※この作品はR-18です。

己を慈しめ   作:三白眼

5 / 5
クソ天邪鬼

 大きすぎる目標。その道のりが何年もあるような長いもの。労力をかければかける程、その達成感は歓喜や興奮となって、自分の努力が報われたと滂沱の様に涙を流す。

 さぞ幸せなんだろう。毛布を被り、カラフルなソファの隅に背を丸めて、スクリーン越しに雄叫びを上げて全身で喜びを表す誰かをじっと見ていた。

 少しは火種になるだろうと期待していた。殺意の一欠片ぐらいは沸いてくるかと思っていた。悔しさも、悲しみも嫉妬すらも湧いてこなかった。胸の中がごっそり抜け落ちて何もやる気が起きない。

 

 勤しんでいる事があるとすれば自分を責め立てて、快楽物質をドバドバ出していた事ぐらいだっただろう。一つ過去の失敗を掘り返せば、それで自分の全てが駄目だったと否定する。

 

 あんなにも努力していたのに今や指先一本動かすのも億劫な自分。

 力と技術を磨く事だけに傾倒し、肉体的、社会的死への恐怖からの現状維持に甘えて、新しい事に挑戦する余裕はないと、おいたをする炉薔薇を只管に殴り付けて、それを正しい事だと、已むを得ない事だとした。

 新しい事を学ぶ為に本を開けば、画期的な知識がずらりとあるのに。何百年何千年という人間の積み重ねの結実があるのに。覆る事があっても、より良いものが後世に生まれたとしても、たかが百年生きれるかもわからない存在が己だけで考えるよりはずっと信頼性がある。

 それを、オレは

 

 甘い毒を毒と知りながら、その危険性を真に知る事なくあおり続ける毎日。

 今だからこそ、その快楽に浸る事がどれだけ悍ましいかわかる。思い出すのも憚られる。第三者の視点から冷静に眺めようとしなければ、脳髄や骨の髄まで体を蕩かすようなそれにずぶずぶと使ってしまいそうになる。

 

 「飯、抜くなよ」

 

 仕事の合間に時折様子を見にきては、近くの一人座れる小さめのサイズのソファに腰掛ける仇敵(隠神)。

 コイツが引っ張り出される程血みどろの世界に炉薔薇を連れて行って責はオレにもあるのに。

 恨みを含めた凡ゆる悪感情は自罰(自嘲)に回帰する。

 

 動かない、といっても二日もすれば髪のベタつきが気になってくるし、三日もすれば空腹が過ぎてお腹が痛くなる。

 お腹と背中がくっつくなんてフレーズを子供の曲に考えた奴は飢餓を経験したんだろう。

 貧血で回らない頭とばくばくと心臓が早鐘を打つ。 命の危機を感じた。

 

 何を食うにしても、人目を憚らずに行動するには体を清潔にしたい。ご丁寧に上下揃ったスウェットとバスタオルが目の前のテーブルに置いてあったのでそれを冷えた指先で引き寄せて脇に抱える。今は隠神すらいないのは都合が良かった。

 十メートルも無いのに、浴室までの廊下が異様に長く感じた。

 

 (滅茶苦茶筋肉が落ちてやがる…)

 

 落ちた筋肉が脂肪に変わった事を悟るが、それすらも落ちる段階にまで行きついている事を理解した。

壁に両手をつき、体を支える様にして、肩で息をつきながら歩を進めて浴室の扉を開けた。その壁に背中から顔を預けて座り込む。

 既にやり切った気持ちがあった。が、体を洗わねばオレは死ぬ。

 這ってサッシを越え、仰向けになるとシャワーヘッドをチューブを揺するように引っ張って手繰り寄せる。噴射口が自分を向かないようにし、湯の出るよう赤いピスのハンドルを回す。

 湯気が出始めたところでお湯を肩に当てると、その肌を刺す様な熱さに一人身悶えした。虫にでもなった気分だった。

 青いピスのハンドルを回して温度を調節し、顔に湯がかからない様に背中を向けて頭から足元へと順番に洗っていった。

 髪の汚れが完全には落ち切れて無かったが、禿げたホームレスはいないという真偽の分からないフレーズを思い出し、更に長い時間をかけて洗う事は思いとどまる。これ以上は髪が痛むかもしれない。

