暗き魔界の門へと飛び込んだあなたを待っていたのは、不思議な無重力感だった。
光が一切存在しない真っ暗闇の中を、ふわふわと漂い続ける。それはあなただけでなく、他の魔物娘たちも同様だった。
しかしその不可思議な無重力体験は、すぐに慣れ親しんだ常識へと引き戻される。
急に重力を感じ、あなたたちは真っ逆さまへと落ちていく。
長い落下だった。落ち続けていると、やがて暗闇の真下から光が差し込み始める。
闇に包まれた周囲の光景が徐々に晴れ、気がつけばそこは日が差す空だった。
落ちながら真上を見ると、そこには歪に割れる魔界の門がある。
青空が晴れ渡り、魔界の風とは全く違うゆるく暖かな風。間違いない。ここは人間界だ。
魔界の門を通って無事人間界へとたどり着くことが出来たあなたたちは、そのまま地面へと着地する。大分高い所から落ちたが、アルメリアが風を操作して落下の衝撃を抑えてくれたようだ。
着地の衝撃で痺れる足を叱咤し、あなたは立ち上がる。
人間界は今やイストワールが支配する地。いわば敵地も同然だ。ここから先、何が起こるか分からない。腹を据えてかからねば、あっという間に窮地に陥ることだろう。
まずは現在地を知る必要がある。あなたは周囲を見回した。
遠くに海が見え、港町がある。すぐ近くにはやや深い森。その森を迂回する経路上には、小さな村が微かに見えた。
……ここは見覚えがある。あなたの故郷近くの平原だ。かつて馬車でこの地を進んだ記憶がある。
王都やエルフの国、あるいはホムラの国という主要国家近くでは無かったのが幸いだ。その付近であれば、すぐ誰かに発見されていただろう。
ひとまず時間の猶予はありそうだ。まずは魔物娘たちを集め、これからどう動くかファリシアと話し合うべきだろう。
そう判断したあなたがファリシアに声をかけようとした瞬間、目の前に黒い影が集まった。
これは……ファリシアが良く使う闇の魔法、テレポートだ。
だが当のファリシアは今ここに存在する。ならばいったい誰が? まさか女神の使徒という事はありえないだろうが、あなたは警戒し腰に下げる剣の柄を握った。
地面からわき上がる影は収縮を繰り返し、人型を取る。そして影がゆっくり晴れていくと、そこにはあなたが見知った少女が現れていた。
色白の肌に、長い耳。エルフ特有の簡素な衣服を身に纏い、左手に異様な本を手に持つ少女。その姿を見間違うはずがない。かつて共にアルメリアと戦ったエルフの少女、リーシャだ。
リーシャはあなたを見るや、その瞳に涙を浮かべて抱きついて来た。
「良かった……! 魔界の門が急に開いたから、もしかしたらと思って来たの……あなたとまた会えて嬉しいわ」
涙声を出しあなたの胸に顔を埋めるリーシャに、なんて声をかければいいのだろう。
ファリシアは言っていた。リーシャを含め、あなたと強い関わりを持った者は、イストワールにとって邪魔な存在になってしまったのだと。
あなたは魔界へと追放され、エファナも捕まり、リーシャはどれほど心細かっただろうか。
あなたは思わずリーシャの頭を撫でた。その感触で気を取り戻したのか、リーシャは慌ててあなたの胸から顔を離した。
「ご、ごめんなさい、急に抱きついたりして……」
こんな状況なのに、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにするリーシャを見ていると、和やかな気分になる。
しかしあなたはすぐに気を引き締めた。リーシャが無事だったのは喜ばしい事だ。彼女から今の事態を詳しく聞き出せば、これからの行動選択へ大いに役立つだろう。
人間界がイストワールに支配されている事、神気が人間たちを洗脳している事、そしてリーシャを始めとする一部の人間がイストワールによって消し去られようとしている事、それらはすでに知っている。この上で今現在の状況はどうなっているか、あなたはリーシャに尋ねてみた。
「え、ええっと、そうね……エルフィーネ様とエファナ様がそれぞれ自国で監禁されている事は知っているのよね? パラディンはしばらく私と行動を共にしていたんだけど、今は王都に潜んでエルフィーネ様を奪還する機会を伺っているわ。占い師は……」
リーシャがそこまで言うと、近くの森から人影が現れる。
「……お久しぶりです、勇者様」
現れたのは、今まさに話していた占い師の姿だった。
「占いによってこの地に勇者様が現れる確率がありましたので……しばしこの地に潜んでおりました」
「良かった、無事だったのね」
「……リーシャも無事で良かったです」
あなたの知る限りそこまで深い関わりが無かった二人ではあるが、どうやらこの数日逃避行を共にして関係性が深くなったのだろう。二人は再会を喜ぶように軽く抱き合っていた。
再会の喜びを分かち合った占い師は、あなたへと向き直る。
「……今三つの国は、それぞれ女神の使徒が管理しています。王都はエルネストが、エルフの国ではクルスククス、そしてホムラの国にはツキヨミが居ます。出来うる限り……そこには近づかない方が良いかもしれません」
なるほど、今女神の使徒は主要国家にそれぞれ滞在しているらしい。これはある意味では幸運かもしれない。
あなたの狙いはあくまでイストワール。使徒と戦わずにやり過ごせるのなら、願っても無い展開だ。
ここはあなたの故郷近く。つまり、かつての聖都カテドラルが近い。女神が座する神界に通じる階段はカテドラルから伸びているはずだ。
ここは一刻も早くカテドラルに進み、使徒たちが加わる前にイストワールと戦うべきだろう。
あなたはその判断をファリシアに話す。しかし、彼女は少しばかり不安そうな顔をした。
何か気になる事があるのだろうか?
