激しい剣戟の音がお社の境内に響いていた。
刃と刃がぶつかる音は耳を覆いたくなるほど鈍く、しかしどこか虚空に凛と波打つように透き通っている。
波音の鳴らし手の一人はランガであり、その対手は当然あなたであった。
日中の眩しい光を振りかざす刀身で照り返しながら、あなたとランガは激しく切り結ぶ。
ランガとこうして午前中斬り合う修行を続ける事、すでに一か月。それほどの時をこれほどの技量を持つ魔物娘と過ごしたあなたの実力は、今やかつての比ではない。
ランガはその細い矮躯を目もくらむ速度で動かし、風巻く体捌きで鉈状の刀を軽々と振るっている。ランガが愛刀、髪薙。その鉈のように巨大な刃に繊細な剣技を宿すのは、術理に長けたランガの実力のたまものだった。
対するあなたは、ランガの速度に振り切られることなく、その身に迫る閃く刃へ己が剣を合わせていた。相手の剣撃を受け止めているようで、実は違う。あなたはランガの一刀に己が剣を軽く触れあわせ、その拍子に込められた力を狂わせて軌道を逸らしていたのだ。
その時奏でる残響音こそが、今境内に流れる波打つ音の正体である。鈍くもありながら透き通った音なのは、触れ合う鋼が快く歌っているからなのかもしれない。
だが激しい斬り合いはそんな印象とは裏腹に、息を飲むほど切羽詰まっている。ランガの容赦ない斬りこみがほんの数秒の間に数えきれないほど襲い掛かり、それを撥ね上げるあなたの総身を火花が彩っていた。
いわずもがな、これはあなたの鍛錬である。だからあなたは反撃をせず、ただランガの一刀をしのぐ事だけに集中していた。
ほんの一瞬、瞬きをするだけでランガの動きを見失い、まぶたが開いた時にはその体に一刀が深く食い込んでいるであろう。瞬きすら許されない密度の高い斬り合いは、そう長くは続けられない。
その中に、ほんのひとすじ、反撃の糸口を探し出す。この斬り合いはそれを主眼とした鍛錬だった。
つまりはランガの石火を代表する剣技の三つ目、夜月の習得をするための勢法である。すでにあなたは一つ目初音、二つ目篝の理論と本質を体得しているのだ。
この斬り合いが始まって、経過した時間はわずか数十秒。それだけの間に、どれほどの一刀が舞い狂ったことだろう。もはや呼吸をすることすらできず、まぶたは常に開かれ、瞳は一点を見つめている様で全体を俯瞰する目付けとなっている。
だがそれも長くは続かない。呼吸を止めて瞬きすらも忘れる全力の斬り合いは極限の集中力を要する。もとより実力伯仲の戦いとは、互いの実力が高ければ高いほど意外にもあっさりと決まるものだ。
そして、その瞬間がついにやってきた。ランガの鋭い打突の雨の中、わずかな切れ目がやってくる。
あなたはその瞬間、剣を右肩に担ぐよう深く振り上げ、紫電めく袈裟切りを放っていた。一髪千鈞を引く隙を見逃さず、渾身の一刀を放つ技。石火、夜月。
ランガが創案し体系だてたその一手が、まさにその本人へと放たれる。ランガすらも目を見開く、鋭い一剣。
あなたはその剣を、ランガに当たる直前でぴたりと止めた。
「……」
風の音に流れる沈黙。この斬り合いを見守っていたアイとクロナも、声を忘れてあなたとランガの動向を見守っている。
やがてランガは、その唇をイタズラに吊り上げた。
「見事じゃ。お主はもう、免許皆伝も同然じゃな」
掛け値ない称賛を聞いて、あなたは深く息を吐いてランガの体に押し当てた剣を離した。
ランガも同じく、変形刀髪薙を肩へと担ぎ直す。
「まさか、夜月まで習得されるとはのぅ……儂の剣を教えるとは言ったが、こうも見事に会得されると、こう……むかっとせんでもない」
一応はあなたの師となるランガだが、その発言は先人とは思えないほど狭量に思える。しかしそれは、むしろあなたを認めたという裏返しなのだろう。
石火の三つ目である夜月を習得したことで、あなたはランガの剣の真髄を手にしたも同然なのだ。つまりはもはや師弟ではなく、並び立つ同士となったも同然である。
「一応言っておくが、儂の石火はまだお主に見せていない崩しがある。とはいえ、それをお主に教える気はない。崩しとはいわば、鍛錬系に隠した実戦用の真技じゃからの。こればかりは儂とお主の間柄でもそうそう教えられぬのじゃ」
妙にイタズラっぽく間柄を強調するランガだが、実際のところあなたとランガの間に何かあった訳ではない。この一か月、本当にひどいスパルタにつき合わされただけであった。
