<あらすじ>
秋月暁人は母・唯子を三好満司に寝取られ、傷心の日々を送っていた。そんな暁人の目の前に唯子から頼まれたという謎の女性・山本洋子が現れ、暁人の心の傷を癒すための「大人のレッスン」が開始された。暁人は父・暁年とともに三回目のレッスンに臨み、暁年こそが「強い愛」を持った存在であること、唯子が満司に調教されやすいのはその美徳のためであること、を知らされる。暁人が求める本当の幸せとは?・・・
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---------登場人物---------
秋月 暁人:主人公
秋月 唯子:暁人の母
秋月 暁年:暁人の父
三好 満司:主人公の遠縁(父・暁年の母方の従祖母の孫娘の夫)
三好 聖満:満司の子
三好 良枝:満司の元妻
山本 洋子:謎の娼婦 (「廃神社の巫女https://novel18.syosetu.com/n0812ge/」からのゲストキャラ)
山本 洋魔子:山本洋子の別人格(ダークサイド)(オリジナルキャラ)
藤原 綾乃:暁人の片思いの人(実は両想い) (オリジナルキャラ)
鈴木一之介:鈴木貫太郎探偵事務所・所長・探偵 (オリジナルキャラ)
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「待ってください。僕だって、父だって・・そんな聖人のような。少なくても僕は・・・」
「じゃあ、あなたは目の前の人が飢えていたら自分だけ食事がとれる?隣の人が苦しんでいる時に自分だけ楽ができる?自分だけの幸せなんて実はないのよ。本当の幸せはすべての人の幸せ以外ありえないの。あなた達は信頼し、共有し、次のステップに進もうとしている・・・人の不幸を自分の不幸のように考え、人の幸福を求めて努力しようとしている・・・愛は・・・」
洋子さんの様子はもう限界に近いようだった。肩で息をしているのが分かる。そして、突然絶句すると、そのままソファーに崩れ落ち、身体を丸めながら床に突っ伏してしまった。
「洋子さん!」
僕と父が駆け寄り、何とか洋子さんを助け起こそうとする。
「洋子さん!」
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【さっきから、よくそんなしらじらしい嘘がぺらぺらと言えるわね】
急に・・・私の心の中に、その言葉が忍び込んできた・・・。洋魔子の声だった。私の意識があるうちに、洋魔子の声が聞こえている・・・!私の意識の中に洋魔子が入り込んでいる!
『さっきから・・・ずっと聞いていたの?』
【そう・・・お前の愛の説明は面白いわね・・・倭男にお前がしたことを棚にあげて・・・よくまあそれだけ嘘が言えるわね・・・はっきりと教えなさいよ・・・お前が彼から全部を奪ったことを・・・なんで言わないの?・・・それこそが愛の実態なのに・・・】
私はパニックに陥っていた・・・。洋魔子が私の意識に割り込んでくる・・・私が犯した罪・・・私が受けた罰・・・それを突き付けながら!・・・私の偽善を暴き立て、私の暗黒面を見せつけるため・・・
【さあ教えなさい・・・お前の大好きな暁人に教えてあげなさい・・・残酷な愛の一面を・・・死ぬほどつらい邪悪な愛を・・・徹底的に植え付けてやりなさい!・・絶対的な絶望を・・・お前が殺した男と同じような男を・・・同じように殺してやりなさい!】
『お願い・・・出て行って・・・私から出ていきなさい!』
【出ていく?あはははっ・・・お笑い種ね。私はあなたよ・・・。どす黒い・・・淫らな心を持った邪悪な存在・・・それがあなた・・・それが私・・・】
『出ていきなさい!出ていきなさい!』
【あはははっ出て行きようがないわ・・・だってあなたは私だもの。あなたはまだ勘違いしているのね。もうあなたは、私の虜になっているのよ。あなたの中に私がいるとでも思っているの?バーカ・・・反対。もうあなたは私に取り込まれている。これはすべて私が操作したこと】
『何を言っているの?何を一体・・・』
【暁人に会ったのが偶然だと思って?】
