……なにが起こったのか。あなたは暗い視界の中で考える。
体に触れるのは固い地面。どうやらあなたは倒れ伏しているようだ。今はファリシアと戦っている最中である。早く起き上がらなければ。
……だが、体が重い。手をついて体を起こしたいのに、その両手が鉛のように重くなっている。
……なにが、起こったのか。視界が暗いのは目を閉じているからだと気づき、あなたはゆっくりとまぶたを開いてみた。
目を開ければ、自分が地面に倒れている事が正確に確認できた。
視界は霞む。まぶたが重い。気を抜けばもう一度目を閉じてしまいそうだ。もし次目を閉じれば、はたしてもう一度目を開けられるかどうか。
霞む視界の中、あなたは最後に残された力を使って頭をかすかにあげる。
そうすると、視界の先に居る彼女の姿がはっきりと見えた。
あなたの視界の先に居るのは、魔剣を片手に佇む一人の魔物娘。魔王ファリシアの姿。
彼女は立っていて、あなたは倒れている。これだけを確認すれば、分かることが一つあった。
あなたは――負けたのだ。
地面に這いつくばりファリシアを見上げるあなたと、あなたを見下ろす魔王ファリシア。それが、この勝負が遂げた結末である。
「紙一重、でした」
ファリシアの静かな声があなたの耳に届く。
「あなたの剣と私の剣、閃いたのが同時ならば、全く同時に互いの体を打ち抜いていた。こうして私がかろうじて体力を残しているのは、パラダイムシフトによってあなたの体力を限界まで削っていたからでしょう」
称賛の声を聞きながら、あなたの意識がゆっくりと断裂していく。
今、目を開けているのか閉じているのかすら定かではない。視界は明滅を繰り返し、意識はとぎれとぎれ。体力を全て失った今、敗北したあなたが気絶するのは時間の問題だった。
このまま敗北してしまうのか。暗くなる意識の中でそう考えるが、どうする事もできない。
やるだけの事はやった。この世界の人々を抱いて限界まで強くなり、至高の剣を手にし、そして共に戦う魔物娘までいた。あなたは最善を尽くしたのだ。それでもなお、ファリシアにはかなわなかっただけの事。
ならば、もういいではないか。全力を尽くしたうえで敗北したのなら、それでも……。
「……それで、あなたはどうしますか?」
消えていくあなたの意識を、ファリシアの呟きが繋ぎとめる。
ファリシアの問いかけの意味が、あなたには分からない。体力は尽きて完全に敗北した現状、どうするも何も無い。
このまま、意識がゆっくりと暗闇の中に吸い込まれるのを待つしかないのだ。
……また意識が断裂を繰り返す。視界が明滅する。今、自分は確かにここに存在しているのかどうかが疑わしくなる。
『勇者よ……我が声を、聞きなさい』
その意識と意識の隙間で、あなたは聞いた。
ファリシアの声ではない。耳にではなく、意識の中に直接響くような声だ。
綺麗でありながら、どことなく冷徹さを感じる声。聞き覚えは無い。いったい誰なのか……いや、そもそも何者なのか。
『我が名はイストワール。この世界を管理する女神にして、あなたをこの世界に生み出した者』
イストワール……その名の響きに、聞き覚えがあった。
確か、それは……そう、ファリシアと対決する前に、故郷で聞いた響き。
そうだ、あなたのメイドは、確かに女神イストワールと口に出していた。なぜか先ほどまでその事実をあなたは忘れていたが、今こうしてはっきりと思い出すことができる。
イストワールとは、ファリシアに封印された女神の名前なのだ。
『勇者よ……いえ、私が勇者という役割を与えた、名も無き存在よ。よくぞファリシアをここまで追い詰めました』
……だが、ファリシアを倒すことはできなかった。結局の所、紙一重で敗北してしまったのだ。
あなたの諦観を感じ取ったのか、女神イストワールは続けてあなたの意識の中に声を響かせる。……ひどく、冷たい声で。
『それでいいのです。もとよりあなたの役目は、ファリシアを追い詰めること。あなたがファリシアに勝てる可能性など、最初から存在していません』
……。
何か、聞き逃せないことを聞いた。ほんの少しだけ、あなたの意識が覚醒する。
『かつて私は、油断をしていた。たかが魔物娘が起こした反抗など、私自ら出るまでもないと使徒に任せきりにしていた。そのおかげで、今日までの私が存在しています。口惜しくもファリシアに封印されるという愚を犯し、この世界の住民は我が名と存在を忘れてしまった。我が存在は、今まで失われていたのです』
封印によって、名前と存在が失われていた……それでイストワールの名を聞いた時、あなたはいつの間にかその事実を忘れてしまったのだろう。
『だが、あなたがファリシアと戦い、彼女に限界まで魔力を使わせたおかげで、封印に綻びが生じました。おかげで、こうしてあなたに干渉できている』
冷徹なイストワールの声に、わずかに喜色の色が含まれていく。
『そう――全ては計画通り。封印に綻びができた今、あなたの体を依代として私が顕現することも容易い。そうすれば、今のファリシアなど簡単に倒せるでしょう』
……計画。全て計画通り。
つまり、あなたが今こうしてファリシアに敗北することすらも……全てが女神イストワールの手の平の上という事だったのか。
