※この作品はR-18です。

続・月下香の檻 大人のレッスン   作:シン之助

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山文京伝先生の「月下香の檻」の2次創作です。よかったらご覧ください。
<あらすじ>
秋月暁人は母・唯子を三好満司に寝取られ、傷心の日々を送っていた。そんな暁人の目の前に唯子から頼まれたという謎の女性・山本洋子が現れ、暁人の心の傷を癒すための「大人のレッスン」が開始された。レッスンの中で暁人は「本当の幸せ」の意味を知り、母の魂がまだ変わっていないこと、愛は戦いであり暁年が唯子を取り戻すことで絶対的な絶望から立ち直れること、を洋子から説かれ一条の光を見出すのであった。しかし、洋子は洋魔子に意識を乗っ取られ、殺されてしまっていた。暁人と暁年はまだ、具体的な反撃の方法を知らない。その上、暁人の意中の人が藤原綾乃であることを満司に漏らしてしまった唯子は、良心の呵責に耐えかね、追い詰められ、セックス依存の極限状況で色情狂と化していた。すべての思考を奪われた唯子は満司の暗示によって家族への愛情を憎悪に変えられつつあった・・・。
本小説はhttps://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14680198にも掲載しています。


第14話 謎のインド人:プールナーナンダ

---------登場人物---------

秋月 暁人:主人公

秋月 唯子:暁人の母

秋月 暁年:暁人の父

三好 満司:主人公の遠縁(父・暁年の母方の従祖母の孫娘の夫)

三好 聖満:満司の子

三好 良枝:満司の元妻

山本 洋子:謎の娼婦 (「廃神社の巫女https://novel18.syosetu.com/n0812ge/」からのゲストキャラ)

山本 洋魔子:山本洋子の別人格(ダークサイド)(オリジナルキャラ)

藤原 綾乃:暁人の片思いの人(実は両想い) (オリジナルキャラ)

鈴木一之介:鈴木貫太郎探偵事務所・所長・探偵 (オリジナルキャラ)

パタンジャリ・プールナーナンダ:ヨーガ修行僧 (オリジナルキャラ)

--------------------------

「申し訳ないが秋月君、Y市の現場まで行ってくれんかね?」

「何か事故ですか?」

「それが・・・ちょっと困ったことがあってね」

 

企画開発部長の大河原が、秋月暁年に声をかけるときは、「ちょっと困ったこと」以外にあり得ない。社を揺るがすような深刻な事態ではないが、処理を誤ると厄介になりそうな事例は、たいがい暁年に回ってきていた。社内パワーバランスにおける立ち回りが不器用な上に、人事に無頓着な暁年は、同期の出世街道から二回り程度遅れをとっている。その能力の高さや人柄の良さとは裏腹に、出世からは縁遠い存在になりつつあった。しかし、その持ち前の交渉力や説得術は、この巨大企業における「ちょっと困ったこと」に絶大な能力を発揮してきていた。今までも何度も出向の話が持ち上がってきては立ち消えていったのは、この会社には無くてはならない人材であることを現場の人間は熟知していたからだ。大河原をはじめ、心ある上司は暁年を可愛がり、出向の話は立ち消えになるか、あっても半年前程度で本社に戻されることになった。

 

「大したことじゃないんだが、例の工事現場に、居座るものが出てきてね・・・」

「例の工事現場」とは、暁年が務める総合商社の開発部門が手掛ける、郊外の一大ショッピングモールの建設予定地の事だ。

「確か用地買収はうまくいっていたと思うのですが?」

「いや・・・地主や借家人ではない・・・通りすがりの外国人らしいんだ」

「はあ?」

「こちらもよく分からない。申し訳ないが行って見てもらえないか?」

 

会社のバンを借りて、急いで現場に直行することにした。昨夜の事は、なるべく考えないようにしていた。もちろん渡された名刺のセックスカウンセラーなど端から信頼できない。探偵の車の中に捨ててきていた。

あまりの出来事に頭の整理が追い付いていない。昨夜は結局、奴隷契約書を破り捨ててしまったことを唯子には話せずにいた。ましてや正体も分からぬ二重人格の狂人にそそのかされ、息子に見せたうえに、その目の前で破り捨てたことなど・・・。近々に打ち明けて二人で対応を考えなければならない。私からこの事を伝える前に唯子に知られたら最悪だ・・・。幸いあの契約書は、二人にとって見るのも悍(おぞ)ましいものとなっている。唯子が気付くこともしばらくあるまい。

仕事の忙しさで紛らわせようと、朝から忙しく立ち回っていた。しかし、社用車が納車されるまでのちょっとした時間に・・・あの異常な光景が何度もフラッシュバックしてしまう。

