「い、いやぁ……いっぱい血が出たね……」
「ややややややっぱりこうなるんですかーッ!」
電話でのしおらしさもどこへやら、前髪に隠れていない左目を爛々と輝かせ、口調を弾ませる小梅さん。ボクはといえば、飛び出たはらわたや引きずり出された脳味噌の映像が網膜に焼き付いて、こうして映画館を出てなお視界の端にそれらが映り込んでいるかのようです。
「それから、半魚人に食い殺されるシーンなんか、感動の対面みたいな演出で笑っちゃった……。うん、この映画ホラーとしては微妙だけど、ブラックコメディとして見るなら当たりだね……」
「コメディですか! 人が散々死んでおいてよく笑ってられますね!」
そりゃ小梅さんのホラー・スプラッター映画好きは今に始まったことではないとはいえ!
「でもほら、あまりに血が出たり、人が死にすぎたりとか、人体破壊描写ってやり過ぎると一周回ってギャグになっちゃわない……? 激しいボケとツッコミの応酬というか、スラップスティック的な……」
「ぜひ笑美さん鈴帆さんの意見も聞きたいですね!」
「そ、それよりどこかでおやつにでもしない……? ハンバーガーでも食べたいな……」
あんな映画の後によくお肉を食べようなどと思えたものです。もはや呆れを通り越して感心さえしてしまいます。ボクは引き裂かれた小梅さんの胃袋から、咀嚼したばかりの牛肉が出てくる姿を想像します。
ボクとしては映画のせいで食欲など微塵も沸いてきませんでしたが、仕方ないので小梅さんに付き合うこととします。映画館のすぐ傍にあったお店に入ります。加蓮さんが好きらしい某全国チェーンではなく、アメリカを本場として日本には数店舗だけ上陸しているというところでした。初めて入りましたが雰囲気が明らかに違って、ちょっとおしゃれです。一方でお値段は少し張るのですが、ドリンクバー付きなのでまあ許容しましょう。
小梅さんは一番小ぶりなハンバーガーを、ボクはポテトを注文しました。ドリンクバーではアイスティーを選ぶボクの隣で、小梅さんはよりにもよってアセロラジュースをコップに注いでいます。よくもそんな真っ赤なもの飲めますね、あの映画の後で。
席に着き、おいしそうにハンバーガーを頬張る小梅さん。ケチャップが口の周りについている姿は、いつもであれば微笑ましく、そしてボクほどではないにせよカワイク見えそうなものですが、やはり先ほどの映画に出てきたゾンビか何かを彷彿とさせてしまい、ボクはポテトをつまむ気さえ起きないのでした。
それからハンバーガーを食べ終えた小梅さんに、あの映画の見どころや印象に残ったシーンを延々と聞かされます。ボクもボクで生返事して聞き流せば楽なのに、それだと小梅さんに失礼なのでつい真面目に聞いてしまいます。おかげで上映中の凄惨な光景が鮮明に蘇るようです。
「ほら、ピエロいたでしょ……? あれも昔やったホラー映画の殺人鬼のパロディだよ。排水溝に引きずり込んで……オススメしちゃう……」
「フギャー!」
「ふふ、上映中も幸子ちゃん、そうして叫んじゃってたね……終わりの方なんか、私にしがみついちゃって……カワイイんだ……」
「そりゃカワイイのは認めますけど、おかげで後ろの席のおじさんに怒られちゃいましたよ」
「え? そんなことあったっけ……?」
「口で言われたわけではありませんが、椅子を蹴られた気がしたので。騒ぎすぎはいけませんね……」
「そ、そうだったんだ……。映画に夢中で気が付かなかった……」
そのおじさんの首がもげたことも知らないようです。やはりマチェットの切れ味は抜群でした。
「えっと……それから丸鋸で胴体が真っ二つにされるとことか……」
「おえっぷ」
いきなり最大のトラウマシーンを挙げられて、思わずカワイクない声を出してしまいました。
確かに小梅さんは親友ですけれど、しかし彼女のこの趣味を理解できる日は生涯来ないことと思います。
散々人を殺しておいてなんだ、と言われそうなものですが、しかしホラー映画はダメなのです。というか、グロテスクに「作られた」ものが受け入れられないんだと思います。
実際の臓物と、特殊メイクで作られた臓物とがどう違うかと聞かれても、正直なところよくわかりません。感覚的なものというか、昔からのすり込み思い込みのせいと言いますか。率直に言うと、初めて人を殺した時には、ホラー映画を見せられたような嫌悪感、恐怖心というものはボクの中に発生しなかったのです。それならそれで支障がないわけで、問題もないことになります。
つまり気にする必要もありません。
そういうことにしています。
そういうことでボクは生きていますし、地球も回っています。それでいいじゃないですか。
しつこい人は嫌いですよ?