 とは言え、久し振りにさっぱりした。

 バスタオルを取る為に湯の張った風呂釜に腰を落とす。

 

 「あ″〜」

 

 おっさんの気持ちがわかる。これを骨身に染みるというのだろう。

 体が温まり、湯冷めしない内に風呂釜から出て、タイルに足をつけた。

 洗顔剤がないのは困るな、なんて考えていると、へにゃり、と全身から力が抜けて尻を突き出した形で倒れ込んだ。焦って体を動かそうとするも指先一本動かない。

 命の危機を感じた。

 

 (オレ、死ぬ)

 

 恥も外聞もクソも無く、オレはカラオケでカスカスになるまで潰した様な喉で「助けて」叫んだ。

 これが偶々タイミングよく帰ってきた隠神ではなく、織やミハイだったらオレは一生奴らの小間使いだっただろう。

 口を開けて仰天する隠神を見たのはこれが最初で最後だ。彼は行きよりも速い駆け足でその場を後にした。

 一、二分経つと、体の隅々にコントロールが戻ってくる。

 

 すっく、と立ち上がって髪を拭いては体を拭き、服を着て長ソファの定位置に収まった。

 

 コンビニで買ってきたらしい、生クリームたっぷりのロールケーキを片手に隠神が困惑していた。

 

 「ほら、こいつを食べろ」

 

 (空きっ腹に炭水化物と脂肪の塊か)

 

 確りとした知識の基に彼がテーブルに置いたソレを見て、無知だったオレは鍋を作る事を決意し、ロールケーキをその場に置き去りにして外へ買い物に出た。

 

 隠神はオレが助けを口にするまでは動かなかった。彼は何かを料理する時はいつも多めに作る。

 

 「一口食べてみてもいいか」

 

 スーパーの試食コーナーで炉薔薇と食い繋いだ時を思い出す。

 

 「遠慮するな、じゃんじゃん食べろ」

 

 子供の頃なんて炉薔薇の告白と両親の「他人に迷惑をかけるな」以外は殆ど忘れた。彼を匿う為に実の親からすらも逃げ出したオレにとっては、後ろめたさなや忌憚なく甘えることの出来た相手は隠神が初めてだったんだろう。完全に、とはいかなかったけれど。

 全てを忘れた永くを生きる仙人。今世での戦い方をオレに叩き込んだ彼女を思い出させる。彼女はクソがつく程の真面目で彼とは真逆だったけれども。

 そんな生活の中で、人に助けを求める事が出来なかったオレは、人に手を貸してもらうにはどうすれば良いのかを少しずつ知った。

 

 四年が経って。

 炉薔薇が本当に欲していたモノが分かった(体験した)。

 

 アイツは恋と愛を混同してオレにぶつけ、その実オレからの恋は求めずに愛を求めてた。全てを受け容れてくれる誰かを求めてたんだ。  

 極めて分かりやすく言うとこんな所で、それだけじゃ具体的に必要だったことは何も分からない。だから隠神に我儘言って仕事の手伝いの代わりに買ってもらった本を読んだ。

 就寝前、眠くなるまで寝台に寝そべって本を読んでいた時。

 (もう助ける相手も居ないのに、オレは何をしてるんだろうな)

 

 ふ、と考えて、気付いた。

炉薔薇がオレを必要としていただけじゃなかった。

知らない内に、アイツはオレにとって大きな存在になっていたらしい。

 

 「く、くく…っ」

 

 変な笑いが漏れる。

 次いで溢れる情動を噛み殺そうとした。

 この時アイツが死んでから初めて涙を流した。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○

 

 オレは今岐阜県の上宝町にいた。

 キャンプ場があった程の幅の大きな渓流沿いの道路、整然と言える程ではなくとも一列に隣接する畑や家屋。それ以外は過去スキー場に使われる様な山々があるとされていた様に、何かを建てるにはいささか急すぎる斜面の山にそこは挟まれていた。川を下れば田園に囲まれ、町とは言うが安穏とした村らしい風景が見れるだろう。

 虫除けと日焼け止めを塗り、トレイルランニング様の服装に着替えてそこを訪れた。普段の紺の服装より少し重装備なイメージが近い。

 