 

「暁人は大丈夫だろうか?」

 

性的なことは父親ではあまり立ち入れない。大きな心の傷が彼の今後に影を落とさなければいいが・・・。あの洋子と名乗った二重人格の女性はどうなったのだろうか?彼女の言っていたことはとても理にかなった素晴らしい助言のように思えた。明らかに暁人は彼女に敬意以上の何かを感じているようだ。だが精神異常者だったとは・・・。別れ際の彼女の行動は明らかに常軌を逸していた。あの女性の言ったことを全て信じることは到底できない相談だった。最初に感じた素晴らしい印象は、露出の高い奇抜な格好や全身に刺青が施されていた外観にもかかわらず、最後の瞬間を除いて全く変わらなかった。彼女の内面から溢れだす優しさやお淑やかさは隠しようもないものに思えた。だが、最後の様子を見た今、彼女の言ったことに全幅の信頼を置くのは危険だ。何か深い事情があるのは明確だった。人のいい暁年は早く彼女の心の病が治ることを心から願っていた。

 

「裏の駐車場に置いてある12号車を使ってください」

 

キーを渡されてやっと我に返っる。しばしの黙考は中止して、商用バンのイグニッションを回すと運転に集中することにした。

 

---------------------

久しぶりにその現場に向かうと、暁年が知っていた様相とは一変していた。うっそうと広がっていた雑木林は更地に変えられ、無残に地肌が露出しているだけだった。その更地の一か所にだけ、一本の大きな楡の木と、僅かばかりの低木が残っていた。その楡の根元で座禅を組んでいる一人の老人がいる。その老人を取り囲むように作業関係者がたむろしていた。

 

「あっ・・・秋月さん・・・助かりました。このご老人を何とかしてくださいよ」

 

何かと要領が悪く、世事に疎い暁年ではあったが、現場の職人からの信頼は絶大であった。

「なんでも屋の秋さん」

と言えば、この業界で知らない者はいない。

白くなりかけた髭をぼうぼうとはやし、かなりくたびれた古ぼけた僧衣の様な衣装を身に着けた老人は、大河原部長が言っていたようにN国人ではなく、彫りが深く褐色の肌をしたインド系の外国人のようだ。よく見てみると、その老人の懐の中には鳥の巣のようなものが大事そうに抱えられている。

 

「ピヨ・・ピヨ・・」

 

その巣の中から、雛の鳴く声が聞こえてくる。老人は時折、雛の嘴に生餌となる虫を与えながら、瞑想にふけるように半眼に目を閉じている。まるで浮浪者のような格好をしながら、その老人からは何の悪臭も感じられず、不衛生な皮膚炎なども見当たらなかった。むしろ、自然に近い、土くれのような落ち着いた香りと、かすかな体臭を漂わせているだけで、褐色に焼けた肌はむしろ瑞々しかった。暁年はこの不思議な老人の発するオーラに、思わず引き込まれてしまっていた。唯子を取り巻く一連のドロドロとした体験を洗い流してくれるような、牧歌的なゆったりとしたオーラの様なものが漂っている・・・・。

気が付くと、ズボンが汚れるのも構わず、思わず老人の隣の土の上に、どっかりと腰を落ち着けてしまっていた。楡の木の根元は、意外と柔らかな座り心地で、その周りの平面的で荒れた印象の更地では感じられない、ゆっくりとした時間が流れているようだった。

 

「何だか悲しげな声で鳴いているなぁ」

 

N国語は通じないのだろうと思いながら、そう話しかけていた。応えてくれるとは思っていなかったので、そう言うと返事も待たずに、いっしょにこのゆっくりとした時間を楽しむことにした。周りにいる作業員が、何事かとかたずをのんで見守っているのが感じられるが、この老人の回りの空間のゆっくりとした時間(とき)の流れはとても興味深く、そして心地よいものだったのであまり気にならなくなっていた。いつの間にか、胡坐の姿勢で老人と一緒に半眼を閉じていた。都会の喧騒が聞こえなくなり始め、作業員たちが唖然とした顔でこちらを見ている視線が気にならなくなり始める。ふと老人の目の前の空間を見ると、ホオジロの番(つがい)が重なるように死んで、儚げに転がっていた。

 

「ホオジロの雛か・・・可哀そうに」

 

そう言うと、老人が初めて口を開いた。

 

「御主(おぬし)・・・あれが見えるのか?」

 

どうやらN国語が分かるようだ。目の前のホオジロの死骸を顎で示しながら、瞑想を続けたままボソッと囁く。

 