冗談めかして言っているランガではあるが、その言葉の真意はある程度あなたに伝わっていた。
これまでランガから教わった石火の剣は鍛錬系。いわば実戦でそのまま扱える代物ではないのだ。実践で扱うための真の技というのが、いわゆる崩しのことである。
それを教えられないということは、つまりランガは心のどこかであなたを仮想敵としているということだった。
確かにあなたとランガはただの同盟関係であり、他の魔物娘たちとは違ってしもべとなったわけではない。
あるいはランガは、ファリシアを倒した後に改めてあなたに勝負を挑んで来るかもしれなかった。
ランガといずれ本気で戦うこともあり得るかもしれない。そう思うと、あなたの体はわずかに震える。死闘の気配への恐れというよりは、武者震いに近い物があった。
あなたは剣術家ではないものの、ランガの下でこうして剣技を学んだ今、同等の実力者とその技量を競ってみたいという気持ちもわずかに芽生えつつある。
己が一刀に全存在を込め、ただひたすらに死力を尽くす。この一刀に賭ける瞬間こそが、我が命の全て。ランガがかつて言っていたこの言葉の意味が、今ならば少しだけ分かる。
ランガは、凝然と己を見据えるあなたに気づいて、にやりと笑った。
お互い無言の内で、通じ合うものがある。きっと、いつか、本気で斬り合う時が来るだろうと。
「……崩しこそ見せぬが、石火の真髄はお主に伝わったはずじゃ。ここから先は、お主自身で崩しを見出すといい。お主に相応しい剣をな」
ランガもまだ石火の剣を極めたわけではない。彼女は己が見出した最効率の剣、石火をこれからも追及していくのだろう。
対してあなたは、剣術家ではない。石火の剣はあなたにとって一つの武器になるだろうが、一つの剣に囚われてはいけない。ランガに石火の剣が相応しいように、あなたにはあなたに相応しい剣があるのだ。
そしてこれから先は、それを見出さなければいけない。来たるファリシアとの戦いの時までに。
「そうそう、剣と言えばじゃな、お主の剣は思ったより早くできそうじゃぞ。今仕上げの段階に入っておる。実は今の段階でも十分剣として使えるのじゃが、今少し神気に対する刀身の強度が足りぬのじゃ。ま、後数日で完成というところじゃな」
この一か月、ランガとの修行の日々が続くあまりあなたはうっかり失念していた。そうだ、そもそも剣を作ってもらいに来たのだ。
ランガから免許皆伝を頂いた日に、剣がもうすぐ完成するとの知らせまで手に入るとは、中々にツゴウノイイ展開だ。
「儂からお主に教えることはもう何も無い。後数日は自由に羽根を伸ばすも良し、アイやクロナと修行するも良し。好きにするといい」
「えー、どうせなら修行するより私と一緒に遊びましょうよー」
「……このアホ狐に賛同するつもりはありませんが、我々ではもうあなたの相手は務まりません。修行するなら他の手合いを探すべきでしょう」
剣が完成するまでの数日、何をするべきだろうか。
ランガが言うように、数日羽根を伸ばすというのもいい。あるいはもう少し修行をして、あなたの剣という物を見極めるのもいいだろう。
ただ、アイとクロナが言うように、彼女たちと修行してもこれ以上あなたの手助けになることはなさそうだ。
その時、ふとあなたが脳裏に思い描いたのは、ミコト姫だった。
ミコト姫は己の剣を見せたがらないため、修行の相手を願い出ても付き合ってくれないかもしれない。しかし、もし彼女の剣術を見ることができたら、あなたが振るうべき剣へのヒントが手に入るかもしれない。ランガとは目線の違うミコト姫の剣ならば、きっと得るものがあるはずだ。
そう思ったあなたは、早速ミコト姫を探すことにした。一応ランガたちには、ミコト姫を探すとは言わないことにする。
おそらくミコト姫は、以前のようにお社の石階段途中にある竹藪の中で一人鍛錬をしているのだろう。あなたはひとまずそこへ向かうことにした。
もしミコト姫があなたの修行に付き合ってくれないのなら、その時は一時の羽根休めを申し出るのも良い。少しばかりの息抜きなら彼女も快く付き合ってくれるだろう。ミコト姫の淹れるおいしいお茶が妙に恋しいあなただった。