【暁人の母親と同じ職場になったのが偶然だと思って?】
【みんな私の指し金よ。唯子の次は暁人を調教するために・・・私はあなたを差し向けた。みんな満司様の・・・三好満司様のお指図さ・・・】
『そ・・・そんな』
わたしは・・・洋魔子に操られて・・・暁人君を・・・秋月親子を・・・満司の罠に・・・そんな・・・助けるどころか・・・満司の仕掛けた罠に・・・この素晴らしい青年を・・・
【唯子と私たちが偶然似ていたと思って?】
【うふふっ・・・お陰で、何の疑いも抱かせずに、この間抜けな親子を罠にかけることが出来たのよ。こんな格好して、まともな人が私たちを信じると思って?でもあなたを使えば・・・あなたのその欺瞞に満ちた正義心や、見せかけの慈愛をちらつかせれば、この手の馬鹿どもは容易に信じてしまう。母親とあなたを重ねてしまう。なんて愚かで弱いのかしら・・・こいつらときたら・・・親子そろって・・・いや・・・唯子自身も・・・皆、単なるお人好しの馬鹿ぞろい・・・三好様のマゾ豚奴隷に突き堕とされてもしょうがない。それが運命・・・それが定めというものだわ・・・餌食になるのが定めなのよ・・・あはははははっ】
【さあ・・・見ていなさい・・・この二人が、私によってマゾ豚に調教されていくところを・・・倭男にそっくりなこの親子を、自分自身の手で、再び殺していくところを・・・特等席でじっくりと見ておくのね。あははははっ】
『だめ・・・まだ駄目・・・まだ、伝えていない・・・まだあなたに・・・乗っ取られるわけにはいかない・・・』
だが、洋魔子の声が・・・洋子の心をえぐり出し、冷酷に引き裂きにかかる・・・。
【うふっふ・・・欲情しているのでしょ?目の前の男に。欲しいのでしょ?その青年を。食べちゃいなさいよ・・・お見通しだわ。疼いてしょうがないんでしょ?二人ともいっぺんに食べちゃいなさいよ】
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「洋子さん!」
僕と父が駆け寄り、何とか洋子さんを助け起こそうとする。
「救急車を・・・店員さん!早く!」
洋子さんはまるで胎児のように身体を丸め、小刻みに体を震わせていたかと思うと、急に仰け反り、白目をむいて気を失ってしまった。
「今救急車を呼びました。到着まで10分くらいかかるそうです」
奥から店員の声が聞こえる。
「下手に動かしてはいけないそうです。そのままにして異変があったら教えてください」
店員が再び奥にある固定電話に戻り、救急隊員の指示を仰いでいるようだ。
「余程のことがあったに違いない。彼女と彼女の旦那さん・・山本夫妻は会社内でも評判の仲の良い夫婦だった。山本君は人格的にも優れ、奥さん思いだった。その夫婦が突然失踪した。いったい何で・・・」
そう言った父の視線は洋子さんの身体に至る所に掘り込まれた毒々しい刺青に向いていた。父も僕もその刺青の意図は分からない。だが、それがとても忌まわしい、邪なものであることは容易に感じられた。洋子さんの上品な顔立ちには全く似つかわしくなかった。その紋様を父は憎々しげに見つめ、嫌悪の表情を隠さない。
「山本君はどこに行ってしまったのだろう。奥様と一緒に暮らしているようではない。彼なら奥様にこんなことはさせはしないだろう」
明らかな娼婦・・・洋子さんのようにどう見ても貞淑で、聡明な女性がなぜ?どう考えても分からなかった。母の未来の姿が、洋子さんにも重ねられた。母もいずれ刺青を満司に言われるまま入れていくのだろうか・・・。思わず頭を振っていた。
「何とか、この人だけでも救えないものかな・・・私たちよりもはるかに深い闇を抱えているように見える・・・」
その時、洋子さんの身体が一瞬「ぴくっ」と震えたような気がした。そして洋子さんの顔に朱が差し始め、再び生気がよみがえる。
「洋子さん!洋子さん!」
僕の呼びかけに、洋子さんはハッと我に返ったようだ。突然起き上がり、僕たちの顔を珍しそうに交互に見つめる。
「救急車はもう大丈夫です・・・戻るように伝えてください。持病が出ただけで・・・対処方法は医師の指示も仰いでいますから・・・」
