己を慈しめ 作:三白眼
「まっさかスキタイ人よりもアマゾネスらしい民族がいるたぁな…怪物か?」
数日経って。
服を取り込むなり、鍋料理を作るなり、食器を洗うなり、一日の家事を終えて、仕事にひと段落着いた様子の隠神サンの前に水気のある温いおしぼりを置いた。
「晶から聞いたのか…これは、おしぼりか?」
「今日の分の仕事は終わったろ。瞼の上にそいつを乗せてな。肩凝りは目疲れから来る事もあるらしいぜ」
椅子の背もたれに彼が体を預けている間に、ホットミルクを準備する。大体十分位経った後にソレを注いだマグカップを彼の机に持っていく。おしぼりを外して覗き込む様に声をかけた。
「寝るなら寝床で寝な。ソイツを飲んだら風呂に入って、落ち着いたらさっさと寝ちまえ」
「悪いな。何から何まで」
「…ガキンちょを健全に育てられるアンタが倒れると、アイツらが困る。それに健康でいれば大概は精神的に参る事もねぇ。それと、余り詰め込むな。仕事は長くても週三十五時間だ」
「…何だそれ」
「それ以上は達成感が上がるのに反比例してどんどん仕事の効率が落ちるんだとよ。よく働いてよく休むこったな。命張った鉄火場で鈍った頭じゃ賭け金がいくつあっても足りねぇぞ」
「出来る事がありゃ手伝うからよ」伝えたい事だけ伝えると、寝巻きからエプロンを外して寝室へと足早に引っ込んだ。
余り音を立てずにドアを勢い良く開けると、鈍い音と衝撃が空気と手を掛けたドアノブを伝って体に届いた。
額を抑えて目を瞑り、蹲る晶に尋ねた。
「…聞いてたのか」
「俺は止めろって言ったんだがよ」
織が我関せずと、それだけ言って布団を被った。仲間に売られた事に気付いてないのか、気にしていないのか。ずいずいと復活した晶が顔を寄せてくる。
「ねぇ!ねぇ!やっぱり隠神さんの事、好きなんでしょ!」
大きく舌打ちして顔を掴み、間抜けヅラになった晶をやんわりと押し退けた。
「バカ!ちげーよ。俺が見てきた中じゃアイツは子供を庇護して、教え導く存在として一番優れてんだよ」
「それ関係あるの?」
「大アリだ。二十年弱付き添った野郎がエドゲインみてぇなソシオパスになったんだぞ。尊敬の念の一つや二つぐらい払うわ」
「…エドゲイン?ソシオパス?」
「そこら辺は自分で調べな。オレに自分の彼氏がどれだけイカれてたか喜んでひけらかす様な趣味はねぇ」
「織!聞いた?彼氏だって!」
何がそんなに嬉しいのか。目にしいたけでも浮かぶかの様に、我が世のの春が来たみたいな反応の晶。その様子にしかめ面の織が寝台から顔を出した。
「晶、悪いことは言わねー。あんま深掘りすんな」
絶対ヤダ、とでも言う様に自分の寝台に登った晶がスマホの画面を叩き始めた。
布団は新しく二つ敷いた。スペースの問題的にそれが限界だったので、一つは紺が寝て、もう一つはオレと隠神サンが使っていた。もう一つ敷けない事は無いが、三人のプライバシーを可能な限り確保したいと言う隠神サンの意向にオレは従うことにした。既に一度無理強いしてるしな。
掛け布団を捲って体を滑り込ませようとすると、布団から顔を出した紺が服の縁を引っ張ってきた。
「どうしたよ?」
「今日、日向は紺と寝る」
「あぁ?…」
いじらしい様子に疑問は吹き飛び、紺の布団に潜ると彼女を胸に抱いてこねくり回した。
「愛いやつ!愛いやつよ!紺め、いつの間にこんな子に育ったのだ?悪い子は、こうしてやるぞ〜!」
「や、め、やめろ」
ぎゅう、と抱きしめて体の中ではしゃぐ紺をこれでもかと愛撫する。
胸にある暖かさがとてつもなく愛しかった。
存分に楽しんだところでやけに静かな晶がふと気になって顔を向けると、彼は枕にうつ伏せになって沈黙していた。
息苦しいだろ、とひっくり返すと白目を剥いていたのでギョッとした。穴から顔を覗かせた織と目が合う。いたって平素な様子だ。これは日常的な出来事なのか。
「あー、そいつな、臓物とかのグロかったり、ナメクジみたいなキモいのが苦手なんだ」
胸に抱に懐いた困惑をそのままに紺の所に戻ると、彼女が補足の言葉を告げた。