「フーム・・やっと話が通じそうなやつが来たか」

 

雛を抱えながら、その老人の半眼の目が開かれる。

 

「1週間前の工事の際、そこの馬鹿者どもが操るブルトーザーが誤ってこいつらの巣を落とした。ワシもその楡の木の根元でこやつらと一緒に暮らしていた。この番は仲が良くてな・・「ピッピチュ・ピーチュー・ピリチュリチュー」と楽しそうに鳴いておったよ」

 

老人のホオジロの物まねは確かにそっくりで思わずこちらも破顔してしまう。しかし、その目が悲しそうにホオジロの番を見つめている。

 

「その後この巣をかばう様に、トラックに轢かれていった・・・。一瞬のことでワシも間に合わなんだ。勇敢な2羽であったよ。最後まで巣を見捨てなんだ・・・」

 

そういう事だったのか・・・。この老人はそのことを訴えるために・・・。

 

「大変申し訳ございません。今後は作業員に自然生物を大事にするようにきつく言っておきます。私どもで出来ることがあれば何なりと・・・」

 

老人の身体が暁年の方に向けられ、じっと見つめられる。暁年の心の奥底を見通すように・・・。暁年もその視線を外さず、真正面から受け止めることにした。

 

「ほーお・・・なる程・・・」

 

老人の目は黒と青の中間・・・人を見通すような不思議な色をしていた。そしてしばし瞑目した後、再び目を見開くと暁年をじっと見つめる。

 

「その言葉・・・確かだろうな?」

「もちろん・・・出来る範囲で最大限のご協力をいたします」

 

この不思議な老人に魅力を感じていた暁年は誠意を込めてそう答えていた。それは駆け引きでも何でもなかった。じっと暁年を見つめていた老人が条件を出し始めた。

 

「実はな・・・この懐で温めている巣にはもう2個ほど卵が入っておる。それを孵してやりたい。なにあと3日だ。明後日の満ち潮の時にこの雛共は孵る。それまでそっとしておいてくれんかの?そうすれば直ぐに立ち退く」

 

事情を説明し始めた老人に安堵していた工事関係者から困ったような吐息が漏れる。この時期、工事の3日の遅れは痛い。暁年にふと名案が浮かんだ。

 

「良ければその雛と巣の中の卵を私共にお預け下さい。きっと孵して御覧にいれます」

「・・・・・・・・・・・」

「この近所にT動物園という、我が社とかかわりの深い愛護動物組織がございます。我が社も寄付行為を通じてかなり貢献しています。その巣の雛たちや卵の事、きっと快く引き受けてもらえると思います。鳥類専門のスタッフもいますし・・」

「いやならん・・・」

「絶滅危惧種の鳥の繁殖に成功しているスタッフです。その専用スタッフにたのめば、必ず孵させることに成功すると思います」

 

そう言った暁年の目の前で、老人が再び目の前のホオジロに目を落とす。暁年もつられて視線を再びホオジロの死骸に戻す。やがて私はその姿が半透明に透けていることに気が付く。

 

「!・・・!・・・」

 

1週間前に轢かれて死んだ割にはその死骸は生き生きとして今にも動き出しそうに見える。そして、輪郭ははっきりせずにぼやけ、本来見えないはずの向こう側の地面が透けていた。

 

「そこにあった死骸は直ぐにそこいらの連中が片づけていきよった。御主が今見ているのは彼らの残留思念じゃ」

「残留思念?」

「左様・・・親鳥2羽の子供に対する「思い」じゃな。ここに居る雛と、まだ孵らぬ卵へのな・・・。この思念によってこの雛たちは生かされておる。その楡木も、ここに生えていた木々のたおやかなる気も、この森で生まれた最後の命の力になろうとしている。ここから離れた途端にその幼い命は絶命するじゃろう」

 

そう言ってすっくと立った老人は、懐から巣を取り出すと暁年に押し付けるように手渡す。

 

「雛と卵を御主に預ける。良いか・・・親鳥の思念によって守られているこの場からは絶対に離れるな。雛鳥には1時間おきに生餌を与えよ。抱卵は必ず肌を卵に接触させ保温に努めよ」

(えええっ・・・)

 

唖然として固まっている暁年に巣を預けると、自らは立ち上がり飄々とその場を離れていく。

 

「あなたは?」

「雛には生餌が必要じゃ。その葉に包まれている20匹ほどを捕まえたが、まだ足りん。馬鹿どもがこの辺りの草木を根こそぎ切り倒していったからの。調達してまいる。「出来る範囲で最大限のご協力」をするといったな・・・頼むぞ」

 

