これはあなたがお社へ向かうよりも少し前。まだファリシアの魔力の気配が無く、あなたが異常事態を察していない時の事。
お社の裏手側、天を突くような竹林が広がる一角に、金属板によって形どられた小さな小屋があった。
それこそが、勇者の剣を作るためランガが新たに設けた工房だった。見た目通り狭隘な内装だが鍛造するだけなら十分で、かつランガお気に入りの武器を飾るスペースもいくつかある。ランガは今そこで、夜中だというのに剣の鍛造にはげんでいた。
剣術家でありながら鍛冶師でもあるランガは、おそらくは多くの創作者がそうであるように、自作の中でも特に出来が良い武器を愛でる気質があった。
小さい工房内には鍛造に必要な器具のほか、そのような武器が所狭しと飾られている。小ぶりな刀から大振りの長刀、剣に槍、中には彼女自身が愛刀とする変形刀髪薙の試作品もいくつかあった。
刀を得物ととするランガだが、作るのは何も刀に限った事ではない。己が理想とする一刀を作り出すためには、あらゆる武器を作ってその特徴と性質を学ぶ必要があると彼女は理解していた。
その探求の果てに完成したのが変形刀髪薙である。一見やや大振りなだけで普通の刀に見えるそれは、魔力を込める事で刃が割れ広がるように駆動し、鉈にも似た分厚い刃へと変質を遂げる。
素早く振れて鋭い切れ味を誇る刀の性質と、重く粉砕するような打撃にも似た斬撃、その両方を放てる奇怪な刀であった。
だがこの髪薙は見た目以上に扱うのが難しい武器である。対敵との間合い、対敵の力量、手練手管、などなどを加味し、その状況でより適した一刀を放てるよう刀と鉈を機敏に切り替えていく。それがランガが想定する変形刀の扱い方であった。
しかし、刃の形や自重が変化するというのは、使い手へ想像する以上の負荷をかける。刃を切り替えるたびに重心は変化し、それによって構えから踏み込み、運剣に至る全ての動作に制限がかかるのだ。
更に言えば、この刀は突っ立った状態で刃を変化させては無意味だ。斬りこむ寸前、あるいは一刀を振るっている最中に刃を切り替えて相手の思惑を裏切らなければ、ただの大道芸で終わってしまう。
もっとも、斬り合いながら刃を切り替え、それに合わせて構えや重心を常に変化させていく事こそが大道芸とも言えるほどの離れ技ではあるのだが。
一瞬の隙すら見せられない真剣勝負の最中に、誰がそのような真似をできるというのか。多くの者はこの変形刀の本質に気づけず、一握りの者が本質を理解したとしても扱うことはできない。
だが、ランガはそれを可能とした。オーガの魔物娘である彼女の膂力、そして彼女が扱える土の魔法による補助、なによりもたゆまぬ研鑽により、ついに複雑怪奇な変形刀の扱いを完璧にさせたのだ。
己の理想とする一刀を作り出し、己の技術をそれに適応させ、握る得物と合わせて自らも一つの刀となる。ここにランガが理想とする一刀は完成していた。
しかし己の為に武器を作っていた彼女は、理想の一刀を作りだしてもなお、鍛冶師としての探求は止めなかった。
ランガ自身、なぜかは分からない。最初は自分の理想を作り出すためだった。その過程で鍛冶に魅力を感じていたのは事実。
いつの間にか、ランガは自分ではない別の誰かの為に武器を作り始めていた。己の想定する空想の使い手に合わせて武器を作り、納得いった物を飾って愛でる。ある意味、自堕落的な自慰にも似た行為だった。
きっと、人間界での安寧の日々がそうさせたのだろう。ランガは自身の変化にそう結論付けていた。
ファリシアによって女神の管理下から脱し、邪魔な女神の使徒も消え去った。魔界で日々争っていたグリュイエールやアルメリアは、訳あってまともに戦うことすらできない状態へとなっていた。
そして魔王の名を欲しいままにするファリシアは、何を考えているのか、時折人間たちにちょっかいをかける程度で大人しくしている。それはまるでただの暇つぶしだとでも言うような、ささやかなイタズラ程度のことだ。