『私はあなたに、この世界の人々を贄として力を増す能力と、それによってファリシアと対等に近い力を宿す可能性を与えた。そして我が目論見通り、あなたはファリシアを追い詰め、我が身を縛る封印に綻びを作ってくれた。その綻びを利用し、あなたの体を依代にして私が顕現し、確実にファリシアを倒す。それが我が計画であり、あなたの役目なのです。決して、ファリシアを倒すことがあなたの役目ではありません。我が使徒ですら倒せなかったファリシアに勝てる可能性など、最初からあなたには存在していない』
先ほどからの言い方に、引っかかるものがあなたにはあった。
これでは、この言い方ではまるで……全てが最初から決定づけられていたようではないか。
あなたは、魔王ファリシアには絶対に勝てないと。そのような運命が存在していたと。
『その通り。あなたには最初からファリシアに勝つ可能性など与えていない。どれほど力を増そうが、どれほど強くなろうが、ファリシアには一歩の所で及ばぬよう運命を確定しています。運命を定める。それがこの世界の管理者であり、女神である私の力。ファリシアを確実に倒せる唯一の存在は私だけであり、あなたという存在は私が復活するための礎でしかないのです』
……目の前が暗くなる。ならば、いったいこれまでは何だったのか。
何のために、ファリシアに勝つべく死力を尽くしてきたのか……。
あなたのこれまでに、いったい何の意味があったというのか……。
あなたという存在は、女神が復活するための贄でしかなかった。
女神にとっての――ツゴウノイイファンタジーでしかなかったのだ。
『さあ勇者よ、名も無き存在よ。あなたの最後の役目です。その体を明け渡し、私が顕現する依代としなさい。そうすれば、ファリシアに確実な勝利を遂げることができる。そのように運命は確定してあるのです。あなたとしても、ファリシアに勝てれば本望でしょう?』
消えゆく意識の中、分かった事は二つ。
あなたは、ファリシアには絶対に勝てない。この世界の管理者である女神イストワールが、そのように運命を作りだしているのだ。
そして、あなたの体を依代にしてイストワールが顕現すれば、ファリシアに確実に勝てる。女神イストワールはそのように運命を確定しているのだ。
事実、今あなたは、ファリシアに敗北している。
ならば、この声に従う以外の選択肢があるだろうか?
体力は完全に尽き、もう立ち上がれない。意識は今にも消えかけている。
もし立ち上がれたとしても、あなたはファリシアに勝つことはできない。運命がそう定められているのだから、その事実は抗いようがない。
あなたにできるのは、女神イストワールにこの体を明け渡し、そのまま眠ることだけだ。
それが……あなたがこの世界に生まれた理由なのだから。
ツゴウノイイファンタジーとは……女神イストワールが仕掛けた、完璧なる計画の事だったのだろう。
封印された女神を確実に復活させる、まさしく都合の良い幻想。それを遂げるために生まれたあなたこそが、女神にとってのツゴウノイイファンタジーだったのだ。
ならばもう眠ろう。これ以上、あなたに出来ることはないのだから。
「……あなたは、それでいいのですか?」
意識が暗闇に落ちる途中で、あなたは聞いた。
その耳で、確かに。魔王ファリシアの声を。
「私はかつて、あなたの姿を一目見て、あなたという存在がどのようなものかを悟りました。それと同時に、私が遂げる敗北の運命も。それが私とあなたの、覆すことができない運命。しかし……それであなたは本当にいいのですか?」
ファリシアの声が続く。それが、消えゆくあなたの意識を繋ぎとめる。
「あなたはこれまで、この世界の人々のために戦ってきた。王都を救うため、エルフの国を、ホムラの国を守るため。それは定められた運命ではなく、あなたが選んできた道に他ならない」
そう、確かにそうだ。女神イストワールがあなたに与えた運命は、ファリシアと戦い追い詰める事まで。
これまでの過程において選び取ってきた道は、あなたの意思によるものに他ならない。
「自身の運命を受け入れ、イストワールに従うのもいいでしょう。その選択もまた、あなたが選び取った道です。しかし……それは、あなたのこれまでの戦いが全て無駄だったと認めるのと同じです。これまでのあなたの戦いに意味があったか、価値があったか。それを決めるのは、あなた自身です」
ふと、あなたはランガの言葉を思い出した。
――いずれ知ることになる真相に納得できないのなら、あがいてみせろ。これこそが己なのだと、世界に吼えてみせろ。
「さあ、勇者よ」
『さあ、勇者よ』
「私に見せてください。あなたの選択を」
『我が言葉に従い、その体を明け渡しなさい』
あなたの耳に、魔王ファリシアの声が届く。自らの意思で選ぶ自由の道を。
あなたの意識に、女神イストワールの声が届く。絶対的存在へ盲目的に従う意思無き道を。
選択の時だ。はたして、あなたはどうするか。
女神イストワールの言葉に従えば、ファリシアに対して確実な勝利を得られる。そしてイストワールは確実なる復活を遂げ、あなたは女神を復活させた勇者となり称えられるだろう。
しかしそれは、あなたのこれまでの戦いを否定し、己は定められた運命に従う羊であると認める選択だ。
それで構わないのなら、このまま目を閉じるといい。それであなたの物語りは終わりを告げる。
だが、もし。
このような運命に納得できないというのなら。
このような終わりを望まないのなら。
これまでのあなたの物語りに価値があると信じるのなら。
この先へ進むといい。