リュミスの毒の糸に絡めとられ大ピンチに陥っていたあなたは、最後の力を振り絞って魔物娘を召喚した。
呼び出したのはナイトメアの魔物娘、ミズハ。彼女は闇の魔法で作り出した大鎌を用いてあなたを拘束する毒の糸を斬り裂き、九死に一生を得る。
しかし、これでピンチを脱したわけではない。毒の糸によりあなたの体はすでに毒に侵されてしまっていた。四肢に力が入らず、かろうじてふらつきながら後ろに下がるのがやっとだった。
対して敵のリュミスは無傷。召喚されたミズハを警戒しつつも、あなたをしばらく行動不能にしようと狙っているのが鋭い瞳からうかがえる。
あなたにできることはもう、召喚したミズハがリュミスを倒してくれるよう祈ることだけだった。
「ナイトメア……ですか。まさかあなたが出てくるとは予想していませんでした。あなたは戦闘を好まないとの事でしたから、戦闘スタイルも闇のまま……見たところ、その大鎌が得物のようですね」
リュミスは探るように間合いを取っていた。どうやら彼女をしてミスハがどれほど戦えるのか分からないらしい。
そしてそれはあなたも同じだった。ミズハは戦わずしてしもべになってくれた稀有な魔物娘のため、その戦闘力をあなたは知らない。
毒のせいでグリュイエールを呼び出せる程の体力がなかったうえでのとっさの召喚だったので、魔物娘を選択する余裕はなかった。つまりミズハを召喚したのは偶然と言うほか無い。
しかし、ミズハが呼び出されたのはただの偶然ではないとあなたは感じ取っていた。なぜなら魔物娘を召喚する際、この状況を打破するという力強い決意をあなたは抱いていたのだから。
その決意に導かれたのがミズハであったのなら、この状況を打破するのは彼女こそが相応しいはずだ。
「そう、私は争いを好まない。鳥が空を羽ばたき歌うように、蝶が泉のせせらぎに導かれて舞うように、私は人々に幸福な夢を与え愛を伝えたいの。そのために武器は必要なく、ゆえに我が手に鎌は握られない。……だけど、勇者と私の蜜月を邪魔するというのなら、今再び私はこの手に鎌を握りましょう。それが堕天使である私の宿命の因果なのだから……」
「………………………………は?」
ミズハの長い前口上を聞いて、リュミスはたっぷりと沈黙したのちに訳が分からないと呆けた声を出した。
それは当然だろう、とあなたは思った。なぜならあなたもミズハの言っていることが訳分からなかったのだから。
素の彼女はもっとおどおどとした喋り方なのだが、アイドルの仮面を被った彼女は少々意思伝達に難がある言い回しをするのだ。
今それを目の当たりにして、さすがのリュミスも混乱せざるをえないようだ。
「よ、よく分かりませんが、参ります」
リュミスは魔法で作り出した毒の針を両手に握り、ミズハに向かってスカートを翻しながら同時投擲する。
ミズハを狙って一本、他二本は回避された際の未来位置を狙っている。あなたも受けたあの同時投擲だ。
しかしミズハは身を捻って大鎌を一閃。三本もの毒の針を圧倒的攻撃範囲で薙ぎ払い、針に繋がっていた毒の糸もろとも散り散りに切り裂いた。
振るった大鎌による鋭い旋風がリュミスまで届き、彼女の髪が大きくたなびいた。
「な……」
声も出ないとばかりにリュミスは唸った。今振るわれた大鎌の一閃は、あまりにも暴力的な力に満ち溢れていたのだ。
さながら渦巻く竜巻のごとく、圧倒的な力の奔流。味方のあなたも思わず冷や汗を流してしまう。
「……驚きました。まさか、ナイトメアたるあなたが、これほど力に長けていたとは……」
「悪夢はいつだって暴虐的なもの。有無を言わさず他者を傷つけ、壊してしまう……だから人は悪夢を恐れ忌み嫌うわ。でも、驚くのはまだこれからよ。忠告しましょう。ここから先、括目して私の姿を見届けなさい」
