王都アイトラス。かつて火竜グリュイエールが封じられていた国にして、イストワールが復活した今、女神の使徒エルネストが管理する地。
その王宮からは、強大な光の柱が立ち昇っていた。
王都と王宮、そして光の柱。それらを火竜形態となったグリュイエールが空から睨み下ろす。
かつて己が封じられていた王都と、その封印の守り手である聖女エルフィーネ。あろうことか、間接的とはいえそれらを助けるためにエルネストと戦うことになろうとは。グリュイエールは一人心の奥で苦笑する。
かつての己ならありえなかった心境だろう。もしエルネストと戦うとしても、以前ならば復讐心が動力源だったはずだ。
しかし今、不思議とエルネストに対する憤怒は無かった。
復活した時は自身を封じる地となっていた王宮を消し飛ばそうとしていたはずなのに、だがそんな気持ちは欠片も抱かない。
あの勇者……いまや名も無き者にして、イストワールに挑む者と関わり、自分は変わってしまったのか。グリュイエールは、思いがけず一笑を零した。
そんなはずはない。己は誇り高き火竜。そのプライドは灼熱のように燃えたぎっている。
エルネストへの復讐心。アルメリアやランガに感じる対抗心。それらはまだ心の中で燃えている。だがそれよりも、優先するべき事項が生まれただけだ。
――女神イストワールを倒す。
勇者が抱いた真の目的を遂げるため。そしてかつての魔王の無念を晴らすため。今、それより優先する事項はどこにもない。
その目的を遂げるためならば、憎きエルネストと戦う際に他の魔物娘の助力すら得よう。
何も変わってなどいない。己はまさしく火竜。その誇りはいまも心の内でたぎっている。
王都上空を舞うグリュイエールに気づいたのか、王都の人々が次々空を見上げてくる。神気に洗脳されたとはいえ、かつてこの地に復活したグリュイエールへの恐れは根づいているようだ。
だがグリュイエールの目的は人々を襲う事ではない。
「さあ、出て来いエルネスト。わざわざ妾がこうして身を晒しているのだ。貴様が治める王都の空を我が物顔で飛ばれては溜まらんだろう?」
くくっ、と哄笑を漏らし、グリュイエールは空へ吼えた。
それは女神の使徒エルネストに対する宣戦布告。出て来い。妾と戦え。それとも情けなく王都に隠れ潜んでいるつもりか? 挑発の意図を込めた一吼えは、王都に流れる空気を震わせる。
その時、王都よりやや遠く、かつてフェンリルが守っていた洞窟があった平原から、強大な神気が発露する。
グリュイエールの瞳が、油断なくその神気の輝きを捉えた。
「そこか、エルネスト!」
雄大な翼を羽ばたかせ、旋回。グリュイエールは恐るべき速度で空を翔け、神気が放たれる平原の空へと到達した。
それと同時に神気の輝きが消える。先ほどまで神気が放たれていた平原には、美しい女性の姿。
肌にはりつくような際どいボディスーツを纏い、長い髪をねじり大きな三つ編みにし、腰に聖剣をさげるその姿は、女神の使徒エルネストの物であった。
「ネコマタ、リッチ、パイレーツ、降りるぞ」
グリュイエールに言われ、ネコマタが言葉を返す。
「わざわざ降りるのかよ? このまま空から攻撃すればいいんじゃねえの?」
「ふん、奴とて女神の使徒。その気になれば背に神気の翼を生やして空を舞う事ができる。だがそれよりも、奴の神技が厄介だ」
含みを持たせた言い方に眉を潜めたのはパイレーツだった。
「エルネストの聖剣……かつて勇者様が使ったあの剣の恐ろしさは知っていますが、神技とはあの聖剣を使った技なのですか?」
「ああ、奴の神技は聖剣に込めた神気を刃状に放出し、遠距離攻撃を可能とする。理論的にはファリシアのと同じ技だな。ゆえに火竜形態で戦うのは良い的だ。空中戦よりも地上戦の方が分がある」
グリュイエールは地上で悠々と立つエルネストを睨み据える。
エルネストはいまだ聖剣を抜かず、グリュイエールの出方を伺っているようだった。
グリュイエールは忌々しげに舌打ちを鳴らし、ゆっくりと下降した。
「見ろ、奴は妾がそう判断するのを知っていながら、待ち受ける腹だ。地上戦だろうが空中戦だろうが、どちらでも勝てると踏んでいるのだろうよ。全く、舐めてくれる」
