ついに放たれた使徒クルスククスの全力の一矢。神技・ソルサギッタ。
強烈な神気を纏ったその一矢は、太陽すらを穿ち、太陽よりもなお明るく輝く。
避けるも迎撃するも不可能のソルサギッタを前に、アルメリアは散果・天津風を持って迎えうつ。
右肩背後に集めた魔界の風を一気に射出する天津風は、かつてこの静寂の地に大きなクレーターを生み出したほどの威力を誇る。
まさしくアルメリアの全力の一撃である。
風を切り裂くように放たれた神気の一矢と、虚空そのものを吹き飛ばすかのような魔界の風による嵐。
それらが真っ向からぶつかり合い、耳に響いたのは鉄を裂くような不協和音。
音が響くと同時にアルメリアの天津風が一気にその勢力を失い、消失した。
それと共に、神気の矢は流星のごとき光り輝く軌跡を残し、アルメリアの左肩を貫いていた。
「ぐっ、ぅうっ!」
左肩を光の一矢に撃ち抜かれ、アルメリアがふらつくように体勢を崩した。
「そんな……」
その光景を見ていたリュミスは、唇を戦慄かせる。
アルメリア最強の魔法である天津風が、神技・ソルサギッタの前に敗れたのだ。
絶句するリュミスをよそに、矢を放ち終えて残心するクルスククスはやがてパチパチと拍手を返した。
「お見事。心臓を狙ったはずの一矢でしたが、風により軌道を逸らされてしまいました。私の神技を前に生き残るなど、喜んで良い事ですわよ」
嘲るような言葉に、キッと鋭い視線を返すアルメリア。天津風を破られ左肩を負傷したものの、彼女の戦意はいまだ萎えていなかった。
しかしクルスククスは、そんなアルメリアへ向けて指を二本立てる。
「では次は、神技を二連射致しましょう」
「……!?」
アルメリアを含める魔物娘たち全員が、言葉を失う。
誰もが耳を疑いたくなるような心境だった。
あれほどの速度と威力を誇るソルサギッタを、あろうことか連射出来るなど……もはや悪夢と称していい最悪の現実である。
「さあ、覚悟を決めるといいですわ」
「させませんっ!」
クルスククスが聖弓を構えようとした瞬間、弾かれたようにリュミスは動いていた。
このまま神技を撃たせるわけにはいかない。クルスククスが最優先で狙うのはアルメリアなのだ。
己が主を守るため、リュミスが必殺の投擲術、ヴェノムテイルが放たれる。
回避位置を封じる毒針投擲を前にして、クルスククスはしかし焦りもせず優雅に舞った。
くるりとターンを決めるように一回転しながら足を上げ、具足で投擲毒針を一息に弾いたのだ。
必殺の投擲術は軽々と防がれた。しかしその隙にフェンリルが後に続く。
一気呵成に間合いを詰め、斬撃乱舞を放つフェンリル。それは先ほどクルスククスの足技に防がれているが、蹴り技を得意とするのはフェンリルも同じ。
斬撃乱舞に交えて放つのは、虚をつく鋭い回し蹴り。
クルスククスは当然のように後退して回避。しかしフェンリルは攻撃動作を魔法の詠唱代わりにする事ができる。
回し蹴りと共に氷の魔法が発動され、蹴り足に遅れて氷のつぶてがクルスククスの顔目がけて放たれた。氷の魔法、アイスコフィン。
「ふふっ」
クルスククスは微笑と共に地を蹴り高々と宙を舞う。空中でくるりと身を捻りながらアイスコフィンを軽々回避したのだ。
だが、姿勢制御に難がある空中へ逃れる事を待ち望んでいた者がいた。ミズハである。
「はあぁぁっ!」
彼女は力を溜めるように身を捻って大鎌を振りかぶり、裂帛の気合いと共に投擲する。
ミズハがスキル、堕天の一撃。狙った相手へ正確な投擲ができるこのスキルは、闇の魔法で追尾性能を付与した大鎌と組み合わせる事で驚異の投擲技と化す。
