あなたは立ち上がる。とうに体力が尽き、限界を迎えているが、それでも立った。
視界は明滅を繰り返し、全身の力は抜け、今にも再び崩れ落ちそうになる。
あなたの意識は、それでもはっきりとしていた。
魔王ファリシアには絶対に勝てない。あなたは魔王を追い詰めて女神復活の礎となるよう仕組まれた存在であり、女神イストワールにそのような運命を定められし者。
その事実を突きつけられてもなお、こうして立ち上がったのはどうしてだろうか。
定められた運命に納得できなかったからか。このまま敗北するのを良しとしなかったからか。
あるいは、これまでの旅路と戦いは決して無駄ではなかったと信じているからか。
探せば多くの理由が見つかるだろう。しかして、あなたが選んだ選択肢はただ一つ。
このままでは終われない。ただそれだけだった。
魔王ファリシアに勝つ。あなたはただそれだけの為にこの物語りを紡いできたのだ。例え彼女に勝てない運命になっていようが、このまま諦めることはできない。
『愚かな……我が意に逆らいますか』
あなたの頭の中で、女神イストワールの嘆きが聞こえる。
『……いいでしょう。抗いたいというのなら、好きにあがいてみるといい。あなたはファリシアには勝てない。運命はそのように定められており、こうして立ち上がったとて、あなたは敗北する。そう……全ては同じこと。再度の敗北を迎え、今度こそ意識を失ったあなたの体を使い、私はこの場に復活するとしよう』
イストワールの声が、段々とかすれていく。もはや彼女はあなたの事を見限ったのだ。
イストワールの加護はここに消え去った。もっとも彼女の加護というのは、あなたの体を依代にして顕現し、確実な勝利をもたらすというものだ。
そんなものは要らない。これまでの戦いで力を培ってきたあなたにとって、そんな勝利は望むものではなかった。
「それがあなたの選択ですか、勇者よ」
ふらつきながらも立ち上がったあなたを見て、ファリシアは微笑する。
「――いいでしょう。ならば、改めて最後の戦いといきましょうか」
ファリシアが魔剣を構える。右片手で刀身を背後に隠すような脇構え。
あなたも、力尽きた体を動かして剣を右肩担ぎに構えた。
ファリシアもすでに魔力の限界を迎えている。互いに余力を残さない今、最後の決着をつけるのはやはり……最強の技。
魔王ファリシアが魔技、魔女の剣。
勇者……いや、もはや勇者ですらない、名も無き存在であるあなたの剣、フォルティアロクス。
過程は違えど結果的に同一のこの技で、最後の勝負が決まる。
ファリシアが一歩踏み込んだ。放たれるのは魔技・魔女の剣。
あなたも合わせて一歩踏み込んだ。放たれるのは、あなたがこれまで遂げた軌跡の集大成、フォルティアロクス。
両者の剣から歪な光が溢れ、剣撃と共に残された全ての魔力が開放される。
放たれた魔力は目に見えない刃となり、衝突した。
拮抗したのは、一秒を十分の一にも分けた短い瞬間のみ。
とうに魔力の限界を迎えていたファリシアの魔女の剣に対し、あなたの剣は魔物娘たち全員の魔力が込められている。
この土壇場で勝敗を分けたのは、その事実だった。ただ一人、最強の名を冠する魔物娘ファリシアは、この状況でも己の力だけしか頼れない。
しかしあなたは違う。どれだけ力尽きても、あなたを慕い力を貸してくれる魔物娘たちがいる。
勝敗を告げる差は、ただそれだけだった。
あなたの剣、フォルティアロクスの魔力の刃が、ファリシアの魔技・魔女の剣を真っ向から打ち破り……そして、彼女の体を深々と斬り裂いた。
決着を遂げる剣は、あまりにも静かで儚い。剣を振りきった状態で、あなたもファリシアもしばし無言となった。
