あなたはミコト姫に屋敷の中を案内され、しばし客間でくつろぐよう言われた。
客人をもてなすための部屋らしく、調度品はどれも品の良いものである。畳の上に黒く艶やかなテーブルが設置され、壁にかけられた掛け軸には火山風景が墨で描かれている。
敷かれた畳はホムラの国特有のもので、草木の柔らかな香りがほのかに漂っている。あなたはその匂いを嗅いでいると、どこか落ち着く心地を抱いた。
ホムラの国はこの畳の上にそのまま座る慣習があるらしい。昨夜止まった温泉旅館もそのような形式だった。
静謐な客間で特にすることもなく、あなたは畳の上に座ってミコト姫を待つことにする。
ほどなくして、お盆に急須と茶器を乗せたミコト姫がやってきた。
ミコト姫はあなたとテーブルを挟んで正対する位置に座り、黒塗りの湯呑みにお茶をそそいであなたへと差し出した。
「どうぞ。このようなお茶はホムラの国特有のもので、勇者様のお口に合うかはわかりませんが、ぜひ味わってみてください」
すすめられるままあなたは湯呑みを手に取り、一口飲んでみる。すると口の中に渋みと独特の風味が広がった。
ホムラの国で親しまれるお茶は、温泉旅館でも味わっていた。あれも品質の良いお茶なのだろうが、ミコト姫が淹れてくれたこのお茶はそれよりも質の良いものなのかもしれない。
しかし飲み慣れていないあなたでは、その違いがそこまで分からなかった。味自体は濃くないが、風味は強く感じる。それが質の良いお茶の特質なのかは判断つかない。
ミコト姫はあなたがお茶を口にするのを見てから湯呑みを口に運んだ。
互いに一口飲み、一息をつく。妙に落ち着いた雰囲気がこの場に流れていた。
しかし、姫の身分である彼女自身が客人にお茶を淹れるのは不思議に感じる。そもそも屋敷内には人が全くいなかった。彼女の家臣などはここに居ないのだろうか?
そのことを聞くと、彼女は静かに首を振る。
「私は確かにホムラの国を預かる身分ですが、まだまだ半人前です。私はいわば、ホムラの国における象徴のようなもので、この国における運営実務は適した能力を持つ多くの部下たちによって執り行われているのが実情です」
ミコト姫は自嘲の笑みを浮かべ、お茶を一口飲んだ。
「ですから身の回りのことまで彼女たちの世話になるなど、とんでもないことです。ある意味、こうして客人にお茶を淹れることが私にとっての仕事でしょうか。姫などと呼ばれて親しまれていますが、私などそれほど重要な存在ではないのですよ」
どうやら王都のエルフィーネやエルフの国のエファナとはまた微妙に違った立場らしい。国が違えば文化が違うということだろうか。
ミコト姫の態度を見るに、自身の立場に思うところがあるらしい。しかしそのことを掘ってみても野暮というものだ。
それに、あなたにとってミコト姫は重要な存在と言える。なぜなら彼女はランガのことを知っているかもしれないからだ。
あなたはお茶を飲み干し、早速ミコト姫に事情を説明する。
ランガに剣を作ってもらうため、彼女の居場所が知りたい。なにか知っていることはあるだろうか。
そう切り出すと、彼女は静かに頷いた。
「なるほど、ランガの居場所が知りたいと……確かに、私は彼女と少しばかりの交流があります」
言葉と言葉のわずかな切れ目に、ミコト姫の顔が一瞬曇った。しかし彼女のその表情はすぐに消え失せ、もとの凛とした顔つきへと戻っている。見間違いだったのだろうか、とあなたが思ってしまうほどのわずかな変化だ。
「勇者様が今日訪ねて来て下さったのは、実に都合の良い時分でした。実は今日にでもランガへ会いに行こうと思っていたところです。よければご一緒にいかがでしょうか?」
思わぬ提案に驚きつつ、あなたは頷いた。
まさかランガの手がかりどころか、彼女の住む場所へと共に行くことになるとは。ミコト姫の言う通り、実にツゴウノイイタイミングでやってきたものだ。
「では、早速参りましょうか。茶器を片付けてきますので、表で待っていてください」
ミコト姫はお盆に茶器を乗せ、客間から立ち去った。あなたは彼女に言われた通り、屋敷から出て鳥居の前で待つことにする。
やがてミコト姫が単身あなたの元へとやってきた。
「お待たせしました。ランガはホムラの国からそう遠くない場所に住んでいます。昼には着くことでしょう」
ランガの元へと案内してくれるのはいいのだが、まさか他に付き人もつけずに行くつもりだろうか。
そのことを問いかけると、ミコト姫は少々不敵な笑みを漏らした。
「ご安心を。これでも剣の腕には覚えがあります。勇者様の足を引っ張るつもりはありませんし、むしろ道中露払いの必要が出ましたら私にお任せ下さい」
