先手を取ったミコト姫は、深く沈みながら踏み込んだ。
低い姿勢のまま右脇構えとなり、体をねじるようにして鋭い切り上げを放つ。
だがランガは燃える刀身による鋭い切り上げの危険性を理解していないのか、わずかに身を引いて紙一重で避けた。刀身に灯る青白い炎が着物を掠める。
ミコト姫は切り上げが避けられたことは予想のうちとでも言うように、振り切った刀の勢いを止めず、むしろそれに乗ってその場で鋭く転回する。回転の勢いによって一層勢力が増した一刀を、今度は袈裟がけに斬り下ろした。
ランガはこれもまた、一刀が放たれるよりも先んじてわずか一歩横にずれることで回避していた。
二度の死太刀を打ちこんで、しかしミコト姫の動きは止まらない。袈裟切りの勢いのままその場で地を蹴りこみ、空中で一回転をしたのだ。その勢いのまま、ランガの頭上に真っ向斬り下ろしを放った。
死太刀を打ちこんだ際の居つきを続く剣撃の予備動作とすることで無くし、切れ目ない連続切りへと昇華する。更に刀身に灯る青白い炎は、素早い連続切りに数瞬遅れて揺らめく残像を空中に残し、剣呑な一刀の軌跡を包み隠していた。
死太刀の切れ目なく残像をともなって放たれる連続切りは、見切ろうとして目を凝らせば凝らすほど青白き焔に目を奪われ真実の一刀を見失わせる。これぞ燐火剣の真骨頂にして絶技、朧である。
だがランガは燐火剣・朧の雨のように切れ目ない連続切りを、ことごとく体捌きだけで避けていた。
「どうしたミコトよ。そのような軟弱な焔では、儂をとらえるのはかなわぬぞ」
なおうそぶく余裕すらを見せるランガ。決して見切れぬはずの朧の斬撃を、だが彼女は完璧に見切っていたのだ。
いくら刀身の炎が真実の一刀を覆い隠しているとはいえ、それを振るうのはあくまでミコト姫である。彼女の踏み込みから構え、腕の筋肉の軋みから足先までの力の込め方、その体の全てがこれから打ち込む一刀の軌道を伝えているのだ。
一刀自身の軌跡を炎の残像によって隠せても、それを打ちこむミコト姫の体の動きまでは覆い隠せない。もはやランガは相手が打ちこむ一刀を見切るという域ではなく、相手が放とうとする一刀を先んじて見切る領域へと到達しているのだ。
「……っ! ならばこれではどうですか!」
ミコト姫は己が体をねじり回転させて放つ朧の連続切りをやめ、地を蹴って飛び退くことでランガから距離をとった。そして燃える刀身を空中にひるがえし、くるりと弧を描く。
するとその一刀の動きに遅れて、青白い炎が次々と空中に浮かび上がる。それらは一刀を形作り、ミコト姫の頭上で三つの炎の刀が等間隔を置いて静止した。
「燐火剣・陽炎」
ミコト姫が手に持つ刀の切っ先をランガに向けると、頭上の炎の一刀が次々と射出される。炎の一刀は空に残像を描きながらランガ目がけて疾走した。
しかしランガはこれもまたわずかに身を引き、一歩横にずれ、体をひねり、時間差を置いて迫る炎の一刀三つを全て回避する。
しょせんは術者に操られた仮初の刃。ランガからすれば、先ほどの連続切りよりも見切りやすかったことだろう。
「見誤りましたね!」
しかしミコト姫はここぞとばかりに歓喜の叫びをあげた。その意味するところを、ランガは背後の気配によって理解する。
「……追尾技か」
回避したはずの炎の一刀は途中で空中に静止して一度炎の塊となり、切っ先をランガへと向ける一刀を再度形作って射出されたのだ。
燐火剣の焔はミコト姫の魔力によって生成されている。息をするように魔力を操り魔法を繰りだせる魔物娘と違い、人間は魔法を扱う際の効率がどうしても一歩劣る。それは長い詠唱や集中を要するという形で現れるのだ。
しかしミコト姫の燐火剣は一刀に炎を灯し、刀に灯る炎だけを自在に操るという条件付けの過程を踏むことで、魔物娘にもひけを取らない魔法の発動を可能としていた。
それでもやはり、こと魔法の操り方、威力、発動までにかかる時間に関しては、魔物娘たちにはかなわない。実際武器に炎を灯したり、空中に炎を呼び出しそれを対象に向けて射出すると言った魔法の運用は、グリュイエールならばより効率的に、そして効果的に行えるのだ。
ならば燐火剣は魔物娘の操る魔法の劣化版かといえば……安易に頷くことはできない。
