ついにファリシア目がけて放たれたアルメリア渾身の魔法、散果・天津風。
かつては深く大地を抉り、竜形態のグリュイエールを打ち抜いて追い詰めた彼女の恐るべき魔法を前にして、ファリシアは逃げるでもなく怯えるでもなく、ただ静かに待ち構えていた。
轟音と共に突風が吹きすさび、アルメリアの右肩背後に凝縮された魔界の風が一気に噴出する。
光とすら見紛う速度で放たれる魔界の風がファリシアへと直撃する――その寸前で。
ファリシアは魔剣を斜めに構え、あろうことか天津風を真っ向から受け止めたのだ。
「なっ……!?」
アルメリアの口から驚愕が漏れる。彼女をして天津風は至高の魔法と確信を抱いていた。当たりさえすれば、耐えられる者などどこにもいない。
その自負と確信が、目の前で崩れ落ちていく。ファリシアは天津風を魔剣で受けるばかりでなく、込められたアルメリアの魔力を切り崩して天津風を散らしていたのだ。
「アルメリア、魔界の風を用いたあなたの魔法は、私の魔術に非常に近いものです。しかし、魔力を含んだ風を操るのと魔力そのものを操るのでは、精度が違います。魔力そのものを操れる私からすれば魔界の風などそよ風に等しく、ゆえにこのように受け流すのは容易なのです」
結局のところ、ファリシアの強さは魔力そのものを操れるところにある。それにより彼女の魔法は他の誰よりも優れているうえ、相手の放つ魔法を無効化するのも不可能ではないのだ。
つまり、魔法を得意とするアルメリアでは、ファリシアには勝てない。
いや、アルメリアだけではない。その矮躯に驚愕の剣技を宿すランガも、竜の力と魔力を持つグリュイエールも、ファリシアには決して勝てない。
彼女たちがいくら強くても、やはり魔物娘。魔力を糧に力を発揮する以上、魔力そのものを支配できる魔王ファリシアに勝てる道理はないのだ。
だがそれでも、アルメリアは天津風を放ち続けた。ファリシアに無効化されている攻撃を続行するのは、彼女のプライドによるものか、それとも自制心を無くしてしまったからか。
あるいは、そのどちらでもないのか。
彼女たちはすでに知っていた。ファリシアには勝てない。すでにそう結論づけ、その上で勝つにはどうすべきかを考えたのだ。
「――ランガ、グリュイエール。作戦通り、足止めをしてやってるわ。あなたたちもさっさと働いたらどう?」
アルメリアの静かな、しかし力強い言葉を聞いて、ファリシアが眉をひそめる。
「うむ、分かっておる。天津風に対応している今こそ好機。いくぞ、グリュイエール!」
続けて叫んだランガの体に強力な魔力が集中する。全身全霊を込めた竜鳴気が発動したのだ。
ランガは空中に生み出した砂の足場を力強く踏み抜き、ファリシアの頭上斜め上から愛刀髪薙を振るう。これぞランガの秘剣、月之砂。
「……っ」
ファリシアの目が一瞬細まった。アルメリアの言う通り、天津風を受けとめている現状、ランガの一刀を避ける余裕はない。
ならばと、ファリシアは魔技を発動する。避けられないのなら魔剣で応じるしかなく、ランガの一刀を防ぐには魔剣にエンチャントを施して自動防御の命令を与えるしかないのだ。
代わりに天津風は左腕で受け止め、空中からの奇襲の一刀を魔剣によって打ち弾く。
この瞬間……ファリシアの両手は、完璧に塞がった。魔剣を持つ右手はランガに対応しており、空の左手はアルメリアの天津風を受けとめている。
完全に無防備となったファリシアへ向かって、影の魔槍によって空中に縫いとめられていたグリュイエールが吼える。
「おぉおぉぉおぉぉっ!」
グリュイエールは竜形態を解除。元の少女姿となることで串刺しになっていた魔槍から逃れ、同時に炎の魔力により火炎槍を作りだして切っ先を真下に向け、眼下のファリシア目がけて急降下をする。