そうしてやってきた竹藪の中、ミコト姫は一人凝然と立ち尽くしていた。刀を構えているでもなく、周囲に立ち昇る立派な竹のように、ただ静かに佇んでいる。
どこか虚ろに空中を眺めるミコト姫は、まるで誰か見えない者と対話しているようでもあった。
その様子に不審を覚えたあなたは、竹藪をかき分けてミコト姫に近づこうとする。するとわずか一歩を踏み出した瞬間に、ミコト姫がはっとした様子であなたに振り向いた。
「……勇者様、どうしたのですか、こんなところへ。今はランガとの修行中では?」
ランガとの修行はもう終わりだとあなたは告げる。するとミコト姫は、普段は柔らかな瞳を大きく見開かせた。
「そう……ですか。勇者様は、ついにランガに認められる腕前となったのですね」
虚ろな声だった。自暴自棄と言うべきか、ともかくミコト姫にとってその事実は心胆に鋭い驚愕を呼び起こしたに違いない。
「とすれば、勇者様はもうランガにも勝てるほど強くなったということでしょうか」
どことなく、ミコト姫のまなざしが強くなる。
あなたは、だが静かに首を振った。ランガはまだまだ実力を隠している。彼女より明確に強くなったとは、とても言葉にできない。
そう伝えると、ミコト姫は唖然としたように口を開いていた。いつもは凛とした彼女が時折見せる、呆けた表情だ。
「……勇者様は、まったく気負いもなく相手の実力を認められるのですね」
少しだけ、ミコト姫は微笑した。まるで蓮の花が押し開いたかのような、小さな笑いだった。
「羨ましいです……私は勇者様のように、素直に相手との実力差を認められません……」
ミコト姫の言う相手がランガだということは、聞くまでもなかった。
「ランガは圧倒的な膂力と精密な技を併せ持っています。とても斬り合いで勝てる相手ではありません。しかしそれでも……そう簡単に勝てぬと認めることは……私には……」
表情を悩ませるミコト姫は、どこか縋り付くような瞳をあなたに向けた。
「勇者様に一つ、お尋ねしたいことがあります。どうしても勝たねばいけない相手に、しかしどうやっても勝てそうもない場合、いったいどうすればいいのでしょうか」
その問いを受けてあなたが頭に思い描いた姿は、ファリシアだった。
今でも思い出しただけで震えが出てくる。魔界の門をただ一太刀で斬り裂いたファリシアの実力。ファリシアの魔剣。
グリュイエール、アルメリア、ランガ。この恐るべき三人の魔物娘をして、魔王と認めざるを得ない実力を持つファリシアに、いったい誰が勝てるというのだろうか。
しかし、それでもあなたはファリシアと戦わなければいけない。なぜならがそれが勇者であるあなたの役目だからだ。ただ一つの目的であるからだ。
このツゴウノイイファンタジー世界にあなたが存在する理由が、それであるからだ。
ならば、あとはもう、勝つためにできることをするだけである。グリュイエールやアルメリアと戦った時も、あなたはただひたすら勝つためにできることをやっただけだ。
どれほど相手が強大であっても、最初から勝負を諦めることはできない。それが、かつて王都とエルフの国を救ったあなたの答えだった。
あなたの答えを聞いて、ミコト姫はだが暗い顔を返した。
「そうです……勝つためには、できることをやらねば……」
うわごとのようにそう繰り返し、ミコト姫はあなたを見つめた。
「ありがとうございます。迷いは晴れました」
言葉とは違い、ミコト姫はどことなく悲しげな表情をしている。
「……しばらく一人にしてくれませんか?」
ミコト姫の態度に戸惑いと不信を抱くあなただったが、これ以上彼女にかける言葉も見つからない。
どこかで、受け答えを間違ってしまったのだろうか。そう思いながらあなたは竹藪を後にした。
……そして、残ったミコト姫はただ静かに佇んでいた。
その彼女の正面に、暗い影が集まっていく。影は人型をかたち作り、やがてその影が晴れた時には一人の小柄な少女がそこにいた。
纏め上げた長い金髪に、黄金の瞳。どことなくボーイッシュな雰囲気でありながら、表情は少女に似合わぬ艶やかさを携えている。
魔王ファリシアが、そこにいた。ミコト姫は、現れた彼女の姿を当然のように受け入れている。
「決心はつきましたか? そろそろタイムリミットのようですので、良いお返事を聞きたいところですが」
ミコト姫は、静かにファリシアを見つめていた。
だがやがて、彼女は……。