「こうして姿を現すまで私のことに気づかないなんて、封印から解けたばかりでまだ寝ぼけているのかしら、グリュイエール」
グリュイエールの射抜くような視線を悠然と受け止めながら、アルメリアは蔑むように笑った。
「……抜かせ。竜である妾がアリ同然の貴様に気づかぬのはむしろ道理というものだろう」
売り言葉に買い言葉。嘲笑も露わなグリュイエールの発言に、アルメリアと呼ばれた気品ある魔物娘の瞳がきつく細まる。
「久しぶりに会ってみれば……相変わらずムカつく奴ね。その傲慢な態度、今すぐ後悔させてあげてもよろしくてよ?」
「はっ、出来もせんことをよくも言えたものだ。今の貴様など雑魚も同然。数秒あれば我が炎で炭にしてやれるぞ」
「……雑魚? この私が?」
「違うと言うのか? くくっ」
両者は鋭い視線を交差させた。チリチリと空気が焼けつくような緊張感がこの場に溢れ出し、それがやがて臨界点に達しようとする。
その時、アルメリアの一歩後ろで控えていたメイド姿の魔物が進み出た。今にも戦い出しそうな二人の呼吸を外す、さりげない動きだ。
「お嬢様、今グリュイエール様と戦うのは得策ではありません。目的は達成したと言ってもいいので、ここは一度引くべきかと」
メイド姿の魔物娘に言われて、アルメリアは一度むっとした表情になる。
しかし思い直したのか小さくため息をつき、大きなバストを主張するように腕を組んだ。
「言われなくても、そんなことくらい分かっていますわ、リュミス」
「差し出がましい真似をお許しください」
リュミスと呼ばれたメイド姿の魔物が、アルメリアにぺこりと頭を下げた。そして今度はグリュイエールに向かって一礼をする。
そんなやり取りに気勢を削がれたのか、グリュイエールは苛立たしげに舌打ちをついた。
「そこのメイドはまだ分を弁えているようだな。だが、想像力には欠けているらしい。ここは一度引くべきだと? ……妾がこのまま黙って貴様らを見逃すとでも思っているのか?」
グリュイエールがその手にまがまがしいかぎ爪を顕現させる。そのまま二度三度かぎ爪を開閉させ、威嚇するように鋭い音を出した。
今グリュイエールは、誰の目にも明らかな戦意で溢れていた。その獰猛な気配は対峙する者を怯えさせることだろう。
しかしメイド姿の魔物娘リュミスは、怯えるどころかアルメリアを庇うように一歩前に進んだ。
リュミスの立ち姿はあまりにも自然で、気負いが一切ない。それはグリュイエールを恐れていないというよりは、主であるアルメリアを守るためその身を盾にするのが当然とでも言わんばかりの態度だった。
「妾と戦う気か?」
「グリュイエール様がこちらを攻撃するとなれば、お嬢様を守るため、わたくしも迎撃せざるを得ません」
リュミスの右手がゆっくりと持ち上がり、胸元へと位置する。その手にはいつの間にやら紫色の針が数本握られていた。
「愚か者め。たかがワイバーンの貴様程度、真の竜たる妾の相手になるものか」
「さて、それはどうでしょうか。今のグリュイエール様が相手なら、まず、まず……互角と言わないまでも、お嬢様が逃げる時間稼ぎはできるかと」
リュミスの静かな声を聞いて、グリュイエールの眉間に皺がよる。
アルメリアは対照的に、嘲笑を零していた。
「グリュイエール、今のあなたは封印によって削ぎ落とされた力が完全には戻っていないのでしょう? おそらく本来の四割程度の力が出せればいい方。そしてフェンリルは先ほどあなたに負けたばかりで、満身創痍のはず。ならばリュミス一人で十分足止めできますわ」
「貴様、腹心の部下を足止めで使い捨てる気か? そのメイドがいなければ、今の貴様など何もできまい」
「……ええ、今の私では、ね」
含みを持たせた言い方に、グリュイエールは舌打ちを返すしかなかった。彼女には何か、察するところがあったのだろう。