足場の無い空中で大鎌の投擲を前にしては、クルスククスも為すすべない。ミズハは堕天の一撃が必殺を遂げる事を確信していた。
しかしクルスククスは、身を捻りながら重心を変化させ、ほんのわずかであるが姿勢を変えた。
向かい来る大鎌に向けて、足先を伸ばしたのだ。
クルスククスはあろうことか、回転する投擲大鎌の切っ先に足を絡めたのだ。そうして投擲の勢いに乗り、くるりと旋回。投擲大鎌を回避しつつ、更に空中へと舞い上がった。
静寂の森に差し込む太陽の光を背にし、クルスククスは空中で聖弓を構える。
「神技・ソルサギッタ!」
放たれた矢は、誰の目にも一本にしか見えなかった。しかし風を切る音は二重に聞こえ、光の一矢が残す軌跡は二つに輝いている。
神速の二連射は誰の目にも映らず。しかして残された結果を見て悟るのだ。
同時に放たれたとしか思えない二つの矢が、アルメリアの身へ迫る。
リュミスたちが攻撃を仕掛け時間を稼いでいる間に、彼女は再度魔界の風を集めていた。
迎撃として放つのは散果・天津風。アルメリアの伸ばされた右手を射出口代わりにして、魔界の風による突風が吹きすさぶ。
しかしそれではソルサギッタを防げないのは知っていた。ましてや今度は二連射。これでは先ほどのように軌道を逸らすことすらかなわない。
事実、天津風は二本の神気の矢の前にかき消される。神気は魔力の上位関係にある。魔力を含む魔界の風が打ち負けるのは当然とも言えた。
「恐れ慄きなさい!」
アルメリアはしかし、天津風が敗れると同時に恐慄・華風凛を放っていた。周囲に風の結界を纏い、いかなる攻撃もはじき返すこの魔法は、いまだかつて敗れた事がない。
二本の神気の矢がアルメリアの心臓と頭へ向けて迫るが、風の結界がそれを阻む。ほんの一瞬拮抗したが、すぐに轟音を伴って華風凛が弾け飛んだ。
風の結界と光の矢の二連射。せめぎ合った結果訪れたのは、相殺。神気の矢は華風凛の結界を破壊したがそこで威力を完全に失い、弾け飛ぶ華風凛により吹き飛ばされたのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
アルメリアは肩で息をしていた。ソルサギッタの二連射をやり過ごせたのは、全力の天津風により威力をある程度減らせていたからだ。
もし華風凛だけで対応していたら、風の結界すら貫かれていた事だろう。
結果は互角。だが事実は紙一重の差で命を繋いでいた。
神気を操る女神の使徒と、神気に劣る魔力により力を発揮する魔物娘。その差が歴然と現れていた。
今だ無傷であり余力を残しているクルスククスが苦笑する。
「やれやれ……まさか二連射すら防がれてしまうとは。アルメリアだけでなく、他の魔物娘さんたちも中々に邪魔ですわね。ならば、仕方ありません」
クルスククスがまた指を立てた。親指は曲げたままで、人差し指から薬指までをピンと揃える。
「次は四連射で、アルメリアのみならず他の皆さんも消し去ってあげましょう」
リュミスたちに戦慄が駆け抜ける。まだ一度も有効打を与える事すら出来ていないのに、ここまで追い込まれてしまっている。
クルスククスの戦闘スタイルは理解した。彼女は敵の攻撃を回避しつつ必殺の弓技で仕留める、いわば回避特化型。聖剣を持ち、真っ向から力勝負を仕掛けるエルネストとは対称的なタイプだ。
ならば、体力はそう多くないはず。一撃でも大技を当てられれば……天津風さえまともに食らわせられれば、きっと倒せる。
だが、その隙が無いのだ。回避に重点を置いた体捌きを持つクルスククスは、一見その居住まいが隙だらけに見える。
