いったい何が起きたのか。あなたの目はかすみ、急激に体力が減ったのを感じる。埃でも大量に吸ってしまったのか、咳が止まらなかった。
前方に柔らかい土とその下にある硬い感触を感じて、あなたは今自分が地面に倒れ込んでいることに気づいた。
ほんの一瞬前にいったい何が起きたのか……いや、そもそもあれが起きたのは一瞬前のことだろうか? 数秒ほど意識を失っていたという可能性もありえる。それほどの衝撃だった。
「……大丈夫?」
あなたはどこか遠くでフェンリルの声がするのに気付いた。地面にうつ伏せになっていたあなたは手を使いつつ体を起こしてみる。
すると目の前にフェンリルがいた。こんな近間にいたのに声がどこか遠くに聞こえたのは、耳鳴りがひどいせいだろうか。
フェンリルの体はところどころ土に染まっていた。あのふかふかの尻尾も今は体毛が荒れ、土埃で汚れている。
その汚れた格好に疑問を抱きながらも、あなたはフェンリルに片手を伸ばして引き起こしてもらう。そうして立ち上がった時、この薄暗い森の中が少し明るいことに気づいた。ほのかに月明かりが差し込んでいるようだ。
……おかしい。静寂の森は日の光が差し込む隙間すらほとんどないというのに、こんな微かな月光で明るくなるはずがない。
あなたは何が起きたのか確認するべく辺りを見回して、その疑問の答えに愕然とした。
木々がない。いや、遠くの方に木は密集して生えているのだが、あなたの周囲から大分広い範囲の木々が根こそぎ吹き飛ばされているのだ。辺りにはいくつもの倒木が散乱している。
遠くにはエルフの国の街並みがかすかに見えた。どうやらエルフの国の国境とも言える木版すら崩壊したらしい。
驚愕すべき事実はそれだけではなかった。地面が抉れている。何か、巨大な質量を持った物質でも降り注いできたのか、森の中にクレーターが出来ていたのだ。
あなたはふと思い出す。意識に断裂した時間が発生する少し前に見たあの光景を。
アルメリアの右肩背後、一点に集っていた魔界の風が一瞬にして放出されたあの身の毛もよだつ攻撃魔法……その凄まじい威力がもたらした結果が、今眼前で広がる光景なのだろうか。
フェンリルの姿が土埃で汚れているのも納得である。これほど地面を抉られれば、周囲には土の飛沫が叩きつけられたはずだ。むしろ汚れるだけで済んだのは幸運とも言える。
そこまであなたは考えて、ふと気づいた。そう、これは幸運で片づけられることではない。フェンリルはアルメリアの魔法が放たれた刹那とも言える間に、回避行動にうつったのだ。でなければ土埃にまみれるだけで済むはずがない。
そしてあなた自身も本来無事では済まないはずなのに、体力を大幅に失ったといえまだ立ち上がれるということは……フェンリルがあなたを守ってくれたに違いない。
つまりフェンリルはあの一刹那にあなたを引っ張って魔法の直撃を回避し、ダメージを最小限にとどめてくれたのだ。
「……ごめん。勇者様のことはとっさに庇えたけど、あのエルフの方は無理だった」
礼を言おうとしてフェンリルを見ると、彼女は獣耳をしなだれさせながらそう言った。
あなたは慌てて再度周囲を確認する。そうだ、リーシャはいったいどこだろうか。彼女はどうなってしまったのだろうか。
とある倒木の近くにリーシャの姿を発見したあなたは、動悸を弾ませながら彼女のそばにかけよった。
見るもひどい有様だ。彼女の衣服はところどころ破け、白い肌が露出してしまっている。その体力はもうほとんど残ってないだろう。
「……う、あ……」
リーシャは意識を取り戻したのか、小さくうめきだした。あなたは彼女の背に手を回し、優しく抱き起してやる。
「……あ、良かった……あなたは無事だったのね」
リーシャはあなたの姿を確認し、ほっと安堵の表情を浮かべた。しかし、そのひどい有様に対してその微笑は、あまりにも痛ましすぎる。
「ごめんなさい……さっきの衝撃で、ピクシーにかけた呪いが解けちゃったわ……それに、ピクシーたちはあの凄まじい魔力で全員気絶しちゃったみたい。もう、私……力になれない……」