ミズハは大鎌を水平に構えて、やや前傾姿勢を取った。一気に突撃して大鎌を振るうという意思に満ちた姿である。
当然リュミスは警戒を露わにする。誰が見ても明らかな突撃体勢。初動から間合いの際まで見逃すものか。
そう警戒していたリュミスの瞳が、眼前の光景を前にして驚愕に見開いた。
ミズハの姿が消えた。あれほどの大鎌を持ちながら、忽然とその場から消え去ったのだ。
次の瞬間、リュミスはミズハの姿をまのあたりにする。ミズハは突然リュミスの眼前に現れたのだ。
ミズハは消えたのではない。ただ、身をかがめて一直線に間合いを詰めてきたのだ。その疾走があまりにも速すぎて、初動はおろか近づかれるまで認識すらできなかったのが真実だった。
すでにリュミスは大鎌の間合いの内。ミズハの圧倒的な一閃が大気を震撼させる。
遠く木々の葉すらざわめかせる大鎌の一撃を放って、しかしミズハに手ごたえは無かった。
リュミスはあの一瞬、事前に後方の木々に刺していた針の糸を巻き寄せて後ろに跳び、大鎌の間合いをギリギリのところで外したのだ。非常の際に用意しておいた回避技である。
リュミスは今ミズハの正面にある木々の枝に立っていた。荒い息を吐きながら、冷や汗を流している。
対してミズハは大鎌を油断なく構えてリュミスを見上げていた。
圧倒している。あの闘争の気配を一切感じさせないミズハが、グリュイエールと並ぶ魔物娘アルメリアの腹心の部下を相手に、優位に立っている。
これはあなたにとって予想もしなかった出来事だった。まさにツゴウノイイ展開にあなたもほっとする。
しかしまだ戦いは始まったばかりで予断は許されない。その証拠に対峙する両者は手にする得物を構えたまま凝然としていた。
息も詰まる空気の中、リュミスが呟く。
「どうしました? 来ないのですか?」
「……それはこちらのセリフよ。鳥でもないのに、いつまで木に止まったままでいるのかしら?」
「わたくしは鳥ではなく翼竜ですが……こうして翼を休めるのも悪くはありませんね。どうやら地の利はこちらにあるようですから」
ミズハの大きな瞳が細まった。彼女は心なしか、鎌の柄を握る手に力が入ったようだ。
そんなミズハを前にして、リュミスは悠然と微笑む。ただ一度言葉をかわしただけで、なぜか今度はリュミスが優位に立っていた。
「大鎌による一撃。踏み込みの速度。驚くべき力と速度にわたくしもさすがに肝を冷やしました。しかし……そのような大きな得物を振るうには、この森は狭隘ではないでしょうか? 特に木々の上にいる相手に対しては……」
くすりと優雅に笑ったリュミスに対して、ミズハは沈黙を貫いていた。
「さらに言えば、木の上ではあなたの速度も半減。鎌も振るいづらく速度も生かせないとなると、そうして下から睨みつけるしか手はないでしょう。しかしてこの状況、地の利はわたくしにあります。なぜならわたくしはこうして……」
リュミスの手が突如閃いた。前触れを一切感じさせずに毒針を投擲したのだ。
ミズハはしかし、危うげなく鎌を振るって毒針を打ち砕く。
攻撃を防がれてなお、リュミスの態度に余裕は消え失せない。
「このように、投擲がわたくしの攻撃方法であるため、上位を取れば攻撃がし放題という訳になります。状況はあなたが不利。毒に侵された勇者様を連れて撤退する事をおすすめしますが?」
依然大鎌を構えて沈黙していたミズハだったが、そのうち彼女は妖しい笑みをこぼし始めた。
「……投擲。ふふ……なるほど、思い込みというのは恐ろしいものね」