あなたはこの状況で、ただ事の推移を見守ることしかできなかった。どうやらグリュイエールと相対する魔物娘は彼女と既知の間柄のようで、何らかの因縁を感じさせる。
今、凄絶に相対する三者。彼女たちはすでに言葉を交わすことすら止め、静かに鋭い視線を送っている。
一触即発の気配でうかつな言動はできない。あなたは自然と息を殺し続けた。あなたの傍にいるフェンリルは、満身創痍ながらも何かあった場合あなたを庇えるよう、そっと寄り添ってくる。
張りつめた空気の中。突如、鈍い音が鳴り響く。あなたは驚いて音の出どころを見た。
鈍い音の正体は台座にあった魔水晶だ。先ほど突き刺さった針から浸食した毒によって魔水晶は完全に瓦解し、鉱石としての断末魔をあげたのだ。
その瞬間。思わずグリュイエールは背後の台座に振り返っていた。突如鳴り響いた凄惨な音に驚いたのではない。魔水晶が砕け散った際に溢れ出たファリシアのおびただしい魔力に反応してしまったのだ。
グリュイエールはこの時、背後にファリシアが現れたのかと幻想を抱いた。その幻想が目の前にいる敵から視線を外すという暴挙を誘ったのだ。
しかしすぐにそれが勘違いだと理解した彼女は、生じた隙に攻撃を仕掛けられる予感を抱きながらかぎ爪で首と頭部を守りつつ再度正面を向く。
予想していた攻撃は来なかった。グリュイエールが正面を見た時にはすでに、アルメリアたちの姿は忽然と消えていたのだ。
ただ、こんな洞窟の奥深くには本来吹かない強風だけを残して。
「逃げたか……妾としたことが、失態だったな」
己の判断ミスを嘆いているのか、グリュイエールは悔しそうに唇を噛んでいた。
「魔水晶……壊れちゃったね」
あなたは、壊れた魔水晶を残念そうに見つめるフェンリルの背後から台座を覗き込んでみる。
砕け散った魔水晶からは赤紫の発光が消えていた。込められていたファリシアの魔力が霧散したからだろうか。
「……厄介なことになったな」
あなたはグリュイエールに同調し、頷いた。
先ほどの魔物娘たちによって、魔界の門を封じていた魔水晶が壊れてしまった。つまり、このままではいずれ魔界の門が開いてしまうということだ。
しかしそんなあなたの認識は甘いとばかりに、グリュイエールが鋭く声を響かせた。
「いずれではない。おそらく数日中に魔界の門は開くぞ」
そんな馬鹿な、早すぎる。あなたは驚き、声を無くした。
グリュイエールは先ほど魔水晶について説明した際、魔水晶を壊せばいずれ魔界に通じる門が開くと言っていた。そこに数日で開くという危険性は含まれていなかったはずだ。
いったいどういうことかとグリュイエールに説明を求めると、彼女は忌々しげに唇を歪める。
「確かに、魔界の門が開くまでには普通かなりの時間が必要だ。おそらくは数年ほどになろうか。しかし、それはあくまで自然に開いた場合のこと。魔力によって強引にこじ開けようとすれば話は別だ」
グリュイエールによるとあの魔水晶は、魔界の門を強引に開こうとした際にすぐ閉じた状態に戻すよう仕掛けられていたものらしい。
それが無くなった今、魔界の門を強引にこじ開けるのは魔物娘によって容易いことなのだ。
しかし、グリュイエールとフェンリルはこうも言っていた。魔界に戻りたい魔物娘などいるはずがないと。
「奴は例外だ。……もっとも、別に魔界へ戻りたいわけではないだろうがな」
グリュイエールがそう言うと、フェンリルも小さく頷いた。
「あのお嬢様とメイド……以前何度か私にちょっかいをかけてきたよ。何したいんだろうって思ってたけど、ここに魔水晶があることに気づいていて私が邪魔だったんだね……」
「勇者よ、貴様は奴らのことを知らんのだろう? 奴の名はアルメリア。風の魔法を得意とするダークフェアリーだ。傍にいたメイドはワイバーンのリュミス。こいつは先ほど見た通り、毒の魔法を使う」
