていました。紺のスポーツブラです。ボクのようなカワイさこそありませんが、その飾らない武骨さはむしろ清々しいほどで、純粋に肉体そのものの魅力を引き出す役目に徹しているようです。
少しロッカーから離れて角度を変えると、あやめさんの背中が一望できました。滑らかな肌色の上に、肩甲骨の丘が二つ浮かんでいます。スポーツブラの紺色とのコントラストも美しいものです。もっと近くで見たいと前に踏み出すにつれ、思わずそこに触れてしまいたい衝動に気付いてしまったボクは、慌てて自分のロッカーに戻り、鞄に折り畳んで入れていたレインコートを着ました。透明なので肌と下着は隠せませんけれど。
あやめさんはウェットティッシュで露わにした肌を拭いています。激しいダンスレッスンはしていないので、シャワーを浴びるほどの汗はかいていないはずですしそのくらいで十分なのでしょう。汗が染みついていたであろう肩が、ティッシュの水気で舐められたように微かな艶を醸します。
それから思い出したようにショートパンツを脱いで、下半身も下着一枚となるあやめさん。日頃のダンスでの軽やかさを表現することが可能な、しなやかな肢体です。しかしやはり運動面に特化しすぎて、ふと転んだ弾みで折れてしまわないか、不安にさせられます。
そう思うと、首どころか四本の手足でさえ、かろうじて胴に繋ぎとめられている気さえしてきます。折れるどころか砕けてしまう。ちぎれてしまう。引き裂けてしまうのではないか。容易く。
あと三歩ほどでその背中に指が触れる、という距離に来て、不意にあやめさんが振り向きました。隙だらけかと思ったんですが、こうして気配を悟るあたりから忍ドルの名は伊達じゃないのかもしれません。けれど読心術までは会得していないようで、きょとんとした面持ちを浮かべています。
「さ、幸子殿? レインコートなど着てどうされましたか?」
「いえお構いなく。それより振り向いちゃダメです。背中を向けていてください」
「え? ええと……」
「まあまあまあ」
適当になだめると、それだけであやめさんは言う通り視線をロッカーの方に戻してくれました。表情はなお疑問形を作ってはいましたが、ボクの出で立ちを訝しみこそすれ、そこに深刻さを見出してはいないようでした。右手に握っていたのが刃を折り畳めるフォールディングナイフでなかったら、さすがにばれてしまったでしょうが。
そうして間近にしたあやめさんの背中には、どこまでも健康的な肌色がたたえられています。しかしそこにはスポーツブラの紺色が走ってもいて、先述した通りコントラストこそ美しいものの、開放感の点では景観を阻害していたと言えなくもありません。
右手をあやめさんのうなじの高さにまで掲げ、軽く一振りします。銀色にきらめく刃が現れました。その切っ先をさっそく縦に一閃。肩甲骨の間からパンツの上までなぞります。
「い、ぎぃッ!?」
瞬間、飛び上がって痛みに驚いたあやめさんは、その勢いのまま目の前のロッカーにぶつかりました。それから仰向けに倒れ込んだので、ボクはさっと後ずさってそれを避けます。ごん、と彼女が後頭部を床に打ち付ける音がしました。
しかしこれでは背中が見えません。ですがあやめさんの体の前面はまだきれいなままです。これ幸いと、ボクはナイフを彼女のおへそに突き立てます。
「はぐッ」
この時、ボクは屈んであやめさんのお腹を覗き込むような態勢でいます。逆にあやめさんの顔がボクのお腹を見ているような形です。なので刃を突き立てた瞬間、短く聞こえた悲鳴はボクより後ろで聞こえたようになります。
ナイフはその刃を全てあやめさんの皮膚の下に収めています。当然傷口から血があふれ出し、あの健康的な官能に満ちていた肌を毒々しく塗りつぶしていきます。ボクはそのままナイフを手前に引きます。行先はまっすぐ、あやめさんの鎖骨と鎖骨の間。肉や脂肪をかき分け、引き裂く感触が、ボクの手にも伝わってきます。
「あッうあぁぁぁぁッ」
ボクのお腹にあやめさんの悲鳴。ナイフを切り進ませるほどにボクの体は後退するので、当然彼女の声が近づいてきます。深く刺しすぎたためか、思ったよりナイフが重く感じるので、力を入れます。
「あぁあぁぁぁおごッ! ごぼぼッ! げほッ!」
レインコート越しのお腹にべしゃっと、勢いよく噴き出した液体が当たるのを感じます。水気は弾きますが、その生暖かさはボクの肌にも染み込んでくるようです。あやめさんの叫びは聞こえなくなりましたが、代わりにうがいと咳をしている音がします。ちらと下を見てみると、あやめさんの口からぶくぶくと血の泡が浮かんでは弾けを繰り返していました。吐血してなお叫ぼうとしたためにむせ返ったようです。