だがやがて、ファリシアが小さく笑いを漏らす。
「ふ、ふふ……私の負け……ですか」
ついに全ての体力を失ったファリシアは、膝から崩れ落ち、魔剣を地面に突き刺して倒れゆく体を支えた。
対してあなたは、力尽きた体で今もまだ立っている。
勝った……決して勝てないはずの相手に。敗北するよう仕組まれた運命に、あなたは勝ったのだ。
「見たか、イストワール……この世の全てがあなたの思い通りになると思うのは、間違いです」
敗北してなお、勝ち誇ったように呟くファリシアを見て、あなたはふと思う。
これまでの彼女の行動。そしてホムラの国で迎えたあの日の夜、ランガとの問答で見せた彼女の感情。
あるいは、魔王ファリシアが望んでいたのは……女神にただ利用されるだけのあなたが、この理不尽な運命を突破する事にあったのではないだろうか。
分からない。それが正しいかどうかは、誰にも。だが、あの夜にファリシアが見せたあなたへの憐憫は、確かに真実だった。
仕組まれたあなたの運命を憐れみ、そして最後にはあなたが実力で勝利するよう願っていたのは、もしかしたら他ならぬこの魔王なのかもしれない。
いったい何が正しいのか。女神であるイストワールはあなたをただの駒として利用し、魔王であるファリシアはあなたが運命に勝利することを望んでいた。
あなたは確かに勝利した。魔王ファリシアに、そして女神イストワールが定めし運命に。だが……はたして、こんな終わりでいいのだろうか。
そう思うも、あなたにはどうしようもない。ファリシアを倒す。勇者として生まれたあなたの存在意義は、それだけだった。それを遂げた今、この先がどうなるかなど、想像もできない。
いったい、これからどうなるのか……その疑問を抱いたその時、まばゆい光がこの場に溢れだす。
あなたは思わず手で視界を隠し、光の奔流から目を守る。あまりの眩しさにまぶたを閉じるが、激しい光は目を閉じていても目をくらませる。
ほんの数秒でその溢れる光は落ち着き、あなたは目を開けてみた。
ファリシアの背後に、何者かが立っている。激しい光の影響でまだ視界が定かではない。いったい誰だろうか……。
「……お見事でした、ご主人様」
その声を聞いて、あなたは驚愕に息を飲んだ。聞き覚えがある。この声は……確かに、あなたのメイドのもの。
ようやく光でくらんだ視界が通常のものとなり、あなたはファリシアの背後に立つ人物を見やった。
やはりそこに居たのはあなたのメイドである。しかし、なぜ。先ほどの激しい光の奔流はなんだったのか。
……いや、あなたはすでにその答えにたどりついている。思い出せ。ファリシアとの戦いに向かう前、故郷を旅立つあなたに向け、彼女はこう言った。
――イストワール様の加護がある限り、勇者様に敗北は訪れません。
失われたはずの女神の名を、彼女は確かに口にしていたのだ。
かつて、あなたはランガから女神の使徒の話を聞かされた。
いわく、女神の使徒は四人。
エルネスト、クルスククス、ツキヨミ……そして、女神の魂を分けたと言われるセフィリア。
前者三人はこの世界からの消滅が確認されているが、セフィリアの存在はランガをして見た事すら無いと言っていた。
だから、彼女もまた人知れず消えたのだろう。そう思っていた。だが……。
考えてみれば、当たり前の事。女神イストワールが生み出した、魔王ファリシアを追い詰める勇者という存在。それが旅立つまでの間、その存在を預かる者が居るとしたら、それはイストワールの最も信頼が厚い存在。
すなわち、魂を分けた使徒、セフィリアの他に存在しない。