あなたはあの紫色の針と、針と手を繋ぐ紫色の細長い線を思い出した。
「アルメリアが魔界の門を開きたい理由は一つだ。奴は魔界の風の中で生きるダークフェアリーのため、人間界の空気は体質的に馴染まない。それゆえ魔界の門が閉じている今、奴は大幅に弱体化してしまっている。しかし魔界の門が開けば魔界の風が人間界に入り込み、奴は本来の力を取り戻せるという訳だ」
つまり彼女は魔界に望郷の想いを馳せている訳ではなく、ただ己の力を取り戻したいがために魔界の門を開けたいらしい。その結果人間界に悪影響があっても構わないという、実に魔物娘らしい自由な生き方だ。
だがどうしてそこまでして本来の力を取り戻したいのだろうか。
アルメリアという魔物娘のことをよく知らないあなたにとって、それはごく当然の疑問と言えた。しかし彼女のことを知るグリュイエールにしてみれば愚問だったのだろう。バカバカしいとばかりに失笑する。
「力を求める理由だと? 決まっている、ファリシアに復讐する為だ」
グリュイエールの言葉はアルメリアの心情を代弁しただけでなく、己の心の内をさらけ出すかのような情念まで籠っていた。
「……いいだろう、くだらん昔話を聞かせてやる。かつて妾たち魔物娘が魔界に住んでいた時、魔界の覇を争う三人の魔物娘がいた。一人は妾、一人はアルメリア、もう一人はまだ貴様は知らんが、いずれ会うこともあろう。妾たちの実力はほぼ互角。いつ終わるか分からぬ戦いの中で、突然奴が……ファリシアが現れた」
徐々にグリュイエールの声に憎悪がにじみ始めた。しかしなぜか、それと同量の畏怖の念が見え隠れしている。
「ファリシアはそれまで野心も持たず、魔界の奥底でただ静かに過ごしていたらしい。だが妾たちの争いを鬱陶しく思った奴は、毎日毎日うるさいからと、そんなくだらん理由で妾たち三人を敵に回し……」
グリュイエールが言葉を切る。そこから先はプライドの高い彼女としては口にしたくなかったのだろう。だがその羞恥と憎悪に満ちた表情からその先がはっきりと伝わった。
魔界の覇を争ったという三人の魔物娘たちは、ファリシアに負けたのだ。それも、ごくあっさりと。
「……気がつけば奴は魔王と呼ばれていた。それに異を唱える魔物娘は妾たちを含め誰もいなかった。奴は、強い。圧倒的に。だが、妾は奴に与えられた屈辱を忘れたりはしない。それはアルメリアも同じだろう。アルメリアのことは気に食わないが、奴と妾は一点そこだけ共通している」
グリュイエールや魔王ファリシア、いや、魔物娘全体に関わる過去をあなたは知った。
これでアルメリアという魔物娘の目的がはっきりとした。彼女は魔界の門を開いてかつての力を取り戻し、魔王ファリシアと戦うつもりなのだ。
それは奇しくも、魔王ファリシアを倒すというあなたの目的と共通している。だが、あなたとアルメリアが手を取り合うことは無いだろう。
なぜなら、魔界の門の開放は人々に悪影響をもたらすからだ。勇者であるあなたがこれを見逃すわけにはいかない。
そして魔王ファリシアへの復讐を誓うアルメリアは、己の力を取り戻すための道程を阻む者を決して許しはしないだろう。
目的は同じ。しかしその過程の違いから、あなたとアルメリアの激突はすでに分かりきったことである。
……結局今回は、魔王ファリシアへの手がかりをろくに得られなかった上、近いうちに魔界の門が開くという最悪の結果に陥った。
しかし途中の最悪は最高の結果へと続く栄光の軌跡とも言える。アルメリアを倒した時あなたは、魔界の門の開放を阻止した勇者として称えられることだろう。
まずはアルメリアがどこへいったのか、どこを拠点にして魔界の門を開こうとしているのか、それをつきとめなければいけない。
あなたは一度王都に戻り、情報を集めることにした。