「不潔よ不潔! 禁止されている娯楽雑誌を持ち込むどころかあんな内容だなんて……!」
「だから俺が目を通すと言っただろう。上から覗き込むのは構わんが、急に俺の目を塞がないでくれ。変な目で見られたじゃないか」
「仕方ないじゃない! 私だって、見なきゃいけないと思って見たらあんな……!」
「今度から男子が持ってるのは先ず俺が検閲するよ。ミコっちは女子の方を頼んだ。……生々しいのは女子の方かもしれんがな」
「そうなの? まぁ、今度からは異性の扱いには注意した方がよさそうね。後、ミコっちはやめて。子供っぽいわ」
「割と気に入ってたんだけどな……不愉快にさせたなら悪かったよ。今度から気をつける」
伊井野と森野の二人は並んで学内の大きな廊下を歩く。大きな窓からは、やや赤く色付いた日差しが差し込んでいた。
外からは部活動生の大きな声が聞こえてくる。新入生を迎えて活気があった。
「それと森野、まだ遠いけどテストは大丈夫? 授業にはついていけてると思うけど……」
「今のところは問題ないさ。誰かさんに一位を取られ続けてリベンジマッチでも仕掛けようと考えてるとこだよ」
「言ってなさい……その、提案なんだけど……」
「提案? 内容次第だけど、どうした?」
日差しが伊井野の伏せた顔に影を作る。言葉を絞り出した。
「……テストの後、余裕があったら遊びに行くってのはどう、かな……?」
視線は下向き。断られるだろうか? 本当はテストの復習という名目で誘う筈だった。
口から出たのは、不純異性交遊だと自分で断じた案だったのに。
伊井野のかすかな不安は時間を長く感じさせた。
「別にいいぞ。リフレッシュやメリハリは大事だからな。」
「そ、そう! なら決まりね。 あ、それなら順位で負けた方が行き先を考えるようにしましょう!」
「おいおい、俺はそういうの不慣れなんだよ。ま、でも勝てばただの杞憂に過ぎない訳だ」
「あら、今は何連敗中よ? 今度も絶対に勝って記録更新してやるんだから!」
森野は伊井野の勝ち気な瞳を見つめる。まぁ、いいだろう。せめて二番は取れるようにしておこう。
それからも雑談をしていると目的地に着いた。この学校でも一際存在感のある扉だ。
森野は手慣れた様子でノックし入った。伊井野は恐る恐る入室する。
「こんちわー会長。風紀委員との巡回終わりました」
「こんにちわ、白銀生徒会長。風紀委員の伊井野です。森野庶務の派遣、ありがとうございました」
「ああ、気にしないでくれ。森野も御苦労だったな。何かあったか?」
出迎えたのは会長の白銀と副会長の四宮、石上はソファーの背にもたれているようだ。
足だけが見える。恐らくゲームをやっているのだろう。
「ええ、娯楽雑誌をおっぴろげてたので回収しました。後は気になる点が幾つかありましたね」
「気になる点……? 話してくれるか」
「はい、一つはゴミの分別が碌に機能してませんでしたね。こちらは風紀委員の巡回で何かしらの対策があるかもしれませんが、生徒会からも啓発するべきでしょう」
「……確かに見過ごしてはおけんな。風紀委員と共同で進めよう。あと一つは?」
「こちらは伊井野から出た意見ですが、校則の軽視ですね。俺から見ても目視出来るレベルのが幾つか見つかりました。制服改造が多かったです」
伊井野が一歩出る。森野と視線を交わし、頷いた森野が伊井野へ発言を促した。
「途中ですいません、白銀会長。私は中等部から進学して僅かですが、それでも中等部に比べて気の弛みが酷いと感じています。このままでは培われてきた校風が著しく損なわれかねません! 私からも働きかけますが、会長からも風紀委員長に提案して会議の場を開けないでしょうか?」