「え、えへへ……」
何とか吐き気を押しとどめたボクに微笑む小梅さん。嘲笑っているわけではないのでしょうが、よくも笑ってくれたなとは思います。
「な、何ですか……というか、次はもっと健全に遊びましょうよ。カワイイ洋服売ってるお店、紹介してあげます」
「いや、私そういうのは……ちょっと……」
そこで思い出したように遠慮がちな素振りを見せられても、謙虚さより彼女の悪趣味さの方が際立ってしまいます。女の子らしいウィンドウショッピングより、あくまでホラー映画鑑賞を優先したがるようです。
はあ、と小さくため息をついて、口の中に滞留している生臭さを洗い流そうとアイスティーを一口。コップを唇から離すと、小梅さんがその遠慮したような面持ちを保ったまま、視線をテーブルの上に落としていることに気付きました。
「どうかしましたか?」
「うん……やっぱり、女の子っぽくないよねって。私……」
「まあ……別に気にしなくてもいいんじゃないですか。小梅さんはそれでこそ小梅さんなわけですし」
「いや、もともと気にしてはないんだけど……」
「じゃあ何ですか急にしおらしくなって!」
ただ女の子っぽくないと自分では言っていますが、小梅さんはやはり普通に、いや普通以上にカワイイですし、おしゃれのセンスだってあります。今日のファッションも変装を兼ねているとはいえ、彼女の趣味であるパンクの要素をスマートにまとめ、着こなしていました。どこから切断すればいいのか迷います。
「ただ、その……最近、色々あったでしょ……? だから……」
「色々と言うのは」
「……あんなに、たくさん殺されて、犯人もまだ捕まってないのに……今まで通り、こんな趣味を楽しんでていいのかなって……」
要するに、不謹慎だと?
しかし実際の殺人と映画の中の殺人とは別物なわけですから、それらを一緒くたにしてあれこれ言う方がかえって無神経だとボクは思います。
趣味は趣味ですし、娯楽は娯楽です。実際に死んだ人を貶めるような楽しみ方をしているのでなければ、いいんじゃないでしょうか。だって映画の中で殺される人は、現実には死んでいないわけですし。
「その……美玲ちゃんたちのことがあってからも……私と一緒に、ホラー映画を見てくれるの、幸子ちゃんだけで……」
「というか、ボク以外誘ってないんじゃありませんか」
「うん」
つまりそれはボクがカワイすぎて誘わざるを得ないんですよね!
殺戮したくなってきましたよ!
「けど、前に幸子ちゃん、言ってくれたでしょ? 『気持ち悪い』って言葉は、映画の内容に向けてであって、私に対してじゃないって……」
「ええ」
「だからね……少なくとも幸子ちゃんだけは、こんな状況でも私のことを受け入れてくれるのが、嬉しくって……」
「もちろんですよ。友達じゃないですかボクたち」
「えへへ、ありがとう……ごめんね」
「どうして謝るんです? ボクの方こそ、小梅さんがいてくれて大助かりですし、毎日がカワイクて楽しいですよ」
「だ、だって……あんなことがあって、その……何かで気を紛らわさないと、耐えられないから……それがその、ホラー映画で、血とか、内臓が出るたび、安心するなんて、私……美玲ちゃん……輝子ちゃん……乃々ちゃん……っ、っ……」
俯いたまま、小梅さんは左目を袖で覆ってしまいます。肩が小刻みに震えていました。日頃から声の小さい彼女の嗚咽など、店内の喧騒にかき消され、目の前のボクにさえほとんど聞き取れません。
「ご、ごめっ……んっ……つらいの、私だけじゃっ……ないの、にっ……」
それはボクもまた辛いだろうと想像しての発言だったのでしょうか。気遣いだったのでしょうか。ボクとしては、辛いと感じたことは一度もなかったので、そんな風に気にかけられたことにむしろ驚いてしまいます。
しかし美玲さんも輝子さんも乃々さんも友紀さんも紗枝さんもあやめさんも飛鳥さんも、ボクにとってはかけがえのない仲間であって、友達であったはずなのです。
けれど彼女たちが死んだことに涙した覚えはありません。
心が張り裂けるような寂しさ、悲しさを感じたこともありません。
あんなに命乞いされても、激痛に悶えられても、断末魔の悲鳴を聞かされても、ボクの意識はせいぜいボク自身のカワイさに向けられていたと思います。我が身カワイさです。
しかし楽しくもなかったわけです。事後は反射的に顔が笑っていたわけですが。
結局、何一つわかりません。わかったことなどありません。あれだけ人を殺しておいて。
そろそろ究明できてもいい気がするのですが。
あるいは、目的もなく殺し続けている? 何のためでもなく?