「エルネスト、クルスククス、ツキヨミ。その三人の位置は知れましたが、使徒はまだ一人残っています」
……そうだ。女神の使徒は四人。使徒の中でもイストワールの魂を分けたと言われる、リーダー格の彼女がまだ存在する。
使徒セフィリア。そして彼女が女神の最も信頼する使徒であるのならば、その位置はつまり。
「カテドラルはおそらくセフィリアが守っているはずです。しかし、解せないのはその事ではありません。イストワールはかつて私に封印されるという屈辱を味わった。ならばその対策をすでにしているはずでは……」
ファリシアの言葉の途中で、突然遠くに光の柱が立ち昇りだした。
驚いてあなたと魔物娘たちはその光の柱を注視する。
立ち昇る光の柱は四つ。そしてそれは……まさかとは思うが、今話したばかりの使徒が滞在する辺りに位置するのだ。
すなわち王都アイトラス、エルフの国カレンディア、ヤトメたちが住まう国ホムラ、そして聖都カテドラル。それぞれの国から強大な光の柱が立ち昇っている。
そして聖都カテドラルから伸びる光の階段が薄れていき……ついにはその姿が消えてしまった。
光の柱が立ち昇ると共に、神界への繋がりが消えてしまった。いったいこれはどういう事だろうか。これでは神界へ行けない。イストワールと戦う事すらできない。
「なるほど……そういう事ですか」
この現象に思い当たるのがあったらしいファリシアに、あなたは先を促した。
「女神はすでにあなたの反乱に気づいていたようです。あの光の柱はおそらく、女神を守護する結界。女神とその使徒しか操れない神秘の術法によるものでしょう。あの光の柱をどうにかしなければ、神界へ向かう事すらできません。もちろん、かつて私がやった封印魔法などもってのほかです」
そもそも封印魔法には何十年分もの莫大な魔力が必要ですから、とファリシアはため息をつく。
するとグリュイエールが少女の姿へと戻り、鼻息を鳴らす。
「ふん、あれが結界だというのなら話は簡単だろう? 強引に破ってしまえばいい。違うかファリシア」
「違いませんが、簡単に言ってくれますね。あれは女神の使徒が己の体を媒介にして発動する全力の神秘術。つまり守護結界を破るというのは、女神の使徒を倒す事に他なりません」
「もとより女神と戦うなら、奴らを放っておく訳にもいかんだろう」
「……さらに厄介な事に、悠長に使徒を一人一人倒していると、イストワールがやがて使徒を復活させてしまいます。すなわち結界は永遠に解けず、我々は使徒を相手に延々戦い続けなければいけません。これを攻略するには、戦力を分散させて使徒たちを同時撃破しなければいけないのです」
そこまで言われて、さすがのグリュイエールも厄介さを理解して舌打ちを返した。
そんなグリュイエールに畳みかけるようにファリシアは先を続ける。
「もっとたちの悪い事実を教えましょう。そもそも使徒とは、イストワールが己の力の一部を使って生み出した存在です。つまり、使徒を倒せばその分イストワールが力を増す……いえ、正確には元の力を取り戻すのです。つまり、首尾よく使徒を倒せたとしても、その後に待ち受けるのは全力のイストワールという事です」
この事実に、かつて魔界の覇をかけて争った三人の魔物娘たちも言葉を失った。
女神の使徒の強さを、彼女たちは心得ている。そして最悪な事に、使徒たちの強さですらイストワールの力の一部だというのだ。
それを知ってなお、軽口を叩ける者などいなかった。
しかし……ファリシアは微笑する。
「要するに、少々面倒な事になりましたが私たちのやる事は変わりません。むしろよりシンプルになったと言えるでしょう。女神もその使徒も倒す。ただそれだけです。女神の前に、まずは使徒たちを蹴散らすとしましょうか」
その発言に、魔物娘たちは呆気にとられる。しかし、やがて失笑にも近い笑いを零し始めた。
「確かにな……やる事は変わらんか」
くつくつと笑うグリュイエールに続き、アルメリアが肩を竦める。
「女神との前哨戦としては申し分ないわね」
「ま、どっちみち使徒たちを倒さねば女神との戦いで邪魔されるからのぅ」
「では……グリュイエール、アルメリア、ランガ。あなたたちはそれぞれ魔物娘を率いて使徒を倒して下さい。相手はどうぞお好きなように」
