二人が揃うも失ったものの大きさに涙が世界を包んでいた。
悲しみに暮れるも雨が遮られる。
エアグルーヴだ。エアグルーヴのおっぱいで雨宿りをして過ごし傷を癒やした。
そしてやらなければいけないことを思い出した。
まぁ、不定期更新宣言してるからちょいとほっぽかすか……。
深呼吸。意識するように大きく息を吐く。緊張は少し取れた。
インターホンのレンズを見て思い出した。
慌てたようにホワイトレザーのフラップバッグを開く。中から手鏡を出して身嗜みを確認する。
駅から歩いてくる途中のショーウィンドウや公衆トイレでも逐一おかしくないかを見ていた。
髪型やアクセサリー、襟から服の皺に至るまで注意する。
夏を意識した白のワンピース。ウェストリボンは思い切ったアクセントで深い赤色。靴は白と合うように淡い青のパンプス。
髪飾りはいつも使っているものだが、ネックレスは胸元が寂しくならないようシルバーチェーンにルビーが一つ。
リップクリームの淡い桃色が唇を彩っていた。
おかしいところは見受けられない。及第点だろう。遂にインターホンを押した。
中に響き渡る呼び出し音。待っている間に緊張が高まる。
『はーい、今行きます』
インターホンを通して声が聞こえた。十秒程度で黒のドアが開く。
中から森野が迎えてくれた。
「いらっしゃい、圭。歩いてきたから外は暑かったでしょ。中に入って」
「純也さん、お邪魔します。外は……まぁ、はい」
制汗スプレーは念入りに使ったし無臭の制汗シートもこまめに使った。
夏ではないが、少し動けば汗も出やすい。
香水もオードトワレでそんなに強くない筈だ。
嫌な感触はまだない。森野の自宅へ入った。
「……広いお部屋ですね、ご両親はいらっしゃいますか?」
「両親は仕事でいないよ。帰ってこない時もあるし、夜に連絡あると思う」
「純也さんのご両親の仕事って確か……?」
「父親がデザイナーで母親が不動産だね。飛び回ることも多いから、実は余り帰ってこないんだよね」
「そうなんですね……いつも純也さんから服とか貰ってますけど、改めてお礼をしたいと思っていたので」
「はは、気にしなくていいよ。サンプル同然だから、見た目は新品でも扱いに困るやつだからね」
案内されたリビングのソファーに座る。大きく沈みこみ体を包まれた。
今まで体感したことないもので思わず飛び上がりそうになった。
森野は飲み物の用意をするために背を向けていた。見られなくてよかった。
「それで、今日は水族館に招待してもらったけど本当に俺でいいの?」
「はい、少し前に萌葉からチケットを貰ってたんです。あ、萌葉は書記の藤原先輩の妹です。それで純也さんにはいつもお世話になってるから……あの、迷惑とかじゃなかったですか……?」
「迷惑だなんて、圭から誘ってもらって嬉しいよ。水族館だって一度だけしか行ったことないんだ」
「そうなんですか? 少し意外です」
「まぁね。幼い頃に母の仕事についていって、オーストラリアで見たっきりかな。余り覚えてないけどね」
「オーストラリア……スケールが……」
「よかったらいつか誘うよ。株主優待でチケットくらいなら融通出来るし」
「いえいえ! 流石にそこまでしてもらなくても、それに英語だって出来ませんし!」
「そう? でも冬にでも行ってみない? 季節は真逆だからクリスマスにビーチで泳ぐのも乙なもんだよ。十人までなら宿泊先もあるし気軽に話してね」
金銭感覚が違いすぎる。株主優待とはなんのことかすら理解出来ない。
ともかく、精一杯謝絶した。これ以上貰っても返せるものなど無いのだ。
森野が引き下がる。内心で安堵して森野が持ってきてくれたリンゴジュースを飲む。美味しい。
「これ、すごく美味しいですね。さっぱりしてて甘みも柔らかい……」
「何かのいただき物だったかな? 確かに美味しいね」
