エルネストとエルフィーネ。二人が同時に放った神技・カエルムラミナによる神気の刃は、真っ向から衝突した。
拮抗したように見えたのは、一瞬にも満たないようなわずかな時。
それは当然と言えば当然の現実だった。エルフィーネの神気の刃は、見る間にエルネストのカエルムラミナに押されていく。
女神の使徒と、神気を多少操れるようになっただけの人間。その実力差を考えれば、これは納得の現実と言えた。
「ぐっ、うううっ、あっ、ああぁっ……!」
徐々に徐々に、エルフィーネが放つ神気の刃が押し返されていく。彼女もまたその圧力に押され、足元が滑り土埃が舞い上がった。
それでもなお、エルフィーネはカエルムラミナを放ち続ける。力の差は圧倒的。敗北は誰の目にも明らか。それでも……まだ。その瞳に絶望の色は浮かんでいない。
例え勝てなくとも、時間さえ稼げればいい。そうだ、もし敗北しこの身が消え去ったとしても、それは恐れる事ではない。今何よりも恐ろしいのは、時間すら稼げずに誰の助けにもならない事。
勇気と無謀は違う。己の行動が無謀だったか、それとも勇気ある物だったか、それを決めるのは、最後の瞬間に残す結果だけだ。
だから、エルフィーネはまだ諦めていなかった。女神の使徒に逆らった自分の選択は勇気ある物だと、彼女こそが信じていた。
「うぐっ、ううっ、くっ、うぅうぅっ!」
ゆっくりと迫りくるエルネストのカエルムラミナ。エルフィーネのカエルムラミナを押しこむ神気の刃は、周囲を威圧しながら進んでいく。
神気の力に満ちた波動が平原に生えるわずかな草を激しく揺らす。エルフィーネのドレスの裾がはためく。彼女の衣服は神気の波濤によって朽ちつつあり、腕から肩口までが露わとなっていた。
来る。もう目の前にエルネストのカエルムラミナが輝いている。エルフィーネは心のどこかで、ここが自分の終着点である事を感じた。
はたして十分に時間が稼げたのか。この行為は結局無謀でしかなかったのか。それをエルフィーネが知る事は無いだろう。このまま彼女はエルネストの神技の前に敗れ去ってしまうのだから……。
「私は……十分、やりましたよね?」
誰に語り掛けているのか、エルフィーネ自身分からなかった。だがきっとその言葉は、今この場に居ないあなたに捧げられた物だろう。
限界を悟り、この先に待ち受ける己の運命を知り、エルフィーネの腕から力が抜ける。
「……エルフィーネ様、後は私にお任せ下さい」
敗北を受け入れたエルフィーネの前に、パラディンが一歩進み出る。彼女は迫る神気の刃に向け、大盾を構えていた。
驚きに目を見開くエルフィーネに、パラディンが振り向く。
「覚えていますか? エルフィーネ様。あなたを脅かす者があれば、この身が滅ぶ事になろうともあなたを助ける。私はあの日、そう誓いました。あなたとの約束を、今こそ果たしましょう」
パラディンが何をしようとしているのかを理解し、エルフィーネは息を飲む。
エルネストのカエルムラミナを受けるつもりなのだ。その身を盾にして、エルフィーネだけは救おうとしている。
パラディンの決断を目にして、心で理解して……エルフィーネは、きつく歯を噛みしめた。
両腕に力が戻る。瞳に意志が宿る。出来そこないの聖剣に神気が満ちる。押し返されていたはずのエルフィーネの神気の刃が、その時エルネストのカエルムラミナと拮抗した。
「パラディン……あなたは私を助け出してここまで連れて来てくれました。それだけで、あの日の約束は果たされています。――あなたがこのまま消し去られるなど、私は決して認めません!」
エルフィーネが絶叫すると同時、それまで押されていたはずの彼女のカエルムラミナが、エルネストを圧倒する。
「なに……!?」
ありえない、とエルネストは驚愕する。そう、こんな光景など決してありえないはずなのだ。
なぜエルフィーネ程度の、ただの人間の攻撃に、女神の使徒渾身のカエルムラミナが押されるというのか。
だがエルネストが驚くべきはそこではなかった。本来ありえない光景ならば、彼女はすでに見ていたのだから。