「そう言えば、紺が持ってきた鯉を目にして晶は気を失っていた」
「こい…?」
「東京の鯉は美味い」
嘘だろ。
「紺。オマエ、寄生虫、て知ってるか」
「きせーちゅー?」
「オマエの口にした鯉に潜んで、全身の血を巡って、脳味噌に辿り着いたら、そこで卵から孵るんだ。そこでオマエの脳味噌をちゅーちゅー吸いとって大きく育ったそいつは、オマエの身体を乗っ取って、オマエをむしゃむしゃと食べてしまう誰かの元へ連れて行くんだぞ。小さいけどな、狡猾で、想像するのもおぞましーい事をする奴等なんだ」
「そんな、恐ろしい奴らが…」
「…余り脅かすなよ」
気の毒そうに言う織の言葉をよそに言葉を続けた。
「何で人間が周りに餌があるのに同じ場所にこぞって白いパックに詰められた肉を買うか、紺はわかるか?」
「…寄生虫がいるからか?」
「そうだ。他にも危険はあるけどな、誰だって恐い思いも痛い思いもしたくはねぇ。人間社会にオレたち狐が潜んでいるのは安全な餌にありつく為でもあるんだぜ」
「…なるほどな」
多少の嘘は混ざっているが、似た様な事をする寄生虫は幾らでもいるし、それよりも『刺激的』なモノも沢山いる。寄生虫はいかにも『刺激的』で珍しい生態をしているが、自然ではごくごくありふれたお話に成り下がるように多くいる存在らしい。
オレ達狐が劇的な変化を遂げる不安定な人間社会に、貧乏を忍んでまで自然に還らまいと紛れる理由の一つがこれだった。根拠として狐の寿命は驚く程に伸びたからだ。公式のデータと呼べる程のものはないが、両親や祖父母の話を聞けば自然にいた頃の先祖の短命ぶりに俺たちが驚いたくらいだ。
それと、十や二十できかない数の寄生虫が、既にもしかしたら紺の体に居着いているかもしれないとは決して口にしない。
「お前ら、何してるんだ」
ガチャリと隠神が扉を開けて寝室に入ってくる。
「紺に人間の食糧事情についてちょっとな」
「へぇ、紺はどうだった?」
「知らない事は恐ろしいのだと紺は知ったぞ」
「…敵の正体を知ればどうすれば良いかわかる。一つ大事な事を知ったな」
途端に身を固くした紺の頭を、大きく節くれだった手が慈しむ様に撫でた。
「そんなに身構えるな。取って食ったりしないよ」
「紺、良い時間だし、もう寝るぞ」
「あ、あぁ」
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腕の中でもぞもぞと何かが動く感触がある、紺だ。すうっと意識を覚醒させると彼女に尋ねた。
「何だ、紺、どうしたよ」
「…眠れない」
寝れないのに無理に寝ようとしてもここが寝つけない場所だと体が覚えるだけかもしれない。
そうか、とだけ言うと紺を解放して、しかし何時でも取り押さえられる様に紺の後を付いていく。
外に出るつもりらしく、「ちょっと待ちな」羽織れる服を二人分取り出して片っぽを紺に手渡した。
「…ありがとう」
「おう」
丸い満月が中天に昇り、街頭の付いていない辺りを見えるほどに、しかし優しく照らしていた。人工灯程にはどぎつくないそれをぼう、と眺めながら、暫く紺の後ろに立っていた。
すると、彼女は内心を整理する様に徐に話し始めた。
「紺には分からない。どうして紺にあんなことをするのだ」
「あんなことって何だよ」
「…食事の世話をしてくれたり、触れ合ったりだ」
「何だ、お前の親はしてくれねぇのかよ」
「飯生様は…しない」
(いなり、稲荷ねぇ…)
「…オマエの親代わりがどうかはこの際…余り関係ねぇ。偶々、奴さんには出来ねぇ、オレ達には出来る事があった。オマエ達には愛情を受ける必要な時期があって、オレ達がそれを与える役割を偶々担える。だから、そうしてる」
