あなたは目を覚ました。
仰向けに横たわっていたあなたの目に、見知らぬ石造りの天井がうつる。
硬質さを感じさせる天井とはうって変わって、背中には柔らかい感触。どうやらベッドに寝かされていたようだ。
いったい何が起きたのか。女神イストワールに攻撃され、消え去るはずだった。しかし、今もまだ確かにここに存在している。
覚えている最後の記憶をたどりながら、あなたは起き上がった。
「ようやくお目覚めのようですね」
声をかけられ、あなたは驚きながら振り向く。音調が高いこの声は、魔王ファリシアの物だ。
ベッドから離れた所、窓辺の椅子に、本を片手に寛いでいるファリシアの姿があった。
ファリシアは椅子にゆったりと座り、漫然と時を過ごしているかのようで、毒気が抜かれる態度だった。
……。
しばし無言になったあなたは、周囲を見回した。
どうやらここはどこかの一室らしい。壁も天井も石造りで、部屋の中は質素ながらも、薄赤色を基調にした家具が華やかに彩っている。
謎の部屋に、なぜか寛いでいるファリシアの姿。とてもの事、あなたが最後に記憶している光景とは釣り合わない。
あなたはようやくファリシアに尋ねることにした。
ここはいったいどこなのか。そして、なぜ自分がここに居るのか……いや、女神イストワールが復活してから何が起きたのか。
あなたの質問を聞き届けたファリシアは、本を閉じて椅子ごとあなたに向き直った。
「ここは私の部屋です。……おっと、それよりも先に伝えなければいけない事がありました。ここは魔界ですよ」
……ファリシアの言っている意味を判じかねたあなたは、また無言になった。
するとファリシアが背後の窓を指さす。あなたは立ち上がり、窓へと近づき外を眺めた。
窓の外に広がるのは漆黒の空と、荒れ果てた大地。黒き魔界の風が吹き狂っていた。
「そこの扉からバルコニーに出られます。魔界の空気を体感してみるのも一興ですよ」
ファリシアに言われるまま、あなたはバルコニーに出てみた。
どうやらこの建物は石造りの城らしく、バルコニーからはるか遠くまでを見渡せる。
あなたの目にうつるのは、荒涼とした殺風景な大地。ゴツゴツとした岩が目立ち、吹き荒れる魔界の風が岩を時折削り取り、大気中に塵をまき散らしていた。
ここが魔界……かつてフェンリルが嫌な所と言っていたように、とても住みやすい環境とは思えない。
高濃度の魔力を含む魔界の風が一際強く吹き抜け、あなたの肌を撫でた。どことなく湿った風はあまり心地いい物ではなかった。
あなたはバルコニーからまたファリシアの部屋へと戻った。
「ご感想は?」
言葉が出なかったあなたは、静かに首を振った。
ランガが魔界をゴミ溜めと言っていたのも良く分かる。感想はそれだけだった。
頭の中を整理するために少し腰を落ち着けようとあなたは考え、先ほどまで寝ていたベッドに腰掛けた。
ふかふかのベッドは外よりも大分心地がいい。ここがファリシアの部屋という事は、これは彼女のベッドなのだろう。
あなたが一息つく折りを見ていたのか、ファリシアが口を開く。
「二つ目の質問、イストワールが復活してからあなたに何が起きたのか、への回答がまだでしたね。答えは実にシンプルな物です。イストワールは勇者という役割を果たしたあなたを用済みと判断し、この世界から消し去ろうとした。しかし、なぜか使徒セフィリアがそれを止めたのです」
イストワールに瓜二つの容姿でありながら、表情に慈愛を感じさせる使徒セフィリア。イストワールの魂を分けた存在で、勇者として生み出されたあなたを育て上げた女性。
……それがあなたのメイドでもあった彼女の正体だ。
しかし、セフィリアがいくら腹心の部下であっても、女神であるイストワールの決定を覆す事などできるのだろうか。