不機嫌なグリュイエールに対して、リッチは得意げに笑った。
「ふふん、相手が調子に乗っているなら悪い事ではないだろう? おかげで安全に降りられるではないか。奴の不遜な態度は、私の魔法ですぐに後悔させてやるから安心するがいい」
「……ずいぶんと楽観的ですわね。何か策でもあるのですか?」
パイレーツに言われ、リッチは胸を張る。
「そんなものは無い! だが私には魔王様直伝の魔法があるし、グリュイエールもついているのだ! 総合的には私たちの方が勝っているのは確実だろう?」
「……それはあまりにも楽観的な考えなのですが……ふふっ」
パイレーツが笑いを零すのと同時、ネコマタも呆れたように笑った。
「まあびびって萎縮するよりも、それくらい気楽に考えた方が勝ち目はあるか」
背の上で笑いあう三人にやれやれと首を振り、地上へと着地するグリュイエール。
彼女は、火竜の姿から灼熱を纏う少女形態へと移行する。
赤く燃えるようなツインテールに、小柄なその姿。しかし竜の魔力を宿した矮躯は、見た目以上に強靭である。
ツインテールを揺らしながら、グリュイエールは背後に控える魔物娘三人を見た。
「期待しているぞ、お前たち」
突然の言葉に、ネコマタたちは呆気にとられる。
「おいおい……そんな言葉、グリュイエールらしくなくないか?」
「確かに、誰よりも不遜な態度のあなたとは思えないセリフですわね」
「何か……そういう似合わないセリフは負ける予感を抱かせるのだが……」
「抜かせ、エルネストなどしょせんは前哨戦だ。さっさと勝つぞ」
グリュイエールは小柄な体に魔力を集中し、強大な火炎を生み出した。
周囲に漂う火炎は一点に凝縮され、武器を形作っていく。
細く長いその形状。グリュイエールが近接戦で得物とするのは、火の魔法により作り出した火炎槍である。
燃え盛る灼熱の火炎槍を片手に持ち、くるりと振り回す。それと同時に槍先から炎が溢れ、周囲に熱波を放った。
グリュイエールに続き、ネコマタが脚部に雷のエンチャントを発動。パイレーツはレイピアを抜き払い、リッチは魔力を集中させ足元の影を伸縮させる。
戦闘態勢でエルネストと向かう、四人の魔物娘。それを正面から見据えたエルネストは、堂々とした声を響かせた。
「グリュイエール! 愚かなる竜よ! かつての敗北の味が忘れられず、私に戦いを挑みに来たか!」
「ふん……下らん。敗北の味など、これから味わう勝利の美酒を想像しただけで忘れてしまったわ! 妾の……いや! 我らの狙いは女神イストワール! もはや貴様など相手にもしておらん!」
グリュイエールの発言を受け、エルネストは聖剣を鋭く引き抜いた。
「それこそが愚かだと言うのだ! 我らが女神イストワール様を倒すだと!? 妄言とは言え聞き捨てならん! イストワール様に逆らったその罪、我が聖剣にて断ち切ってくれよう! まずは貴様からだ、グリュイエール!」
エルネストの体が神気の輝きを纏う。ついに女神の使徒が戦闘態勢へとうつったのだ。
「まずは全員でかかり出方を見る! 行くぞ!」
グリュイエールの号令と共に、全員がエルネストへと攻撃を仕掛ける。
まず最初に攻めたのは当然のごとくグリュイエールだった。彼女は燃え盛る火炎槍を機敏に翻し、エルネストの正面から目にもとまらぬ連撃を放つ。
繰り返される刺突の一つ一つから火炎が吹き出し、猛火をまき散らす。槍の刺突を防いだだけでは、この火炎嵐を食い止められない。
しかしエルネストは猛然とかかる刺突の雨に対し、目もくらむ速度で聖剣を振るった。
斬撃の軌跡で次々と火炎槍の刺突を打ち弾き、聖剣から溢れる神気がまき散らされる火炎嵐をせき止める。
秒間十手近くも放たれるグリュイエールの火炎刺突。光の軌跡を残す聖剣の斬撃はそれをしのぐ速度で振るわれ、徐々にグリュイエールが押し返される。
しかしグリュイエールはいまや一人ではない。エルネストがグリュイエールに対応している隙に側面を取ったネコマタが、電撃纏う蹴り技を放っていた。
「下らん!」
だがグリュイエールは左手に神気を込め、ネコマタの電撃蹴りを強引に打ち払う。同時に聖剣にてグリュイエールの火炎槍の切っ先を地面へと押し当てて封じ込め、体勢が崩れたネコマタに対しくるりと旋回しながら返す刀の蹴撃を叩きつける。
