まどろみの中にあなたは居た。
視界にうつる光景は滲んでいて、ここが現実かどうか判然としない。
ぼやける視界ではあるが、このおぼろげな光景にはどこか見覚えがあった。
薄赤色を基調とした家具が彩るファリシアの部屋だ。微かにだが、その面影がある。
今自分は起きているのか、それとも眠っているのか……それがはっきりと分からないあなたは首をひねる。
「私の計画は、今話した通りよ」
突然、聞き覚えの無い声が響き、あなたは驚きと共に視線を前へと向けた。
そこには、赤いドレスを着た女性が立っている。いつの間にそこに居たのだろうか。
女性の姿は、はっきりとしない。彼女の姿形はぼやけており、薄らと残像が焼きついているかのようだった。
そのぼやける赤いドレスを着た女性は、あなたを真っ直ぐに見ている。そのにじむ口元が、わずかに動いた。
「そんな顔をしないで、ファリシア」
……。
これは、夢だ。あなたは直感的にそう確信した。
赤いドレスの女性はあなたを見てファリシアと呼んだ。当然の事、あなたがファリシアであるはずがない。
だが、彼女にはあなたの事がファリシアに見えている。いや、もっとはっきりと言ってしまえば、あなたはファリシアと同じ視界で物事を見ているのだ。
つまりは夢。あるいは、記憶の残滓。ファリシアと繋がったことで、ファリシアの過去がおぼろげに見えてしまっているのだろう。
魔王ファリシアの、夢という形で。
赤いドレスの女性……いや、今やその存在がこの世界から消滅した名も無き魔物娘、かつての魔王が喋り続ける。
「女神を封印する魔法には、莫大な魔力が必要なの。それこそ溜めこむのに何十年、あるいは何百年と必要になる魔力が。それほどの魔力を蓄えられるのも、制御できるのも、ファリシアの他に存在しないわ。魔王である私なんかより、あなたの方がはるかに強いのだから」
あなたの口が勝手に動く。いや、動いたのはファリシアの口だ。
ファリシアが何を言ったのかは分からない。彼女の声は聞こえなかった。あなたの耳に届くのは、かつての魔王の声だけだ。
「こうするしかないの。このままでは魔力を蓄えている間に、イストワールに気づかれる可能性があるわ。でも、私が彼女に戦いを挑めば別よ。イストワールはきっとこう思う。愚かな魔物娘が、無謀にも一人で楯突いた、と。そして魔王である私を倒したことで、彼女は他の魔物娘たちを警戒しなくなる。あなたほど強力な魔物娘が居るなんて想像もしなくなる。何より、私の存在が消えれば私に関する記憶は全て無くなってしまうもの。そうすれば、女神を封印する魔法が露呈することは無いわ」
かつての魔王が、細い指先で本棚を指さした。
「そして私が残した魔法書をあなたが読めば、いつかきっと、秘匿された封印魔法に気づく。そうすれば誰にも悟られることなく、あなた一人で準備が進められるの。つまり、イストワールの裏が取れる」
あなたの口がまた勝手に動く。ファリシアが何を言ったのかは分からないが、おおよそ想像はついた。
どうして絶対に負けると分かっていて挑むのか。どうしてあなたが犠牲にならなければいけないのか。きっと、そう言ったのだ。
かつての魔王は、どことなく悲しげな表情をする。
「勝てないと分かっていても、戦わなければいけない時があるのよ。大丈夫、私が消え去っても、私の意志はあなたと共にあるわ。だって、あなたは私の大切な友人なのだから。だからお願い、ファリシア。私の代わりに皆を魔界から解放して。女神のいない大地で、自由に暮らして。それが私の……ただ一つの願いよ」
……視界が急激にぼやけていく。意識が薄れていく。
夢が終わるのだ。ファリシアと、彼女の親友であるかつての魔王の、消え去ったはずの思い出が。
視界は暗くなり、あなたの意識はゆっくりと沈み込む。
次の瞬間、あなたは目を開けていた。
視界にうつるのは、ファリシアの部屋の天井。これは現実だ。
ベッドから体を起こしたあなたは、気配を感じて視線を動かした。
「お目覚めですか」
すでに衣服を整えたファリシアが窓際に佇んでいた。窓の外を覗き込みながら、彼女はくすりと笑う。
「さて、イストワールと戦う事を選んだのなら、時間を置くことはできません。彼女はこの世界の管理者。あなたの反逆の意志に目ざとく勘付くのは、時間の問題でしょう。後手を取るよりも、先手を取るのが上策というものです」
ならば、このまま戦いへと赴くしかない。あなたはベッドから降り、戦意と共に剣を腰へとさげた。
「このまま戦いに赴くべきではありますが、その前に、まだ準備が済んでいませんよ」
