温泉旅館の一室で寝ていたあなたは、ふと目を覚ました。
どうやら、時刻はまだ真夜中を刻んでいるらしい。
普段のあなたなら、ランガとの修行やその後にホムラの民を抱いていることもあって、疲れのあまり朝までぐっすり寝ているはずである。
しかし今、なぜかあなたは真夜中だというのに目を覚ましてしまったのだ。
なぜ……そう思うよりも早く、あなたは目が覚めた理由を察する。
なにか、妙な気配を感じる。はっきりとはしないが、体を包むような妙な圧迫感があった。
全身に鳥肌が立つような威圧感を薄らと感じたあなたは、訳も分からないまま身支度を整える。この妙な気配を放置したまま再度眠るという選択肢はありえなかった。
普段の身軽な服装に身を包み、腰にランガから借り受けたままの剣をさし、あなたは温泉旅館から外へと出る。
外へ出た瞬間、あなたは感じていた気配と威圧感の正体を理解した。
温泉旅館からやや遠く、長い石階段を登った先にあるお社から、強大な魔力が立ち昇っている。しかもそれとは別に赤黒い魔力が石階段からお社までに点在していた。
この強力な魔力の気配に、あなたは覚えがあった。魔王ファリシア。彼女の魔力の気配に酷似している。
そして点在する赤黒い魔力の気配は、おそらく以前アルメリアとの戦いにおいてリーシャが使った呪いの魔法、アルツ・ググツに違いない。
あなたは強く拳を握りしめた。おそらく今お社に、魔王ファリシアがいる。しかもこの魔力の気配からすると臨戦態勢に入っている可能性が高い。
だが、誰と? 最強の二文字を欲しいがままにするあの恐るべき魔物娘が、いったい誰と矛を交えるというのか。
あなたは、その問いへのおぼろげな答えを持っていた。
ランガだ。ファリシアがここまで魔力の気配を露わにして戦うほどの相手となると、このホムラの国では彼女しかいない。
その推測は、お社からファリシアの魔力が立ち昇っているという事実が補強していた。ランガは剣作りのためお社の裏手側に工房を設け、そこで寝泊まりをしているのだ。
もちろんお社にはミコト姫もいるし、おそらく魔物娘のアイやクロナはお社の一室を借りて寝泊まりをしているはずだ。だが、ファリシアが狙う相手となれば、おそらくはランガだろうとあなたは考えていた。
ファリシアが自らランガと戦う理由。あなたは一つだけそれに心当たりがあったのだ。
……そう、剣だ。ランガは今、勇者であるあなたのために神気が宿る剣を作っている。ファリシアの目的はこの剣以外にありえない。
ランガをしてファリシアに通じるとまで言った神気の剣。そんな物を作っているとファリシアが知れば、これを警戒しないはずがないだろう。
そしてファリシアにとっての最善は、自分に対抗しうる剣を完成させないこと。すなわち、完成間近の剣を奪うか壊すか。その二択である。
しかも、ファリシアはランガの作った魔水晶の剣を奪いに来たという過去がある。神気宿る剣をファリシアが使いこなせるかどうかは不明だが、その剣を彼女が奪いに来るという可能性は十分にあるのだ。
そしてランガはもしファリシアが剣を奪いに来たとしても、それに全力で抗うはずだろう。過去のことから再度ファリシアに剣を奪われるというのは彼女のプライドからしても許せないし、なによりファリシアを目の前にして戦わないという選択肢は彼女には存在しないはずだ。
かつての雪辱を晴らす。それがランガがあなたに同盟関係を持ちかけ、あなたの剣を作ろうとする最大の理由なのだから。
以前にも感じたファリシアの恐ろしき魔力の気配を目の当たりにして、所在なさげにしていたあなたの手は、自然と腰にさしていた剣の柄へと伸びた。
それは、ファリシアの魔力の気配に圧倒され、その恐怖に飲まれまいと奮い起こした闘争心が導いた行動である。しかしそれは決して冷静な判断ではなく、そうやって奮い起こした闘争心で心から余裕を無くしている現状こそが、ファリシアの力に飲まれている証拠でもあった。
「……勇者様。やはり……お気づきでしたか……」
冷静さを欠いて今にも剣を抜きお社へ駈け出そうとしていたあなたへ、小さくか細い声が投げかけられる。あなたははっとして剣から手を離し、声がした右後方へ視線をうつした。