その強い語調に、あなたは思わず気圧される。見た目は可憐なこの姫は、占い師の言う通りかなりの武闘派の様だ。垣間見えた好戦的な気配に面食らうのもしかたないだろう。
「私の身をご案じ下さるのは嬉しいですが、私はもう子供ではないのです。それよりも、道中はぜひ勇者様のお話をお聞かせください。かの厄介な魔物娘たちとの戦いを制したその腕前、大変興味があります」
好奇心にあふれた目を向けられては悪い気もしない。あなたはせっかくだからと、道中これまでの魔物娘たちとの戦いの軌跡を語って聞かせることにした。
ホムラの国を出て長い階段を降り、起伏のある道ならぬ道を歩き続ける。
息づく生命が少ない火山地帯とはいえ、道中は瞠目に値する景観がところどころにあった。
葉をつけず、枯れ木のように突っ立つ妙な木々に、ぐつぐつと煮えたぎる溶岩の湖。足元には石に交じって金属のように輝くものが転がっている。
「この火山地帯には、あのような溶岩湖が数多くあります。そのせいで気温が高くなっているのですが、温泉が暖かいのはこの溶岩湖のおかげでもあるでしょう。持ちつ持たれつと言ったところですね」
ミコト姫いわく、あの妙な木々は葉をつけないのにある時期になると火のように真っ赤な花を咲かせるらしい。溶岩湖も、ああ見えて本物の溶岩ではないらしく、煮えたぎる湖の中を泳ぐ魚もいるとか。
地面に落ちている金属のような物は、溶岩湖近くによく落ちているという貴重な鉱石のようだ。強度に優れているらしく、ホムラの国の武器はこの鉱石を使って作っているらしい。
にわかには信じられない火山地帯の特色を聞かされながら進んでいると、溶岩湖を見下ろせるような丘の上に立つ小屋を発見した。
「あの小屋にランガが住んでいるはずです。彼女はそう頻繁に居住を変えたりはしないので、まだあそこに住んでいることでしょう」
ランガが住むという小屋は、遠目からでもその異様さが見て取れた。鉄製なのか、屋根から壁に至るまで金属の鈍色が目立っている。その金属壁を彩るのは、武器の数々。剣や槍、斧に鉈など、様々な種類の武器を外壁に飾ってあるのだ。
それは人が住む小屋というよりも、工房のように見えた。ランガはグリュイエールやアルメリアに並ぶ実力の魔物娘にして、鍛冶師でもあるとの話だ。つまりあの飾られている武器は彼女が自作したもので、工房のような小屋はまさしく彼女の鍛冶場ということなのだろう。
あそこにランガがいると思うと、自然とあなたは足早になる。まだ見ぬあなた専用の剣があそこで待っているかのような心境だ。実際はランガにあなたの剣を作ってくれるよう交渉するところから始まるのだが。
しかし、足早く小屋に近づこうとするあなたをミコト姫が押しとどめる。
「お待ちください。ランガはこの時間、昼寝をしている可能性が高いです。ですから静かに近づきましょう」
なるほど、確かに。魔物娘は自由気ままな性質を持っている。昼間の惰眠を邪魔されれば機嫌が悪くなる可能性もあった。そんなことでへそを曲げられて剣を作ってくれなくなれば、笑うに笑えない。
しかし、どうしてだろうか。ミコト姫の言葉の裏には、何かもっとこう、別の意図が隠されているようにも思える。
釈然とはしないものの、昼寝をしているだろうランガを不機嫌にさせたくないあなたは、ミコト姫の進言通り静かに小屋へと向かった。
「……ランガの工房は、表口と裏口があります。裏口からの方が寝室に近いので、そこから向かいましょう」
小声でそう言い、小屋を回り込んでいくミコト。あなたはそれに黙って従うが、あまりにも慎重すぎではないかと思ってしまう。ランガの昼寝を騒音で邪魔するつもりはないが、どちらにせよ彼女を起こさねばならないのだ。そこまで神経質になる必要は無い。
だがミコト姫はなにを考えているのか、足音を消し、気配をできるだけ隠し、物音を立てず裏口を開けた。そして開いたわずかな隙間にするりと体を滑り込ませる。
その手並みに関心する思いもあったが、まるで泥棒のようだ。一国の姫にそんな指摘をするのはさすがにはばかるので、あなたはその思いを心の中にとどめておく。
とにもかくにも、あなたもミコト姫に習ってできるだけ気配を消しながらドアの隙間から中へと滑り込む。
ランガはやはり昼寝をしているのか、室内は暗かった。足元には鉱石が散らばっていて、うっかりすると大きな音を立ててしまいそうである。
室内の隅には寝所があり、壁にはミコト姫が持つ刀を更に大きくしたような武器が飾ってあった。
二重に敷いているのか、必要以上にふかふかになった布団の上に、小柄な魔物娘がうつ伏せになって寝ている。