ただの人間であるはずのエルフィーネが多少なりとも神気を扱えるようになったばかりか、聖剣の残骸からレプリカを作り出し、神技までをも繰りだした。
その時点で彼女は気づくべきだったのだ。イストワールにとってのツゴウノイイファンタジーが広がるこの世界に、なぜそんな不都合な事が起こり得ているのかを。
イストワールの支配は、まだ絶対の物ではない。名も無き勇者が反逆の意思を抱いたように、いがみ合う魔物娘たちが意思を統一したように、ただの人間であるエルフィーネですら使徒に逆らうように。
イストワールのツゴウノイイファンタジーには、わずかにだが綻びがある。
だがエルネストはそれに気づけない。女神イストワールに対する絶対的盲信がそれを見えなくしていた。
ゆえにこれは必然。エルフィーネとエルネストのカエルムラミナ。天へと届く刃は、当然のごとく互角へと至ったのだ。
「お――おおおおおおおおっ!」
「うあああああぁあああっ!」
エルネストが雄叫びをあげる。全力で神技を放たねば負けると、彼女の本能が告げていた。
エルフィーネが決意の咆哮をあげる。全力を超えた力を今出さねば、拭えない後悔を抱くと察していた。
二つのカエルムラミナは真っ向から噛みあい、互いを喰らうようにせめぎ合い――やがて、轟音と衝撃を纏って相殺した。
相殺による衝撃波が周囲を震わす。落雷直後のように大気が震えた後、わずかな静寂が行き渡った。
「……バ、バカな……グリュイエールならばまだしも、エルフィーネ程度に我が神技が食い止められただと……!?」
ありえないはずの結果に、エルネストは狼狽する。それは致命的な隙であった。
「後は任せました……グリュイエール」
エルフィーネの声を聞き、グリュイエールはにやりと笑う。
「ああ――時間稼ぎは十分だ。後は妾に、いや、妾たちに任せろ!」
「っ!?」
グリュイエールの全身に強大な魔力が集っている。その事にようやく気づいたエルネストが、はっと息を飲んでいた。
「待たせたなエルネスト。貴様が敗北する時がやってきたぞ!」
咆哮一閃。グリュイエールは全身に炎を纏い、火竜形態へと変化する。
そのまま彼女は空中へ高々と飛翔し、エルネストに向けて大口を開けた。
集めた魔力を体内で灼熱へと変換し、口腔内から一気に放ちだす。グリュイエールの全魔力を使ったドラゴンブレス。
「こ、これは……!」
エルネストが戦慄する。グリュイエールが纏う強大な炎の魔力。圧倒的な威圧感。それが彼女の全身を戦慄かせていた。
エルネストをして認めるしかない。これから放たれるグリュイエールの攻撃は、神技を持ってしても防げないと。
「だが……惜しいなグリュイエール! 受ける事が不可能なら、回避すればいいだけの事だ!」
「ふん……妾たちを舐めるなよ。貴様にそれができるか? エルネスト」
「なにっ?」
グリュイエールの発言を一瞬エルネストは判じかねた。
だが次の瞬間、彼女は一つの気づきを得る。
「……!? 他の魔物娘たちはどこだ!?」
グリュイエールの恐るべき魔力に気を取られるあまり、エルネストはネコマタたちの姿を見失っていたのだ。
「ここですわ」
背後で艶やかな声が聞こえ、エルネストは驚愕と共に振り向く。そこにあったのは、海賊コートを揺らすパイレーツの姿。
パイレーツは弓を引くようにレイピアを構えていた。
エルネストは咄嗟に刃を盾にするように構え、受けの体勢を取る。
「愚かな! 魔物娘らしく背後から奇襲していればいいものを!」
「ああ、それは必要ありません。なぜならば――」
パイレーツのレイピアが閃く。エルネストはその切っ先が動き出す瞬間を余すことなく見ていた。
しかし、エルネストは我が目を疑う。閃いたレイピアの切っ先は三つ。あろうことか、全く同時に三つの刺突が放たれていたのだ。
――パイレーツがスキル、三段突き。
「何だとぉっ!?」
三つ同時に刺突が閃くスキル、三段突きが放たれ、エルネストはどうする事もなくその全てを喰らってしまう。
「我が三段突き、見切れぬ者など無し。少なくともエルネスト、あなたには不可能でしたわね」
三段突きの威力に体勢を崩すエルネストは、勝ち誇るパイレーツの声を聞いて激昂しかける。