とてもしっかりいた声で洋子さんはそう奥の店員に呼びかける。先ほどまでの苦しそうな表情は消え、まるで嘘のようにしっかりした感じだった。凛とした佇まいは前と変わらなかったが、何となく雰囲気が変わったような感じがした。気のせいだろうか・・。
「びっくりしました。大丈夫ですか?」
「ええ・・・もうすっかり」
だが、洋子さんはまだ少し小刻みに震えているような気がした。ボクたちに向かって、奥の店員さんが声をかけてくれる。
「良かったですね。何事も無くて。救急車も忙しいようで、異常が無ければすぐほかの場所に向かいたいそうです。それで良いっすか?」
「ご心配をお掛けました。私は大丈夫ですので、他に向かわせて下さい」
「了解です」
「奥様はよくああなるのですか?」
「奥様?」
「失礼しました。確かに・・・奥様ではないようですね。それではごゆっくり」
店員がいやらしい含み笑いを浮かべて奥に引っ込んでしまう。
「洋子さん・・・今日はもうこれでお開きにしましょう。あなたが心配です。早くお帰りになったほうが良い・・・お家の方に・・・」
「・・・お家・・・」
洋子さんはそう言って、皮肉たっぷりな笑い顔になる。
「そうです。あなた方の・・・倭男君とあなたのお家に・・・大きなお家にお二人で住んでいると聞きましたが・・・」
「・・・・・・・・」
洋子さんの顔が曇り始め、よそを向いてしまう。父がさらに問い質す。
「教えてください。彼は、山本倭男君は今どこで何をしているのですか?あなた方は今どのような生活を?」
「それを聞いてどうなさるおつもり?」
そっぽを向いていた洋子さんが、睨みつけるように聞き返す。いまさら何を?そんな非難の感情がその言葉に滲み出ていたような気がした。何かとてつもなく深い事情・・・他人では踏み込めないような・・・深い闇。洋子さんの暗い目を見て僕は洋子さんの中の絶対的絶望を見たような気がした。だが、父は・・・人の不幸を許せない父は・・・ずかずかとその中に立ち入ってしまう。おせっかいにも踏み込んでいく。それが父なのだ・・・。
「彼を救いたい。奥様は山本君の発明がどれだけ凄いか知っていますか?彼の損失は我が社やNP食品の損失というレベルではありません。多分、全人類にとっての損失なのですよ!」
「・・・・・」
父の言葉に洋子さんは目を見開き言葉を失っている。父の言葉に心を激しく動かされ、動揺を隠せないでいる。そして父は言い切った。
「そして・・・あなたを救いたい」
父が、洋子さんの身体に毒々しく掘り込まれた忌まわしい刺青を見ながらそう付け加える。父の強い視線を受けて洋子さんの身体が一瞬「ぴくっ」と震えたような気がした。そして洋子さんの顔がみるみると真っ赤になっていく。
「はん!「救いたい」ですって?あははっ・・お笑い種だわ・・・「強い愛」を持っているから?それが今の唯子さんに何になるの?それで救えるとでも思っているの?「強い愛」を持っているから救えるなんて思っているなら、大間違いだわ。あなた達は自分たちのおかれている状況がまだよく分かっていないようね?」
激しい怒りの感情を爆発させながら、洋子さんはソファーから立ち上がり、僕の前で求めるように手を開く。
「持ってきているのでしょ?契約書…宿題だったわよね・・・ちょっと見せてくれる」
奴隷契約書と結婚誓約書・・どちらを渡すか逡巡していると、洋子さんはひったくるように2通とも手に取ると、さっと中身を確かめ始める。
「正解だわ・・・この2つ・・・これが見たかった。しっかりと向き合わないと2つのうちどちらかし持ってこれないから。あなた達が正解したことが・・・唯一の救いね」
「唯一の・・救い・・・?」
「そう、それ以外は最悪の事態・・・。暁人君・・・これはあなたの言う絶対的絶望よ。「強い愛」があっても・・・いえだからこそ・・・あなたのお母様は、いずれ発狂するか死を選ぶわ!」
父と話した時・・・父の出した結論と同じことを言っている。尊敬する二人の人が同じ予言をしている・・。絶対的絶望・・・。
「だから僕はこの奴隷契約書を破り捨てようと考えました。こんなふざけたものを、人間の尊厳を無視した最低のものを・・・」