どういうことだ、とあなたは首を傾げる。
するとファリシアは艶やかに笑い、バルコニーへの扉を指さした。
「外へ出れば、分かります」
含みを持った言い方に疑問はありつつも、あなたはバルコニーへと出てみた。
そこに広がる光景を見て、あなたは思わず息を飲む。
バルコニーから広がるのは、暗く混沌とした魔界の大地。今そこには、あなたが見知った魔物娘たちが集まっていたのだ。
火竜形態となったグリュイエールが空を舞っている。
ワイバーン形態のリュミスの背に乗ったアルメリアが、心地よさそうに魔界の風を浴びていた。
バルコニーから見下ろせる大地には、愛刀髪薙を地に突き刺してこちらを見上げるランガが居た。そのそばには、アイとクロナが控えている。
それだけではない。ネコマタが居た。リッチが居た。パイレーツが、ミズハが、フェンリルが、ピクシーの群れが、確かにそこに集まっていたのだ。
まさか、ファリシアが彼女たちを集めたのか。そう聞くと、彼女は静かに首を振った。
「あなたと繋がりを持つ魔物娘が、あなたの決意を察しないはずがありません。彼女たちはあなたの決意を感じ、自ら決めたのです。決して勝てないと分かっていても、あなたと共に最後まで戦うと」
あなたの視界がわずかにぼやける。だがこれは夢ではない。視界が滲むのは、夢で見たかつての魔王の事を思い出したからだろう。
イストワールが封印されている間、女神の使徒と封印魔法を使ったファリシアを除く全ての存在が女神の存在を忘却していた。それは魔物娘たちも例外ではない。
だが、イストワールが復活し、彼女たち魔物娘も女神の存在を思い出したのだ。
そうだ、彼女たちは知っている。かつてこの魔界を治めていた魔王を。ファリシアより前の魔王を。
その存在はイストワールに消され、彼女たちの記憶の中に存在しない。
それでも……彼女たちはどこかでその存在を知っていた。魔物娘たちの為に、ただ一人かなわぬ戦いへと赴いたかつての魔王の事を。
例えその記憶が消し去られようとも、彼女から感じ取った意志までは消えはしない。
誰もが胸に抱いていた。誰もがその胸に彼女の意志を感じていた。
そう……彼女たち魔物娘にとって、女神イストワールこそが決して許せぬ敵であった。彼女たちの王を奪い去った、女神こそが。
そして今、彼女たちは自らが認める新たな主の元へと集まった。
かつての魔王と同じ意志を抱きし者。定められし運命に、女神イストワールに反逆の意志を示す者。
イストワールのツゴウノイイファンタジーへ立ち向かう、真の勇者に。名も無き存在であるあなたに。
彼女たち魔物娘は、あなたこそが主だと心から認めたのだ。認めたがゆえに、集まった。
ファリシアと同じく……今度こそ、共に戦うために。
かつての魔王という存在は、この世界から完全に消滅してしまっている。しかしそれでも、彼女の意志は消えたりはしない。
あなたが抱いた意志こそがそれだ。彼女たちの中に存在する意志こそがそれなのだ。
ファリシアがあなたのそばへと立ち、集まる魔物娘たちに向かって声をあげた。
「聞きなさい、我らが主と心を共にする者たちよ。我らが主は、女神イストワールと戦い、この世界を彼女の支配から解放することを望んでいます。勝算はありません。戦えばまず確実に負ける勝負でしょう。それでも――あなたたちは共に戦いますか?」
炎を纏うグリュイエールが我先に吼える。
「くだらん質問だな。それを嫌うのであれば、誰もここにやってこなかっただろうよ。女神など我が灼熱で焼き払ってくれよう」
風を浴びるアルメリアが肩を竦める。
「気が合うわね、グリュイエール。まさしく愚問だわ。女神イストワールには、魔界の風をたっぷりと浴びてもらわないとね。彼女が作った、この魔界のね」
土埃を払うようにランガが愛刀を振るう。
「剣は何よりも意思を示す物。儂は今でもそう信じて疑わぬ。我が剣を向ける相手は、女神イストワールであった。ただそれだけの事よ」
彼女たちに続いて、魔物娘たちが次々に声を響かせた。
「あたしは人間界の料理をいつでも食べたいからさぁ。魔界よりあっちの方が過ごしやすいしな」
「ようやく魔王様と共に戦えるのだ。魔王様に教えてもらった数々の魔法を今こそ見せてやるぞ」
「我が三段突き、女神イストワールが見切れるかどうか試してみるのも一興ですわ」
「女神イストワールが理想とする世界には夢がありません。ここはアイドルとして一肌脱いで、皆に夢を見せてあげます!」
「……派手に大暴れしたい気分。全力でやるよ……」