そう言いながらすたすたとどこかに行ってしまった。

 

「やりましたね!さすが秋さんだ!」

「あっという間に追い出しましたね!」

 

遠巻きにしていた作業員たちがぞろぞろと暁年のまわりに集まり始める。はらはらと事の成り行きを見守っていた作業員達は皆ホッとしているようだ。

 

「さあ、作業の遅れを取り戻すぞ。工事再開だ!」

 

嬉しそうに現場監督の来栖康晴がそう言うのを聞きながら、暁年は上着の前ファスナーを降ろすと懐を大きく開き、巣を恐る恐る抱き始める。

 

「申し訳ない。あと3日作業を止めてくれ・・・私が居座ることになってしまった」

 

そう言いながら、楡木の根元にどっかりと腰を落ち着けていた。

 

---------------

「前代未聞の不祥事だ!本社社員自らが作業の進行の邪魔をするとは!」

 

大河原の目の前に姿を現したのは、企画部長の金本だった。大河原とは同期入社、秋月にとっては5年も後輩にあたる。企画開発部は開発部の実質的リーダである大河原と、企画部の金本の実質2枚看板だった。企画部長と開発部長が交互に企画開発部の本部長職に納まる慣習だったが、ここ数年は大河原が本部長席についている。そのため金本は大河原を何かとライバル視し、事あるごとに大河原お気に入りの部下・・・秋月の出向を人事部に具申してくる男だ。一年前、秋月が地方都市に飛ばされそうになったのもこの男の差し金だった。

 

「いいか。3日の遅れが何千万円もの損害を生むことも有るんだ。これは秋月一人の問題ではない。お前の任命責任も追及してやるからな!」

 

金本は部下につらく当たり、上司には露骨なほどゴマすりをする、嫌な「おべっか使い」だった。部下の手柄を横取りするのは当たり前、気に入らぬ部下は容赦なく切り捨ていた。自然と金本のまわりはイエスマンがそろい、露骨に歯向かう者などいなかった。金本にとって自分になびかない秋月は不安の種だったのだろう・・・何かと敵視しては過小評価を繰り返していた。彼さえいなければ秋月もここまで不遇な扱いを受けることはなかっただろう。しかし今回の秋月の行動は大河原にとっても理解の範疇を超えていた。

 

(秋月君・・・君は何をやっているんだ?)

 

さすがの大河原でも今回ばかりは秋月を庇い切れないと考えていた。外は暗雲が立ち込め、今にも雨が降り出しそうになっていた。

 

-------------------

「秋さん・・・気持ちは分かるけど・・・これってかなりやばいんじゃない?」

 

事情を聴きつけて集まった仲の良い作業員達が、暁年を取り囲んで心配そうにたずねる。作業が伸びて困っているだろうに、ほとんどの作業員はこの状況を比較的好意的に捉えてくれているようだ。ワイワイがやがやと、まるで自分の事のように心配してくれる快い連中だった。暁年の人柄がこう言った人材を呼び寄せ、自然と現場の雰囲気を潤滑にし、事故や災害を未然に防いでいた。「なんでも屋の秋さん」はそんな存在だったのだ。暁年に感化されたここにいる連中も当然のように無意識に何かを感じ取り、ホオジロの思念が残留している場所には誰も近寄ろうとしない。中には鳥好きの者がいて、代わりに抱いてやろうか?と申し出てくれた者もいた。しかし、それはありがたく辞去していた。その作業員に迷惑が及ぶのは明白だった。何より、暁年を信じて託したあの老人に申し訳が立たない。

 

(また、出向の話が出るな・・・下手をするとクビ・・・家のローンが終わっているのが何より救いだ・・・唯子があれほど拘り、守ってくれた家は手放したくない・・・)

 

しかし、あの老人のあの不思議な感覚。不思議な経験が暁年に今まで忘れていた何かを思い出させてくれていた。間違ったことをしているという感じはしない。今でもホオジロの番(つがい)がうっすらと見えている。

 

「何を約束したか知らないけど・・・雨が降りそうだよ」

 

仲のいい作業員が西の空を振り返る。西の空を見ると、黒い雲が立ち込め一雨きそうだった。老人は一向に戻ってくる様子がない。家から雨具や着替え、非常食料を持って来てもらわなければなるまい。すでに作業員達が差し入れと称して色々なものを持って来てくれていたが、お菓子や缶コーヒーばかりだった。

 

(唯子に持って来てもらおう)

 