人間の行動には、必ずしも意味や目的が伴う限りではないはずです。何をするでもないちょっとした所作であったり、言葉にならない声であったり。
それと同じことかもしれません。
でなければ、ボクの行為に意味など見出せそうにありません。
あるいは、第三者となる誰かにとっては、そこに楽しさや意義が見つけられるのかもしれませんが。
前に小梅さんが言っていた、ただ人が死ぬのを楽しむだけの映画のように。
つまりボクは、そのエンターテイメントを演出するための役者であり、舞台装置です。
今のところ、監督もいなければ観客だっていないわけですが。
そんな風にぐるぐると考えていた時のボクは、どんな顔をしていたんでしょう。目の前ですすり泣く小梅さんを憐れむ悲痛な面持ちでしたでしょうか。きっとこの場の空気に相応しいのはそれだったと思います。小梅さんとしては、逆にいつも通りの表情をボクにしてもらって、それでいて慰めてもらうのを期待しているのかもしれません。そうするのが賢明だとも思います。
しかし手元のコップの中に揺れるアイスティーの水面に目を落とすと、そこにはあのカワイクない顔が浮かんでいたのです。
この場で誰か殺したわけではないはずなのに、口が何かを嘲笑うようにして開かれています。げたげたと汚い声を出していそうです。しかしボクは一言も発していません。ただ口が、こういう形をしているだけなのです。
さすがに小梅さんに見られてはまずいと思い、元の表情に戻そうとするのですが、口が閉じません。両手を顎にあてがい、何とか押し戻そうと試みます。するとおもむろに小梅さんが席から立ち上がったので、ボクは思わずぎょっとしました。
「……ちょっと、トイレ……」
後を追いたくなる衝動に駆られました。自分がどんな顔をしているのかも忘れて。それより真っ先に思い出したのは鞄の中のマチェットです。さっき映画館でおじさんの首を刎ねた時の血がまだべっとりとついています。
けれど結局ボクは席を立たず、小梅さんが目元を抑えながらトイレに向かうのを見送るしかないのでした。
一人になってしまって、どうしようかとまたアイスティーを覗き込みました。口はまだ閉じません。それどころか喉の奥が震えます。嗚咽に似た痺れが生まれ、声が抑えられなくなります。このカワイクない顔に相応しいであろう、嫌らしい笑い声でした。
「ふふ、ふふふん、ふふふふうわはははははは、あははははははっ」
周りの人にはそれが聞こえているでしょうか。話し声以外にも店内には音楽だったり、調理場から聞こえる油の音だったりが重なり合って、それなりの騒がしさが保たれています。そこまで大声は出していないつもりなので聞かれてこそないかもしれませんが、見られてしまえば異様に映るだろうことは想像に難くありません。ボクなら近付きたいとも思いません。
ところがふと気配を感じます。誰かボクの席まで歩いてきていました。小梅さんが戻ってきたのかと思って顔を上げると、そこにはありすさんがいました。脈絡もないのに、ここにやってきて当然とでも言うような、堂々とした面持ちをたたえています。
「ふふふ、ははははははははは、あっはっはっはあっあっあっ」
相変わらず止まらない笑い。ボクの小さなお腹が震えます。少し息苦しくなってきました。口角が引きつって痺れるようです。誰か止めて。
ありすさんはそんなボクに驚くことも、軽蔑するような素振りもなく、ただ無表情でじっと視線を送ってきます。ボクの笑いが収まるのを待つことなく、きっぱりと告げました。
「幸子さん。二人きりで、話したいことがあります」
「あへあははははへはははは」