エルフの国カレンディア。静寂の森の奥に位置する慎ましいエルフの国に、暗く大きな影が落ちていた。
影の主は静寂の森上空を舞い飛ぶワイバーン、リュミス。クルスククスを倒すため、彼女は主であるアルメリアの他、ミズハにフェンリルを背に乗せていた。
「こうしていると、ついこの前を思い出すわね」
静寂の森とエルフの国を見下ろしながら、アルメリアはそう嘯く。
かつてこの空に暗き魔界の門を開け放ち、エルフたちを苦しめた張本人である彼女は、はたして何を思っているのだろうか。
穏やかな風を浴びながら、アルメリアは風に流される髪を手で抑える。
ここで起きたかつての戦い。真の力を取り戻してなお、勇者に敗北した事実。
だが今は、なぜかそんな勇者と共に世界を支配する女神へ挑もうとしている。
アルメリア自身、何がどうしてこうなったのか分からない。考えるだけで、事態の奇妙さに笑ってしまいそうだった。
分かっている事は一つ。
天に座する女神は気に食わない。運命を司り、我が物顔で世界を都合よく変化させる女神イストワール。
プライド高いアルメリアが女神に挑もうとするのは、半ば必然なのかもしれなかった。それこそ、運命と言えるほどに。
「……ふっ」
魔法で視覚を強化してクルスククスを探すアルメリアは、エルフの国のとある光景を目にして思わず笑いを零した。
「お嬢様……どうかしましたか?」
「何でもないわ、リュミス。それより、そろそろ人型に戻りなさい」
「……は? いえ、しかし今戻れば全員落ちてしまいますが……」
「いいのよ。クルスククスの得物は聖弓だと聞くわ。なら、そろそろ狙い撃ちにされる頃合いじゃなくて?」
「……!」
ワイバーン形態のリュミスが指摘に息を飲むのと同時、はるか真下、静寂の森の一角から強烈な光が放たれた。
あまりにも眩き神気の光。その威圧感は紛れもなく、必殺の二字を現している。
すぐにワイバーン形態を解除しようとするリュミスだが、それよりも早く、地上から光が疾走した。
眩き光と共に放たれたのは、神気の矢。狙い過たずリュミスの体を狙った一矢は瞬く間に迫り、誰にも対応する間を与えない。
「――恐れ慄きなさい」
だが、アルメリアだけが機敏に反応していた。
彼女が扱える魔界の風を用いた恐るべき三つの魔法。その一つ、恐慄・華風凛が放たれたのだ。
リュミスの全身に風の結界が張り巡らされ、迫る神気の一矢を軽々と弾き飛ばす。
だが、リュミスは見ていた。地上から次々と放たれる輝く矢を。
一つ、二つ、三つ、四つ。もはや数えている暇もない。このまま空に居たのでは、良い的である。
「……! すぐに解除します!」
危機を感じたリュミスは、アルメリアに言われた通りワイバーン形態を解除。そのままアルメリアたちは地上へと真っ逆さまに落ちていく。
そのおかげで地上から放たれる神気の矢の群れをやり過ごす事が出来たが、問題はここからだ。
地上へ落下するのはいい。アルメリアの風の魔法で落下速度を削ぎ落とし滑空する事は十分可能である。
問題は、その間にまた神気の矢で狙い撃ちされる可能性がある事だ。
下手をすれば地上へ着地する間に何人かが消え去る可能性も十分にある。
そう覚悟を決めた魔物娘たちだが、しかし先ほどとはうって変わって地上から矢は放たれなかった。滑空しながら風を切る音だけが静かに耳へ届いていく。
「……何で攻撃してこないんだろうね……」
フェンリルが首を傾げるが、答えを寄こせる者は誰もいなかった。
そのままアルメリアたちは無事静寂の森へと着地する。木々が密集する森の中はやや暗い。隠れ潜みながら弓で狙うなら、絶好の地理とも言える。
「どこから狙ってくるか分かりません。皆さん気を付けてください!」