槍の切っ先から火炎が吹き出し、落下の軌跡に炎の残滓が迸る。これぞグリュイエール秘奥の一手、竜星衝。竜形態で制空権を取り、少女形態へと移行して火竜の全魔力と力を込めた急襲落下攻撃を行う、己そのものを槍と見立てて放つ竜槍の一刺しである。
「――っ!」
両手を塞がれたファリシアは、ついに目を見張る。無防備となったこの状況で、頭上はるか高くから舞い落ちる急襲の一手。近接戦闘に秀でていない彼女にとって、この連携は想像だにしていなかった。
「取ったぞ、ファリシアぁっ!」
グリュイエールが高々に叫ぶ。その時にはすでに、彼女の竜星衝による一撃がファリシアの目前へと迫っていた。
同時に、ランガが月之砂から着地し、身を翻してファリシアに切りかかる。
アルメリアはここぞとばかりに魔力を込め、天津風の威力を押し上げた。
そして最後の詰めとばかりに、グリュイエールは槍に渾身の魔力を込める。
かつて、王都で勇者であるあなたと対決した折りに見せたあの魔法。
彼女の全ての魔力を込めて発動する爆発魔法、プロミネンス。彼女を中心に広範囲を爆発させる、自爆めいた最終攻撃魔法である。
轟音と爆音が鳴り響き、熱波と衝撃破が一瞬遅れて吹き抜ける。
この戦いの中で距離を取っていたあなたは、この爆発魔法の攻撃範囲には入っていなかった。その代わり、ことの成り行きを全て目にうつしていた。
赤い火炎が渦巻きながら爆発する凄惨な光景。ファリシアを中心としたグリュイエールの自爆魔法は、おそらくアルメリアまでを攻撃範囲に捕えていただろう。
これが彼女たちが導いた結論。ファリシアに勝つための策。
アルメリアとランガがファリシアを無力化し、無防備な彼女に向かってグリュイエールが攻撃を仕掛け、最後には爆発魔法で諸共道連れにする。
事の成り行きを見ていたあなたも、ファリシアがこの連携に驚きを見せていたことが確認できた。これならば……あのファリシアに一矢報いたはずだ。
爆炎が静かな風にさらわれ、あなたの視界が晴れる。
そこにあった光景は……思わず息を飲むものだった。
「……まさか、あなたたちが連携してくるとは思いもしませんでした。褒めてあげましょう。よくぞ私に魔力障壁を使わせましたね」
そこに居たのは、無傷で悠然と佇むファリシアの姿。周囲に倒れ伏せるグリュイエール、ランガ、アルメリアの姿を、彼女は非情にも見下ろしていた。
魔力障壁。ファリシアの最大防御魔法……いや、魔術の名。それは彼女が操る魔力により全周囲を完璧に防護し、攻撃を無力化する。
確かにファリシアの両手は塞がっていた。グリュイエールの奇襲に虚を突かれていた。
だが、彼女の精密な魔力操作技術は、そんな一瞬の遅れすらを取り戻すのだ。グリュイエールの爆発魔法が発動した瞬間には、もう彼女の魔力障壁は発動し、全ての攻撃を無効化していた。
対して、ランガたちは自らも巻き込んだ魔法の威力に耐え切れず、深いダメージを負っていた。
「ぐっ、うぅっ……ま、まだじゃ、まだやれる……!」
ファリシアの足元に倒れ伏せていたランガがゆっくりと立ち上がる。
合わせて、アルメリアとグリュイエールもふらつきながら立ち上がっていた。
ファリシアはいまだ勝負を諦めない彼女たちを見て、小さくため息をついた。
「まだ立ち上がりますか。あなたたちも本当に強くなりましたね。だからこそ惜しい。相手が私でなければ、その奮闘は無駄ではなかったはずでしょうに」
ファリシアがするりと左手を真上に掲げた。
あの構えは……。あなたに緊張がはしる。
「これ以上は時間の無駄です。最後にあなた方の奮闘に敬意を表して、これを使ってあげましょう」