リーシャは悔しさに瞳をにじませながら、嘆くように言った。
しかし彼女の瞳は絶望に濡れながらも、鋭くなっていく。まるで睨みつけるように視線をあなたからあなたの背後へと動かした。
あなたはリーシャの視線の先を追って振り向く。リーシャが見ているのは空だった。空に舞うリュミスと……アルメリア。彼女のことを、鋭く睨みつけている。
空のはるかかなたから見下ろすアルメリアと、地平で悔しさを滲ませ見上げるリーシャ。勝者と敗者は、誰の目にも明らかである。
リーシャの手が、虚空に伸びる。空高く舞うリュミスとその背に立つアルメリアの姿を掴もうとするように。
だがその手は決して届かない。彼女の手は虚しく空気を掴んだだけだった。
「こんなのってないよ……私、魔王のしもべになってでも皆を守りたかったのに……このまま負けるなんて、そんなのやだ……」
リーシャは子供のように大粒の涙を流していた。あまりにも痛ましい敗者の言葉。その純粋な思いをはたして誰が笑うだろうか。
「くふっ……ふふ、あはははははっ!」
空から哄笑が降り注ぐ。アルメリアは笑っていた。取り戻しつつある己の力に酔い、無力なリーシャを嘲笑っている。
アルメリアの笑い声を聞きながら、リーシャは唇を噛んだ。悔しさにこらえ、無力な己を嘆き、そして彼女は……。
「お願い……」
唇を震わせながら、か細く弱々しい声で。
「アルメリアを、倒して」
あなたに懇願した。
リーシャの言葉に、あなたは返答をしない。
幾万の言葉を尽くしてリーシャの懇願に答えても、それは現実にはならない。
リーシャの願いに答えるには、彼女を安心させるには……万の言葉を超える意志を見せる必要があった。
あなたは心身共に傷ついたリーシャの体をそっと地面に戻した。そして彼女に背を向け、空を舞うリュミスとアルメリアを見上げる。
アルメリアは不敵に微笑んでいた。来るなら来い。彼女が纏う強靭になりつつある魔力がそう伝えている。
「……勇者様、これ」
リーシャとの会話中姿を見せなかったフェンリルは、あなたの元に戻ってきて何かを差し出してきた。
それはあなたの剣だった。アルメリアの魔法によって吹き飛ばされた際に取りこぼした剣を、彼女は探してくれたのだろう。
その剣を受け取り、柄をしかと握る。握る手には自然と力が込められていく。
あなたの状態は決して良いとはいえない。アルメリアと戦うに当たっては最悪といっていいだろう。
アルメリアの魔法により体力の半分ほどを失い、リュミスの毒はいまだ体を蝕んでいる。だが、それが何だというのか。
勝つ。満身創痍でありながら、心中に固い意志が満ちる。高ぶる戦意があなたの体を熱くさせる。
見下ろすアルメリアは、ほんの少し驚いた表情を見せた。あなたの溢れんばかりの戦意に気づいたのだ。
あなたの背を見つめるリーシャも、あなたの決意を自然と感じ取ったようだ。
背を向けるあなたからはリーシャの顔を見ることはできない。しかし背に感じるリーシャの気配が、どこか安寧の色を帯びたのにあなたは気づいた。
言葉などいらない。どんな華美な言葉も、確かな決意と意志に満ちた姿にはかなわないものだ。
勇者とは困難に立ち向かう意思を持つ者のこと。戦いに臨む前にリーシャがそう言っていたのを思い出す。
それがはたして正しい勇者の姿かどうかは、きっと誰にも分からない。
だが、それがリーシャの望む勇者の姿であるのなら……今、リーシャのためだけの勇者となろう。
アルメリアを倒す。必要なのは、その決意だけ。
あなたは軽く息を吸い、決意に目を見開いて魔物娘の召喚を試みた。
眩き光が溢れ、そこから魔物娘が現れる。以前リュミスを追い詰めた魔物娘、ナイトメアのミズハ。そして、アルメリアと双璧をなす魔物娘、火竜グリュイエール。
対するはワイバーンの魔物娘リュミス。そして、恐ろしいほどの力を取り戻しつつある魔物娘、ダークフェアリーアルメリアだ。
あなたとアルメリアの真の戦いが、ついに始まった。