これに関しては、目線が違うと言うしか無かった。確かに一刀に炎を灯して斬撃の威力を上げるという点、そして空中に炎を産み出し射出するという点において、威力も精密性もグリュイエールと比べてはるかに劣っている。
しかし……燐火剣は、あくまでも剣術である。魔法による直接攻撃を想定しているのではなく、炎の魔法はあくまで剣術を補佐する立ち位置なのだ。
すなわち燐火剣の本命とは、ミコト姫の技術に根差している。
ランガは背後から追尾してくる三つの炎の刀を、逆巻く体捌きで再度避けようとする。
その一瞬。ランガの注意が逸れた一瞬の隙に、ミコト姫は鋭く踏み込みランガへと駆けていた。
「っ!?」
ランガがミコト姫の動きに気づいた時にはもう遅い。背後には三つの炎の刀が。そして正面からはミコト姫が間合いを詰めてくる。ミコト姫は背後から迫る炎の刀に合わせて攻撃を仕掛けるつもりだ。
背後の炎の刀とミコト姫の奇襲を全て避けきる……それはできないことではない。ランガの身体能力と見切りの目をもってすれば、十分可能だ。
しかし、その行為はほんの一瞬時を稼ぐ程度の意味しかもたない。一度だけ同時攻撃をやり過ごしても、また空中の炎の刀は再度ランガ目がけて射出されるだろうし、ミコト姫はそれに合わせて斬りかかってくることだろう。回避し続けてもじわじわと肉薄され、やがて斬られるのがオチである。
ならば迎撃をすれば……しかし、同時攻撃を手に持つ一刀で迎撃するとすれば、できるのはどちらか一方のみ。もう一方の攻撃は確実にランガをとらえることだろう。
つまりは詰みである。今からではランガがどのような動きをしようとも、確実に一撃与えられる。魔王ファリシアの助力を得て力を増した今のミコト姫なら、その一撃がランガへ致命的、ないしはそれに準ずるダメージを与えるのは確実だ。
勝った。勝利の確信を抱きながら詰め寄ったミコト姫は、ランガを一刀の間合いにとらえて大技を繰りだした。
構えは刀身をやや肩へと引きつけた八双崩し。ミコト姫の一刀に灯る青白い焔が、その一瞬激しく燃え上がった。
刀身に灯る炎を激しく燃え上がらせて威力を更に増し、渾身の斬撃を叩きこむ。燐火剣が最奥の一手、不知火にて勝負を決める。
ランガの背後には燐火剣・陽炎が。ランガの正面には燐火剣・不知火が迫っている。迎撃するならばどちらか一方のみ。回避の一手を用いるなら、後手の燐火剣・朧による連続切りで追い詰める。
これぞミコト姫がその身に修めた、ホムラの国の伝統剣術燐火剣。その必勝の技である。
ミコト姫の必勝を前に、ランガははたしてどうでるか……いや、どうでようと、これを覆す手は決してありえない。
勝利を確信するミコト姫は、しかしその時、ランガの姿を目にうつしてぞわりと身の毛がよだった。
「はぁっ!」
ランガはその瞬刹の時、迎撃も回避も選ばなかった。彼女はただ、勢いよく呼気を吐き出し、その場で一歩地を踏みならしたのだ。
瞬間、ミコト姫の総身を衝撃が襲った。のみならず彼女の体を吹き飛ばし、背後に迫る炎の一刀すらかき消している。
これは先ほども使った技だ。ミコト姫はそう直感しながら空中で体勢を整え、地面に着地した。いったいどういう原理の技かは分からないが、繰りだす直前の魔力の気配から何かしらの魔法なのがうかがえる。
「ふん……なるほどのう。燐火剣、中々よいではないか。十分練り上げたと見える」
ランガの称賛を聞いて、ミコト姫は睨みながらも冷や汗を流す。必勝の技が破られたのも衝撃だが、ランガがいまだにまともな反撃を見せていないのが彼女には不気味だった。
加えて都合二度放った先ほどの妙な技。かつ斬りかかる前に口にした竜鳴気という呼称。ランガはいまだ底を見せていないということを、否が応でも知ってしまう。
「さて、そろそろ儂も反撃に転ずるとするかのう」
ランガが手にする変形刀髪薙に魔力が集う。それと共に刀身は歪な音を立てて駆動し、流麗な刀身は分厚い鉈状刃へと変形した。
ランガはその一刀を、静かに構えた。八双から刀身を寝かせ、肩から後方へ切っ先を出している。
「ミコトよ。せっかく儂が本気の技を見せてやるのじゃから、頼むからあっさり負けてくれるなよ?」
挑発の言葉に返そうと口を開けかけたミコト姫だったが、その視界の中からランガの姿を消失して思わず息を飲む。
鋭い風切り音を耳にするよりも早く、ミコト姫は左肩から貫くような鋭い衝撃を感じていた。