そう……全ては封印され力を失ったイストワールと、彼女と通じる使徒セフィリアの計画。力を失ったイストワールに変わり、使徒としての力のほぼ全てを使ってあなたを生み出したのは、おそらくセフィリアなのだろう。
その真実に想像が行きついたあなたは、驚愕のあまり言葉も出ない。
あなたの驚きをよそに、セフィリアは静かに口を開いた。
「魔王ファリシアの魔力が尽き、封印への影響が最も弱まるこの瞬間こそが、計画を成就する時」
あなたのメイド、使徒セフィリアの体に光が満ちる。体を取り巻いた光はすぐに晴れ、あなたの目にセフィリアの真実の姿がうつった。
見慣れたメイド服が無くなり、無機質なボディスーツを纏った美しい女性がそこに居た。ボディスーツは彼女の胸から股間にかけ際どいラインを描き、肌にぴたりと密着して美しい肢体を強調している。
長く美しい長髪が風に揺れ、鼻筋通った美しい顔にはどことなく母性を感じさせる柔らかさもあった。
ついに真実の姿をあらわした使徒セフィリアは、その手を掲げる。手に握られたのは、赤黒い色を放つ鉱石。魔水晶だ。
「いざ、女神復活の時を!」
セフィリアは魔水晶を空へ向かって高々と投げる。そして次の瞬間には、空になった手に槍が出現していた。
圧倒的な光輝を放つ槍は、一目見ただけで分かる。あなたがこれまで目にし、手にしてきた使徒の遺物と同一の物。
あれこそが使徒セフィリアの聖槍。今、聖槍に光が満ち、神秘的な輝きが朽ちた聖都を照らす。
「神技・
叫ぶと同時、セフィリアは聖槍を魔水晶へ向けて投擲した。
光を放ちながら投擲される聖槍の切っ先が、魔水晶へとぶつかる。衝突するや赤黒い光と清らかな光がせめぎ合うように溢れだした。
あの魔水晶は、いったい何なのだろうか。セフィリアの神技である聖槍の投擲を受けてなお、圧倒的な魔力を噴出して耐えている。
驚愕するままその光景を見守るしかなかったあなたに、魔剣を支えに膝立ちとなるファリシアが声をかける。
「……あれは、イストワールの封印を司る魔水晶です。魔界の門を封印する魔水晶と共にあの洞窟に隠していましたが、セフィリアの目は欺けなかったようですね」
脳裏によぎるのは、エルフィーネから告げられた一つの事実。魔界の門を封印する魔水晶がかつて安置されていた洞窟の入り口が、いつの間にか崩壊していて入れなくなっていたという話。
……そもそも、勇者として目覚めた時、あなたはメイドにこう言われたのだ。
王都の近くにある地下迷宮に魔王は潜んでいる、と。
そしてそこには、イストワールを封印する魔水晶が隠されていた。
やはり、全てはイストワールとセフィリアの計画通りなのだ。女神を封印する魔水晶を手に入れ、魔王の魔力が尽きた瞬間を狙い、セフィリアが残された最後の力を使って魔水晶を破壊し、封印を解く。
つまり、これから始まるのは……。
聖槍の投擲に耐えていた魔水晶に、ついにヒビが入る。ファリシアが事前に込めた魔力で強力な防御効果を発揮しているようだが、肝心のファリシアの魔力が尽きた今、魔水晶に込められた魔力はただ失うばかりだ。
ヒビはやがて深々と食い入り、魔水晶がついに砕け散る。
それと同時に赤黒い魔力が噴出し……次にはこの朽ちた聖都を覆いつくす程の光が空から零れ落ちた。
光り輝く空の一部がヒビ割れる。割れた空からは光で出来た階段が伸び、この朽ちた聖都へと繋がった。
空から伸びる光り輝く階段。そこから、何者かが降りてくる。
コツ、コツ、と踵が鳴り、姿をあらわす一人の女性……いや、女神。
使徒セフィリアと同じく薄手のボディスーツを纏い、輝かしい銀髪をなびかせて降臨した彼女の名は、イストワール。
女神イストワールが、ついにこの世界に復活したのだ。