少女姿のグリュイエールよりも線が細く、どう見ても華奢な体つきだ。膝丈の着物から覗く手足は、苗木の枝を想起させるほど頼りない。
少女というよりも童女に近しいその小柄な寝姿に、あなたは目を疑うしかない。これがあのグリュイエールやアルメリアに並び立つという魔物娘、ランガなのだろうか。
あなたが視線でミコト姫に訴えかけると、彼女は静かに頷き小声を返した。
「あれがランガです」
ランガと親交があるというミコト姫が言うのなら、もう疑うことはできない。
この小さな魔物娘が、鍛冶師にして剣術家であり、かつて魔界の覇をかけて争った一角のうちの一人、ランガなのだ。
だが、その細い手足で戦う姿はとても想像できなかった。
しかしあなたの想像を超える事態は、今まさに目の前で進行しつつあった。
「……やはり、今は眠っている様ですね」
ミコト姫はランガが寝息を立てているのを聞き届け、ゆっくりと腰にさしてあった刀を引き抜く。
そして彼女は……音もなく、刀を構えた。
いったいミコト姫はなにをしているのか、そしていったいなにをしようというのか。あなたは想像を超えた光景を目の当たりにして、呆然と口を開いていた。
ミコト姫はそのまま、無防備に眠るランガの背に向けて……無慈悲にも刀を斬り下ろしたのだ。
不意打ち。それも寝込みを襲うなど、およそ一国の姫とは思えぬ所業。呆気にとられるあなたに止める暇は無かった。
眠るランガの背に一刀が迫る。しかし、斬られる寸前で突如ランガは跳ね起き、そのまま身を捻って一刀をやり過ごした。
ミコト姫はそれを想定していたのか、それとも予想外の事態にも心揺れ動かないのか、一瞬の驚愕すらなく空ぶった刀を一転、斬り返す。
ランガはすぐさま寝所の壁にかけてあった大きな刀を手にし、それを振るってミコト姫の一刀と打ち合わせた。
凝然と一刀同士が噛みあい、火花が散る。ランガとミコト姫が持つ刀は比較して、ランガの方がはるかに大きい。その質量差によってか、ミコト姫の一刀は大きく弾かれ、彼女は後ろに数歩よろめいた。
ミコト姫の一刀を打ち弾いたランガは、そのまま一刀を両手に持ち、油断なくこちらを睨んでいる。その細い手が当然の様に長大な刀を支えている姿は、奇妙というしかない。
だが、彼女の正体はかつて魔界の覇をかけて争った魔物娘の一人。ならばその童女のような見た目でありながら当然のように長大な刀を扱うのは、別段奇妙でもない。
緊張感漂うこの場で、あなたはどうしようもなく息を飲む。いったいなにがどうしてこうなったのか。なぜミコト姫が寝込みを襲ったのかは分からないものの、こうなるとランガがあなたにも敵意を抱くのは確実である。
まさかこのまま、訳も分からず戦うことになるのか。そんなあなたの想像を裏切るように、油断なく刀を構えるランガがふと笑みを漏らした。
「まったく、相も変わらず乱暴な起こしかたじゃのう、このおてんば姫め」
「……今回も奇襲は失敗ですね。確実に一撃を与えたと思ったのに……残念です」
不敵に笑うランガと、不満げに気落ちするミコト姫。ミコト姫はしぶしぶ刀を納め、ランガはその長大な刀をむき出しのまま背に担いだ。
本当に、なにがなんやら。奇襲をした者とされた者が親しげに言葉をかわす姿にあなたは面食らう。
まさかとは思うが、今のは彼女たちなりの挨拶ということなのだろうか。だとすれば……非常に心臓に悪いと言うしかない。
「今日は妙な同伴者も居るようじゃのう」
ランガがあなたのことをしげしげと眺めている。探るような目が妙にくすぐったい。
「彼は……」
「知っておる、グリュイエールに続きアルメリアをも倒した勇者じゃろう?」
ランガはひどく楽しそうに唇を歪めた。
「お主があの二人と戦っているところを儂は見ておったぞ。と言っても直接あの場に居たわけではないがのぅ。よくぞあやつらを倒せたものじゃ。かつての仇敵とはいえ、あやつらがお主に敗北し屈服させられたのは複雑じゃが……それ以上に愉快よの。くふふふ」
童女のような姿でありながら口調は古風で、その笑みはあどけない容姿に似合わぬ妖艶さ。
首にかかる程度の髪は黒く艶やかで、白い肌が黒髪に映えている。丈が短く薄い着物からは細い手足が伸び、その背に背負うのは体つきに似合わぬ長大な刀。そして幼い表情を裏切るかのように、小さな角が額の左右から二本伸びていた。
どこかちぐはぐでいて、その全てがどこか噛みあっている。奇妙なことに、この魔物娘はアンバランスでありながらまるで完璧に組み合わさったパズルのように完成されているのだ。
彼女の名はランガ。その薄い体つきに剛力を秘めるオーガの魔物娘である。