光の階段を登り、あなたはついにイストワールが座する神界へとたどり着いた。
あなたの視界にまず入ってきたのは、果てしなく先へ続く空間。壁はどこにもなく、淡くエメラルド色に輝く不思議な鉱物が空に浮かび、光り輝く空がどこまでも続いている。
床は空に浮いているエメラルド色の鉱物と同種の物で出来ているらしく、淡く輝きながらも地平の先まで伸びていた。
ここが神界。世界の支配者、女神イストワールの空間。
この地の主である女神イストワールは、あなたと魔物娘たちからそう遠くない場所に居た。
まるでそこがこの世界の中心だとでも言うように置かれている豪奢な椅子。そこに堂々と足を組んで腰かけながら、女神イストワールはあなたたちを鋭く睨んでいた。
ついに……ついにあなたは女神イストワールの元へとたどり着いた。
あなたにとっての、真の敵の元へ。
あなたは油断なく剣を抜き、その切っ先をイストワールに向けて突きつける。
するとイストワールは小さく鼻で笑い、静かで美しい声を響かせた。
「哀れなセフィリア。その命をかけて進言したというのに、愚かにも名も無き存在はこうして私の前へと現れた。――ああ、セフィリアの言う通りにしたのならば、彼女の誇りにかけて見逃してやろうと考えていたというのに……そうまでして安息が気に入らないか? 私が与える福音が気に食わないか?」
イストワールの鋭い視線から庇うように、ファリシアがあなたより一歩前へ進み出る。
「全てが全てあなたの手の平の上。それがあなたが授ける福音であるならば、その正体が知れた時点で誰もが拒否するでしょう。私たちには意思がある。その意思をあなたに強制された世界など、地の底の世界と何ら変わりありませんよ」
「それこそが愚かだというのだ。多種多様な意思を認めた先に、永遠なる安息は存在しない。自分たちの身を省みるがいい、自由なる意思を持つ魔物娘よ。貴様らは自由であるがゆえに己の欲望を第一とし、力による争いを引き起こす。人も同じだ。いずれ人々はお前たち魔物娘のように自由を好み、自由の元に争いを始めるだろう。だから、私が統制してやらねばならない」
イストワールが椅子から立ち上がる。無機質な薄手のボディスーツを纏った彼女の肢体が露わとなった。
長い銀髪。全てを凍らせて砕くかのように冷徹な銀色の双眼。体の線は細く、腰はくびれ、手足はすらりとのびている。大きすぎず小さすぎずバランスの良い胸が、動きに合わせてわずかに揺れる。
その美しき姿とは裏腹に、彼女から感じるのは……圧倒的神威。強大な力だった。
「私を崇めよ。私に意思を託せ。誰もが私を称え、敬虔なる生き方を行えば、そこに永遠なる安息がやってくる。一つに統制された意思の元に、争いもなく、不安も無く、ただただ静かで美しい日々が訪れる。それこそが至上の幸福ではないか?」
イストワールに、ファリシアが一笑を返す。
「なるほど、確かにすばらしい。誰もがあなたを崇め、あなたが望む生き方をする。ある意味それは幸福であるでしょう。しかし、その道から外れた者を待ち受けるのは、この世界からの排除のみ」
「しかり。我が意に背くものなど、我が世界には要らん」
「だから、私たちは受け入れられないのです。あなたの意のままの世界……あなただけの、ツゴウノイイファンタジー。大切な者を失うかもしれない世界で、失った事すら認識できなくなる世界で、忘れたまま生きていくなど……耐えがたい」
ファリシアが胸を抑える。そこにあるはずの想い。かつての友との記憶。それらは消え去り、彼女の胸の中は空っぽだった。
だがそれでも、そこに彼女の意思は存在する。名も無きかつての魔王の意思が。
この世界からその存在が消し去られても、残された者に託された意思までは消えたりはしない。
イストワールの世界を受け入れるという事は、この胸の中の意思を自ら捨て去るという事だ。
それだけは出来ない。だからファリシアは、そして魔物娘たちはイストワールと戦う決意を抱いた。
そしてあなたは……エルフィーネやリーシャたちが消し去られてしまうこの世界を受け入れられない。
いや、もし彼女たちがこれから先平穏無事でいられるとしても、イストワールのツゴウノイイ操り人形と化す事を認められないだろう。
