己を慈しめ 作:三白眼
帰路につく途中、ゴミに突っ伏す輩が目に入った。
(酔っ払いか…?)
近くを通り過ぎるついでにその輩に再び目をやる。ランニングシューズにランニングタイツ。加えて猫耳のついたパーカージャケット。
(うぉ…)
香ばしくどこか煤けた様な、埃っぽい強烈な匂い。格好からして人に見られることを意識する年齢の女性が放つ匂いではない。
警察に保護してもらおう。携帯を取り出して、思いとどまる。同胞の妖気渦巻く警察署がそうさせた。姿を隠す必要などないと一匹の放つ、知らんぷりするには日頃近くに感じるものに似過ぎた莫大な気。頻度の増した偶発的な事故。無くなった殺生石。同時期に亡くなった石鎮の一族。殺生石に人心を操る力があるなんて事は聞いたことが無い。寡聞なだけかもしれない。何にせよ、他種族にとっても狐にとっても、不穏な出来事が立て続けに起きていた。
少女を担いで帷が落ちても灯一つ点かない地下バーへ続く階段を降りる。
「長らくだったな。お…」
何だその背中のは。そんな視線を片目の髪で隠れたものぐさな偉丈夫に投げつけられる。
「近くで拾った狐のガキだよ。汚ねぇ上に怪我がある。風呂借りるぜ」
やたらカラフルなソファの置いてある居間を抜けようとすると、見慣れない子供の二人が目に入った。
「隠神サン、コイツらは?」
「お前と入れ替わりで引き取った子だよ。織と晶だ」
「へぇ…」
太々しく寝そべった長ソファから顔だけを上げて此方を見上げるのが織、男というにはオレよりも可愛らしい顔付きに女と言うには不自然な体付きの方が晶らしい。執務机から顔を上げた隠神サンが伝えてくれる。
「オレは日向だ。余り顔はださねぇだろうが、宜しくな」
手早く自己紹介を済ませ、そのまま風呂場に連れて行こうとした所で立ち止まる。脱がせる最中、脱がせたその後に武器も携帯していない所に目を覚まされると少し厄介かもしれない。取り敢えず、風呂を沸かしに踵を返した。
台所を一目見て疲労を滲ませて執務机につく彼に聞く。
「隠神サン。カレーの材料あるか?」
「おぉ、助かる」
「織、こいつソファに置くから少しスペース空けてくれ」
レシピ通りに作ったカレーを白米にかけたものを五皿によそってテーブルに置く。隠神、織、晶の三人が食卓へ向かう一方、オレはエプロンを外してソファに腰を落ち着けた。次にそこで転がって目を閉じる狐娘の頭を膝に乗せる。
そろそろ起きてくれないと困る。余り夜更かしはしたくないからな。ぺちぺちと顔を叩いて起床を促した。
「おい、起きろ。飯の時間だぞ」
眉根を寄せてうめいた後にぼんやりとした様子で狐娘が瞼を開いた。
「紺は…」
「一先ず飯を食え。話はそれからだ」
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風呂を沸かし終えて紺を風呂場へ連れてきた。
妙にぼろぼろだ。彼女の髪を背後からシャンプーでわしゃわしゃしながらその体を観察した。
「冬の夜更けにあんな所で転がってたら風邪じゃすまねぇだろ」
「ごめんなさい…」
「何かあったのか?」
「飯生さまに隠神の動向を確認しろと言い付けられて…」
「それで、どうしてあんな所に転がってたんだ」
「…道がわからなくて」
「そうか、なるほどな」
(…そうか?)