いつもの癖でそう考え、スマホを取り出すものの、躊躇している自分に気が付く。唯子は今どんな状態だろうか・・・?ここのところ落ち着かない様子を示していた。満司から解放されているとは到底言い難かった。唯子が一年間の失踪から家に戻ったのが1か月前のことだった。最初こそ健気にかつての生活を取り戻そうと努力し、特に暁人の前では以前の母を演じてくれていた。実際その努力は本物だった。かつての家庭が取り戻せるのではないかと本気で信じていた。しかし・・・唯子が例のSMショーに出た後は、それが幻想にすぎないことを嫌という程思い知らされていた。翌朝、暁人から暖かく迎い入れてもらいハラハラと涙を流す唯子を見て、母としての愛情を失っていないことを十分実感していた。しかし、1週間に一度のあの夜が近づくと、唯子は心ここに在らずといった状態に陥り、ぼっとしている事が多くなり始める。まるで満司に抱かれるのを心待ちにしているような、口を半開きにして、目を細め、股をぎゅっと閉じ合わせている淫らな表情・・・。自分にはどうすることもできなかった・・・。セックスを禁じられているという以前に、暁年は満司という男の圧倒的な邪悪なパワーに負けていたのだ。

 

「旦那さんじゃ手に負えないよ」

 

再び秘密SMクラブのマスターの言葉が脳裏をかすめた。洋子という女性はそんな事は気にするな、奪い返せと言っていた。

 

「この事態に真正面から向き合い、満司と戦い、唯子さんを奪い返すほか、唯子さんに「強い愛」を渡せない・・・唯子さんに本当の幸せを掴ませることが出来ない」

 

SMクラブのマスターと狂人の娼婦・・・どちらに信頼がおけるのだろうか?

毎週繰り返される悪夢の夜・・・忌まわしいショーが終わった深夜、唯子は深く自己嫌悪に陥りながら戻ってくると、必死になって貞操な人妻を演じ続けている。しかし、その淫靡な表情でボッとしている時間が少しずつ長くなり始めていた。同時に「母」でいる時間がどんどんと減っていた。妻である時間は・・・・。勘のいい暁人も気づいている様子だった。特に、暁人の誕生日会を放り出して、SMショーに出演した翌日から、唯子の様子は更に酷く、ずっとおかしなままだった。心ここに在らず・・・常に満司という男に魂を握られ、離れた場所から抱擁を受けているような様子だった。まるで夢遊病者のように定まらない目をしながら、必死に意識をとどめようと努力していた。なんとか日常の家事をこなし、その夜が来るのを心の底から望んでいるような有様だった。見ているのがつらかった。

 

「あの女性は嘘を言っていない!父さんも信じてくれ!」

 

あの後も暁人はそう言い続けていた。確かに彼女のすべてが狂っているとは思えなかった。心を揺さぶられ、魂を奥底から突き動かされた。しかし・・・やはり狂人には違いない。すべてを信じるわけにはいかない。あの名刺のセックスカウンセラーのもとに行こうとは思えなかった。あの圧倒的なパワーを持つ、悪魔のような男にセックスで勝負することなど到底できるものではない・・・・思いもよらなかった。

ここ数日は、家に帰り玄関の呼び鈴を押す度に、家の固定電話に電話をかける度に「もう唯子は家にいないのではないか・・・」そんな思いが一瞬胸によぎり、必ず逡巡してしまうようになっていた。もちろん、メールやLineに返事を返してくれる回数は激減し、返ってくる時間までの時間は長くなる一方だった。今日これから電話して、唯子は出てくれるだろうか・・・?

 

「母さんか?ああ私だ・・・申し訳ないが・・・テント・・・暁人がまだ子供のころにキャンプに行くのに買ったやつだ・・・そう・・あれを持って来てもらいたいんだが・・・場所は・・・今・・懸案になっている現場だ・・・ああっそれに着替えと食料も・・・」

 

スマホは簡単につながった。今までと変わらない唯子の声を聴いた途端、ほっとしてため息が漏れていた。簡単に事情を説明しただけで、勘の良い唯子はすぐに理解したようだ。

 

「何か御有りになったのね?懸案だった現場ですね。すぐに行きます・・・ええ分かりました。暖かなものを何か作っていきますね」

 

心配そうな唯子の声が聞こえてきた。暁年の胸にストンと響いてきていた。それは嘘偽りのない心配する声音であった。最近聞かなくなった唯子の本当の声・・・それを聞けただけでも心を熱くしてくれていた。




〇感想や何らかのご評価を頂くと嬉しいです。よろしくお願いします。
〇本小説の登場人物のうち「山本洋子」に関しては以下のサイトで書かれている小説の登場人物になります。ご興味があればご一読ください。
https://novel18.syosetu.com/n0812ge/
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