「そうか……近いうちに、こちらからも校則について議題を挙げるとしよう。勿論、教師や校長先生、その上まで取り付けるのは無理だが、意見を交わして稟議にかけるくらいなら出来るだろう」
「ありがとうございます。校則は徹底されるべきです。今の締りのない──」
「──伊井野はさぁ、それ他の人にも言ったの?」
ソファーの影から声が聞こえた。ゲームを手に持つ石上だ。
「いくら自分の正義感を優先しても、他の人たちの反対意見が多ければ意味無いでしょ」
ゲームの画面を閉じ、立ち上がる。伊井野と目が合った。
伊井野の視線が鋭く石上を睨みつける。
「今のやり方に合わせていかないと時代遅れなまま。他所の学校も校則の変化は活発に行われてるのに、真逆のことをやっても反発されるだけじゃん」
「──あ、石上いたのね。急に話に入ってこないでちょうだい。びっくりするじゃない」
ゆっくりとソファーの影に隠れる。ゲームの音が少し大きくなっていた。
「ミコ、余り強く言うべきじゃないぞ。個人の意見が全てじゃないけど、蔑ろにしていいわけでもないんだから」
「別に蔑ろにしてないわよ。石上が言っても説得力が無いだけ」
ゲームの音は続いている。石上としては生徒会室はゲームが許される唯一の空間なのだ。
屁理屈だろうが言われる筋合いなどない。校則にだって、生徒会室で娯楽をしてはいけないとは書かれていない。
「ともかく、白銀会長宜しくお願いします。私はここで失礼します。……森野、また明日」
「ああ、気をつけて帰れよ」
伊井野が扉の前で再び慇懃に辞去し退室する。
白銀は何とも言えない視線で石上と森野を見た。四宮は紅茶を淹れに向かっていた。
森野から雑誌と巡回中の問題点が発見された場所の地図を預かった。
「……今日初めて話したが、伊井野はいつもああなのか?」
「まぁ、そうですね。特別な理由ではなくウマが合わないようです」
「あいつ、いつも俺に突っかかってくるんですよ……何かする度に文句ばっかり言うしゲームだって何度危ない目に遭ったことか……」
「石上会計、ゲームは俺は強く言えんが一理ないわけではないぞ」
「……大体取り締まった雑誌ってのもあれでしょ。どうせキスがどうのこうのとか小学生レベルの恋愛推奨本じゃないですか?」
「紅茶が入りましたよ。森野くんもお疲れ様、石上くんも会長も一緒にいかがですか?」
四宮が人数分のカップを運んできた。湯気が立って柔らかく芳しい茶葉の香りが鼻を擽る。
──ウバか。森野は飲みやすいこの茶葉は好みの範疇に入っている。グラス系の茶葉は少し苦手だった。
「ありがたくいただきます。優、一旦置いて飲もう」
「それで、その雑誌はどういった内容だったんですか? 私はそういったものに触れる機会がないので……」
「メンズファッション誌ですよ。……ファッションとは関係ないですが、やや挑発的な内容が抵触しまして」
森野が補足する。四宮は手を伸ばして白銀の手元にある雑誌を開いた。
白銀は森野を見た。森野は頷く。別に過激と言っても中学生レベルだ。直接的な、生々しい表現はない。
「えーっと、中々特徴的な服ですね。そして、なになに、『見えないとこから変えていこう! これなら誇れるフルオープンスケベ!! 準備はいいか?』下着の本でしょうか……?」
「ええ、下世話な文句ですが概ねその通りです。一部だけですが、少々際どい文言が不潔であるってとこですね。普通のファッション雑誌とは毛色が違うので没収しました」
「そうですか……私には良くわからない内容だったので何とも言えませんが、どのように扱うのですか?」
「──俺が一時預かろう。明日にでも教師に報告するが、中身が森野の報告通りに不純であれば処分する」
白銀が手を伸ばし、四宮から雑誌を回収し鞄にしまった。
紅茶を飲み干す。もう、夕日が大きく傾いていた。
仕事も一通り区切りがついた。切り上げて構わないだろう。
