「魔王様はあの中にはいないけど……それでも行くの?」
屈服アクメの余韻から覚めたフェンリルに早速地下迷宮の道案内を頼んだあなた。
するとフェンリルは、そんなすげない返答を返した。
薄々感じていた事だが、やはりこの地下迷宮に魔王ファリシアはいないらしい。
魔王への手がかりを失った落胆はあるものの、これであなたは地下迷宮の入口に足を踏み入れる理由がなくなった。
地下迷宮の入口はまるで地獄の底に通じる穴のように不気味で、ここに入らなくていいというのならむしろほっと胸を撫で下ろしたい気分だ。
しかしグリュイエールは、そんなあなたの気持ちなど知ったことかとばかりに地下迷宮の入口を睨みつけていた。
「妙だな……もとよりファリシアがこんな薄暗いところを好むはずがないとは思っていたが、ならばなぜフェンリルにここを守らせる? ……さすがに無関係ということはあるまい」
数秒うつむきながら思案したグリュイエールは、フェンリルに鋭い視線を向けた。
「フェンリル。貴様、ファリシアにいったいなにを守らされていたのだ?」
「……」
なにをと言っても、フェンリルはこの迷宮の入口を守っていただけだ。あなたはそう思ったが、フェンリルの様子を見ているとそれは少しばかり間違った認識だったのかもしれない。
「ファリシアの奴がフェンリルほどの魔物娘を使ったのだ。おそらく奴にとって重要な何かがここにある。貴様はそれを誰にも奪われないよう、迷宮に入るものを排除していたのだろう?」
「……そうだよ。魔王様にはあの変な石を守って欲しいって言われただけ。でもそれは迷宮の奥にあるから……あんな暗いところにずっといるの嫌だもん」
「だからわざわざ迷宮の外で近づく者を排除していたという訳か」
得心言ったとばかりに頷くグリュイエールだが、あなたには分からないことがあった。
フェンリルが本当に守っていた変な石とは、いったいなんなのかということだ。
それをグリュイエールに問うと、彼女はきっぱりと言う。
「妾が知るわけなかろう。どうせろくでもない物だ」
なぜかものすごく胸を張っていた。言っていることと態度が釣り合っていない。
ならばフェンリルならその正体を知っているはずだ。そう思って彼女に問うあなただったが……。
「……さあ? なんか、キラキラした変な石ってことしか分からない……あんまりおいしそうには見えなかったかな」
フェンリルは首を数度傾げながらそんな雑な返答をよこした。自分で変な石と言っているのに、なぜ食欲に訴えた感想を抱けるのかあなたには分からなかった。おいしそうな石なんてあるはずがない。
だんだんと妙な雲行きになってきた。迷宮の奥にファリシアが守らせている何かがあるというのなら、勇者としてそれを確かめにいかなくてはならない。
しかし、薄暗い上に湿った空気に満ちていそうな地下迷宮に入るのは気が進まない。
あなたは数秒地下迷宮の入口を見つめた。そして深々とため息をつく。
やはり勇者としては、ファリシアが守らせていたものの正体を知らなければいけない。それが打倒ファリシアに繋がるのかもしれないのだから。
決意をしたあなたは、あらためてフェンリルに道案内を頼んだ。
「……いいよ。魔王様の匂いは覚えているから、奥までちゃんと案内できると思う」
それはつまり地下迷宮の正しい道順など知らないということだが……まあフェンリルなら大丈夫だろうと、あなたは強引に納得することにした。
次に目指すべきことを決めたあなたは、しばらくグリュイエールの力は必要ないだろうと判断し、彼女の召喚を戻そうとする。
すると、当の本人であるグリュイエールがそれを制した。
「待て、勇者よ。なにが起きるか分からん。妾も地下迷宮の探索に連れて行け」
別にそれは構わないのだが、なぜ彼女はこんなことを言うのだろうか。
まさか、すでに屈服したフェンリルがあなたのことを裏切るとでも思っているのだろうか。
当然、グリュイエールはそんなことを懸念しているわけではなかった。