魔王であるならば、女神を封じて次は人間界を支配するとでも宣言すれば格好がつくというのに、やはり何を考えているのか野心の一つも見せはしない。
好敵手のいない日々。ランガの牙も自然と抜けていった。
だが、勇者と呼ばれる存在が現れてから事態は一変した。あのファリシアが自ら動き、何人かの魔物娘をけしかけ、更に封じられていたグリュイエールすら呼び覚ましたのだ。
それが呼び水となって、長らく潜んでいたアルメリアすら動き出し、魔界の門を開くという暴挙にうって出た。
張り合いのない日々が一変したことによって、ランガの注目は自然と勇者に向いた。抜けていた牙が生え戻ったかのような感覚。ファリシアに対する闘争心が、ふつふつとこみ上げてくる。
秩序を重んじる女神とその使徒たちとは違い、魔物娘の性質はどこまで自由気ままに向いている。ランガもまた一人の魔物娘。打倒ファリシアを再度志したのなら、もはや手段は選べない。
ファリシアは相変わらず何を考えているのか分からないが、どうも勇者に妙な肩入れをしている。ランガは薄々それを察しつつあった。ただ勇者を倒すだけなら、さっさと彼女が戦えばいい。だというのに自らは戦わず、しかし自然と格上の魔物娘とぶつかり合うよう誘導している。
勇者が苦境に陥っている様を楽しんでいるのかもしれない。あのファリシアなら十分にありえることだ。
あるいは……ファリシアはあえて勇者を強くしているのかもしれない。まるで作物の収穫時を今か今かと待ちわびる農家のように、自ら勇者を強く導き、それと真っ向から戦ってねじ伏せようとしている可能性も十分にある。
もしそうだとすればまさに魔王と呼ぶしかない妙な嗜好だと、ランガは嘆息する。
だが、だとすればそれこそが隙なのだ。ファリシアは自分とまともに戦えるようになるまで、強くなる勇者をあえて見過ごしている。すなわち、ファリシアは自ら敗北のリスクを積み重ねていることに他ならない。
「強くなった勇者に、グリュイエール、アルメリア、そして儂が揃えば、ファリシアを倒す目はある。後はこの剣さえ完成すれば……」
今日の作業が一段落し、ランガは完成間近の勇者の剣をしげしげと眺め出した。空想の使い手に武器を作っていた彼女だったが、こうして実際に己が認めた者に相応しい剣を作るとなると、今までのようにはいかない。
空想の使い手を思い描いても、自然とこれから作り出す武器の使い手になるよう都合よく想像を変えてしまう。空想の使い手に武器を仕立てるなど、所詮はくだらぬ慰撫でしかないのだ。
しかし勇者は想像の存在ではない。剣に合わせてその剣筋が変わるわけでないので、日々稽古をつける中で勇者の癖を読み、それに適した剣を作らなければいけない。それが中々に難儀な話だった。
しかも今回は聖杖を核として剣を作り出すという、通常ありえない工程を踏む。剣作りが難航するのも当然である。
唯一の幸いは、この聖杖に仕組まれた妙な仕掛けだった。ランガをして首を傾げるしかない聖杖の真相だが、剣の核にするにはうってつけとも言えた。
あるいは、女神の使徒ツキヨミはこのような展開になると読んでいたのか。それとも……まさかありえないとは思うが、ツキヨミは意外にも「そう」だったのか。こればかりはツキヨミの戦う姿を見ていないので、ランガには何とも言えない。
ランガは細い指先で、剣の腹をつつ、と撫でた。
すでに剣としての形はできていて、一見完成形に見える。しかし核とした聖杖による神気の力が強大すぎて、まだ強度が追いついていなかった。ここから剣身を補強する必要がある。
とはいえそれはもう先の見えた作業だった。溶かした鉱石と熱した剣身を槌で何度も叩き、粘り強さを引き出すだけの作業である。
「ふふん、儂には扱えぬが、まあ良い出来になるのではないかの?」
想像できる完成形を思い描き、ランガは満足だとばかりに頷く。
自らが作る武器が納得いく完成像を想起させる。それはランガにとって至福の瞬間だった。
しかしランガの至福の時間は、野風に吹かれた枯れ木の枝のようにあっさりと折れて散る。