 (やっぱ緑はいいな)

 

 そう言う体を装って来たものの、楽しめるところは楽しむ。あちこち気を配って挙動不審に警戒するのは戦う時だけで充分だ。

 川のせせらぎに緑のそよぐ音、視界を埋める目に優しい色に、反芻する思考を霞の様に散らして気分を上げてくれる日光。

 都会は都会で便利だが、鬱などの精神疾患にかかる率を上げるという話を思い出す。疑うとは言わずとも、大して感じもしなかった為に、ここまで『文字通り』落ち着くと驚きがあった。都会での感覚を思い出すと、何もストレッサーに触れていなくとも、上顎辺りが浮つく様なストレスが何時もあった。

 オレ達が呼ぶ進化とは個体の事を指し、学術的には群規模での突然変異、遺伝子のミスコピーを指すらしい。

 自然淘汰と世代を幾つも経て進化を完了するオレ達は、今の技術の進歩について行けていないと聞く。一個体一個体が適応しようとはしても、全く別のものである進化は間に合っていないのだろう。例えるなら、親が努力で得た学力や腕力は、子供に一%も受け継がれない。この獲得形質が世代を経て積み重なり、進化を果たすと言うのがーーオレ達の多くが無自覚に支持しているーーラマルクの要不要説と言う。

 キリンは高い場所にある草葉を食べる為に長い首を持つ動物として己を進化させたのか。偶々首の長い奇形として生まれ、高い場所にある草葉を食べられる個体群だけが生き残ったのか。前者はラマルクの要不要説、後者はダーウィンの進化論。目的があって進化したのか、結果として進化したのか、そんな感じだ。

 顧みられなくなって久しい要不要説だが、使わない器官が世代を経て衰えていく現象によって再び取り上げられ始めた。

 正しさと絶対の答えを求めて知識を求めたが、今まで信じられていた説が覆る事は簡単にあるのだと知った。百年前ではラジウムを混ぜた水が薬として、バターや牛乳などの乳製品、歯磨き粉や化粧品などの日用品にまで混ぜて売られたと言う。長生きできると当時の新聞にはあったらしい。最近では百薬の長と言われた酒も、量を限ってもリターンよりはリスクの方が高いと聞く。  

 とは言っても、改善が止まらない以上は個人の談(サンプル数1)よりも科学の方が割りの良いクジである、とは考える。

 学んだ事を思い出していると、盤の石の所へ着く。古めかしく落ち着いた色に白い彫り字のある立て看板。塗装等の見た目の新しさから手入れされている所感を懐く。

 神々がここ双六の地で盤の石を用いて囲碁や双六で遊んだ。天人と天邪鬼が遊んだ。勝負事に血が上った神がサイコロごと盤の石を投げた。天邪鬼のイカサマに天人が同じ事をした。神々が遊んでいるオモチャで彼らの目を盗み、天邪鬼が遊んだ際にサイコロだけが川の淵に落ちた。伝承の内容にバラつきがあり、どれが本当なのかは分からない。

 

 (どれも真実じゃなかったりしてな)

 

 盤の石はどこだと辺りを見回すと、何処にもない。

 首を捻ると、目の前、足元に人○ゲームのルーレット盤程に厚みのある空洞が出来上がっていた。

 

 定結石。賽ヶ淵に落ちた賽。或いは盤の石。どちらが定結石かは知らないが、オレはそれを探しに来ていた。

 (まだ大々的に活動してないとは聞いてたが、こりゃアテにしない方が良さそうか?)

 

 どうするか考えていると、背後から声がした。

 

 「如何(いかが)されたかな?朋(とも)よ」

 

 「ーーあ?」

 

 鷹のように鋭い目。表は煤けた黒に、裏は焔の赤の不思議な髪。伸ばしたソレに隈取の様な紅い目張り(化粧)。加えて、声色が無ければ女性とは断じることの困難な程に、厚みがあり、六尺もある体と、厳しくも上品な顔付きの武人がいた。そして、角。鬼の証たる角が生えている。

 

 「…ハロウィンなら今年の終わりだ。今は二月、気が早いんじゃねぇのか?」

 

 「中秋にも早かろう。然し、客人が足を運んだとあれば、持て成すのが余の礼儀でな」

 

 「…筋が通らねぇのは百も承知さ。オレは定結石が欲しい。でもな、切った張ったして奪いたくはねぇ」

 

 言っておきながら、盗人猛々しいとは思う。呆気に取られて大笑した彼女は、ソレが落ち着くと挑戦的な笑みを浮かべた。

 

 「良かろう。くれてやる」

 

 「…ホントか?」

 

 「嘘だとも」

 

 真顔で即答される。

 

 (コイツ…)

 

 「余は己が磨いた武を試したい。生まれ落ちた時には、既に東照大権現が日の本を治めていたが故に」

 

 (東照大権現…?)