「……勇者は魔物娘をしもべとし、彼女たちから慕われている。このまま消し去るよりも、彼に魔界を治めさせ、魔物娘を監視させる方が良い。セフィリアはそう進言したのです。なるほど、確かにそうする方が効率的でしょう。イストワールはその案に乗り、あなたを消し去るのを止めて魔界へと追放したのです」
魔物娘をしもべとする能力。それによってあなたは存在を許されたのだ。
「おそらくですが、セフィリアは最初からあなたを魔界の統治者にするつもりだったのでしょう。だからイストワールに秘密で魔物娘をしもべとする能力を与えたのです。本来あなたに許された権限は、女性を犯してレベルを上げる能力だけだったはずですから」
ファリシアは少し迷ったように視線を動かした後、あなたをじっと見据えた。
「……セフィリアはあなたに消えて欲しくなかったのでしょう。だから復活したイストワールに用済みと判断されて消し去られないよう、策を講じたのです。彼女に感謝しなさい」
あなたはファリシアの言葉をじっと聞くだけだった。
使徒セフィリア……あなたのメイド。
あなたには彼女と日々を過ごした記憶がない。勇者として旅立つ前に、余分な記憶は全て消されてまっさらにされてしまったのかもしれない。
だとしても、セフィリアの方は覚えているはずだ。あなたが勇者として旅立つまでの間、共に過ごした日々を……。
複雑な気持ちが渦巻き、あなたはじっと床を見つめた。
するとファリシアがゆっくりと立ち上がり、あなたへと近づいて来た。
「……喜びなさい。おそらくあなたにとって、これが最良の結果です」
ファリシアが窓に視線をうつし、あなたもつられて窓の外を見た。
魔界の空は薄暗く、混沌としている。果てしなく広がる地上は荒れ果て、よどんだ空気が流れていた。
「こんな有り様の魔界ではありますが、あなたが共に居るなら魔物娘たちもそう悪くない思いを抱くことでしょう。これから魔界の統治者として日々を過ごすのなら、魔界をもっと住みやすい環境に作り変えるというのも一興では? 私としては大図書館を作りたい。城の蔵書が本で溢れかえっていて困っているのです」
あなたを励ましているのか、それとも素で言っているのか。宿敵であったファリシアのあどけない発言に、あなたは思わず笑いを漏らした。
魔界の統治者というのも、確かに悪くは無いかもしれない。今はこんな魔界だが、時間をかければ人間界のように美しい風景になることも……。
そこまで考えたあなたは、ふと疑問に思った。
……女神が復活して、人間界はどうなったのだろう。
エルフィーネ、リーシャ、エファナ、ミコト姫。その他、あなたが関わってきた大勢の人々は、今どうなっているのだろうか。
それをファリシアに尋ねてみると、彼女は怪訝な表情を返した。
「もはや人間界に戻れないのですから、気にしても仕方ない事でしょうに。しかし、疑問に思うのは大事ですか。疑問こそが探究への導き。知ろうとすらしない者よりも、無駄な事柄すら知ろうとする方が私としては好みです」
ファリシアはベッド近くのテーブルに置いてあった水晶玉を手にし、あなたの横に座った。
「せっかくなので、実際に地上の様子を見てみましょうか」
ファリシアが水晶玉に魔力を込めると、そこに地上の風景が次々と映し出された。
「本来は術者の比較的近い光景をうつす魔法ですが、私ならば閉じられた魔界の門すら超えて人間界にまで目が届きます」
水晶玉に次々と人間界の光景が浮かび上がる。王都に静寂の森、そしてホムラの国。
その全ての場所で、共通しているものがあった。
なぜか全ての町に、本来存在しなかった大きな教会が作られていたのだ。そして人々が次々教会へと足を運んでいる。
教会はおそらく、女神イストワールへの信仰を伝えているのだろう。
しかし、それにしても教会へ足を運ぶ人が多い。いくらイストワールが復活したとはいえ、これまで影も形もなかった彼女への信仰心が一気に芽生えるだろうか?