だが事実はどのような攻撃にも柔軟に対応できるよう備えているのだ。
隙を見せているようで、隙が無い。回避重視の体捌きに、連射が可能な必殺の神技。これほどまでに凶悪な組み合わせはそうそう無いだろう。
隙さえ、隙さえあれば……クルスククスの虚をつく何かが起きさえすれば。
魔物娘たちが心に秘める願いに気づいたのか、クルスククスが艶やかに笑う。
「あいにくですが、我らが女神イストワール様に逆らったあなたたちに、奇跡など決して起きません。覚悟を決め往生致しなさい」
クルスククスが聖弓を構える。聖弓に神気が宿る。神気の矢がつがえられる。
息を飲む事すらできない最後の瞬間を前にして――アルメリアが、小さく呟いた。
「全く――遅過ぎよ、エルフの姫」
その呟きの意味を、アルメリアを除く誰も理解できなかった。クルスククスでさえ意味を判じかね、矢を引き絞った体勢で小首を傾げる。
次の瞬間――クルスククスの背を、矢が穿っていた。
「な――!?」
クルスククスの体勢が傾ぐ。彼女は混乱の極みにいた。いったい何が起きた? 何が……何が背を貫いた?
クルスククスは次の瞬間、全ての意味を察する。
背に飛来した矢から感じるのは、強烈な神気の波濤。この矢をクルスククスは知っている。
なぜなら……かつて、エルフたちへと与えた己の矢こそがこれなのだから。
ならばこれを放った相手は当然……。
「エファ、ナ……!」
驚愕と共にクルスククスはアルメリアを見る。
なぜだ、なぜアルメリアはあのように呟いた。それではまるで、こうなる事を最初から察していたようではないか。
エファナが神殿から抜け出し、クルスククスへ一矢報いようとする。そう考えるのは分かる。だが、想像だけでそんな確信は抱けない。
つまりあったのだ。アルメリアが確信を抱く何かが。エファナがきっとクルスククスの隙を穿つと信じるに値する何かが。
「ええ、あったわ」
クルスククスの心理を読んだかのように、アルメリアが勝ち誇る。
先ほど静寂の森からエルフの国を見下ろした時、アルメリアは確かに見たのだ。神殿からエファナを連れて逃げるリーシャの姿を。
そして彼女はエファナと目が合った。アルメリアは魔法により視覚を強化していたが、エファナはそうではない。ワイバーンであるリュミスの姿を見てはいても、その背に乗るアルメリアまでは、はっきりと視認できない。
それでも……目が合ったと確信したのだ。力強いエファナの瞳をアルメリアはしかと認識していた。
そう、アルメリアこそが誰よりも知っている。
勇者を追い詰め、勝利を手にしようとしていたアルメリアに対して食い下がったエルフの少女、リーシャ。そして駆けつけてきたエルフの姫、エファナ。
彼女たちがいなければ、きっと勇者はアルメリアに勝てなかっただろう。
アルメリアはかつての敗北により知っていた。あのエルフの姫が、このままで終わるはずがないと。
勇者から受け継いだその意思の強さを、絶対に発揮するはずだと。かつての経験がアルメリアにそう確信させていた。
そして、今。エファナは遠くエルフの国から、見事クルスククスの不意を狙い貫いた。
本来ならあり得ないはずの奇襲を受け、クルスククスはここに大きな隙を晒した。
リュミス、フェンリル、ミズハの体に強大な魔力が満ちる。今こそが勝機だと悟った彼女たちが全力の攻撃を仕掛ける。
フェンリルが氷の短剣を地面に突き刺し、大地を伝ってクルスククスの両足を凍らせる。
リュミスが毒針を投擲し、毒針に繋がる毒の糸でクルスククスの全身を縛り上げる。