どんなに遅かろうと、あるがままの自分を支援してくれる存在が傍にいる時期は必要だ。でないと、相手との関係において常に不安定である事を強いられる。相手が信頼できない、それは彼女の生にとって大きな妨げになる。取るに足りない相手の、取るに足りない一言がいつまでも残って、人生で己が果たしたい事には集中出来ず。或いは、相手からの愛情が信じられず、不安に思う余り突拍子もない行動に走ったりもする。束縛すれば人は離れて行くが、その薬を飲まずにはいられない程に胸中は何時も荒れ狂って仕方がなくなる。そうして自ら望んだ幸せを手放す。そんな事態に陥らない為には、誰かが不完全な自分でも愛される資格があるのだと体感できる時期が必要なのだ。
それを与えるのは家族である必要はない。異性愛だろうが、友愛だろうが、構わない。
俗に言うメンヘラと浅く片付けられるものに極めて酷似する精神疾患がある。不安型の愛着障害いうヤツだ。幼くして両親と別れる羽目になるか、両親に愛されて育てられなかったか。オレの知る限りではどちらかを経て起きるのが典型だ。
愛されてと言うのも中身を分解してみれば、かなり要求されるものの難度が高い。育児に専念出来なければノイローゼにだってなるだろうし、育児放棄する親が現れるのも宜なるかな、とは思う。
「…日向は、誰でも良いのか?」
(そら来た)
不安気な紺を抱いて頭をゆっくりと撫でてやる。場当たり的な愚策に思えるし、今更かつ人間の科学が適用されればだが、こうやって抱き締められれば誰だってオキシトシンが分泌される。幸せホルモンとも呼ばれるソレの効能は、ストレスの解消と多幸感の感受である。
紺が落ち着くのを待ちながら言葉をかけてやる。
「そんな事はねぇ。オマエ、オレが隠神の野郎にこんな事するの、見た事あるか?」
小さく「ない」答える彼女の背に手を回して撫でると。手に嵌めてあったグローブに妖気を通し、予めプログラミングされていた様に手甲として具幻化する。
余りにも黒く、却って満月の夜にほんの僅かに浮き立つ何かが飛んでくるのが見える。
『がきん』硬質で、高く、鋭い音に肩を跳ねさせた紺を背中にゆっくりと回しながら、事務所の入り口へ後退する。
「良いか、紺。隠神を呼べ。今すぐにだ」
紺が駆け足で戻って行くのを聞きながら、『街灯の消えた』街の暗がりから、幽鬼の様に何かがぼう、と浮かび上がる。
提灯をぶら下げた虚無僧の出立ち。傘の様な天蓋にサルエルパンツめいた和服は、いかにもこれから動きますよと示しているようだった。
懐から細長く伸ばした錘の様なものを取り出すと。先端にある突起からピンを抜いて押し込み、鉄棍に変形させる。
『がちん』アスファルトを強く叩いて火花を散らすと、それを火種に作った波濤の様な火が道路や塀を舐める様に広がって行く。盛大なソレは途中で水に溶けたインクの様に消えてしまう。
五感に作用する幻か、それとも本当に消されたか。
「提灯小僧か。何だ、殺害予告にでも来やがったか」
「…」
「準備はしてきたみたいだがよ、暗殺にしては少しお粗末に過ぎねぇか」
「貴様に、愛する者を奪われる無力を、教えてやりたかった」
「…へぇ、そうかい」
復讐か。
アスファルトに擦り付けた鉄棍にガリガリと火花を立てて火を蓄えさせる。赤熱して行くそれを相手にどう振るおうか、相手の一挙手一投足次第で体に反応させる事を決めると、提灯小僧は軽業で逃げていった。
(狙いはオレか紺か。両方の線も有り得る。まぁ、隠神サンなら大丈夫だろ)
そう結論づけると、逃げるヤツを追った。
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聳え立つ摩天楼に囲まれた空中回廊、人気のない首都高を走るキャリアカーに提灯小僧が飛び移る。彼がそこから見下ろすと、殺気をギラギラと漲らせて女が疾駆して来ていた。
彼がキャリアーから積載車を人外の膂力でその尻を蹴り出す。すると車は頭からつんのめる様に、火花を上げてアスファルトを滑って行く。
トップスピードに乗った彼女は急な角度にハンドルを切れない。ならば、と灼光を放つ穂先を車に突き入れ、溜め込んだ熱を一部炸裂させた。
彼の視界で日向と車が重なると、瞬きするよりも早く車の腹が橙を帯びた黄色になり、行き場を失って暴れる熱と分子運動に耐えられなくなった車が派手に爆砕した。