背後、工房の扉が静かに開いた音をランガは聞き咎めた。足音はしないが、背に何者かの気配がゆっくりと近づいてくる。
ランガは困ったように苦笑した。彼女は振り向きもせず、背後から近付く者に声をかける。
「何の用じゃ、ミコト」
ぴたりと背後の気配が止まる。しばらく沈黙が流れた後、凛とした声音が流れた。
「やはり、気づかれましたか」
ランガは振り向き、ミコト姫へイタズラっぽく笑った。
「なんじゃ、最初から失敗すると分かっておったのか? 逆に驚かせてやろうと思ったのに、つまらぬな」
以前の言い合いからこの時まで、まともに顔も合わせていなかった二人である。しかし口調は普段通り、自然な物だった。
「寝込みへの不意打ちに対応できるのですから、背後からの奇襲などまず通用しないと思うのは普通です」
「まあそう考えるのが普通じゃろうの。……で、もう一度言うが、何の用じゃ? さすがに儂もそろそろ眠いのじゃがのぅ」
小さくあくびをするランガに、ミコト姫は何も答えなかった。
だが、ミコト姫の左手は、ゆっくりと腰に帯びる刀の鞘へと延びていく。
ランガの瞳はその動きをとらえ、少しだけ険しくなった。
「……剣の出来はどうかと、気になったのです」
「剣……? ああ、これのことか」
ランガは先ほど眺めていた作りかけの剣を軽く振った。
「見ての通り、後少しと言ったところじゃな」
「そうですか……それは良かったです。完成する前に、間に合って」
するりと。ミコト姫の右手が左腰の刀の柄へと延びる。彼女は左手で鞘を支え、右手でゆるりと抜刀した。ささやかな鞘鳴りの音が、工房内に小さく木霊する。
目の前で抜刀されたランガは、その瞳をいまや鋭く光らせていた。彼女はあえてミコト姫の剣呑な動作を見逃したのだ。言葉でただすために。
「……どういうつもりじゃ、ミコト。さすがに洒落にはならんぞ。今のお主の剣、殺気がこもっておるが」
「元より武器とは己が殺意を伝える手段。ならば殺気がこもるのは必然かと」
ミコト姫は右足を一歩引き、刀を構えた。両手に持つ柄を腰に位置させ、切っ先は鋭く相手に向ける。霞の正眼。
「その剣、訳あって破壊いたします」
宣言すると同時に、構えるミコト姫の全身からおびただしい魔力の気配が立ち昇る。
「……なっ!?」
それを目の当たりにして、さしものランガもたじろぐしかなかった。本来ミコト姫が持ち得ない強力な魔力の奔流もさることながら、ランガから平静を奪ったのはその気配である。
「その魔力は……ファリシアの……!」
忘れるはずもない。かつて辛酸を舐めさせられた相手。今でも雪辱の機会を狙う相手。魔王ファリシアの魔力の気配。
だが、なぜそれがミコト姫から。ランガはミコト姫の着物の胸元から覗く不思議な模様を瞳にとらえ、歯ぎしりを鳴らした。
あの模様は、呪いの証である。
「気づきましたか。そう、私は魔王ファリシアのしもべになったのです。今の私は、あなたよりも強いですよ」
平然とうそぶくミコト姫を、ランガは鋭く睨みつける。
「なぜじゃ。なぜお主がファリシアのしもべなどになる。勇者の剣を破壊する理由などお主には無いはずじゃ」
「ええ、私にとって勇者の剣などどうでもよいことです。しかし、対価に求められたのが剣の破壊でしたので」
「……対価? 何に対してのじゃ?」
ミコト姫は、一切の表情のない虚無の顔で答える。
「力。あなたを……ランガを倒せるほどの力。私が魔王に求めたのは、ただそれだけです。その条件に剣の破壊を託されただけのこと」
ミコト姫の虚無の表情が、歪んでいく。凛とした彼女の美しい顔は今、憎悪に溢れていた。
「なぜ魔王がその剣を破壊したいのかは知りません。そんなことはどうでもいい。あなたを一騎打ちで倒す。ただそれだけが、私にとって重要なことなのです」
「……他者の力をあてにして儂を倒すじゃと? 見損なったぞミコトよ。立場は違えど儂とお主は刀の操法を探求する同士と思っておった。じゃが、あろうことか力を求めて溺れるか。そんな剣による勝利をお主は誇るというのか?」