 

 「…長生きならわかるだろ。もうそんな世の中じゃねぇんだ」

 

 「それでは余がつまらぬ。そして…」

 

 彼女は大きな石畳の様なものを何処からともなく取り出した。その厚さは盤の石と同じに見える。五指の先だけ軽々と抱えている。

 

 「其の方の欲する物は余の手中にある。納得していただけたかな?」

 

 あからさまに舌打ちして大きく息を吐いた。

 

 「救急車ぐらいは呼んでやる」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●

 

 陽が傍にバッグを下ろして帽子を脱ぎ、仕舞う。暑くなるだろう、とジャケットも脱ぎ、乱雑に纏めたソレを『振り抜いた』。

 インクの様に溶けた輪郭からは鈍い鉄の色をしたギロチン刀が露わになる。その大片刃の峰が反応の遅れた天邪鬼の腹にめり込み、吹き飛ばした。

 人間であれば裕に腹壁が破裂する一撃。道路を越え、彼女を受け止めようとした、渓流への転落を防ぐためのガードレールはガムの様に曲がり、跳ねたその体は渓流へと投げ出され、水柱が上がった。

 

 跳んだ陽が一足に河原まで着地する。

 

 水に落ちた鬼へ声を掛けて陽が近寄ろうとすると、徐に天邪鬼が立ち上がった。

 

 「全く…一張羅が台無しだ」

 

 喜色を滲ませる彼女のその手には、先程まで見覚えのないものが握られていた。六尺の体に丁度良い大きさの、厚みのある双頭の笏である。ぐるりと縁を一周する様に溝が出来ている。

 くるりと彼女が笏を回して左手、左半身を前へ突き出し、右半身を後ろに、右手も同様に後ろへ、そして頭の位置に持っていく。いわゆる牙突の構えを彼女がとると『ジャキリ』槍の矛が笏の溝から顔を出した。

 

 「行くぞ、朋よ」

 

 鬼が踏み込むと、膝丈まであった川は飛沫と共に底を露わにする。紅い稲妻が川を裂き、体に染み付いた動きで陽は大片刃を自身と槍の間に置き防ぐ。

 

 『ごぉぉおおおぉおぉおおん』

 

 砲弾に叩かれる鐘の音。陽の手の中で極太の金属が像をいくつも作る様に滅茶苦茶に揺れ、それは柄、腕と伝播していく。

 陽は渓流へ続く斜面へとぶつかり、土を巻き上げても勢いは止まらず、渓流を挟む山の麓、その入り口の林に来たところで彼女の摩擦に暴れる足は漸く止まった。

 

 (なんつー重さだ)

 

 戦慄する彼女は長物を天邪鬼に振るわせないことを決断し、林の中へ大片刃を鞘にしまって撤退する。

 威風が草木を払う、悠然と歩を進める鬼。己の少しでも有利な場所へと経験の少ない相手を誘う化け狐。

 狩人となるのはどちらか。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 日の差し込まない森の奥。しかし、腰丈まで茂る草木。ソレらを気にせず突き進み、辺りに気を配る鬼。

 

 ガサリ

 

 草木が揺れる。そちらを向いて笏を構えると、

 

 ガサリ

 

 全く違う方角から音がする。

 動物か?そう推測を立てた鬼の耳に

 

 「こっちだ」

 

 嘲笑う声が届く。

 そちらを向けば「的外れだ」嗤笑(ししょう)が上がる。

 

 「アハハ」

 

 怪訝な表情で辺りを見回す鬼。

 草木がたてる音を追い掛けるだけでは捕捉できず、揺れる草木を目で追おうとしても、チーターと同等の速度と、一切の速度を落とさない反転を可能にするコーナリングが捉える事を不可能にしていた。