「……地上は神界から流れ込む神気に満たされ、人々は今や、イストワールを信仰する操り人形と化しているのです」
絶句するあなたをよそに、ファリシアは続ける。
「これこそがイストワールの狙い。彼女は、はるか昔から人間界を……いえ、この世界を己にとって都合の良い世界にしようと計画していたのです。世界の管理者たる女神イストワールならば、それが可能なのです」
ファリシアの言っている意味を、あなたはうまく理解できなかった。それは理解力というより、あなたの想像の限界を超えている話になってきたからだろう。
そんなあなたに構わず、ファリシアはこんこんと語り始める。
「イストワールがこの世界の管理者たる女神とはいえ、全てが全て彼女の意思でどうなるものではありません。世界のルールを変えるには、長い時間が必要ですから。しかしそれは裏を返せば、膨大な時をかけさえすれば世界を都合よく変化させられる事と同義です」
つまり、あなたの知っている今の人間界……いや、この世界は、すでにイストワールによって都合よく変化させられてきた世界なのだ。
「イストワールはまず、この世界から男性という要素を消しました。彼女が求めるのは、己を信仰する敬虔な信徒だけが住まう世界。そこには争いなどなく、人々がイストワールを信仰しながら慎ましく暮らす永遠の日々が広がっています。その世界に男性は不要。男性という要素は、世界に争いと変革をもたらす可能性を孕んでいるからです。ゆえにこの世界に男性は存在せず、存在を許されてもいません」
ふとあなたは自分の胸に手をやった。
この世界でただ一人の男性であるあなた。魔王ファリシアを倒し、女神を復活させる勇者。
それは言いかえれば、ファリシアが女神を封印する事によって変化してしまった世界を、女神が支配する元の世界へと取り返す変革者の事だ。
「そう、私を倒す勇者という役割を持った存在……つまりあなたが男性なのは、その考えに基づいているからです。女性を贄として犯して力を増し、魔王を打ち倒す変革者。それは男性である必要があった。だからあなたはこの世界で唯一の男性なのです」
あなたこそが、女神イストワールが産んだツゴウノイイファンタジー。彼女にとっての都合の良い存在だった。
「イストワールは男性の次に、死の概念を希薄にしました。彼女の限定的権限によってこの世界から存在を消滅させることはできますが、基本的に明確な死は存在しません。イストワールは人々に死ぬことすら許さず、永遠に己を信仰させるつもりなのです。なぜならば、信仰こそがイストワールの力の源なのですから」
人々が永遠に生き、イストワールを信仰し続ける世界。それがイストワールの……都合の良い世界なのだ。
彼女はファリシアに封印される前から、世界をゆっくりとそのように変化させてきたというのか。
何百、あるいは何千年と、気が遠くなる年月をかけ、世界を己の都合の良い方へ……。
「この魔界もそう。自由主義を持つ、彼女の意にそぐわない魔物娘という存在を押しこめるためだけに作られた世界なのです。いくらイストワールでも、好き勝手に人々を消滅させることはできない。明確に彼女へ逆らった者に対してのみ、彼女か彼女の力を受け継ぐ使徒だけが世界から消滅させる権限を有せるのです。簡単に消滅させることができないのならば、別世界に追放してしまえばいい。そのうえで、時間をかけてゆっくりと魔界ごと消滅させればいいのですから」
つまり、いずれ魔物娘たちはこの魔界ごと消滅する運命にあるのだ。
それがこれから何百年、何千年かかるか分からないが、イストワールが決定した覆せない運命なのである。
「私に封印されたイストワールですが、彼女はこの復活劇を利用し、己の計画を大幅に進めました。魔界の門を閉じたままで神界の階段を繋がったままにし、神気だけで世界を満たして人々を敬虔な信徒へと洗脳したのです」
高濃度の魔力を含む魔界の風は人間たちの害となるが、神気は女神イストワールへの信仰という形の洗脳を行うようだ。
両方が流れ込んでいる状態なら高濃度の魔力と神気は打ち消しあい人々は通常のままだが、どちらか一方が開いた状態ではつり合いが取れず、人間たちに悪影響を与える。
ならば、エルフィーネやリーシャたちも洗脳されてしまっているのだろうか。あなたはファリシアに尋ねてみた。
すると、ファリシアは静かに首を振る。
「あなたと深い関わりを持った者。あるいは、私の魔力を一時的に宿した者は、神気による洗脳への抵抗力が多少芽生えています。ゆえに彼女たちはまだ洗脳されていません」
その事実に一瞬喜びかけたあなただが、神妙な顔をするファリシアに気づく。
「当然ながら、イストワールがそんな彼女たちの存在を許すはずがありません。彼女たちがこの世界から消されるのは時間の問題でしょう」
……。
あなたは何も言えず、ただ歯を噛みしめるだけだった。