ミズハが全力の踏み込みで大鎌を振るい、クルスククスの細見を打ち砕く。
「ぐっ……! あぁぁぁっ!」
強烈な一撃を受け、クルスククスの体が軋んだ。回避と攻撃を重視する彼女は、必然耐久力に難がある。そもそもが弓手である彼女は、体力に優れてなどいないのだ。
だが、このまま負けたのでは使徒の名折れ。クルスククスは全身に神気を漲らせ、周囲へ一気に放って氷と毒糸を吹き飛ばした。
「もはや容赦は致しません! 我が連続神技で葬って……」
そのセリフの途中で、クルスククスがはっと目を見開いた。
アルメリアが風の速度で間合いを詰め、目と鼻の先へ肉薄していたのだ。
そのままアルメリアは、右手でクルスククスの首を掴み止める。
「――ようやく捕まえたわ。魔界の風の味、イストワールよりも先に味わってみなさい」
「……っ!」
アルメリアの右手に魔界の風が集う。魔界の風はうねり、狂い、今にも咲き誇る時を待っていた。
「狂い咲きなさい」
狂咲・緋色ノ花。対象を掴み、手の平から一気に魔界の風を放出する。アルメリアの恐るべき三つの魔法、その一つである。
暴れ狂う魔界の風がクルスククスの喉元で可憐に咲き誇った。
だが攻撃はまだ終わらない。アルメリアはクルスククスの喉から手を離し、小鳩が鳴くような美しい声を響かせる。
「恐れ慄きなさい」
放たれたのは恐慄・華風凛。風の結界を張り巡らせ、周囲の悉くを吹き飛ばす。アルメリアの恐るべき三つの魔法、その二つ目である。
クルスククスの体は華風凛によって為すすべ無く空へと吹き飛ばされる。
空中へと強制的に舞い上がったものの、クルスククスは最後の意地で聖弓を構える。
だが、それよりも早く。
「散り果てなさい、クルスククス」
すでに右肩背後に魔界の風を集めていたアルメリアが、散果・天津風を放っていた。
轟音と共に突風が吹きすさぶ。高濃度の魔力を含んだ魔界の風を一点に集約し、打ち放つ。この天津風こそが、アルメリアの恐るべき魔法の三つ目であった。
強烈な魔界の風がクルスククスの体を包み込む。イストワールが作りし魔物娘を封じ込めるための魔界。そこで吹き荒れる高濃度の魔力の風。
その過酷な風の暴威をイストワールよりも先に味わいながら、クルスククスは静かに呟いた。
「ああ……お役に立てず申し訳ありません、イストワール様……」
最後の言葉を残し、クルスククスは煌めきながら消滅していく。
それと同じく、エルフの国から立ち上っていた光の柱が消え去った。
クルスククスは敗れ、守護結界の一角が無くなったのだ。
そしてそれは、イストワールが真の実力を一つ取り戻したのを示してもいる。
「……少々手こずったわね。リュミス、さっさと勇者の元へと行くわよ」
「……エルフの姫はいいのですか? 彼女のおかげで勝機を掴めましたが」
「ああ……別に良いのよ。私が頼んだわけではないもの」
アルメリアは髪を梳き上げながら、皮肉げな言葉とは裏腹にくすりと笑った。
そう、エファナは自らの意思で矢を放った。女神の使徒に、イストワールが支配するこの世界に、自ら逆らったのだ。
ならばわざわざ礼を言う事もない。なぜならば、すでに彼女は共に同じ意思を持つ同士なのだから。
アルメリアは、かつて自分の前に立ち塞がったエファナの姿を思い出す。
多くの意思と誇りを共にして戦う。今ようやく、彼女はその意味を理解しかけていた。
「……ふん。さあ、行くわよ、リュミス。フェンリルとミズハも早くなさい」
「は、はい!」
ワイバーン形態へと変化したリュミスの背に乗り、アルメリアたちは勇者の元へ急いだ。
待ち受ける本当の戦いに血をたぎらせながら。