ふと、ナイフを握る手に触れる感触があって視線を戻すと、あやめさんの両手が刃の進行を止めようとまとわりついてきていました。しかし止められるだけの力を発揮することができないようで、ぺしぺしと指の腹でボクの腕を叩くぐらいです。
やがてだいぶおへそから離れたナイフは、乳房の下にまで達します。小ぶりな二つの膨らみの間をなぞって、なおも刃を進めました。それに合わせて後退すると、あやめさんの顔を覗き込むような位置にまで来ました。頭突きができるくらいの距離で、はっとしてボクは頭を離しました。抵抗されて痛い目を見るのは嫌です。
「うぶぶッ」
「ふぎゃあ!?」
頭突きこそ飛んでこなかったものの、あやめさんの口から噴き上がった血を避けることはできませんでした。もろに浴びてしまい、思わずナイフを離して尻餅をついてしまいます。
「うぅぅっ、ひどいじゃないですかいきなり!」
「うぼッ、ごぶぶッ」
ボクの抗議など自分の血のうがいの音で聞こえていないのでしょうか。それくらいで怒りはしませんが、無視されるのはちょっと寂しい気持ちになります。あやめさんはナイフを刺したボクよりも、自分に刺さったナイフへの関心が強いようです。乳房と乳房の間に留まっているそれを抜こうとしてか、がたがたと震える手を柄にかけようとしていました。
ところが体勢を変えれば抜けると思ったのか、あやめさんは寝返りを打って左を向きました。横になったことで口内に溜まっていた血がざばっと床に広がります。
「うあ、あッ、げほげほッ! ああぁいだい、いだげほッ! いだいぃぃッ」
濁のかかった声と咳とで、なんと言っているかよく聞き取れません。横を向かれてしまったので表情も窺えず、せめてどんな顔をしているのか覗き込もうと、ボクは四つん這いで彼女の正面に回り込みます。
しかしあやめさんの顔はもう血に濡れていないところがないくらい真っ赤で、これでは表情も何もわかったものではありません。仕方なしに視線を向かって左、ナイフで切り進めた傷口を辿らせていくと、未だ胸に突き刺さったナイフがスポーツブラを縦に両断していることに気付きました。これならブラを簡単に脱がせて、彼女の背中の全景を一望できることでしょう。
さっそく今度は彼女の後ろへ回り込もうとしたのですが、おへそのすぐ上の傷口からぼとぼとと何かがこぼれているのが目に留まりました。赤い水流をかき分けるようにして現れたピンク色のそれは、うねうねと細長く、ずるずると際限なく伸びてきます。よくこれだけの長さが、彼女の体内に入っていたものだと感心すらしてしまうほどです。
つまりそれはあやめさんのはらわたということです。
あやめさん自身もそれに気付いたのか、ナイフの柄にまとわりつかせていた両手を、こぼれたはらわたへ伸ばします。それを掴むというよりは絡み付かせたようにした手を視界に映るだろう位置まで持っていきます。
「あっ……あっ……」
虚ろな目は瞬きすることも忘れたように見開かれています。対照的に口はぱくぱくと開いたり閉じたりを繰り返していて、小学校の時に理科室の水槽にいたメダカを想起させました。あるいは、自身の吐血で溺れ、酸素を求めている動作かもしれません。
「あぁぁぁぁぁぁぁっ」
おへそから切り進められていた時ほど大きな声ではありませんでしたが、あやめさんが悲鳴を上げました。火の消えかけたろうそくの最後の燃焼を見ているかのようです。つまりはこれが、彼女の断末魔になるのでしょう。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」
覗き込むボクのことは眼中にないようで、ただ自身のはらわたから目が離せないまま、彼女は叫び続けています。その声も、徐々に弱く小さくなっていきます。それでも、叫ぶことはやめません。
「ぁぁぁぁぁ……ぁぁぁ……ぁ、ぁっ……ぁ……」
後の方は声というより空気の出入りする音がほとんどで、よくよく耳を澄まさないと聞き取れません。
「……ぁ……」
口が動かなくなってから聞こえたそれが、最後の発声になりました。もう三十秒ほど、じっと耳を澄ませて様子を窺っていましたが、あやめさんはそれ以上呻くことも、動くこともありませんでした。彼女の体に見られる唯一の変化は、傷口からなおも溢れる血の流れだけ。
ふと思い出して、彼女の後ろに回り込んで背中を一望してみましたが、ここも血にまみれて肌色が完全に失われてしまっていたので、当初抱いたあの憧れというか、性的な魅力もどこへやらです。あるいは百年の恋も冷めたようと言いましょうか。
けれど何だか大層なものを見た気分で、ボクは得意げな面持ちを作りながら後片付けに取り掛かるのでした。そうすると自然に笑いがこみ上げてきます。楽しいからではなく、余裕や優越感に基づくものです。
「ふふふふふふふふふふふふふーん」