ミズハは警戒し、フェンリルと背中合わせのポジションを取る。こうすれば互いの死角をカバーでき、奇襲へ対応できるはずとの判断だった。
「……ふふ、そう警戒する必要はありませんわ」
いつ、どこから聖弓で狙い撃たれるか分からない緊迫したこの状況で、静かで艶やかな声が流れる。
森の奥の影から、ゆっくりと近づいてくる者がいた。
ふわりと揺れるショートカットに、薄手のボディスーツを纏う微笑を浮かべた美女。
それこそが女神の使徒、クルスククスであった。
「驚いたわね。弓手の癖に堂々と姿を現すなんて。さっきみたいに隠れて不意打ちをしていた方が良かったんじゃないかしら」
皮肉に口を歪ませるアルメリアに、クルスククスはくすりと笑う。
「不意打ちとは、先ほど翼竜の魔物娘さんに放った矢の事でしょうか? あれはただの挨拶ですわ。断っておきますが、あれが全力と思って欲しくありません」
「あら、そう。なら次は全力を見せてくれるのかしら?」
「ご所望とあれば是非もありませんが、はたしてあなた方が全力を出すに値する相手かどうか……疑問には思いますわね」
微笑を絶やさず舌戦を軽々とこなすクルスククス。その隙だらけな姿を好機と捉え、ミズハとフェンリルが先んじて彼女の左右を取った。
「お嬢様、ひとまずお下がりください」
更にリュミスがアルメリアより一歩前へ出て、クルスククスに対峙する。
「……さすがに余裕を見せすぎ……」
「弓使いが近接戦の間合いまで近づかせるのは、いかがな物かと」
「あら……」
左右には近接戦闘に秀でたミズハとフェンリル。そして正面には毒針による投擲を得意とするリュミス。
弓という遠距離戦が得意な武器を得物とするクルスククスにとって、この形状は窮地とも言える。
しかし、彼女はこの状況でも笑みを絶やしていなかった。
「ふふ、弓が得物だからといって近接戦が不得手だと判断するのは、いささか性急では?」
「……ならばその自身の程、見せてもらいましょうか!」
リュミスが両手の指の間に挟む毒針を一気呵成に投擲する。
クルスククスはその手に持っていた聖弓を振り払い、毒針の悉くを打ち弾いた。
毒針による攻撃は失敗に終わったが、それで良し。そもそもこの攻撃はミズハとフェンリルに続かせる為の布石。
フェンリルとミズハはクルスククスが毒針に対応している隙に、左右から一気に間合いを詰めた。
一気に内懐へと肉薄した二人は、短刀による斬撃と大鎌による一閃を繰りだす。
だが、クルスククスはあろうことか、機敏に身を捻って大鎌の一閃を回避。そのまま続くフェンリルの短刀連撃へ足先を翻した。
クルスククスの左右の足が次々と舞い上がる。フェンリルの目もくらむような短刀連撃を、驚愕の足技で対応していたのだ。
彼女の脚部には、慎ましい具足がふくらはぎまでを包んでいる。おそらくは神気によって作りだされた具足は、フェンリルの氷の短剣による攻撃を軽々防ぐ強度を有していたのだ。
それよりもなお驚くべきは、クルスククスの足技である。身を捻りつつ優雅に舞い上がる足先。まるで花畑をそぞろに歩くがごとく美しく、そして目を見張る繊細な技量であった。
目を奪われる暇があればこそ。一瞬クルスククスの足技に驚きを現したフェンリルたちだったが、すぐに続く攻撃を開始する。
ミズハが大鎌を振るう。クルスククスは回し蹴りの要領で蹴り技を放ち、大鎌を打ち弾いた。
大きく蹴り足を舞い上げるその姿を見て、次手に対応できない体勢だと判断したリュミスが毒針を放つ。
しかしクルスククスは柔らかく身を捻り、バク転の要領で空をくるりと舞った。同時に右足の先で投擲される毒針を弾き、左足で着地を狙うフェンリルへ先んじて攻撃を仕掛ける。
「くっ!」
あわや蹴り下ろしが当たる寸前で氷の短剣で防御したフェンリル。彼女は続く光景に驚愕と共に目を奪われる。