ネコマタが吹き飛ぶと同時、エルネストの背後を取ったパイレーツがレイピアの一刺しを見舞った。
エルネストはしかし、旋回蹴りの勢いそのままに深く沈み込み、パイレーツの奇襲をやり過ごす。
そればかりか、攻撃を避けられ死に体となったパイレーツの胴体目がけ、肩口から鋭く入れ込む強烈なタックルを見舞った。
「今だ! 喰らえ、私の闇の魔法を!」
パイレーツが吹っ飛ぶのと同じ時、エルネストの足元に大きな影が広がっていた。リッチの影だ。彼女はネコマタたちが攻撃を仕掛けた隙に、エルネストが絶対に避けられないタイミングでの魔法攻撃を仕掛けようと画策していたのだ。
伸縮する影から放たれる闇の魔法は、魔力の強大さによって威力と姿を変える影の魔槍。
エルネストの足元から影で出来た鋭い槍が次々と突き上げる。逃げ場はない。これならば確実にエルネストに当たる。
そう確信していたリッチは、次の瞬間には間の抜けた顔を晒していた。
「はぁっ!」
エルネストが気合いを放つと同時、彼女の体から神気の波濤が放たれる。それが魔力の影を軽々とかき消したのだ。
闇の魔法の弱点は光。それも女神や使徒が操る神気はとびきりの弱点である。
「ちょっ! うわわわわわっ!」
そしてもちろん、光の波濤はリッチの弱点でもある。神気の光をまともに浴びれば彼女の肌は焼け、あっという間に戦闘不能へと追い込まれるだろう。
「ちいっ!」
だがグリュイエールがとっさに火炎槍を振り払い、炎をまき散らしてリッチの周囲を防護する。放たれた神気の光は火炎に遮られ、リッチに当たることはなかった。
……もっとも、リッチは炎も苦手としているのだが。
「ああああああ! あつっ! 熱いぞグリュイエールーーー!」
「すぐに消す! さわぐなアホめ!」
グリュイエールの火炎は彼女の意思一つで消し去る事ができる。リッチへのダメージになる前に炎を消し、何とか無傷に済ませていた。
リッチはエルネストから距離を取り、グリュイエールの背後へと隠れる。同じくして、ネコマタとパイレーツが仕切り直しとばかりに集まってきた。
「くそっ! 時間差攻撃にも余裕で対応してきやがった!」
「さすがは女神の使徒ですわね。一筋縄ではいきませんわ」
魔物娘たちへ鋭い視線を向けるエルネストは、威圧するように怒声を放つ。
「一筋縄ではいかんだと? 私と貴様たちの力の差がまだ分かっていないようだな! 女神イストワール様が復活した今、使徒たる私が貴様ら魔物娘に敗北する道理など無い! 遊びは終わりだ! 貴様らを消し去り、ファリシアをも始末してくれる!」
エルネストが聖剣を空へと掲げる。聖剣には神気の光が集中し、圧倒的な光輝で周囲を照らし始めた。
「まずい……神技が来る! 貴様らは妾の背後へ集まれ!」
聖剣に満ちる神気の危険度を察したのか、グリュイエールに促されるままネコマタとパイレーツは背後へと退いた。
「ちょっ……! 待て待て待て! 何だこの神気の強さは! あれを刃状にして私たち目がけて放つのか!? そんなのどうやって対処しろと言うのだー!」
最も神気に弱いリッチが泣き叫ぶように喚く。
グリュイエールはそんなリッチに、ことさら落ち着いた声で返した。
「いいから黙って妾を信じろ。あの一剣、何とか食い止めてみせる」
「……!」
真剣なグリュイエールの声に、リッチは言葉を失った。
ここが勝負の分かれ目だとグリュイエールは言っているのだ。エルネストの神技に対抗できなければ、到底勝つ事など不可能なのだと。
そして彼女は信じろと言った。ならばもう、腹を決めるしかない。
ネコマタ、リッチ、パイレーツは緊張の表情で固唾を飲む。今やエルネストの聖剣はおびただしい神気を纏い、灼熱の太陽のごとく周囲を白く染め上げていた。
「覚悟はいいか? グリュイエール」
「いいからさっさと来い。そんな攻撃で妾を倒せると思っている貴様の自負、叩き壊してくれよう」
「よくぞ言った……ならば喰らえ、我が神技を!」
エルネストは空に掲げる聖剣を両手持ちにし、一歩深く踏み込んだ。
「神技・
振り下ろされるエルネストの聖剣。それと同時に刃に纏っていた神気が鋭く放たれ、グリュイエールたちへと向かっていった。