グラスを傾けてあっという間に飲み干す。飲みっぷりがよすぎたかもしれない。おかわりを注がれた。
お礼を言って口をつけた。
森野が腕時計を見た。あれもきっと高価なものなのだろう。
圭は知らないことだが、森野から貰ったフラップバッグは同じくらいの値段がする。
知っていれば気を遠くしていただろう。
「そろそろ時間かな? 車も来ただろうし、行こうか」
「あ、はい。ご馳走さまでした。タクシーですか?」
「いや、ハイヤーを借りてる。好きなところがあれば──圭?」
「──えっ?」
立ち上がってすぐに視界がずれる。世界が横倒しになりグルリと一回転。
何がなんだか分からないまま体が引力に引っ張られる。
そして力強く支えられた。
衝撃に備えギュッと閉じていた目を開く。慌てた顔。
「大丈夫か! どこかぶつけたりしてない!?」
「……え、あれ……? だ、大丈夫です」
額に手をあてられる。熱は、自分では分からない。
「熱中症じゃないみたいだけど……立ちくらみかな?」
「す、すいません純也さん。もう立てますから」
「無理しないでそのままソファーに倒れ込んで。体温計持ってくるよ」
ゆっくりと寝かされ、足早に廊下へ出ていった。
失敗した。睡眠不足か、ただ単に気負い過ぎただけか。
ともかく体温が平熱であることを願う。そうでないと、折角の苦労が水の泡だ。
休日が合わない中で漸く一緒に出掛ける事が出来たのに、その機会を手放したくなかった。
「はい、体温計。脇に挟むタイプだけどこれ使って」
「……ありがとうございます」
脇に弱々しく挟んだ。余り熱が伝わらないように最低限の接触。
暫くじっとしていると高い電子音が鳴った。
計測結果を見て安堵した。平熱だ。高いとも思われない最良の結果と言っていいだろう。
「平熱みたいです。ただの立ちくらみだと思うので大丈夫です。ドライバーの方を待たせるのも悪いので、早く行きましょう」
「いや、今日はやめにしておこう」
「な、何でですか、特に熱もないし平気ですよ」
「体調が疑わしければ万全を期すべきだ。今日はゆっくりしよう」
「本当に大丈夫です! だから──」
頭を起き上がらせて興奮気味に声をあげる。諭すように、額に手を当てられゆっくりとソファーに戻される。
「……仮に、圭が年下の子と遊ぶ時に倒れたらどうする? 親御さんのことも考えたら止めなくちゃいけないって思わない?」
「そう……ですけど……でも、折角一緒に行けるのに……」
「圭の都合の良い時にでも時間を作るよ、約束する。次の楽しみにとっておこう」
「……分かりました。今日は大人しくしておきます」
返事に満足したのか立ち上がってキッチンへ向かった。飲み物をまた持ってくるのかもしれない。
しかし、年下の子。自分の立場で考えると、幼い子供をイメージした。
ならば彼にとっても自分は幼い子供なのではないか?
嫌だった。
明確な感情を抱けてはいない。それでも、森野にだけはそう見られたくなかった。
森野はキッチンに立っている。何か作るのだろうか。
背中を見守っていると携帯電話が鳴った。自分のではない。
テーブルの上に置かれている森野の携帯がシンプルな音楽で着信を知らせていた。
視線を下に向けた。視界に発信者の名前が見える。
伊井野ミコ。
「誰からだ? ……ごめん、少し待っててね」
気づいた森野が部屋から出る。ドアのガラス越しに携帯のバックライトが光っていた。
その名前は知っていた。彼と伊井野はよく二人で歩いているところを中等部の頃から見かけていた。
高等部の制服に身を包んだ二人が歩く姿も何度か目にした。
一番長く時間を共有している。
もしかしたら、きっとそういう関係なのかもしれない。
少し前まではただ単にそう思うだけだった。
しかし最近は、何度も考え込んでしまう。
伊井野の場所が許せない。彼の隣に立っているのが自分ならば……!