「ふん、急に魔王面をして妾に命令するな。だがその案、乗ってやろう」
グリュイエールの体に火炎が集まり、再度火竜形態へと変化する。彼女はそのまま吼えるように声を響かせた。
「妾は当然エルネストをやる! ネコマタ! リッチ! パイレーツ! 妾の共をする事を許可してやろう」
「めっちゃ上から目線じゃないか」
「竜とはこういう物なのだ……だから嫌なのだ私は!」
「まあ今はいがみ合っている時ではありませんわ。さっさとエルネストを倒しに行きましょう」
アルメリアはエメラルドグリーンの髪を手で梳きながら、口を開いた。
「……なら私はクルスククスをやるわ。リュミス! 後はそうね……ミズハとフェンリル、ついてきなさい」
「はい、お嬢様。私は最後までお嬢様と共におります」
「運命がどうなろうとも、私はアイドルとして最後まで戦うわ」
「……ミズハはもうアイドルモードなんだ。やる気満々だね……私も、やるよ!」
ランガは後ろに控えていたアイとクロナへ振り向いた。
「儂は行方不明のミコトが気になる。ツキヨミを倒しがてらミコトを探しに行こう。アイ、クロナ、ついてくるか?」
「もちろん。我らは同志。最後まで一緒です」
「ランガとアイちゃんが一緒なら百人力よ~。がんばりましょうね」
残るは使徒セフィリア。しかしその相手はもう決まったも同然だ。ファリシアはあなたへと視線を向ける。
「聖都のセフィリアは私とあなたの相手です。彼女は強いですよ。もっとも、私の相手ではありませんが」
イタズラっぽく笑うファリシアに、あなたも自然と笑みを零した。
これであなたと魔物娘たちが戦う相手は決まった。ここから先、泣いても笑っても最後の戦いだ。
あるいは、もう彼女たちと会う事は無いのかもしれない。誰もが無事に勝てるという確証はどこにもないのだ。
グリュイエールがネコマタたちを連れ、翼をはためかせて空へと舞う。
アルメリアたちはワイバーン形態のリュミスの背に乗り、エルフの国を目指していった。
ランガたちはアイが操る闇の魔法テレポートによって、その体を影へと隠す。
それぞれがそれぞれの戦いへと赴いていく。それを見届けたあなたは、リーシャへ目を向けた。
リーシャと会話をするのも、これが最後かもしれない。
「行くのね、イストワールを倒しに」
あなたは頷いた。
「うん、分かってる。これが最後だなんて思わない。私も自分に出来る事をするわ。アルメリアがクルスククスと戦っている間に、エファナ様を解放してみる。最後まで諦めないから……あなたも、どんな事があっても諦めないで」
あなたはただ静かに頷いた。
あなたは次に占い師に目を向け、これからどうするのか尋ねてみる。
「……私は、少し考えがあります……よろしければピクシーたちをお借りしても……いいでしょうか? 彼女たちの力が私には必要です……」
あなたは頷き、ピクシーたちに占い師の力になるよう頼んだ。
「我々は元々戦いでは役に立ちませんから……できる事があればなんでもします! 勇者様、どうかご武運をっ」
快く応じてくれたピクシーたちが、占い師の周りへと集う。
占い師はそんなピクシーたちに何やら手渡していたが、思い出したようにあなたのそばへと近寄った。
「……これをお持ちください。きっと何かの役に立つかと思います……」
占い師から渡されたのは、指先でつまめるほど小さな水晶玉だった。
「それは魔水晶を加工して作られた水晶玉です……小さいですが遠見の魔法が込められているので……遠く離れていても会話ができるはずです。非常の際の連絡に使えるでしょう……たくさんあるのでリーシャにも渡しておきます……」
「あ、ありがとう。もしかしてピクシーたちを使ってこれを皆に……?」
リーシャに言われ、占い師はゆっくり頷いた。
「意味があるかは分かりませんが……私にできる事は全てやるつもりです……」
「そうね。相手は女神様なんだから、奇跡を祈るよりも行動する方が大事よね。私も私にできる事をやるわ」
リーシャや占い師にピクシーも、それぞれがそれぞれに出来る役割を果たすつもりだ。
あなたも行こう。最後の戦いを目指して。
この物語りが遂げる結末へ。