煙の向こうから現れた彼女は、カーブを慎重な制動と焦げ臭いを立ち昇らせるスニーカーで乗り切ると、もう一度トップスピードに乗って一息に距離を詰めた。その一足で車を追い越した彼女は、這う様に腰を低くしてターンし、跳躍する。そして、上空の死角から彼の頭を突き込んだ。
幸運だったのだろう。車の前方へと這う様に跳んだ彼女を見失った彼が、身じろぎした瞬間、天蓋の一部を断って彼女が現れた。
後ずさり、喉を引き攣らせて、己が先程いた場所から半ばまで突き刺さった鉄棍を引き抜く女の顔を見た。
そこには、人を守る為に、人を殺す事に半生の間を心血注いだ女がいた。
沸騰し切った激情に、殺し合いの最中にも関わらず、浮き足立つこともなく冷静で冷徹な態度は、彼の背中をぞわりとさせた。強いだけの男にはーー太平の世の中で、たかが一人の他人の為だけに修羅として生きてきた女の生き様がーー理解できなかった。
しかし、狂気への畏怖は怒りにとって代わられた。
ーーーーーーーー気に入らない。
血を分けた兄弟姉妹だけでなく、一生を共にする事を誓った人を、『切った貼った』して心身共に弄んだのだ。理由がまだあれば、許せなくても、納得出来る余地があったかもしれないのに。
『家族の山』に不良が屯する様に土足で座り込んで、あくびをしていたあの憎い小娘が、大事な者の平穏を脅かす不届き者は許しておけない、なんて顔をしている。その顔をして良いのはお前ではない。その資格はお前には断じてない。その思い違いを正してやらねばならない。
殺してやる
幾年も心に巣食う妄念と怨念を忘れる為に、或いは復讐を果たす為に磨き続けた刃。事が起こる前、平和な世の中でこれ程役に立たない
骨が通っているのか、キャリアーの鉄骨を足場に、流体を思わせる猫の様な身のこなしで、彼女に一歩も前進を許す事なく彼は日向を攻め立てる。その光景は透明なルービックキューブサイズの箱の中で跳ね回るスーパーボールめいていた。
彼女は、立てた前腕で彼の刃が首に届く前に横なぎにふるわれる彼の前腕の勢いを止め、突き込まれれば肘と膝頭で刃を挟んでそれ以上を拒む。
一見事も無げに対応してみせるものの、長物をまともに振るえないこの空間で、碌な反撃を許されない事に不利を痛感する日向。左半身を引いて突きを避けながら、左腕を畳んで引くと、スウェットの分厚い袖の中で『ガシャリ』と金属のスライドする音とハマる音がした。
一切の思考を捨てて、相手が回避しようのない、飛びかかってくる瞬間を見極める。
反射的に彼女は動いた。動作に妨げのない様右手から鉄棍を離し、飛びかかる相手の脇差が、傾けた顔に熱い線を引く。右足で踏み込み、低く落とした腰を捻り、左腕で相手の土手っ腹にアッパーを『撃ち』込んだ。
『ずがん』マズルフラッシュが辺りを一瞬照らす。千切られたように穴の開いた袖からは、弾帯を巻いた手甲が顔を覗かせていた。彼女の背後に大きな風穴を開けて浮いた男の体。左足を滑らせて体を翻し、具現化した右の手甲で彼の顔を撃ち抜こうとして。
咄嗟にその襟を掴んだ。
転がりキャリアーから投げ出されずに済んだ男は我に帰ると、黒塗りの暗器、二本の棒手裏剣を投げた。
しかし、それは見当違いな方向に外れた事で彼女の急場は去っていった。
張り詰めていた意識。頭が危機は去ったと判断すれば、脱力するのは当たり前で。
彼女の背中に衝撃が走る。キャリアーの鉄骨に跳ね返った棒手裏剣が突き立っていた。神技としか形容できない業。
彼女の意識の空白を縫うように、その首元へ脇差が食いつこうとする。
咄嗟に手甲で防ごうとし、軌道は逸れる。
けれど、脇差が首を切り裂いた。
積年の悲願を果たした彼の伸び切った、脇差の握る腕を片腕で掴み、剛力で引き寄せ、片腕で鼻頭を殴りつける様に頭を撃ち抜いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○
仰向けに脱力して、キャリアーから転がり落ちて行く、上顎から上を無くした男。
(クソ!…どれだけ深くやられた?)