そこにいたのは、小柄な体をローブで包み隠す、占い師の姿であった。ホムラの国までの道案内をしてくれた彼女は、まだこの国に滞在していたようだ。
占い師はあなたのすぐ近くまで進み寄り、あなたの目を真っ直ぐ見上げた。
「勇者様も感じている通り……この魔力の気配は……魔王ファリシアのものです。かつて私は彼女のしもべでしたから……彼女の魔力の気配は、十分に心得ています……」
占い師の話を聞くと、彼女はあなたとほぼ同時期にファリシアの魔力の気配に気づき、それをあなたへ伝えに来たとのことだ。
あなただけでなく、かつて魔王のしもべとされていた占い師すら魔力の主はファリシアだと断定している。ならばまず間違いはないだろう。
あのお社に、魔王ファリシアがいる。再度その事実を確認して、あなたは遠くお社を見据えた。
この状況であなたがするべき行動は……決まっている。
お社へ向かい、ファリシアと戦うのだ。それこそが、勇者であるあなたの目的なのだから。
あまりにも突然に、あまりにもあっさりと、戦いの時がやってきた。しかし、えてして運命の時は予期しないタイミングでやってくるものである。運命に対してできることは、翻弄されながらも最善を尽くすことくらいのものだ。
あなたの決意は自然と顔に現れていたのだろう。そばに立つ占い師は、不安げにあなたのそでを引っ張った。
「以前の……ホムラの国への旅路での占いを……覚えていますか……?」
当然、あなたはそれを覚えている。
――勇者が敗北する確率、100%。
その占いは、ランガとの戦いの時を予言しているものだとあなたは思っていた。
しかし思い返してみれば、確かにあなたは敗北を認めたがその体力を全て失ったわけではない。つまり、明確な敗北を迎えたわけではないのだ。
そして訪れた今日という運命の時。あなたはどうしても、その脳裏にかつての占いをよぎらせてしまう。
あの時の占いは、これから迎えるファリシアとの戦いの結果を示しているのではないだろうか。
もちろん、ランガとの戦いの結果を示していたという可能性も十分にある。占い師自身でさえ占いが示す時は分からないのだから、どうとでもとらえられるのだ。
しかしあなたは理解していた。占いなど関係なく、今ファリシアと戦えばおそらく負ける。まず勝ち目はない。
あなたはランガとの修行でその実力を飛躍的に増し、今やランガ、アルメリア、グリュイエールと一対一で戦ってひけを取らないだろう。ここに魔物娘の助力を加味すれば、魔王と十分に戦える戦力はあるかもしれない。
しかし肝心の剣が……神気を宿す剣がまだ完成していないのだ。
神気宿る剣が無ければ、おそらくファリシアには勝てない。彼女の魔剣、あの恐ろしき一刀に対抗する手段がないのだ。
今戦っても勝ち目はない。しかし、ファリシアが剣を守ろうとするランガと戦っているとすれば、これを見過ごすことはできない。
なぜなら、あなたはすでにランガと同盟を組んでいるからだ。いや、同盟など関係ないかもしれない。あなたはこれまでランガと過ごした時を思い返す。
時に厳しく、時に優しく、口調は古風でありながらどことなく可愛らしさを見せるオーガの魔物娘ランガ。彼女との修行の日々は辛くも楽しいものがあった。
そんな彼女が今、あなたの為に作っている剣を守るため、勝ち目のない戦いに望んでいるとすれば……。
あなたは勇者である。勇者の目的とは、魔王を倒すこと、ただそれだけだ。このツゴウノイイファンタジー世界における勇者の役目とは、それだけでしかない。
しかし、あなたが真に勇者であるのならば、決して見過ごせない事というものが存在する。
それは、復活を遂げ王都を破壊しようとしたグリュイエールであったり。
魔界の扉を開いて魔界の風を吹き荒らさせ、結果としてエルフや他の人々を苦しめようとしたアルメリアであったり。
そして……今。あなたの師となり、あなたを強さの高みへ導いてくれたランガの窮地もそうだ。
見過ごせない。そう、あなたはこのような事を、決して見過ごすことはできない。
一歩、二歩と、あなたは前へ歩き出した。そでを掴んでいた占い師の手は、自然と離される。
「……ご武運を祈っております……」
占い師は得意の占いではなく、ただ静かにあなたの勝利を祈りだした。
お社に向け、あなたは走り出す。この先に待ち受ける運命を目指して、ひたすらに。