ミズハの呟きにリュミスは不審げに小首を傾げた。もとより意思伝達に欠けた彼女の言葉だが、それとは別の違和感をリュミスは抱いていた。
はたしてその違和感の正体を、彼女は今から知ることになる。
ミズハが大きく体を捻った。それは大鎌で大振りの一閃を放つための予備動作に違いない。だが、なぜ今ここで? それはリュミスならずとも、戦闘を見守るあなたすら抱いた疑問だった。
「堕天の一撃を喰らいなさい」
身を捻って蓄積した力をミズハが解放する。猛然と大気を斬り裂いて放たれたのは大鎌の一閃。
いや、それは大鎌を振るったのではない。彼女は大鎌を振るう勢力が頂点に達した瞬間、鎌を手放していた。
つまり、リュミスに向かって力任せに大鎌をぶん投げたのだ。
「ッ!?」
空中を回転しながら飛来する大鎌のその勢い、その速度。圧倒的な力に満ちた大鎌の投擲は、リュミスの心胆を再度冷やして余りある。
リュミスは枝を踏みしめ跳んだ。餓狼の如く迫りくる大鎌の投擲をしのぐにはそれしか手がなかったのだ。
毒針の投擲をもって迎えうつ、あるいは毒の糸を正面に張って受け止める……そんなものは通じない。あれはまさに悪夢の一撃だ。もしそんな手段でしのごうとしていたら、針も糸も食らいつくし、その先にあるリュミスの体を確実に穿っていた事だろう。
リュミスは己の判断が正しいことを直感しながらも、焦りを覚えずにはいられなかった。これでは後手に回っているだけで有用な対応とはいえない。
飛来する大鎌の切っ先に足先を掠めながらもかろうじて避けることに成功したリュミスは、毒針を付近の木の枝に投擲した。そうして針を突き刺し、己の手と繋がる毒糸を巻き取るようにして身を捻りながら旋回。足場に適度な太い枝に着地する。
通常ありえない糸の動きはそれが彼女の魔力で作り出したものであるからだ。己の意思一つで糸の伸縮は自在となる。くわえて尋常ならざる体術によって空中旋回を成功させていた。
しかし大鎌の投擲を避けほっと息をつくのもつかの間、リュミスは再度その端正な顔を驚愕に染めることになる。
なぜなら、先ほど回避したはずの大鎌がくるりと方向転換し、再度リュミス目がけて迫りくるのだから。
「まさか……自動追尾ですか!?」
さしものリュミスも、それまでのメイドとして落ち着きはらった風貌をかなぐり捨てて叫ぶしかない。
猛然とした力に満ちた恐るべき大鎌の投擲。それがまさか追尾機能まで持ち合わせているなど、まさに悪夢を見せられているとしか思えない。
あの大鎌はミズハの闇の魔法で作り出したもの。ならば何らかの付加効果があっても不思議ではない。しかしそれがまさか、追尾効果とは。
もはや疑いようもない。あの大鎌は投擲用武器であり、ナイトメアの魔物娘ミズハは奇しくもリュミスと同じく投擲を主攻撃としているのだ。
しかして得物の差は歴然。毒による付加効果を狙った針と直撃を狙った追尾大鎌とでは、正面衝突の結果は目に見えている。
その事をはっきりと自覚した上で、リュミスは再度空中に身を躍らせた。当然ながら、迫る大鎌を避けるためである。
しかし、狙いはそれだけではない。彼女は飛び降りたのだ。先ほど自ら語っていた地の利を捨てて地上に降り立ち、ミズハに向かって疾駆する。
今この時、大鎌を投擲したミズハは無手である。その隙を勝機と捉えてリュミスは攻撃に転じたのだ。
リュミスは驚くべき速度で駆けながら両手に宿した毒針の連続投擲を放つ。彼女が同時に生み出せる限界の……いや、限界を超える本数、都合三十本の毒針投擲。ミズハ自身を狙いつつ、いくつかは回避位置を狙って。のみならず、疾駆する足に左右のステップを交え、毒針の速度と投擲角度を変えた複雑極まる投擲術。