彼女は一度周囲を見渡して、どこか苛立ち気に嘆息を漏らした。
「フェンリルと戦った時から感じていたが、風の動きが少し妙だ」
妙とはいったいどういう意味なのか。よく分からなかったあなたは問いただしてみる。
「どうも風の気配がこちらを伺っているように思える。ふん、自分で言いながら訳が分からんがな。とにかく警戒するに越したことはない。妾を連れて行け」
どうやら明確な理由は無く、勘による判断らしい。
とはいえグリュイエールは竜だ。竜の勘がなにかが起こるかもしれないと告げているのなら、それに従うのも悪くない。
あなたはグリュイエールの要求を受け入れ、彼女とフェンリルを連れて地下迷宮の中に進むことにした。
地下迷宮の中は暗い。入り口付近は外からの光が入ってくるが、少し奥に進むと真っ暗闇に包まれる。
周りどころか自分の体すら認識できない闇の中を進むのは、魔狼フェンリルでなければ不可能かもしれない。ファリシアが彼女を頼ったのはそう言った理由もあったのだろうか。
そんな暗闇も、だがグリュイエールが生み出す炎の前には無力だった。
グリュイエールの周囲には常に彼女の魔力で生み出された炎が浮かんでいる。それが照明となって周囲を明るく照らしていた。
これならば地下迷宮を探索するのには支障なさそうだ。
あなたはフェンリルに案内されながら迷宮の奥をどんどん進んでいく。
地下迷宮の中は自然洞窟といった風貌だった。入り口こそゴツゴツとした岩で囲まれていたが、進んでいくと岩の表面はなめらかになっていく。
この地下迷宮はおそらく、地下水で浸食されてできた洞窟なのだろう。あの入口は偶然できたのか、それともファリシアが後でこしらえたものか。分からないが、入口を囲む岩石と中の岩では明らかに年月の違いがある。
地下迷宮の地面は平たんではなく、ゆっくりと下にくだるようになっていた。途中途中で分岐路がいくつもあり、フェンリルの案内がなければ迷うことは必至だったろう。
だんだんと空気が重苦しくなっていく。それは進むうちに迷宮の壁が徐々に狭くなっていくからだった。その圧迫感があなたの心身にストレスを与え、雰囲気は沈んでいく。
どれぐらい進んだころか。すでに人一人分ほどの隙間となった迷宮の通路を歩いていると、突如ぽっかりと空いた空間に出くわした。
そこは広々としていて、あなたは束の間解放された圧迫感からほっと息を吐く。
「ここが一番奥だよ……ほらあれ、私が言っていた綺麗な石……」
フェンリルが指さす場所は、広場の中央に位置する物ものしい台座だった。そこに、赤紫色に発光する手のひら大の石が浮かんでいた。
「……あれは魔水晶か」
その物体に心当たりがあったのか、グリュイエールは小さくつぶやいていた。
あなたは台座に近づいてみる。赤紫の光は怪しげで、とてもこの石がまともだとは思えなかった。
あなたはその石に向けて、そろりと手を伸ばした。それは好奇心というよりも、何か怪しいものに導かれた行動のようでもあった。
「勇者よ、ひとまず触るのはやめておけ。その魔水晶にはファリシアの魔力が込められている。触れれば何が起こるか分からんぞ」
グリュイエールに言われ、あなたは正気を取り戻したかのように息を飲み、すぐさま伸ばしていた手を引っ込めた。
「へえ……これ、魔王様の魔力が宿ってるんだ……なんで?」
「知らん、と言いたいところだが、少し心当たりがある」
興味深げに魔水晶を見ていたフェンリルが、グリュイエールに好奇の目を向ける。彼女はのんびり屋に見えて、中々好奇心が豊かな様だ。
「魔水晶はそれ自体が魔力を含む鉱物だが、その真髄は魔力をため込み維持する性質にある。これに己の魔力を伝えて魔法を半永久的に実行させる、というような使い方が正しい用途だ」
つまりそれは、ファリシアがこの魔水晶を使って現在も何らかの魔法を実行しているということだろうか。
そうグリュイエールに聞くと、彼女は頷いた。