あろうことかクルスククスは、短剣の上に左の爪先で立ち、聖弓を構えたのだ。
「さて、私もそろそろ反撃させてもらいますわ」
構える聖弓に神気で作りだした矢をあてがい、キリキリと引いていく。
その動作は静かで美しく、どこまでも優雅だった。一瞬、それを見つめるリュミスとミズハは、ゆっくりと時間が流れているのかと錯覚する。
しかし事実は違う。あまりにも洗練された動き故、まるでゆっくりと時が流れているかのように見る者の体感時間を狂わせる、静謐の絶技であった。
つまりは、弓を引く速度は神速と形容できるほどの圧倒的初速を持っていたのだ。
そしてそこから放たれる神気の一矢は、まさに不可避と形容するに値する。
クルスククスの神気の一矢が静かに放たれる。狙うはリュミス。風を切る音よりも先んじて、神気の一矢がリュミスの胸へと吸い込まれる。
「恐れ慄きなさい」
だがそれを知っていたとばかりに、アルメリアの華風凛がリュミスの周りに張り巡らされた。
突風が吹きすさぶ音が響き、神気の一矢を打ち弾く。リュミスは風の音を聞いて、ようやく自分が攻撃されていた事実を知った。
「あ、ありがとうございます、お嬢様」
「礼は後にしなさい、リュミス。それにしても、確かに近接戦は不得手ではないようね」
クルスククスはフェンリルの短刀を足場に蹴り、くるりと一回転して着地を決める。
「……分かって頂けて嬉しいですわ」
アルメリアに応じるクルスククスだが、その口元からはわずかに笑みが消えていた。
「魔界の風を操る魔法……少々厄介ですわね。余裕を見せていると手こずりそうですわ」
「あら、ようやく本気を見せてくれるの?」
「ええ――全力で始末してさしあげます」
瞬間。クルスククスの体に神気が満ちる。
その圧倒的な光輝に、ミズハとフェンリルは思わず地を蹴って後退していた。
「見たところアルメリア、あなたが一番面倒な相手のようですわ。申し訳ありませんが、我が神技による全力の一矢で始末致します」
聖弓に神気が集まり、灼熱の太陽がごとく輝きだす。
その鬼気のあまり、リュミスが冷や汗を流しながらアルメリアの前へと進み出た。
「お、お下がりください、お嬢様!」
「下がるのはあなたの方よ、リュミス」
「し、しかし……」
「あなたがあれを喰らえば、確実に消え去ってしまうわ。それとも何? まさか私が負けるとでも?」
「い、いえ、そんなことは……」
「だったら大人しく下がってなさい」
リュミスの肩を掴み下がらせながら、アルメリアがクルスククスへ数歩距離を詰める。
距離はわずかに縮まったが、それでも間合いはまだ遠い。
しかし両者が得意とするのは遠距離戦。弓を得物とするクルスククスと風の魔法を得意とするアルメリアの間合いは、都合よく噛みあっていた。
この距離こそが互いの全力を出せる必殺の間合いである。
アルメリアは正面のクルスククスへ向け右手を伸ばした。それと同時に、右肩背後に魔界の風が集まっていく。
クルスククスもまた、神気の矢を聖弓へとつがえた。
「一つ断っておきましょう。我が神技は光の一矢。避けるも迎撃するも不可能ですわ」
「そう。あいにくだけど、私の風を阻むものは存在しないわ」
「ならば――喰らいなさい、神技・
クルスククスの聖弓に集まっていた光が膨れ上がり、強烈な神気を纏った一矢が放たれる。
神技・ソルサギッタ。灼熱の太陽をも穿ち、太陽よりもなお眩く光る神気の一矢。
「散り果てなさい!」
対して、アルメリアの右肩背後に集まっていた魔界の風が一気に解放された。
アルメリアが最大最強の魔法、散果・天津風。行く手を阻む物など無しと自負する魔界の風の奔流は、灼熱の太陽をも穿つソルサギッタの一矢と衝突する。