「いかな女神であろうとも、我が見切りの目からは逃れられません。必ずや勝利して見せましょう」
「お姉さんも勇者ちゃんのために頑張っちゃうわ~」
「私たちピクシーは戦闘でお役に立てない分、どうにかサポートさせていただきます」
それぞれの決意を聞き届け、ファリシアが静かにうなずいた。
「ならば行きましょう。我らが最後の戦いへ」
魔物娘たちが一斉に吼える。それは反旗の咆哮だった。
轟く咆哮が魔界を揺らし、吹きすさぶ風が更に荒れ狂う。
今ここに、魔物娘たちの意思は一つとなった。彼女たちの意思は、これからもあなたと共にあり続けるだろう。
戦意がみなぎる。気力が満ちる。決して勝てないはずの戦いへ赴こうとしているのに、あなたの全身には希望が満ち始めていた。
――その時、空中に眩い光が溢れだす。
あなたと魔物娘たちは、一斉に光り輝く空を見つめる。
これはただの光ではない。力強い光輝はまさしく神気。女神とその眷属にしか扱えない神気の光だ。
眩い光が収まると、そこには一人の翼生えた美しい女性が居た。翼は神々しく輝いている。おそらくは神気によって形作られているのだろう。
女神の使徒……ではない。彼女の姿は使徒とはかけ離れていた。
イストワールとその使徒たちは無機質なボディスーツを纏っていたが、今現れた者は光沢ある衣で出来たドレス状の衣服を纏っている。
「あれは使徒の眷属……ようするに使徒の配下ですね。魔界の監視を任されていたのでしょう」
ファリシアに言われ、あなたは改めて彼女の姿を見た。
使徒の眷属。使徒の配下。なるほど……確かに、彼女たちよりは神気の力強さが数段劣っている。
あなたと魔物娘たちの視線を受けとめながら、使徒の眷属が叫ぶ。
「愚かな魔物娘たちよ! 愚かな名も無き存在よ! あろうことか、我らが女神イストワール様に反逆を企てるとは! その罪、イストワール様に変わって裁いてやろう!」
高らかな宣言を聞いて、あなたたち一同はしばし静まり返った。
だがやがて、グリュイエールやアルメリアが小さく笑いを漏らす。
それに誘われたのか、他の魔物娘たちも忍び笑いを漏らし始めた。
「な……なにがおかしい!」
叫ぶ使徒の眷属に、すかさずファリシアが差し込む。
「彼女たちがおかしく思うのも当然でしょう。使徒ならばまだしも、使徒の眷属程度が何を意気揚々と語っているのか。女神イストワールの威光をかさに着るあまり、我々との実力差を感じ取れないのは滑稽を通り越して哀れにも感じます。我らを黙らせたくば、せめて使徒四人を連れてきなさい」
「な……!」
「いいでしょう、ここは私が先陣を切ります」
ファリシアの目の前に黒い渦が現れる。彼女はそこに手を突っ込み、ゆっくりと何かを引き抜いていった。
徐々に露わになったのは、まがまがしい刃が特徴的なファリシアの魔剣。
魔剣を引き抜いたファリシアは、無造作に構えを取る。
今再び、魔剣にファリシアの魔力が込められ、暗く歪な光が魔界の空を照らし始めた。
圧倒的な魔力は魔界の大気を揺らし、使徒の眷属を戦慄させる。
「な、なんだ、この力は……!? これがたかが魔物娘の力だというのか――!?」
「そう、これがたかが魔物娘の力です。しかし覚えておきなさい。我らが力は、女神イストワールに仇名すのだと」
ファリシアが静かに魔剣を振るう。それと同時に魔剣に込められていた魔力が開放され、一陣の刃と化して斬り下ろしの延長線上の悉くを切り裂いた。
使徒の眷属はおろか、魔界の空すらも平等に切り裂いて。
深く深く、魔界の空に亀裂が入る。同時に、切り裂かれた使徒の眷属の体が光り輝きながら消滅していく。
「お、おのれ、魔物娘共め……! だが、我らが女神には絶対にかなわぬ……! お前たちは敗北する運命なのだ……!」
使徒の眷属の皮肉めく断末魔など、もはや誰の耳にも届いていなかった。
彼女たちが見つめるのは亀裂が入った魔界の空。あろうことかファリシアの魔剣の一撃は、魔界の門をこじ開けたのだ。
あの亀裂の先に、イストワールに支配される世界が広がっている。いまや使徒たちが治める人間界が。
使徒エルネスト。
使徒クルスククス。
使徒ツキヨミ。
そして……使徒セフィリア。
使徒の眷属などよりもはるかに強大な彼女たちとの対決は、きっと避けては通れないだろう。
負ければ存在を消滅させられる。使徒たちを相手にして、誰もが無事でいられると思うのは甘い考えかもしれない。
それでも……戦うと決めたのだ。あなたと魔物娘たちは、確かな決意を胸に抱いたまま、魔界の門へと飛び込んだ。