ファリシアの左手に魔力が満ちる。大気中の魔力が集い、やがてそれは一点に凝縮された黒点となった。
「魔術――暗黒天体・魔性星」
それが、ウィッチであるファリシアの本領にして真相。周囲の魔力を喰らいながら重力波を放つ魔性の星が、今再び現れる。
魔力の星はファリシアの左手から打ちあがり、はるか空中で静止。そして魔力を取り込みながら規模を増し、重量の嵐をまき散らす。
この魔術を前にして、魔物娘に抗うすべはない。ランガたちは皆、魔力を奪われて無力化され、重力波により地に這いつくばった。
まるで、魔王ファリシアに頭を垂れるかのように。
這いつくばる魔物娘たちと、それを見下ろすファリシア。その光景がまざまざと両者の立場をあらわしている。
魔王とそれに屈する魔物娘。その立ち位置は決して変わらない。ファリシアに勝てる魔物娘など、この世界のどこにも存在しないのだ。
「くっ……くくっ」
だというのに、グリュイエールから笑い声が漏れる。
いや、グリュイエールだけでない。この屈辱的状況で、あろうことかアルメリアも、ランガですらも忍び笑いを零していた。
「ようやく魔性星とやらを出したわね」
アルメリアの不敵な物言いに、絶対的優位に立っているファリシアが怪訝な表情を返した。
這いつくばりながら顔だけを上げたランガが、静かに告げる。
「ファリシア、お主の魔性星には一つ重大な欠点がある」
「……欠点?」
「そうじゃ。もっとも、お主もすでに気づいているはずじゃがのぅ」
重力波で押しつぶされかけているというのに、ランガは挑発するように唇を歪めた。
「魔性星の欠点の一つは、発動したら最後、お主自身の制御下を離れるという点じゃ。でなければ、魔性星が放つ重力波がお主を巻き込むはずがない」
「……確かに、魔性星は周囲の魔力を喰らって成長するという特性上、魔力でコントロールできる代物ではありません。発動したが最後、無差別攻撃を放ちながら膨張し、やがて破裂するまで私も手出しできないというのは認めましょう」
ファリシアは、一度言葉を切って金色の前髪を指先でかき分けた。
「ですが、それが何だというのですか? 魔性星の無差別攻撃はこうして魔力障壁で防げばいいだけの事です」
「そう……それこそが魔性星の重大な欠点なのじゃ。魔力障壁を展開しても、魔性星に魔力を食われれば元の木阿弥。ゆえに、魔力障壁を魔性星に取り込まれず展開、維持するのはお主にとっても多大な負担となるじゃろう。おそらくは並みの魔物娘なら一秒と持たないほどの魔力を消費し続けているはず。はたして――いかなお主といえ、その状況で新たな魔法を発動できるのか? いや、そもそもそこから一歩でも動ける余裕があるのか?」
「……!」
「どのような魔物娘といえど、同時に扱える魔力量には限界というものが存在する。ファリシア、お主がどれほどの魔力を扱えるかは知らんが、魔性星と魔力障壁を同時に発動している時こそがお主の魔力の限界。つまり、真に無防備な瞬間なのじゃ。儂らはこの瞬間こそを待っていた」
ランガの推測は、はたして正しかったのか。ファリシアの脳は、ほんの数瞬混乱を極める。
魔性星を使っている間、一歩も動く余裕がない。だとしても、だからなんだと言うのか。
暗黒天体・魔性星は、魔物娘にとって致命的な魔術である。この魔術が発動すれば最後、どのような魔物娘も抗えずに敗北を迎えるのが道理。
例えファリシアが魔性星発動中に一歩も動けないとしても、その絶対的論理が覆ることはないのだ。
現に、グリュイエールは、アルメリアは、ランガは、魔性星の圧力に屈している。一歩も動けない所ではない。重力波に押しつぶされかけ、廃墟の堅い地面がひび割れるほどにめり込んでいっている。