 『反響する』嘲笑は更なる反響を呼び、一度上げられた笑い声が幾重にもなって鬼を取り囲む空間だけに木霊する。

 

 「ほう、余を惑わすか」

 

 その言葉の終わらぬ内に飛び出た陽に鬼が対応しようとするものの、既に彼女は陽にクナイで太腿を切り付けられ、茂みに逃げ込まれる。

 

 (皮膚まで強靭たぁ呆れるな)

 

 息を吐かせぬ勢いで似た応酬が続く。

 血が一滴、滴り落ちる一撃が入ると陽は再び突撃を敢行しようとする。

 取るに足らない攻撃だと認識した鬼は防御を意識外から追い出し、槍で薙ぎ払おうとする。しかし、槍の矛が勢いをつける前に樹木へあたり、鎧の隙間を縫って脇の下を陽の刃が走る。

 

 「む…」

 

 明確な痛みを感じた鬼。

 彼女は笏を弓の様に構えると、押付と手下、弦が笏から生え、ソレは完全に弓として変形した。

 

 「ここいらで一つ、賭けをしよう」

 

 彼女の前に木で骨組みのされた和風のルーレットが浮かび上がる。

 一旦様子を伺う為に後退した陽の目の前で、ルーレットが撃ち抜かれた。

 

 『白虎』

 

 雷が走ったルーレットは消え去り、その雷光は緑の天蓋の向こうへ消える。

 陽が疑問に思う間もなく、稲光が視界を染め、轟音の直後、彼女の近くにあった樹木は火の粉を滴らせ、真っ二つに割れてばきばきとくず折れる。

 一本、また一本と倒れ伏す樹木。あれを一撃でも受ければ弾けるスイカの仲間入り。避雷針がある内に彼女を倒すか、倒してこれは止むのか。そんな事をあれこれと考える間に、木から燃え移った火が茂みを焼き、陽の姿を鬼に垣間見させる。

 

 (そこか)

 

 怪力で引き絞られた矢は幹をも砕く。

 事にすんでで気付いた陽の横で木が半ばから爆散した。

 回避行動に加えて腕で木端を防ぎ、事態を把握して唖然とする陽。鬼が彼女へしてやったりと笑う。

 

 「其の方が業を磨いてきた様に、余にも磨いてきた武がある」

 

 彼女が槍を一振りして草木を薙ぎ、見晴らしをよくする。

 

 「廻(まわ)せ。運命(さだめ)の車輪盤を」

 

 笏を掲げてくるくると回した。

 すると彼女の足元に赤、黒、紫、黄色に区分けされたルーレットが浮かび上がる。

 笏から出した刀でルーレットを突き立て、止める。

 彼女の体が赤い燐光を帯び、焔の様な髪の毛は陽炎の様に揺らめく。

 

 「果たして、付いて来れるかな?」

 

 鬼が紅い稲妻と化す。

 今度は踏み込みすら見えない。

 狙いが分からない。前回と同じく防ごうとした彼女の大片刃は、軌道を変えて下から潜り込んできた矛に掬い上げられる。守りの固め切れていない、力の入っていない状態でそうされれば、当然の事ながら武器は手を離れる。

 陽のガラ空きになり、反り返った体。そこに一刀を入れよう刀を振り被る鬼。陽の右手にある腕時計が、左手にあるストラップが輪郭を溶かし、弾帯を巻いた手甲として現れる。

 

 『ずがん』

 

 意識外からの二つの衝撃(襲撃)に後退した鬼。彼女の鎧を穿つも、皮膚の上できゅるきゅると摩擦による熱を上げた弾はやがて勢いを無くし、地面に落ちた。

 大片刃が手元に落ちてくるのに任せず、長物をナイフの様な速さで振るだろう鬼の元へ駆ける陽。

 ここで振らせてはならない。

 本能(経験)の命ずるままに助走を付け、拳を捩じ込もうとする陽の鉄拳に一歩後退出来た鬼の刀がかち合った。

 

 『ずん』

 