だから戦う。だからイストワールの世界に、ツゴウノイイファンタジーに逆らうのだ。
あなたたちの強固なる意思を察したのか、イストワールは首を振ってため息をついた。
「下らんな。ああ、全く下らない。そんな感情論で決して勝てぬ勝負に挑むなど……やはり貴様ら魔物娘は、そしてお前たちを扇動する名も無き存在は、全く持って度し難い」
「だれが勝てないって!?」
イストワールとの問答についに業を煮やしたのか、ネコマタが雷をエンチャントしてつっかける。
瞬く間にイストワールの懐へと潜りこんだ彼女は、そのまま雷速の脚撃を放った。
しかし――
「なっ!?」
イストワールの周囲が煌めき、光の残滓がネコマタの蹴りを阻む。
イストワールは何もしていない。イストワールが身に纏う神気の輝きが、あろうことか攻撃を塞いだのだ。
「ネコマタ、一端下がりなさい!」
ネコマタへの反撃を恐れたのか、彼女の隙を補うべくレイピアを引き抜いたパイレーツが進み出る。
弓を引くような構えで放つのは、スキル三段突き。女神の使徒エルネストですら見切れなかった技である。
同時に三つ閃く刺突の軌跡。しかしそれよりもなお早く、イストワールの神気が一際強く光り輝いた。
決して見切れぬ三つの刺突は、煌めく光の粒に弾かれる。
「こ、こんな事が……!」
「どけ、パイレーツ!」
すかさずリッチが闇の魔法を発動する。己の影を伸ばし、イストワールが踏みしめる床の周囲を覆うようにして、影の魔槍を発動。
地面から鋭く伸びる鋭い闇の針。しかしイストワールは一歩も動かなかった。ただそれだけで事足りたのだ。
地面から伸びてイストワールを貫こうとした闇の針が、イストワールの周囲に漂う神気の光に触れたとたん霧散していく。
何もしていない。断じてイストワールは何もしていなかった。ただそこに居るだけで、魔物娘たちの攻撃は何も通じなかったのだ。
「おおぉおっ!」
「はぁぁぁっ!」
フェンリルが雄叫びと共に氷の短剣を地面へ突き刺し、突き進む氷柱をイストワールに向かって放つ。
ミズハは裂帛の気合いと共に闇の大鎌を投擲し、スキル堕天の一撃を発動。
しかし、それらの攻撃が遂げた結末も先ほどと同じだった。
リュミスが毒針を投擲する。アイが闇の手袋をつけ渾身の打撃を叩きこむ。クロナが雷の扇を手にして叩きつける。
どれも、どれも、ただそこに居るだけのイストワールに届きはしない。神気の光に阻まれていく。
グリュイエール、アルメリア、ランガも動き出した。
グリュイエールは火竜形態へと移行し、渾身の魔力を込めてドラゴンブレスを放つ。
アルメリアもまた彼女をして最強の魔法、散果・天津風を放った。
ランガは鋭く愛刀髪薙を斬り下ろして魔力の刃を飛ばす、秘剣月之砂の裏を放った。
「――児戯だな」
どれも通じず。全ての攻撃がイストワールの周囲に漂う光に阻まれる。
「こ、ここまでか……! ここまでのものか!」
ランガが驚愕と共に絶望を零す。他の皆は絶句しながらも、ランガと同じ心境であった。
何も……何も通じない。攻撃が何一つ。ただ立っているだけのイストワールに、一つも届かない。
「使徒らを倒して、ほんの少しでも私に勝てるかもなどと甘い希望を抱いたか? 貴様ら魔物娘と女神たる私の実力差は、文字通り次元が違うと知れ」
イストワールの左手が光り輝く。次の瞬間には、その手に槍が握られていた。
あれは、使徒セフィリアが得物とする聖槍だ。
その聖槍に、神気が集い光り輝いていく。
瞬間、イストワールを除くその場に居る者全てが肌を粟立たせた。
何か……何かまずい。恐ろしい物が来る。
あなたも抱いたその直感は、実に正しかった。
あなたは覚えている。かつてイストワールが復活した時、あなたに向かって放たれたこの一撃を。
そしてそれは今、使徒の力がその身に戻った全力のイストワールによって放たれるのだ。
イストワールはただ静かに、槍を構えた。
――投擲の構え。神技の構え。
「神技・
光り輝く槍が、あなた目がけて放たれる。
放たれた槍から光の渦が広がり、神界を満たしていった。
イストワールに向かっていった魔物娘たちの姿が、瞬く間に光の中へと飲みこまれる。
だが、彼女たちの身を案じている場合ではない。来る。光の槍が迫ってくる。