これぞアルメリア腹心の部下であるリュミスが必殺を誇る技、ヴェノムテイル。上下左右どこにも逃げ場がなく、迎えうとうにも無数の毒針がほぼ同時に迫りくるという、超絶の技術である。
……だが、リュミスはやはり焦っていたとしか言えない。今こうして疾駆するその背に方向転換した大鎌が迫っていることもあったが、思いがけないミズハの強さに彼女は確かに焦っていたのだ。
焦りは心から落ち着きを奪い、余裕を失わせる。そして余裕なき心からは自然と思慮が欠けてしまうのだ。
もしリュミスが普段の落ち着いた態度を失わなければ、攻撃を仕掛ける前にある一つのことを考えたはずだろう。
すなわち……ミズハは大鎌を同時にいくつ生み出せるのか、ということを。
あれほどの大鎌を同時に生み出せるはずがないと、そう思い込んでいた事こそが敗因の一歩だったのだろう。
空を裂いて迫る三十本の毒針を前に、ミズハはその手に大鎌を生み出した。そして身を捻り、鎌の一閃にて毒針を打ち払う。超絶の技術はごく単純な力の発露によってあっさりと崩壊したのだ。
しかしミズハの動きはそこで止まらなかった。彼女は大鎌を振るった勢いのままに一回転し、正面から走り向かってくるリュミスに向けて再度投擲する。
「ッ!」
リュミスは声を無くすどころか、息を飲むことすらできない。背後には追尾大鎌。そして正面にはこれまた大鎌の投擲。大鎌に挟み込まれる形になったリュミスは、全力疾走をしていたせいで回避行動すらままならない。
敗北を覚悟したようにリュミスは歯を噛みしめた。その瞬間だった。
風の流れが変わった。
突風が吹きすさび、黒い風がリュミスの周りに集う。黒い風の正体はリッチやミズハ、そしてファリシアが扱う闇の魔法の類いではない。その正体は、高濃度の魔力を含んだせいで黒き色を持った魔界の風だった。
魔界の風が意思を持った刃と化して、リュミスに迫りくる二つの大鎌に叩きつけられた。耳を塞ぎたくなるような鈍い音と共に大鎌は破壊され、込められた魔力が霧散する。
あなたとミズハはその光景に驚くばかりで、いったい何が起きたのか疑問を抱くことしかできない。
ただ一人リュミスだけはその現象の正体を知っていたようだ。彼女は驚いたように呟いた。
「お嬢様……」
あなたはリュミスの呟きを聞いて、戦う前に彼女が言っていたことを思いだす。アルメリアは魔界の風を自在に操り、今魔界の風が流れ込む静寂の森にいる者の気配を察する事ができると。
魔界の風から伝わる気配でリュミスの危機を知り、どことも知れぬ場所から手助けをした……目の前の起こった出来事は、そうとしか理解しようがない。
あなたとミズハが驚愕している隙をついて、リュミスは地を蹴り遠い木々の枝へと着地する。
「……不利を認め、今回はわたくしが引きましょう。しかし先ほど申しましたように、何人であれお嬢様の邪魔をするものは許しません。毒に侵された体をご自愛し、勇者様も引くことをおすすめいたします」
リュミスはあなたにくるりと背を向け、木々から木々へ飛び移りその姿を消した。
アルメリアの横入れによって、残念ながらリュミスを倒すことは叶わなかった。あなたはこの戦いがこれからより困難を極めていくことを肌で感じ取る。
毒に侵され最悪ともいえる出だしだが、このままエルフの国を目指すあなたの決心は変わらない。
あなたが毒で苦しむように、エルフたちは今も、そして魔界の門を封じない限りこれからも苦しんでいくのだ。ここから先どれほど困難が待ち受けているとしても、勇者として逃げるわけにはいかない。
打倒アルメリアの決心を再度固めたあなたは、ミズハに肩を貸してもらって森の奥を進むことにした。