何度も夢想し、叶わないかもしれないと項垂れるばかりだ。
だからこそ、今日は自分にとって意識させるためのデートにしたかった。
──悔しい。
気づけば、駆け出し、ドアを開けて森野の背中へ飛びついていた。
「……圭? いや、何でもない。違うよ、親が帰ってきたと思って驚いただけ」
『────────!』
背中を強く抱きしめる。携帯の向こうから聞こえてくる高い声が鬱陶しかった。
彼女の癇癪じみた大声は酷く耳に障る。邪魔だ。その場所から離れろ。
「ああ、ごめんごめん。うん、少し用事があるからここで切るよ。弁当? 気にしなくていいって、また来週ね」
『────────』
「分かってるって約束はちゃんと守るよ。それじゃあね」
今度こそ通話を切って携帯をポケットに収めた。背中から首に回された両手を上から優しく包み込まれる。
「……圭? 急にどうしたの?」
「いや、なんです。あの人が、私は嫌いなのかもしれません」
「あの人ってミコのこと? 直情的だけど、悪い子じゃないよ。俺がいないところで何かあった?」
首を縦に振る。その感覚だけで森野に伝わった。
「それって、俺に関わることだったりする?」
もう一度肯定した。今度は言葉を付け加えた。
「あの人と純也さんはいつも一緒にいるから……それが本当に嫌で……!」
感情が高まって涙が溢れる。嫉妬と自己嫌悪。こんなに汚い女は嫌われるに決まってる。
だけど、突き放して欲しくない。また笑いかけて欲しい。
醜態を晒した自分を許して、嫌わないで欲しい。
「そっ、か……気持ちはありがたいけど──!」
顔だけ振り向かせた彼の唇に勢いよく飛び込む。
驚きに包まれた顔を見た。直後に、柔らかい感触。
「伊井野先輩を嫌ってくれなんて言いません。だけど私を、一番に私を見て欲しいんです」
「……圭、落ち着いて。一時的な感情を優先すると必ず後悔する。まだ中学生だしこれから先の事を考えるべきだ」
中学生。大人びている彼には子供としか思えていないのかもしれない。
頭がカッと茹でるほど熱くなった。そんな言葉ではぐらかして欲しくない。
なら、取るべき手段は限られている。顔を背けたくなるほど嫌な一面を見せて、また自覚してしまった。
もう、後戻りはしたくない。拒絶されれば何もかも終わる。
彼との関係も、今までの日常も。
思い起こす度に死ぬような痛みを味わうに違いない。
ならば──
「──私を受け入れてくれなければ舌を噛みます」
「おい、落ち着け! 馬鹿なことを言っちゃ駄目だ!」
「本気です! このまま終わってしまうくらいならもう……!」
彼の手を上から強く握る。口に手を突っ込まれても遅くなるように。
体が震える。ここまで言い切ってしまった。沈黙が怖かった。
「……分かったよ、圭。将来を見据えて交際して欲しい」
「よかった……こんな卑劣なことをしてすいません。それじゃあ行きましょうか?」
「行くって、どこに……?」
腕を解いて手を引っ張った。
部屋の間取りは何となく分かる。それらしいところは特徴があるものだ。
見つけた。脱衣所とバスルーム。
振り返る。森野は表情を固くしていた。
「先ず、一緒にシャワーを浴びましょう」
目を合わせた。精一杯強がって微笑んだ。
体が震えるが不安だからではない。
おかしなことに全身が熱をもっている。
自慰の経験も最近覚えたばかりで数は少ないが、明らかに秘部から愛液を垂らしていた。
彼を想って致した時よりも濃ゆい。
妙だと思いつつも、興奮しているせいだと結論づけた。
森野に近づいて背伸びをした。もう一度キスをする。
いつまでも動かない彼の手にもどかしさを覚え、ゆっくりとシャツを捲くりあげた。
彼はもう、抵抗しなかった。