こうなってくると問題は、いったいどんな魔法を実行しているのかということになる。
どうやらグリュイエールには、実行される魔法がどんなものか見当がついているようだ。彼女は物々しく口を開いた。
「この魔水晶からはおびただしい魔力を感じる。妾からしても信じられん魔力量だ。ファリシアの奴がここまでするとなると……考えられるのは、魔界の門が閉じている状態を維持させる固定化魔法くらいか」
固定化魔法とは、ある一定の状態を維持させる魔法である。エンチャントなどの強化魔法を長持ちさせたり、敵に与えた状態異常を時間経過で解けないようにするための魔法で、固定化する状態が強力であればあるほど魔力の消費が多くなるというデメリットを持っている。
しかし、グリュイエールの言った魔界の門とこの固定化魔法の関わり合いがあなたには理解できなかった。そもそも、魔界の門とはいったいなんだろうか。
「魔界は私たち魔物娘が元々住んでいた世界だよ……」
あなたの疑問にフェンリルが答えてくれる。更にグリュイエールが続きを引き継いだ。
「この人間界は元々神界と魔界に通じていたのだ。神界とは聖なる階段で、魔界とは暗き門でな。だがファリシアが人間界に来た折りに神界の階段を封印し、魔界の魔物娘たちを人間界に開放した。その後ファリシアは魔界の門も封印し、結果、妾たち魔物娘は人間界で自由にしているというわけだ」
なんだかとてつもない情報量を持ったグリュイエールの言葉に、あなたは呆けながら頷くしかない。正直ちゃんと理解できたかは分からなかった。
とにかく今重要なのは、この魔水晶は魔界の門とやらが閉じている状態を維持している、ということである。
つまりこの魔水晶がある限り、魔界の門を開くことはできないということだ。
……そこでまたあなたは疑問を抱く。そもそもなぜ大量の魔力を使って魔界の門を閉じたままにするのか。魔界とはいわば魔物娘の故郷のはずだ。故郷を封じるというのには少々違和感を覚える。
しかしそんなあなたの考えとは違い、グリュイエールとフェンリルはひどく苦い顔をしていた。
「魔界が故郷だと? ふん、あんなところを懐かしく思う魔物娘がいるものか」
「……暗くてジメジメしてて、嫌なところだったよ。ここみたいに。あそこに戻るのは私も嫌かも……」
どうやら魔物娘にとって魔界とは素晴らしい場所ではないらしい。では彼女たちにとって忌々しい場所だから封印したというのだろうか。
だが、グリュイエールによればそれもやはり違うらしい。
「ファリシアが魔界の門を閉じている理由は簡単なことだ。奴なりに人間たちを気遣っているのだろう。魔界の風は高濃度の魔力を含み、人間たちの心身に悪影響を与えるからな。もし魔界の門が開いていたら、そのうち人間共は一人残らず体を病む。ファリシアにとって人間は暇つぶしの遊び相手だ。人間共がいなくなれば奴も困るだろう」
人間を気遣っていると言いながら、本質的な理由はやはり魔王らしいというべきか。
しかし魔界の門が開くと人間たちに悪影響があるというのなら、この魔水晶はどうするべきか。
「放っておけ。それを壊せば魔界の門がいずれ開く上、込められた魔力がファリシアの元に戻る。百害あって一利なしというものだろう」
グリュイエールの言う通り、魔水晶を壊すメリットは感じられない。
だからといって、魔界の門を閉じる役目を持つ魔水晶を放っておくということもできない。
フェンリルがあなたのしもべになった今、この洞窟を守る者は誰もいないのだ。ここは聖女エルフィーネにこのことを伝え、王都の兵に迷宮の入口を守ってもらうことにしよう。
そう方針を決めたあなたに、フェンリルは小さなあくびを返した。
「そんなことしなくても、魔界の門を開けたい物好きはいないと思うけど……あ、一人いたかも。何度かちょっかいかけてきたあのお嬢様……」
とたん、グリュイエールが険しい目をフェンリルに向ける。