どうしろというのだ。これほどまでの力の差で、この一撃をどう防げというのだ。
「――魔技」
あなたより先に事態を判断したのはファリシアだった。彼女は魔剣を握り、魔技・魔女の剣を放つ。
それこそがファリシア最大最強の技。あなたは知っている。この剣の恐ろしさを。
魔女の剣は、光り輝く槍の切っ先を捉えて、そのまま拮抗するかのようにせめぎ合う。
「くっ……うっ、ぐぅっ……!」
ファリシアの足元が一歩後ろへと滑る。
押されている……神技・フルゴルクリスを前にして、ファリシア至高の魔技・魔女の剣すら押し返されている。
そしてあなたは知った。先ほどまで感じていた魔物娘たちの気配が、次々消えていっている事に。
ネコマタの気配がない。リッチの気配がない。パイレーツの気配がない。リュミスの気配が、フェンリルが、ミズハが、アイがクロナが――
グリュイエールの気配が消えていく。アルメリアの気配が消え失せていく。ランガの気配が、今消えた。
消えた。消し去られた。あなたと意思を共にする魔物娘が、こんなにも呆気なく、あっさりと。この世界のどこにも存在しなくなる。
そしてあなたは気づく。フルゴルクリスと切り結ぶファリシアの魔女の剣。そこから放たれる魔力の波濤が、徐々に弱まっている事に。
聖槍の切っ先が、ゆっくりとファリシアの魔剣を押し返していた。
このままでは……ファリシアでさえ……。
だが、どうしろというのか。どうすればいいのか。
ここまで圧倒的な力の差を見せつけられて、何ができるというのか……。
世界が光に包まれていく。聖槍から放たれる光は強烈で、あなたの全てを冒していく。
「――ふふ」
そんな中で、ファリシアは静かに笑った。
ファリシアが、あなたへ振り向く。なぜか彼女は、満ち足りたような顔をしていた。
「どうやら……私もここまでのようです」
それは、あなたにとって更に絶望を呼び寄せる言葉だった。
しかし、ファリシアは微笑んでいる。満足だといわんばかりに、満ち足りている。
「最後に私が出来るのは……この剣をあなたに託す事だけ」
ファリシアは何を考えたのか、聖槍とせめぎ合う魔剣の刀身を翻し、あなたへと向き直った。
そして魔剣を床へ突き刺す。彼女の背に、聖槍が迫る。
「ファリシアは、あなたの勝利を願っております。どうか、勝ってください。我が主」
ファリシアの体が聖槍に貫かれ、渦巻く光に包まれた。
消える。消えていく。ファリシアの存在が……今この場から……消え去った。
それと同時に光が消える。聖槍は意思を持っているかのように切っ先を翻し、イストワールの元へと帰り彼女の手の中に納まった。
光が消え去り元の視界となったあなたを待っていたのは、空虚だけだった。
魔物娘たちが誰も居ない。ここに居るのはあなたとイストワールだけだ。
全てを失った。もはやあなたに頼れる仲間などいない。イストワールという最強の敵を前に、あなたはただただ孤独だった。
だが、それでも……戦わなければ。
そう奮起し、剣を構えようとした瞬間。
あなたの胸を、聖槍の切っ先が貫いていた。
イストワールが一瞬にして間合いを詰め、神速の刺突を放っていたのだ。
あなたの力が抜けていく。膝から崩れ落ちる。硬い床に顔を打ちけた。
終わった。ただの一撃が、どうしようもない致命傷を与えたのだとあなたは知った。
倒れ伏せるあなたに向かって、イストワールが冷たい声音で語り掛ける。
「これで終わりだ。名も無き存在よ、虚ろなる魂よ。しょせん貴様は私が生み出した傀儡でしかない。私に操られるまま舞台で踊る事しかできん存在だ。傀儡が操り糸を無視していかにする。糸が切れた人形が舞台の上で踊り続けられるとでも思っていたのか? このまま暗き水底へ沈むといい。永遠に」
あなたの意識が消えていく。その存在すらも、この世界からゆっくりと消えていく。
分かっていた。こんな結果になる事は最初から分かっていたはずだ。
それでも戦わなければいけないと思っていた。だから後悔は無い。
これがあなたの遂げる終着点。物語りの終わり。
もはや抗う事などできない。このまま全てを受け入れ、暗き水底へと沈んでいこう。
そして、消えゆく最後の一瞬の中。
――あなたは、誰かの声を聞いた。