 土が舞う。一度、二度、三度と当たりの折れた木々が衝撃に揺れる。落ちては上がる土くれは細かく弾けていく。

 怪物は非力な人間との混ざり物ですら一跳びすれば天井に貼り付ける。

 聳える巌の様な体幹と比肩する者のいない程に磨かれた肉体操作を用い、一刀交える毎に笏を回して勢いづけた刀を片手で左右に振るだけの鬼。

 刀剣からの衝撃に上半身のウィーピングが崩されないよう必死で堪え、全身を使って拳を振るい、一撃一撃に全身全霊を捧げる陽。

 

 雄叫びを上げる息も惜しい。

 極度の興奮状態に頭の中が白熱する陽。

 

 それに「面白い!」滾(たぎ)る鬼。

 

 ただ、正面からいなしもせずぶつかれば、手甲ではなく刀が先に折れるのは必然で。

 刀を空振らせた鬼が事態を把握するまでの一瞬。陽が踏み込んで渾身の一撃を入れる。

 壊れた発射機構が作動せずとも、鬼は踏ん張った土に溝とレールを作って後退する。

 

 「…今のは効いたぞ」

 

 (…ウソだろ。こっちは後先考えてねぇのに)

 

 陽には止めていた息を再開したばかりで声も出せない。瞼を伝って目に入ろうとする汗を拭う彼女の全身には乾いた所はなく、服がトーンを一つ落として体にへばりついていた。

  

 「さて、次は何を見せてくれる?」

 

 「おたくにはまだあんのかよ?」

 

 「無論だ」

 

 生物としての格だけではない。重ねた年月と研鑽の量が圧倒的な迄に違う。

 それを体感し、悟った陽はただ、悠然とそこに有るだけの鬼に気圧されて後ずさっていた。

 

 「して、其の方は終いか?」

 

 「有るには有るけどよ、それでおたくと渡り合えると思えるほどオレは無謀じゃねぇ」

 

 鬼の身から赤い燐光が失せる。

 

 「そうか。では、其の方の首級(しゅきゅう)を今宵の肴としよう」

 

 鬼が牙突の構えを取り、踏み込む。

 陽が『何も無い』地面を右足で踏み抜き、浮かんだ『何か』を手に取った。

 

 陽は前にあった左足を、更に左前にずらしつつ、それ軸に体を|捻る。

 鬼の死角、陽の背後、彼女が脇構えにした何かは火を噴き上げて、その大きな片刃を明らかにする。

 妖気を陽の限界にまで叩き込まれた刃は噴き上げる火によって勢いを増し、彼女の半生が可能にした緻密な制動によって綻びも、揺るぎもない一筋に軌跡を定める。

 喉の底から搾り出すような雄叫びを上げ、灼光に煌めく大片刃が振り抜かれる。

 慮外の剛力を止めるのも、また剛力。

 急制動をかけた鬼が不恰好な形で彼女の刃を防ぐ。笏ははち切れるのでは無いか、と軋みを上げ、刃が減(め)り込んだ。

 瞬間、大片刃に込められた熱が一度に炸裂した。

 

 

 

 夜中であれば地上に一等星が現れた。なんてロマンチックに噂されていたかもしれない。

 今は昼間だ。水蒸気が衝撃波に押し固められ、真っ白な壁が丸く広がって木々を飲み込むのを目撃し、或いは、爆音と足元の揺れた事を感じた麓の村の住民は噴火だ、噴火だ、と大騒ぎする羽目になった。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○

 

 

 オレが這う這うの体で下山、実際森を抜ける頃には這って外に出ると、野火丸が待ち構える様にそこにいた。

 火が燃え移る前に、円形脱毛症(衝撃波)に綺麗さっぱり侵された山肌。それを彼は目を覗かせる様にサングラスを少し下ろして見ていた。

 

 「…派手にやりましたね」

 

 「あの時はそれしか思い付かなかった。今でもだ。あんなの命が幾つあっても足りねぇよ…」

 

 「可笑しいですね…天邪鬼は『二人』しかいない筈なんですが」

 

 二人?

 

 二人だって?