「お嬢様? ……まさかアルメリアのことか?」
「あー……そんな名前だったっけ……? あ、そっか、グリュイエールの方があの人に詳しいよね」
「詳しいという訳ではない。が、アルメリアか……確かに奴なら魔界の門を開けかねんな。そうでもしなければあの病弱は人間界で力を発揮できないだろう。ふん……つまり実質、アルメリアに魔水晶を奪われないようにしていたということか。なるほど、得心いった」
グリュイエールは少し考え込んだ後続けた。
「勇者よ、アルメリアが狙っているとすれば、この魔水晶は貴様が持っている方がいいかもしれん。今の奴はその辺の雑魚にも劣るが、奴には優秀なメイドがいる。フェンリルの守りがなくなった今、魔水晶を放っておけば確実に奪われるぞ」
そう進言するグリュイエールだが、そもそもアルメリアとは誰なのか。
その名を言う時グリュイエールの声は少し憎々しげなトーンになる。なにか因縁ある相手なのかもしれない。
会話の流れから、アルメリアという者が魔界の門を開けようとする物好きということをあなたは理解した。
あなたは魔水晶に向き直った。こんな物を持ち歩くのは気が進まないが、狙っている物がいるというのなら仕方ない。
魔水晶を入手するべく手を伸ばす。その時、グリュイエールが突如叫んだ。
「ッ!? 危ない! 避けろ!」
グリュイエールは叫ぶのと同時にあなたへ強烈な蹴りをお見舞いする。あなたはその衝撃で大きく横に吹き飛んだ。
吹き飛ぶあなたはグリュイエールの行動に驚きながらも、何か鋭い輝きが視界を横切るのに気づいた。
それは紫色の細長い針の様で、針先の反対側、針穴にこれまた紫色の毒々しい線が繋がっている。
紫色の針はそのまま魔水晶に突き刺さった。すると針が突き刺さった部分から小さな煙が上がっていく。
……溶けている。魔水晶が、ゆっくりと。
もしグリュイエールがあなたを蹴り飛ばさなかったら、この針はあなたの背中に刺さっていたことだろう。
「これは毒の針か……! このような魔法を使えるのは……!」
グリュイエールがこの広々とした空間に通じる狭い通路を睨みつけた。あなたもつられてそこに目を向ける。
……いつからいたのか、そこには二人の魔物娘が立っていた。
「久しぶりですわね、グリュイエール。ご機嫌はいかがかしら?」
グリュイエールに言葉を投げてくすりと笑ったのは、淡いエメラルドグリーンの長髪が鮮やかな魔物娘だ。
身に着ける衣服は胸元が開いた気品の良い上衣にスリット付きロングスカート。ところどころに煌びやかな装飾が施されており、場違いなほど美しい。
しかしそれよりもなお目立つのは彼女の美貌だった。長いまつ毛で彩られた大きな瞳は力強いコバルト色で、まるで宝石のように輝いている。整った目鼻立ちは女性の美しさと少女の可憐さを同時に宿し、大きなバストが服を押し上げていた。ロングスカートのスリットからは肉付きの良い足がすらりと伸びている。
見るからに美しい魔物娘だったが、彼女から感じるのは色気よりも気品だった。己の美しさに余程自信を持っているのか、堂々と胸を張りながら佇まいは凛としていて。こんな薄暗い洞窟に居ながら、さながら森の泉を漂う妖精のごとき優美さだった。
彼女の気品がこうも主張するのは、その傍らにいるメイド服をつけた魔物娘のせいもあるだろう。
首元ほどまでの髪をふわりとボブカットにしたメイド姿の魔物娘は、その衣服の差で主従関係を主張するばかりか、一歩引きさがることで主を引き立てている。
その手からは紫色の線が伸びており、魔水晶に突き刺さった針と繋がっていた。先ほどの針はこのメイド姿の魔物娘が投擲したのだ。
見知らぬ魔物娘二人の乱入で言葉を無くすあなただが、グリュイエールは違った。
彼女は今その瞳を炎にたぎらせて、気品ある魔物娘を鋭い視線で射抜いている。
「アルメリア……! 先ほどから感じていた妙な気配は貴様だったか!」
グリュイエールの憎々しげな声が、今洞窟を木霊していた。