魔性星の重大な欠点は確かにその通り。しかし、だから何だというのか。魔性星は発動したが最後、魔物娘では絶対に抗えない。
――魔物娘、では。
「――!? まさかっ!?」
脳裏に一つの予感がよぎり、ファリシアは混乱から脱した。
彼女が鋭い視線を向ける。ランガたちにではなく、あなたの方へ。
「ようやく気づいたか、ファリシア」
ランガが不敵に笑い、グリュイエールとアルメリアが言葉を続ける。
「妾たちは最初から、貴様には勝てんと知っていた」
「口惜しいけど、事実は事実。なら重要なのは、その上でどうやって勝つかよ」
そう、これこそが彼女たちが導き出した、あなたが魔王ファリシアに勝つための策。
あの夜、ランガは魔性星を身に受けたことで、この魔術の性質を見切ったのだ。
そしてそれを逆手に取るための策を練った。
すなわち、ファリシアに魔性星と魔力障壁を発動させ、真に無防備となったその隙をあなたが狙い打つ。単純にしてこの上ない策であった。
そして当然、その時に仕掛ける攻撃はあなたの持てる最大最強の一撃に他ならない。
あなたは腰にさげていた剣を抜いた。ファリシアの魔剣と同一の物にして、全く別の過程を歩んで完成した剣。
剣に込められた魔力を完全解放する。あなたを慕う、共に戦ってきた魔物娘たち全員の魔力を。
刃に魔力が満ちる。かつてファリシアが静寂の森で見せた時のように、おびただしいほどの魔力が。魔物娘たち全員の魔力を束ねた、圧倒的な魔力が。
剣に満ちる魔力が規模を増し、それに比例して薄暗い光を放つ。
「あれは……私の魔技……!」
ファリシアも驚愕するしかない。彼女こそ誰よりも知っている。あの魔力の輝き。おびただしい魔力が込められた剣の威力。
これこそがあなたの剣の真価である。しもべである魔物娘の魔力を剣に乗せて放つ、ファリシアの魔剣による一撃に等しい一振り。
そこに至る過程こそ違えど、結果は等しい。おびただしい魔力を込めた一剣は、斬り下ろしの軌道上に存在する全てを容易に切り裂き無へと返す。
それが例え、至極の攻撃魔術、魔性星であっても。
それが例え、至高の防御魔術、魔力障壁であっても。
この一剣の前には、全てが等しく無意味。
さあ、今こそ放て。これはランガの秘剣月之砂にして、ファリシアの魔技、魔女の剣と同一のもの。
しかして、結果に至る過程はまた違っている。自身の魔力を込める先の二つの剣とは違って、込められるのはあなたのしもべである魔物娘たちの魔力。
ゆえにこれは、あなたの、あなただけの剣なのだ。
魔物娘たちの魔力が込められた、あなただけに許された剣。
その名は――フォルティアロクス。勇者として歩んできたあなたの軌跡が到達した、最後の剣である。
一歩深く踏み込み、ファリシアへ向かって深々と斬り下ろす。それと同時に剣に込められた魔力を解放。魔物娘たち全ての魔力と意思が一つの刃と化し、斬り下ろしの延長線上を音もなく斬り裂いていく。
魔性星も、魔力障壁も、そしてその先に居るファリシアも、全てを等しく斬り裂いて。
一瞬の静寂の後、魔性星が歪な音を立ててひび割れる。あなたの一撃が、魔性星に致命的ダメージを与えたのだ。
魔性星に入ったひびから、魔力があふれ出る。それまで喰らいため込んでいた魔力が一気に噴出し、魔性星は瓦解していった。
そしてそれは、魔性星の魔力が暴走を起こすのと同義であった。魔性星は破裂し、中に込められていた膨大な魔力が暴れ狂い、薄暗い魔力の輝きを放って周囲を破壊しつくしていく。
グリュイエール、アルメリア、ランガの三人は、ファリシアと共にその魔力暴走に巻き込まれ、暗く歪な光の中に飲みこまれていった。