僕がそう言った途端、父が僕の言葉を遮る。
「それをすれば唯子は追い込まれてしまう。死を選んでしまう・・・だから・・・だからそっとしておきたい・・・追いつめたりしてはいけない」
僕たち親子の反応を交互に見詰めた洋子さんの身体が再び「ピクン」と撥ねたかと思うと、小刻みに震え始める。顔を俯かせてしばらく沈黙したかと思うと、突然爆発する様な笑い声をあげる。
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『お願い・・・帰って・・・意識から出て行って・・・まだあなたに・・・洋魔子になる訳にはいかない』
【お前が愛を語るなんて・・・勘違いも甚だしいわ・・・私はあなたの本心なのよ・・・ドロドロと薄汚いマゾ豚の本心】
『だからこそ・・・私は彼に純愛を伝えておきたい・・・本当の愛を伝えておきたい』
【無駄、無駄・・・そんなものは本当には無いのだから・・・幻想にすぎないのだから・・お前が一番知っている事よね・・・】
『あと少しだけ・・・お願い・・・まだ変わらないで・・・お願い・・・』
私はすべてを悟った。暁人に会えるのは・・・これが最後・・・になる。だから洋魔子は堂々と私の前に現れたのだ。洋魔子はもう何か月も前から私を完全に乗っ取っていたのだ・・・。洋魔子は記憶に残さずに私を利用していた・・・そして・・・私を意識からなくしてしまうつもりだ。そうやって私を殺すつもりだ・・・。
【大丈夫よ。しっかりと教えてあげるわ。絶対的な絶望を。お前の意識が消えうせたら・・・お前が死んだら・・・しっかりと調教しておいてあげる・・・倭男のように】
【安心して死になさい・・・暁人も暁年も・・・倭男のように・・・うんこしか食べさせてもらえない最低のマゾ豚・・・人間便器にしてあげるから・・・あははははっ】
『やめて・・・お願い・・・やめて・・・やめて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
【あははははっ】
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「あはははっ!あはははっ!」
洋子さんとは思えないような嫌な笑い声だった。おしとやかな顔立ちとは似ても似つかない残酷な笑い・・・まるで魔女のよう嘲笑を僕たちに浴びせかける。
「満司さんの思う壺よね。そうやってお母様を永遠に苦しめ続ける。何でだかわからないの?これがあるから。お父様の「強い愛」・・・。唯子さんはこれがあるから、常に追い詰められてしまう。崇高な家族の理念に永遠に罪悪感を抱き続ける。それがゆえに永遠に満司さんから離れられない」
そう言って洋子さんが僕たちの目の前に突きつけているのは父と母の結婚誓約書だった。
「むしろ破り捨てるはこっちの方」
僕は愕然として思わず父の顔を振り返る。父は信じられない事を聞かされて目を見開いている。だが、否定しようとしなかった。まるで、その答えを解っていながら、そう言われるまでその答えの存在を忘れてしまっていた生徒のように・・・。
「一方のこの奴隷契約書・・・酷く、醜く、汚らわしく、厭らしく、陰湿で、最低な契約書・・・でも、これがあなたのお母様と満司さんが望む本当の姿。肉体と心をより強固に結びつけ放さなくしているもの。そして、お父様との間をずたずたに引き裂くもの」
「そして・・この結婚誓約書・・・これは、お父様とお母様の魂が望む本当の姿。清く、清々しく、崇高で、潔い・・・「強い愛」。でも、お母様にとって今は苦痛以外何物でもなくなっている」
僕は思わず目を伏せていた。洋子さんからレッスンされていた事をよく考えれば、その通りだ。だから、それを回避してくれる、都合のいい解決策を授けてくれるのではなかったのか?父が「強い愛」に目覚めれば「乗り越えられる」のではなかったのか?・・・だが、洋子さんは僕を許さない。僕のあごに手をかけると、無理やり顔を上げさせる。そして、憐れむ様に僕に問いかける。
「暁人君・・・今まで教えた「大人のために」その1からその7までを全て思い出して御覧なさい。それが何を意味するかを・・・」