首を抑えた掌を離し、見つめる。時折道路灯に照らされ、温い掌いっぱいに広がる滑りのある液体が、明かりをいっぱいに反射していた。
襟元はたっぷりと水気を帯びて、やはりこちらも温い。
力が抜けて座り込む。鉄骨に背中が凭れた。
ここで終わりなのか。
呆然としていると、携帯電話があるのを思い出す。即座に画面を指で叩いてスクリーンに光が点ると、隠神サンの打ち慣れた電話番号を入力する。
緑色のアイコンをタップしようとして、ふ、と思う。
(これ以上生きてどうするんだ?二度目もしくじって、ここで踏ん張る理由も無いだろうに)
意識が緩やかに溶けていく中で、明る過ぎる都会に星空の見えない夜空をぼんやりと眺める。
中天に浮かぶ満月が目に入った。
覚束ない指先で手元に落とした携帯の画面を叩く。気が遠ざかる様な眠気に抗って、緑のアイコンをタップし、耳元に持っていく。
《どうした、今どこにいる》
「野郎は仕留めた。首をばっさりやられた。首都高で今車に運ばれてる。詳しい位置はミハイからオレの携帯を探知してもらえ」
《わかった》
それだけ言うと電話が勝手に切れた。
(クソ冷静な声しやがる)
あんなに平坦な声色じゃ感情が少しは揺れてるか、と反応を期待していたが、全くわからない。
脳みそがすっからかんに冷たい。
冬だが余り寒さは気にならない。
瞼が重みを増していく。
紺は大丈夫だろうか。いや、大丈夫じゃないだろうな。
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「ひぃちゃん?ひぃちゃん?」
「おわっ、炉薔薇」
「どうしたの?」
「いや、何でもねぇよ」
殺風景な木造のアパートの一室。
二人とも事情を知る怪物からは毛嫌いされ、上手く煙に巻いてきた人間にはフリーター扱いという理由で審査が余り通らない。
幸運だったのは少子化が進んでいた事だった。年々資産としての価値が減っていく木造のアパートを、一昔前に金融業者に言いくるめられて買ってしまった哀れな大家。少子高齢化が進み、超高齢社会となって新しい入居者が全くいない中、少しでも損失を埋めようとした彼は、あの手この手でオレ達に部屋を一つ貸してくれた。
以前住んでいた人間が残していた数少ない家具の一つ、食卓を引っ張ってきて、二人で引越し祝いに寄せ集めた惣菜を夕食として口にしていたところだった。
「いや〜、やっと終わったな」
「そうだね」
筑前煮を口にしながら、ちらと炉薔薇の顔を見上げる。辺りへ目を配っている。言い換えれば落ち着きがない。
「どうしたよ?なんか言いたい事があるんじゃねぇか」
「えっ?い…」
「まさかお前…」
「えっ?違うよ!違うよ、ひいちゃん!」
どうやら本当に違うらしい。頬杖をついて待っていると、「もう…」息を吐いた炉薔薇が、いそいそと細長いケースをオレの目の前で取り出し、可愛らしいリボンの装飾が施されたそれを机に置いて、すす、と人差し指と中指で押し出した。
黙ってリボンの封を解いてケースの蓋を開ける。
ハートのネックレスだ。
「…」
扱いと反応に困って押し黙ってしまった。
「ひいちゃん…?」
こんな可愛らしいのは自分には似合わないんじゃないか。分不相応じゃないか。無駄金を使う気が無かったとは言え、洒落っ気のカケラもない自身の服装を見下ろして、気恥ずかしさを覚えた。
「あ、ありがとよ…」
この時、初めてお洒落する事を意識したんだっけ。
『ピンポーン』ドアベルが鳴って立ち上がろうとすると、炉薔薇がオレを手で制してきた。
「俺が出るよ。ひぃちゃんにはまだやりたい事、あるでしょ?」
「はぁ?やりたい事って」
いつの間にかレースのあしらわれた服装から、見覚えのない白衣の装いをした炉薔薇がいた。腹が出てるのにシェイプラインがスリムなままなのも、落ち着きのある様子もそうだが、可笑しい。オレはこんな炉薔薇を知らない。
むくむくと違和感が膨らんできた。
「先生をする夢、叶えるんでしょ?」
慌ててドアの方へと駆け寄る炉薔薇に近付こうとする。乱れる感情に体が混乱して、足をもつれさせて転んでしまう。訳もわからず、湧いて出てくる強烈な焦りを絶叫する。
「バカ!炉薔薇!行くんじゃねぇ!」
「ひぃちゃんのおかげで俺はずっと一人にはならなかった」
ありがとう。
オレはぱっちりと目が覚めた。
のそりと体を起こす。病室だった。
首を触ると重ね巻かれた包帯の粗い、けれど肌触りの良い感触が指先に伝わる。
左の頬を涼しい風が撫ぜる。光に僅かに透き通って風にそよぐカーテンがちらちらと視界に映る。
左手の日光の差し込む外を見る。
緑はやっぱり良い。近くに行けば心が落ち着くんだろうな。
鳥の囀りとカーテンが風にそよぐ音だけが耳に届く。
暫く無かった筈の、鎖骨にあたるネックレスの冷たさに鼻水を啜った。
提灯要素、薄すぎない?しかも小僧ですらない。
彼の奥さんは某英国魔法使いが主人公やってる作品のネビル夫妻みたくなってます。廃人になっちゃったんですね。
…展開が映画ばりに早くないですかね。