「すでにエルフィーネとエファナは彼女たちの自国で軟禁されています。ミコト姫は行方をくらまし、パラディンとリーシャ、それに占い師は、エルフィーネとエファナを救うためどこぞに隠れ潜んでいるのでしょう。しかし彼女たちでは使徒に遠く及びません。いずれ使徒か、あるいは使徒の眷属に捕えられ、全員共に存在を消し去られるはずです」
そこまで聞いて、あなたはうな垂れる他なかった。
あなたと深く関わったゆえに神気への洗脳に陥らず、イストワールの理想とする世界の邪魔者になってしまった彼女たち。理想の世界を実現するため、イストワールがやがて彼女たちの存在を世界から消し去るのは目に見えている。
なぜなら、女神イストワールは長年に渡ってそのように世界をツゴウノイイ物へと導いてきたのだから。
……このまま彼女たちを放っておいて、魔界で安穏と暮らしていいのだろうか。あなたの頭に浮かんだのは、そんな考えだった。
しかしそれを機敏に察したのか、ファリシアがことさら冷たい声音を響かせる。
「妙な出来心は起こさない方がいいですよ。イストワールはこの世界の管理者である女神。この世界における運命という名の可能性を完璧に掌握しています。ゆえに、彼女に勝つことは絶対に不可能です」
だが、ファリシアはかつて女神を封印したはずだ。
すると、ファリシアが深いため息をつく。
「……以前封印する事ができたのは、イストワールの油断と慢心をついたおかげです。彼女が同じ轍を踏むことは決してありえないでしょう。そもそも……神界ごとイストワールを封印する魔法は、私が考えたものではありません。女神への封印魔法は、私の愛読書とする複数の魔法書の中に秘匿されていたのです」
……それはつまり、女神イストワールを封印するほどの魔法を編み出した魔物娘が居るという事なのか。
ならばその魔物娘の協力が得られれば……。
そこまで言いかけたあなたを、ファリシアが制する。
「それは不可能です。女神への封印魔法を考案し魔法書へ隠した魔物娘は、おそらくすでにこの世界から消し去られているはずですから。女神によって消し去られるというのは、文字通りこの世界からの消失を意味します。存在したという記憶も痕跡も、一切が風化し消え去ってしまう……だから私は、彼女の姿を思い出す事すら……」
沈痛な面持ちのファリシアを見て、あなたは何も言えなかった。
以前ファリシアのこのような表情を見たことがある。
あの夜の戦いで見せたあなたへの憐憫。それと同種の感情が、ファリシアの中で渦巻いているのだ。
……もしかしたら、女神を封印する魔法を考案した魔物娘は、ファリシアにとってかけがえのない存在だったのかもしれない。
しかしそうだったとしても、ファリシアはその姿を思い出すことができないのだ。彼女が存在していた軌跡すら、消え去ってしまっているのだから。
残るのは、不確かで曖昧な気持ちだけ。かつてあなたも体験した、あの奇妙な心地。
かける言葉が見つからず、じっとファリシアを見つめていたあなた。彼女は静かに息を吐き、元の平然とした表情を取り繕ってみせた。
「……結局のところ、イストワールに勝つ可能性などこの世界のどこにも存在しないのです。私ですら本気のイストワールには遠く及ばないでしょう。仮に……そう、仮に。あなたに勝てる可能性があるとしても、それは千を超え、万を過ぎ、那由他を駆け抜け無量大数のその先、大全世界を超えた果てにしか存在しません。すなわち、不可能という意味です」
イストワールには勝てない。例え、ファリシアが共に戦ってくれるとしても……それでもなお、遠く及ばない。
女神イストワールはこの世界の管理者なのだ。世界における可能性、すなわち運命すらを支配している。
戦う前から結果は見えている。イストワールに挑めば確実な敗北を迎え、この世界から存在を消し去られることだろう。それが運命。イストワールが支配する運命なのだ。
……だが、このまま魔界で安穏と過ごすという事は、エルフィーネやエファナ、ミコト姫にリーシャ、占い師にパラディンを見殺す事と同義である。
――さあ、選択の時だ。
彼女たちを見捨てて魔界で安寧の日々を過ごすのか。
それとも、確実に敗北すると分かっていてなお、彼女たちを助けるために、そしてイストワールに支配される世界を解放するために戦うのか。
前者を選ぶならそれでもいい。エルフィーネたちが消え去ったら、あなたの記憶からも彼女たちの存在が抹消される。最初から彼女たちはいなかった事となり、あなたは罪悪感を抱くこともなく日々を楽しく過ごせるのだ。
それも一つの結末である。それで構わないのなら、ここであなたの旅路を終えてしまおう。
だが、もし。
あなたが彼女たちを見捨てられないというのなら。
神気によりイストワールのツゴウノイイ信徒へと洗脳された人々を見過ごせないのなら。
イストワールが生み出すツゴウノイイファンタジーを認められないというのなら。
この結末よりも先へ進むといい。
……例えその先に、確実なる敗北が待ち受けているとしても。