真偽がつかない。
加えて、この様子だと身を隠せぐらいの言葉の裏にあるメッセージは伝わっていないだろう。
少し話せば強烈な違和感が生まれた。身なりと体格に全く釣り合わない程に紺の精神面は幼い。情緒が全く育っていないと言うのがより近いだろうか。人間社会に於いては、という注釈がつくが。
人間とは違う社会で生きてきたか。碌な育て方をされなかったのか。どちらにせよ、この齢で人間社会に放り込まれるとは、随分と酷な事だ。
髪がこぼれず、湿気がある程度取れる様に紺の頭をタオルで巻いてから狭い浴槽、風呂釜に二人で浸かる。
「…こうする事に何の意味があるのだ?」
「髪質が保たれる。いらねぇなら外しちまえ」
妙な間の後に紺が言う。
「紺はいい子だからな。外さないぞ。ごちそうさまも言える」
良い子、悪い子。またそれか。
とは言え、無闇に訂正させるつもりはない。さっき出会ったばかりの日が浅い関係だ。不用意な発言は無用な反発と亀裂を生むだけかもしれない。
紺は良い子、悪い子と評価を都度下されて生きてきたのだろう。親に悪気は無いだろうが、不憫な子である。紺の内にあるその誰かの基準や叱り声が無くならない限りは、彼女はきっと、あるがままの自分を受け入れて生きてはいけない。
風呂から二人で上がった所に、隠神サンが「あ〜」声をかけてくる。
「久々に帰ってきたところにすまんが、二人を暫く任せても良いか?」
「織と晶か?」
「あぁ。暫く食い扶持を稼がないとならなくなった」
「扶養者が二人も増えたんだからな。仕方ねぇさ」
「すまんな」
紺を連れて寝室へ向かうと、部屋二つしかない寝台は当然のことながら、織と晶の物になっていた。
(まぁ、当然か)
扉の開閉する音に晶が寝台から顔を出して来た。
「あれ、日向さんもこっちで寝るの?」
「まぁな。暫くは隠神サンがいないから、オレがあんたらの面倒を見る」
「紺も挨拶しな」そう言おうとした所でもう一つの寝台、手前の方から織が飛び降りてきた。三白眼に顰め面の彼はオレを見下ろして来た。
「オレ、十三歳」
「そうか」
「お前、いくつ?」
「二十四だ」
「おっ…そう」
梯子を外された様子の織がすごすごと寝台に戻っていく。晶が苦笑いして引っ込んでいくのを認めると、天井からぶら下がる、分厚い羽毛布団のかけられたハンモックに手を掛けて、止まった。
「晶、二人だとハンモックの糸が心配だ。一晩オマエの布団貸してくれねぇか」
「あ、いいよ〜」
「あー、そうだ。ドライヤー置いてなかったか。捨ててなかったら、あると思うんだけどよ」
「あるよー」
ドレッサーの引き出しから晶が櫛とドライヤーを取り出すのに礼を言って受け取ると、椅子を引いてぽつんと立つ紺に手招きした。
「紺、来な」
髪を梳かしながら、同じ場所に熱を当てすぎない様ドライヤーを左右に揺らしながら髪を乾かす。
自身の分も終え、突っ立つ紺の手を引いて寝台に登ると、彼女はいそいそと寝台の布団に潜ってくる。
「ねーえ。日向は隠神さんと結婚してるの?」
吹き出した。紺がびっくりした。晶のボディブローは脇腹に直撃した。
「狸と結婚する狐なんざいやしねぇよ」
「じゃあ何であんな慣れ親しんでそうなの?」
咄嗟に思いついた適当な発言に鋭いカウンターを晶が入れてくる。恋する思春期乙女かこいつは。
「なし崩しだよ。一緒にいる時間が長けりゃ誰だって仲良くなるもんさ」
「そうなの?」
「多分な」
「えー、なにそれ」
「誰かが調べたことで、オレが調べたことじゃないからな」
「それにしても」晶の寝台の何処にやっても少女趣味全開のデコレーションが目に付く。フリルがついた枕なんてオレがその年頃でも買ったことねぇぞ。
「オマエ…男だよな」
「男ですけど!」
織ほど迫力はないが本気で怒っている。
何だ、どう言うことだ?
「…こう言うのが好きなのか、オマエは」
「可愛いのが!好きなんです!」
向かい合わせになっている織と晶の寝室。隔てた壁の一部が円柱状にくり抜かれて互いの寝台が垣間見えるようになっているそこから、織がひそひそ声で話しかけてきた。
「あいつにとっては少女趣味と可愛いは違うんだとよ」
「はー」
「どう言うことだ」
「それはな…」
実際にこんなヤツがいるなんて驚きだ。
紺が首を傾げるのも仕方ない。オレだって織に言われて少しは呑み込めずにいた。
「良くわからない…」
「紺にはまだ難しいか。オレにも難しいからな」
「ねぇ、紺はどこから来たの?」
興味津々と言った様子で晶が今度は紺に声を掛けてくる。
「…知らない」
「お母さんは?お父さんは?」
「…分からない」
「飯生はどうなんだ?」
「飯生様はお母さまのような人だ」
ころりと変わる前と後の紺の様子に何かを目敏く感じ取った晶が、好物に質問を変えて話は続いた。
暫くして。
「お前ら、もう良い時間だ、寝な」
「えー。まだお話ししたい。ね、紺?」
「えっ」
こちらの機嫌を伺う様に紺がオレの方をちらちら見てくる。
「じゃあ無理に寝ろとは言わねぇ。ライトぐらいは消してくれ」
暑苦しい夏に抱きついて一晩中愛を囁いて来る奴がいた。まぁこれぐらい、一度寝ちまえば大して気にもならないだろう。