探るように細められるその目に、僕は何の感情も見出すことはできなかった。そして、片時も忘れる事などできなかったレッスンの言葉を反芻した。あまりにも苦く、強烈な教訓・・・・
<b>その1:人を傷つけ、蔑み、苦しめることでしか愛せない者がいる。
その2:1を受け入れ、愛するようになる者もいる。それも愛。そして、1に無理やり変えられ、愛するように調教される者もいる。それも同じく愛。
その3:2は元に戻ることはなく、それまでの絆は苦痛の檻でしかない。
その4:強く人を憎む事と強く人を愛する事は同じ感情から来ている。
その5:「愛」の本質は次世代のためにある。2は1を受け入れた時点で自分自身だけでなく、次世代をも傷つけ苦しませてしまう。
その6:愛が強い事と「強い愛」は異なる。強い愛は、受け入れがたい愛を渡すこと。
その7:次世代を残す事とは、互いに信頼し、共有し、次のステップに進もうとすること</b>
僕が反芻する言葉を聞いて父が驚愕しながら僕を振り返る。「おとなのために」が7つ揃った時・・・絶対的な絶望が僕たち親子にのしかかっていた。
<b>『人を傷つけ、蔑み、苦しめることでしか愛せない者に無理やり変えられ、愛するように調教された者は元に戻ることはなく、それまでの絆は苦痛の檻でしかない。そして、無理やり愛を変えられた者は変えたものを強く憎みつつも強い愛を持ち、自分自身や夫だけでなく、次世代・・・子供すら傷つけ苦しませてしまう』</b>
だが
<b>『愛が強い事と「強い愛」は異なる、次世代を残す事とは次のステップに進もうとすること』</b>
強い愛だけでは何も変えられない、むしろ乗り越え、前に進め・・・・。
洋子さんは最初から家族を救うことなど考えていなかった・・・このレッスンで初めから僕に言っていたのだ。これは絶対的絶望なんだと。言いたいことは始めから明確だったのだ。最初から・・・僕を納得させる事が目的だったのだ。母を乗り越え、絶対的な絶望を乗り越え、前に進めと・・・。
「母を死なせないためには魂をなくさせること・・・・「本当の幸せ」・・・次世代のために・・・つまり僕のために・・・母は犠牲になるべきだと・・・少なくとも身体と心の幸せは持てる。その場の、その時の、刹那的な、良枝さんの様な幸福は持ち続けられる。そして・・・何よりも母を死なせないですむ・・・」
「そう・・・悲しいけれどそれが現実なの・・・。お父様の判断は正しかったのよ。でもそれでは足りない。あなたは母親を超えなればならない。母親殺しをしなければならない。その愛を憎しみに変えなさい。お母様を憎んで、そして忘れていくの。お母様を愛していればできるはずよ。愛は憎しみに、憎しみは愛にすぐに変わるの。それがあなたのお母様の幸せにつながる。彼女からあなたへの愛を忘れさせてあげなさい。満司さんに魂を売り渡させてあげなさい」
そう言うと、父と僕の目の前にもう一度、結婚契約書を突き出していた。まるで挑みかかる様に・・・。その目は、らんらんと獲物を狩るような、愛に満ちた恐ろしい目だった。
「さあ、強い愛を見せなさい。それが本当の愛よ。この結婚誓約書を破り捨てなさい!そして暁人君に次の段階へ進ませてあげなさい」
驚愕の指示に・・・一瞬凍り付いた父は、恐る恐る観念したように結婚誓約書を受け取る。
「あなたが、その誓約書にすがっている限り、唯子さんを苦しめる。あなたのエゴが唯子さんを苦しめ、傷つけている事がまだ分からないの!」
父の目が見開かれる。
<b>「わ・・・私のエゴ・・・」</b>
打ちひしがれた父に追い打ちをかけるように洋子さんが命じる。
「そうよ・・・だから私を救うなどと身の程知らずな事を平気で言ってしまう。すべてがあなたの思い上がり。醜いエゴでしかない。お笑い種だわ。さあ、やりなさい!破り捨てなさい!唯子さんを解放してあげなさい!」
洋子さんの目が恐ろしいほど吊り上がっている。黒い光を放って僕たちに運命を突き付ける。父の手が誓約書を横に持ち、真ん中の一番弱い部分に手をかける。絞り出すような力がその指にくわえられる。