「そろそろいい時間だな。片付けて帰るとしよう。藤原書記は部活に行ったままか?」
「ええ、先程スパイクヘルメット片手に飛び出していきました。藤原先輩には俺から連絡しておきます」
「頼んだ。それじゃ、石上も帰るぞ……おい、何で震えてるんだ?」
「……気にしないで下さい。やっと帰れる。やっと脱出出来る……!」
「石上くん? どうかなさいましたか……?」
「ヒィッ! 何でもないです何でもないですから早く帰りましょう!」
最早、石上は同じ空間にいるだけで震えが走る。先程は伊井野の存在が、いい感じに生徒会室をイレギュラーっぽくしていたので何とかなったのだ。
早く消えたくて仕方がない。
明かりを消す。そろそろ夏が近づいて空調が恋しくなるだろう。生徒会室への導入も進めていた。
白銀は忘れ物がないか見渡して扉を閉めた。
各々別れて帰宅する。白銀が帰った時には父だけが部屋にいた。
「おう、お帰り。圭ちゃんはまだだから鍵は閉めなくていいぞ」
「ただいま……何やってんの?」
色素の薄い髪色。額から五分で別れた自身と似たような髪質。
何やらパソコンと睨めっこしていた。
「動画を見てる。パパYoutubeを勉強中」
「あっそう、晩飯作るわ」
「宜しくマイサン」
エプロンを身に着け狭いキッチンに立った。出来上がる頃に妹の圭が帰宅する。
質素な食事と素っ気ない妹と突拍子もない発言をする父親との会話。
母親はいない。蒸発して幼い頃に家を出ていった。
洗い物をして風呂に入る。勉強をする前に鞄を開いて森野が取り締まった雑誌を広げた。
気になっていた。特に表紙の、英字が散りばめられたダメージジーンズなど物欲を刺激されてしまった。
ファッションセンスに自信は無いが、同じ年代の男子が持っていたものだ。大きなハズレはないだろう。
「へぇ……!!」
目を輝かせた。靴下までオシャレにいこうとは流石専門誌だ。
口がファーで目立つように飾られているスニーカーソックスなんて実にいい。
夏に向けたシャツ。王冠を被ったドクロがドアップで迫力がある。バックに真っ赤な血をぶち撒けているのもアクセントでいいじゃないか。
「なるほど……今はこんなのが流行っているのか」
ページを捲る。個性的な下着。やはりいざという時の為に恥ずかしくない下着は用意しておくべきだろう。
自分の気に入ったメーカーにはメモをしておく。付箋をして後で見直して厳選しよう。
人の気配がした。風呂から上がった妹が来たようだ。
珍しく雑誌を読んでいたせいか視線を感じた。
「何それ? なんの本?」
「今日生徒から没収した本。捨てるけど、一応報告しなくちゃいけないから内容を確認してる」
「ふーん、純也さんに相談してみたら? お父さんがデザイナーらしいから詳しいよ」
「む、確かに考えたが……先ずは自分で知識をつけておくべきだろう。丸腰で頼るというのも忍びない」
「ま、確かにそうかもね」
それで会話は終わったが、圭は雑誌の付箋が目についた。おかしくはないが、持ち主はわざわざ付箋をつけるほど熱心に見ていたのだろうか?
たかがファッション雑誌を?
疑念を抱いたが些細なことと思い考えるのをやめた。
思えば、そこで兄にもう少し深く聞いておけばよかったのだ。
悔やんだ時には、既にもう手遅れだったことに気付かされることになる。
「ああそうだ、お兄。明日は遅くなるから晩御飯要らない」
「ん、友達の家か? 泊まりになる?」
「うん、中等部の友達。泊まりは……分からないかな」
「分かった。一応その時連絡しておいて。それと鍵は忘れないでね」
「はいはい分かってます。それじゃ、お休み」
お休み、と返し雑誌に向き直った。勉強時間も大事だがもっと大事なこともあるのだ。
今日も目の隈は深く濃ゆい。