 

 疲労に突っ伏していた体がガバリと起きる。

 

 「待て、待ちな、野火丸。あんなのがもう一人もいんのか?冗談だろ?」

 

 もう火の粉の一つも出ねぇ。

 そう弱音を漏らすオレを見て、野火丸が深刻そうな顔付きで辺りを見回した。

 

 「誰かが来ない内に此処は一先ず撤退しましょう」

 

 野火丸がオレに肩を貸して、彼の車に乗り込んだ。オレが助手席に体を詰め、彼が運転席に座る。そして車がエンジン音を響かせる。

 

 『めこぉ』

 

 眼前のアスファルトに何かが直立不動で着地した。体を震わせて驚く野火丸を他所に、車を出てその何かを確かめた。

 

 (あー、クソ)

 

 頭の付け根から肩へ稜線を描く僧帽筋。

 名前通りの形に線を刻んだ三角筋。

 マッチョの代名詞の様な上腕三頭筋。

 鍛えるのが難しい筈の上腕二頭筋に前腕屈筋群。

 当たり前のようにあるシックスパックのチョコレート、腹直筋。

 そこから生える天使の羽の様な外腹斜筋。

 筋と境目のくっきりした大腿四頭筋。

 二つの大きなたらこ、腓腹筋。

 脛骨をほぼ覆いかけているのが皮膚の上から、前から見ても分かるほどの化け物っぷり、ヒラメ筋。

 極め付けは大胸筋の上を薄く覆う脂肪の塊と乳首。そして、ブーメランパンツのない乙女の花園。

 

 上下の恥部を惜しげもなく晒して仁王立ちする鬼。その上無手。

 気と力が全身から抜け落ちそうなのを堪えた。

 

 「おたく、服ぐらい着てきたらどうよ?」

 

 「余の肉体に憚る所はないのでな」

 

 素手でファイティングポーズを取った彼女に聞く。

 

 「…定結石はどうした?」

 

 「盤の石の事なら、其の方の一撃を受けた際に砕けてしまった」

 

 「はぁ?」

 

 どの一撃、どの一撃だ。

 明確に、強力な一撃で以て相手の何かを壊した手応えを思い出す。

 

 「笏…?」

 

 疑念たっぷりのそれに頷いた天邪鬼に疑問を呈した。

 

 「アレが、盤の石?」

 

 彼女が足元のアスファルトの欠片を掴むと、インクの大気に溶けるように輪郭を失い、どら焼きに変化する。

 唖然とした。そんな事が出来るのは精々狐か狸、大穴で蛤みたいな蜃だけだと思っていた。

 天邪鬼はしたり顔でにっこりした。

 一般的には、そもそも変化はそんな融通を効かせられる物じゃない筈ないのに。炉薔薇や隠神を思い出していっそ悲しい気持ちになる。

 

 「おたくは、天邪鬼だろ?」

 

 「全ては無聊(ぶりょう)の手慰みよ。何事も上達するには楽しむ事だ。そもそもアレはな、定結石ではない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそもアレはな、定結石ではない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「は?」

 

 鬼が突如体を力ませる。

 即応できる様に腰を低く落とす。

 すると、へにゃりと彼女は道路にくずおれた。

 

 やっとだ。

 クナイに仕込んだ毒が今になって回ったらしい。

 無敵不死身の英雄には毒と昔から相場が決まっている。

 

 目をぱちぱちとさせる彼女に近付いた。

 

 「じゃあ、テメェに要はねぇな」

 

 早速路外へ蹴り飛ばそうとして、巨体を持ち上げて土へ放り投げた。

 さっさと車の助手席に戻って野火丸に出発しろ、と伝えた。

 車窓から広がる緑一杯の風景だけが癒しだった。

 

 「…テメェの火葬場に無駄骨拾いに行くトコだったぜ」

 

 「…どうします?」

 

 「ヤツの末梢神経が毒に侵されてる内に賽ヶ淵へサイコロを取りに行く。アテはついてんのか?」

 

 「えぇ」肯定する彼にそうしたい契約で、急いでるんだろう、と、尋ねると彼は眉根を寄せて頷いた。

 

 二度と天邪鬼とは関わりたくない。心の底からそう嘆いた。




盤の石には触れると天候を変える逸話があります。だから、雷を落とす事が出来たんですね。

書いててストレスに胸焼けしました。今回の戦いマジで何だったの?もうお前二度と出てくるなよ…

チート?R18?残酷な描写?。全部征夷天邪鬼大将軍のせいだよ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。