<b>「ビリッ」</b>
でも・・・胸が締め付けられるように痛い・・・何かが違う・・・何かが間違っている・・・
「だめだ!やっちゃダメだ!・・・やっぱり駄目だ!」
僕は父の手を抑えていた。破れているのは封筒の部分だけだ。便箋に入った切れ目は、文章にはかかっていない。
「これは、お父さんとお母さんと・・・そして今では・・・それを聞いてしまった今では・・・これは僕の魂でもあるんだ!」
父の動きが止まった。僕の理不尽な行動に・・・不思議なものでも見るように、改めて僕を見つめる。その手が震えている。父も・・・迷っている。
「そんなことをしてもドロドロとして醜いだけ!無様で、見苦しいわ」
洋子さんの言っていることは徹頭徹尾正しい。僕は母を乗り越え、母から解放されるべきだ。それは母から・・・家庭という檻から解放してあげる唯一の手段だ。分かっている。しかし・・・
「パシッン」
強烈な衝撃が左頬を襲った。洋子さんが僕の頬を張っていた。弾き飛ばされそうなほど強力な張り手だった。
「マザコン坊やが何を言っているの!」
その顔には妖艶な薄ら笑いが浮かべられ、見下すように僕を見ている。痛みがジーンと心の中に広がっていく。
「マザコン・・・本当に気持ち悪い!」
「パシッ」
今度は反対側の頬が打たれた。不思議なことに僕は痛みよりもゾクゾクとしたような不思議な感覚を覚えていた。洋子さんの目が吊り上がって邪悪な光を放っている。僕は完全に抵抗する力を失っていた。いつの間にか僕は封筒を手放していた。
「あなたたちが出来ないなら、私がやってあげる」
逡巡し、何もできないでいる父に、洋子さんはピンヒールの音をコツコツと響かせながら悠然と近づくと、その頬に往復びんたを食らわせる。
「バシッバシッ」
「本当に煮え切らない親子!マザコン息子に寝取られ亭主・・・本当にみっともなくて情けない」
「バシッバシッ」
父のメガネが吹っ飛び、床に落ちる。衝撃のあまり呆然自失としている父の手から、洋子さんは結婚誓約書をあっさりと奪いとっていた。
「さあ、これですっきりするわ。唯子さんの魂・・・頂くわね」
洋子さんの白く、細く、美しく、刺青が彫り込まれた指に力が加えられる。僕は思わず目を背けていた。
<b>
「ダメだ!」
</b>
その手を掴んだのは父だった。
「降参だ・・・洋子さん・・・わざとやっているんですね・・・僕を戦わせるために」
こんな顔の父を初めて見た。何の衒(てら)いもなく、まっすぐに洋子さんを見つめていた。その目は吹っ切れたような、それでいてとても強い意志が感じられた。
「お父さん・・・頼もしい人だと感じたの」
母の言葉が脳裏をよぎった。きっとこの顔だ。この目だ。母さんはきっとこの表情にやられたんだ。身も、心も、魂も・・・・。洋子さんの目が大きく見開かれる。手を掴まれたまま、がくがくと身体が震えている。「ブルッ」と大きく身震いすると俯いてしまった。父は俯いた洋子さんの手から誓約書を奪い返すと、大事そうに懐に収めてしまった。そして、目の前にあるもう一つの契約書・・・奴隷契約書を手に取る。
「君は正しかった。暁人・・君の言うとおりだ。破るべきはこっちだ」
そう言うと、なんの躊躇もなく・・・
「びりっ・・びりっびりっ・・」
とあっさりと奴隷契約書を破り捨て、ただのゴミクズに変えていく。それはとても小気味いい音だった。
「びりっびりっびりっ」
俯いていた洋子さんが驚いたように顔を上げる。そして父が奴隷契約書を破り捨てたのを見た瞬間、その顔は今までの鬼のような形相から一変していた。泣き笑い・・・少しはにかんだような笑顔には、うっすらと涙が浮かんでいた。母とそっくりな笑い顔だった。
「教えてください。妻の・・唯子の取り返し方を・・・満司に勝つ方法を」
父の顔にもう迷いはなかった。
〇感想や何らかのコメントを頂くと嬉しいです。よろしくお願いします。
〇本小説の登場人物のうち「山本洋子」に関しては以下のサイトで書かれている小説の登場人物になります。ご興味があればご一読ください。
https://novel18.syosetu.com/n0812ge/