だが、今は魔物娘などのプライドをへし折る時間など無い。グリュイエールが今にも攻撃を仕掛けようとしているのだ。早く回避に全力を注がなければ。
そう冷静に考えたエルネストは、崩れる体勢を取り直し、ひとまずパイレーツから距離を取るため後退しようとする。
「電撃を喰らいな!」
その寸前で、頭上から落雷が舞い落ちた。同時に聞こえたネコマタの声が、エルネストの痺れる頭の中に入り込む。
雷撃によるマヒ効果はほんの一瞬。使徒に状態異常など通じはしない。
だが、ネコマタが稼いだ一瞬は次の攻撃の布石となる。
「さあ、ついに私の出番だ! とっておきの魔法を喰らえ、エルネスト!」
パイレーツの背後に控えていたリッチが叫ぶと同時、エルネストを中心にして闇の波動が現れる。
闇はエルネストのはるか頭上からこぼれ落ち、地へと沈み込んでいく。それと同時にエルネストの体は重くなり、足が地面を割り砕きながら沈み込んだ。
「な、なんだ、これは……!?」
エルネストが頭上を仰ぐと、そこには暗き星が輝いていた。そこから闇は生まれ、重力波を纏って地へと沈み込んでいくのだ。
「これぞ魔王様直伝! 偽・魔性星だ! 魔性星のような破壊力は無いが、重力負荷で動きを止める! これがリッチである私の真の実力だ!」
「――上出来だ、お前たち。さあ、覚悟はいいか、エルネスト!」
グリュイエールの声を聞いてエルネストは、はっと空を見上げた。
パイレーツ、ネコマタ、リッチの連携攻撃により、エルネストの回避行動は封じられた。
グリュイエールの渾身の攻撃から、もはや逃げる事は出来ない。
グリュイエールが開け放つ口腔内からは、灼熱の光が溢れだしていた。
灼熱の魔力は口腔内で火球と化し、圧倒的な魔力を携え紅蓮の輝きで空を照らす。
空に輝く太陽を想起させるその正体は、グリュイエールの全魔力を込めたドラゴンブレスであった。
「おおおおおおおっ!」
今まさに放たれようとするドラゴンブレスを前に、エルネストが取った選択は……神技の構え。
グリュイエールの口からドラゴンブレスが放たれる。
圧倒的熱量と威力を持つドラゴンブレスを前に、エルネストは聖剣を煌めかせた。
「神技・カエルムラミナ!」
イストワールから賜りし、この聖剣こそがエルネストの誇り。この剣に、この神技に斬り裂けぬ物など無し。
その決意と自負により放たれる神技カエルムラミナは、これまでで最高の威力を誇っていた。
だが……。
「ぐっ、おおおおおおおっ!」
エルネストの神気の刃は、空より舞い落ちるドラゴンブレスに飲みこまれ霧散する。
「おのれ、グリュイエールぅぅっ!」
迫りくる灼熱の業火に飲みこまれながら、エルネストは最後の言葉を叫んだ。
灼熱の魔力に包まれた彼女の体は淡く煌めき、消滅していく。使徒エルネストは敗北し、その力をイストワールの元へと戻したのだ。
同時に王都から立ち上っていた光の柱が消える。イストワールへの守護結界が、一つ解けたのだ。
グリュイエールは先ほどまでエルネストが居た場所を眺めながら、小さく呟く。
「この期に及んで妾一人に負けたと思っているのなら、実に愚かだな、エルネスト」
それはエルネストの最後の言葉に向けて散らした言の葉だった。
グリュイエールは地上へと降り、叫ぶ。
「ネコマタ、パイレーツ、リッチ、乗れ! 勇者の元へと急ぐぞ」
ネコマタたちが背に飛び乗ると、グリュイエールは再度翼を羽ばたかせて飛び上がろうとする。
その前に、彼女はエルフィーネへ真紅の瞳を向けた。
「礼を言う、エルフィーネ」
それだけを言って、グリュイエールは飛翔する。
そのまま飛び去っていくグリュイエールの影を目で追いながら、エルフィーネは自然と祈るように両手を合わせた。
「勇者様を勝利に導いてください、グリュイエール」
全ての力を使い果たした。もはやエルフィーネに出来る事は何も無い。だから彼女は、かつてのように祈るしかなかった。
しかしその祈りはイストワールに向けられているのではない。勇者の勝利こそを祈っているのだ。
勇者の刃が、天へと届くように。