「誇りも自負も、かつてあなたに負けた時に全て失っています。あなたに勝たなければ、私はあの日から一歩も進むことができない」
「じゃから勝つために他者の力を借りたか。しかもあろうことか、ファリシアの力を頼るとはな」
ランガの声音に、痺れるほどの怒りが込められていく。
「愚か者め。例えファリシアの補助があるといえ、その程度の貸し与えられた魔力で儂にかなうと思うたか」
「……私に足りないのは力だけだった。魔物娘であるあなたと小柄で脆弱な人間のヤトメである私との決定的な違いは、力だけ。その力の差を少しでも補えれば、この剣の腕は決してあなたにだって負けはしない」
「……小娘よ、覚悟せよ。ファリシアにくみした時点でお主は儂の敵となったのじゃ」
ランガの体に魔力が集っていく。その小柄な体に、ありったけの魔力が。
体に宿る魔力はランガの意思によってその属性を変え、土の魔力へと変質し体内を満たしていく。
「今まで儂がお主に全力を見せたことがあったと思うか? 本気の儂を見てから存分に後悔するといい」
ランガはその場で一歩、力強く踏み込んだ。その瞬間、ランガの体に集っていた土の魔力が周囲に放たれる。
「っ!?」
声を出す暇すらない。轟音が鳴り響き、ミコト姫の総身は衝撃で舐めつくされる。
今、自分は吹き飛ばされている。奇妙な浮遊感によってそのことに気づいたミコト姫は、しかし為す術もなく地面へ落下した。鈍い衝撃が彼女の体をかき回す。
「何が……」
全く理解できないとばかりにようよう立ち上がったミコト姫は、目の前の光景を目にして息を飲んだ。
小屋が無い。先ほどまで居たはずの工房が跡形もなく消滅していた。いや、それどころか、周囲にあれだけ生えていた竹すらも広範囲に渡って根元からなぎ倒されている。今や竹林はなぎ倒された竹が笹の葉を散らす原っぱとなっていたのだ。
空を遮る竹が吹き飛ばされたことによって、この場は赤黒い夜の色とほのかな月明かりが差し込んでいる。その月明かりにいくつも影が落ちていることに気づいて、ミコト姫は空を見上げた。
工房の壁や飾られていた武器が、宙を舞っている。それらが重力に引かれて次々と落ちていき、ミコト姫の周りに突き刺さっていった。
いったい何が起きたのか分からないが、ランガの攻撃によって工房が……いや、ランガの周囲にあった全ての物が衝撃によって吹き飛ばされたのだ。
ミコト姫は先ほど自分の身体を貫いた衝撃波を思い返して、ぞわりと背筋を震わせた。
しかし彼女は次の瞬間、全身に鳥肌を立ててはっと正面へ視線をうつした。
視線の先。先ほど工房があったらしき場所。そこでランガは静かにたたずんでいる。
だが、その一見何の変哲もない立ち姿がミコト姫の心胆を震わせる。
違う。先ほどまでとは明らかに一変している。纏う魔力の気配が、その身に秘める力強さが。修行と称して勇者と斬り合っていた時とは、確実に違う。
ランガは背に担ぐ変形刀髪薙を抜き、代わりに作りかけの勇者の剣を背に担いだ。
「ミコトよ、儂が竜鳴気まで使ってやってるのじゃ、お主も出し惜しみはせぬ方がよいぞ? 全力を出す暇も無く負けては、悔いが残ろう」
明らかな挑発の言葉に、ミコト姫は唾を飲みこんだ。怒りよりも冷えた恐怖が彼女の心中を満たしていく。
これが本気のランガ。あのグリュイエールやアルメリアとかつて魔界の覇をかけて争った、最も強大な魔物娘の一人。
ミコト姫は恐怖を振り払うかのように、大きく息吹をした。
「……是非もありません。ならば私も本気で行かせてもらいましょう」
するりと、ミコト姫は一刀で空に弧を描いた。すると彼女の刀身に魔力が満ち、ゆっくりと燃え上がる。虚空に炎の残像がひた走った。
ほのかな月明かりが照らす夜。一刀に灯ったのは麗らかな青い焔だった。
「我が燐火剣の相手に不足は無し。参ります」
「たわけが。儂には不足しかないぞ」
戯れあうようにうそぶくランガに取り合わず、ミコト姫は彼女にだけ許されたホムラの伝統剣術、燐火剣にて攻め込んだ。